猫探し編
6.猫だいぼうそう
「これは……」
そこに立つのは、一メートルほどの小さな生物。
ぬこたまだ。
「さっきから、随分静かだと思ってたら……」
そいつは、ひょこりと一歩を踏み出して。
同時にその場から吹き出すのは、赤く輝く力の波動。ぬこたまの小さな体を包み込み、さらに周囲へと立ち上る。
「これ……何だ? 魔力?」
圧倒的な力という事は理解出来る。だが、強力すぎて果たして感覚だけの物なのか、実体を伴う物なのかさえ分からない。
「そうみたいね。……まずい!」
ぬこたまの瞳が一瞬強く輝けば、足元の石畳が爆発する。
「何だよ今の!」
「魔力が暴走しておるのじゃろう。実際、凄まじい力じゃの」
赤く輝く力の波動は小さなぬこたまを包み込み、既に二メートルほどの形を成している。話している間にも赤いオーラはその大きさを増し、あっという間に三メートルを超えてしまう。
「なあ。あれもぶったぎってええんか?」
「そんな事……ダメです! ネコさん!」
忍がぬこたまに声を投げ付けるが。
ゆっくりと忍の方を振り向いたそいつは……。
「危ないっ!」
飛びついたジョージが、忍を力任せに押し倒し。
その背後を、破壊の力を伴う光条が駆け抜けていく。
赤いオーラをまとうぬこたまの体躯は、既に五メートルを超えようとしていた。
「マタタビ中毒かねぇ」
基本的に毒性や常習性のないマタタビではあるが、一度に過剰摂取すれば、ネコにも死の危険があるという。先ほどのマタタビ一斉攻撃でダメージを受けたのは、サーキャットだけではなかった……ということだ。
だが、今は原因はどうでもいい。
「で、どうやったらアレを何とか出来るんじゃ?」
問題は、対処のほうだ。
試しに酒瓶の欠片を投げ付けてみたが、赤いオーラに弾かれて、中心のリントまでは届かなかった。
そんなモモの問いに答えたのは、その場にいた誰でもない。
「強い一撃を加えれば、あの魔力の外殻は破壊出来ますよ」
立ち上がったジョージの肩に舞い降りた、十五センチの小さな姿。
「お主は……?」
ゆらりと流れる長い金髪に、深く碧い瞳。それは、この場にいる誰もが知らない顔だ。
「そんな事どうだって良いじゃありませんか。今大事なのは、あのぬこたまちゃんをどう止めるかじゃないんですか?」
「……方法は」
嫌味さえ感じさせる物言いだが、言っている事は間違ってはいない。それに旅人の多いガディアだから、本当にただの通りすがりという可能性もある。
「貴晶石にしてあげればいいでしょう?」
薄く微笑み構えるのは、肘辺りまでの長さのショートソードだ。柄の中央にルードの拳大の穴が開いている辺り、どうやらそれが彼女のビークらしい。
「ダメですっ!」
それに反対したのは、忍だった。
ルードの結晶化の技は、相手の生命力を魔晶石や貴晶石へと変える技だ。それが相手の生命力『全て』を変換する事は、さすがの忍も知っている。
「なら、力任せに叩き壊すしかないでしょうねぇ。ダメなら私が貴晶石にしてあげますけど……せいぜい頑張ってくださいね?」
無理を通す気はないのだろう。金髪のルードはジョージの肩を軽く蹴ると、大きく後ろへ跳躍する。
街灯の一つに腰を下ろし、くすくすと嘲るような笑みを浮かべてこちらを見守っているだけだ。
「放っておきましょう。今は、リントを助ける事だけを考えて」
「必要なのは……」
ダイチの槍は点を貫くものであり、砕く性質は持っていない。
「強い一撃……」
ネイヴァンの剣も、一撃必殺の威力を持ち得ない。
「…………自分ですか」
一撃必殺の、砕く技。
確かにこの中で最も適任なのは、ジョージの拳だろう。
だが……。
「行けるの? ジョージ」
ツナミマネキのように、まともに近寄れる相手ではない。周囲にあふれる魔力は、人間の体にどんな影響を与えるかも分からないのだ。
武器なら捨てれば済むが……。
「なら、オイラが先に行こうか?」
「いや。ワシがやろう」
そんなダイチの言葉を遮ったのは、モモだった。
「ピンク……?」
確かに彼女の力は大した物だ。しかし、そんな彼女の力でも、あの魔力をどうにか出来るの……。
「っ!」
か、という思考にまでは至らない。
「そうか。お主らに見せるのは……初めてじゃったかの」
忍は確か知っていたはずだが、その姿を実際に見るのは初めてだろう。
「この力……」
モモから溢れ出すのは、強い力。
暴走したぬこたまにも比肩するそれは、赤い光ではなく、赤く燃える炎を模する。
「あんたも暴走するつもりか!?」
「ちゃんと制御出来る力じゃよ。案ずるな」
全身を駆け巡る文様が赫く輝き、現われる魔力の形は、ゆっくりと巨大な鎌首をもたげていく。
それは、かつてダイチがガディアの海岸で見たシルエットにも似て……。
「まさか……」
その、刹那。
世界に轟き渡るのは、音よりも先に来る衝撃と。
全てを打ち砕く、天より振り下ろされた拳の一撃だ。
「な…………っ」
眼前に張られたのは、光の盾。
「何じゃ、今のは……」
ナナトの光の盾に護られて、モモですら呆然と呟くだけだ。
「お前ちゃうん?」
てっきりモモが真の力を解き放った時の衝撃だと思ったのだが、どうやら違うらしい。
「違う。あれは……」
感じたのは、生物の気配ではない。
大気を切り裂き飛来したその感覚に。天を仰いだ彼女の視界に映ったのは、人の形にも似た……。
「何か爆発した後に、すげえ音が飛んできた気がするんだけど……」
「……音より先に?」
それは、物体が音の速さを超えたという事だ。
今のガディアでそんな事が出来る物は、たった一つの例外を除いて、存在しないはず。
「そうだ! ネコさん!」
ナナトの光の盾の向こう。『何か』が落ちてきた爆心地にいたのは、赤い光をまとうリントだ。
慌てて駆け出そうとする忍の足元。
もうもうと立ち籠める砂煙を抜け、ぽてっと間の抜けた音を立てて落ちてきたのは、小さなぬこたまの姿だ。
「大丈夫?」
「大丈夫……みたいです」
忍の腕の中で、リントは気を失っているだけのようだった。例の赤いオーラも『何か』との激突で砕け散ったのか、新たに溢れ出す気配はない。
「よく分からんが、助かった……ようじゃな」
そう言って辺りを見回せば、街灯の上にいたはずの金髪のルードが姿を消している事に気付く。
「いない……」
「何だったのかしら、さっきの子」
ダイチ達を見ても、誰もが首を振るだけで、本当に心当たりのある者はいないようだった。
「分からんが、ともあれ任務は完了のようじゃな。……ついでにそのサーキャットを、森に返しに行くとしようか」
そして、戦っていたメンバーの中でただ一人。
ナナトの光の盾から抜け出している者がいた。
「これは……」
砂煙の中。
石畳を砕き、その場に片膝を着くのは……巨大な鋼の人型だ。
あのとき誰もが抗しえなかった、赤く輝くぬこたまのオーラを一撃の下に打ち砕き、リントを救い出した鋼の騎士。
だが、その圧倒的な破壊力と存在にジョージが抱くのは、恐怖でも、驚きでもない。
「自分は……」
懐古。
かつての戦友を前にしたような、懐かしさだ。
「こいつを……知っている……?」
自分は目の前の存在など、初めて見たはずなのに。
「……っ?」
やがて鋼の騎士の胸元からぷしゅりという小さな音が響き渡り。
ひと繋がりかと思われた装甲板が、ゆっくりとその形を幾つかに分けていく。
「うぅ……さすがに久々は……キツい」
やがてその中から現われたのは……。
「カイルさん!?」
坑道調査に出掛けたはずの、カイル・レイドだった。
○
戦場となった広場から少し離れた場所。
「あれは……?」
傍らの柵に腰掛けた、十五センチの小さな姿に問うのは……艶やかな長い黒髪に、海の国辺りの服装をまとう、細身の女性であった。
「ぬこたまですよ。あのくらいの暴走じゃ、封じた所で貴晶石くらいにしかなりませんから……上手く止めてくれて助かっちゃいました」
くすくすと見下すような笑みを浮かべる金髪のルードに、黒髪の女性は露骨な嫌悪の表情を浮かべてみせる。
「ぬこたまくらい知っているわよ。そうではなくて、あの巨大な人型……」
暴走したぬこたまの魔力障壁を、一撃で粉砕する力。
音の速ささえ超える機動力。
それこそは……。
それこそが……。
「ルードのメモリーにだって、記憶されている物といない物があるんですよ」
「……記されているでしょう。貴方の記憶になら」
そして女性は、目の前の金髪のルードの名を呼んだ。
アリス、と。
「殿下の前では、ちゃんと偽名で呼んで頂戴よ?」
「殿下の護衛は私とウィズワールだけで十分だというに……。どうして上の連中は、貴様のような壊れルードまで駆り出すのか……」
その問いに、アリスはもちろん答えない。
くすくすと微笑み、広場の中央で動作を停止した人型を眺めているだけだ。
続劇
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