21.消えゆく世界の最後の刻に 薄紫の世界が崩れていく光景を、彼は茫然と眺める事しか出来なかった。 いまだ戦いを繰り広げている表側の世界ではない。 アークに接続した時に知覚出来るようになった、もう一つの世界。アークの内側の世界。 アーレスが神の力を手に入れた場所にして、アーレスの王国。 「これは……どういう事だ!?」 たった一人の世界での問いかけである。答える者は、誰一人としていない。 「どういう、じゃないよ」 そのはずの世界に返ってきたのは、もう聞こえるはずのない声だった。 「テメェ……なんで、ここに……!」 振り返るまでもない。認識しようと意識すれば、相手はすぐ目の前にある。 「……ククロ!」 ククロ・クオリア。 ナーガも、何の装備も無い。 アーレスの知る、格納庫をうろつく時の作業服姿で、彼の目の前に立っている。 「俺も神王も、ちゃんと世界樹を壊さないように気を付けて戦ってたのにさー。……壊すことしか考えてないなら、そりゃこうなるさ」 神の意思は、アークの意思。 世界樹の形を成すことも、大後退を起こすことも、全ては意思によるものだ。ククロと神王が奪い合っていた領域やデータは、その権限を得るために繰り広げられていた。 故に神の意志が滅びと破滅しか望まぬのなら、アークはそれを体現する。 例えそれが、自身の終焉に至るものだったとしても。 「なんで残ってるんだ……お前の体は、俺が……」 だが、その言葉はアーレスには半分も届いてはいない。 「俺が殺したはずだ!」 そう、そのはずだ。 神王からアークの力を奪い取り、この世界の権限のほとんどを手に入れた瞬間、確かに本体ごと破壊したはずなのに。 「ああ、うん。あれは派手だったねぇ。まさかいきなりそう来るとは思わなかったからびっくりしちゃったよ」 なのに、どうして彼は笑っているのか。 いつもと変わらぬ様子で。 変わらぬ笑顔で。 「そりゃ、これだけ時間があったらバックアップくらい取るさ。……再起動には、ちょーっと時間かかっちゃったけどね」 「バック……アップ……」 意識をしばらく集中させれば、神王やククロから奪い取った膨大な情報の中に、その言葉も見つけ出すことが出来た。 予備。 保険。 本体が失われることを想定して、別の何かに意識と記憶を写し取っていた……という事か。 「お前のアームコートと……変な人形か……!」 その手段も技法も、全てはアークの知識の中にあった。必要なものが全て揃っているなら、次は実践するしかない。 ククロにとっては当たり前のことだ。 「さすがに大後退の発動権限はコピーも間に合わなかったから、残ってないけどね。貴重な経験だったよ」 「お前、それ……どういう……っ!」 「もう大後退は起こせないって事さ。アークも崩壊が始まってる」 アークはただの機械だ。いかに無限の知識を、超越の技術を内に秘めていようとも、所詮は定められた命令をこなすだけの道具でしかない。 「なん……だと……」 再生のための破壊ではなく、純然たる死と滅びを望む王を主と戴けば、その世界を忠実に体現する。 「感情で突っ走るのはアーレスの良い所だったけど、たまには立ち止まって考えなきゃ。……神王が俺を殺さなかった理由くらい、ね」 ククロが大後退の鍵を持っていたからこそ、神王は手の届くほどの所にククロの身を置きながら、指一本触れる事はなかったのだ。 「おい待て、テメェッ!」 「どうやら接続出来るのもこれが限界みたいだ。それじゃねー」 ごくごく軽い言葉を残し、ククロはその世界を後にした。 たった一人の、アーレスの王国を。 アークの世界との接続を完全に失ったククロの前に広がるのは、アームコートの操縦席だった。 「こっちはどうなってる?」 「どうもこうもない」 その問いに答えるのはヴァルキュリア。 補助視界用の画面を覗き込めば、眼前にあるのは炎に包まれた獅子の異形だ。 黄金の竜から降り注ぐ雷を一身に浴びながら。 滅ぶ世界を目の当たりにしても未だ闘志を失わないのか、それとも全てを諦め、さらなる滅びを求める気なのか、その勢いが衰える様子はない。 「これで、仕舞いだ!」 正面を薙ぎ払う大鎌と、左右を切り裂くクズキリの斬撃。三人が開いた道をこじ開けるのは、神揚の技術によって生まれたアームコートと、その根源となったネクロポリスのシュヴァリエだ。 「行けえええええええええええっ!」 それは果たして誰の声だったのか。 力強い意思に押されるように、開かれた道をアレクとソフィアが駆け抜ける。 「ああああっ!」 紅の爪と牙が二人の斬撃と相打って。 「リフィリア!」 アレクの剣は爪と相打ち半ばから折れ、ソフィアの片手半は牙に弾かれてくるくると宙を舞う。 「応!」 その場を離れたアレクの声に、入れ替わるように打ち込まれるのは両手に握られた斧の一撃だ。それはソフィアの片手半を弾いた牙を折り砕き……。 けれど、まだだ。 まだ、足りない。 「千茅ぁっ!」 故に宙を駆けたのは、鳴神の背から跳んだ一体の神獣だった。 宙を舞う黒金の片手半を握り締め。 力任せに、相手の頭上へと振り下ろす。 「でええええええええええええええええええええいっ!」 響き渡るのは、鈍い音。 「……剣の使い方も知らんのか、あいつは」 斬撃ではなく、打撃。 「まあいいんじゃない? 千茅らしいよ」 刃ではなく腹で打たれて、紅の獅子はゆっくりとその場に崩れ落ちる。 まるで、世界樹の崩壊に応じるかのように。 「遅かっ……た……?」 クロノスの胸に納められた神術機関。刻を戻す術を再現すべく創られたそれが開放された時、世界樹の頂に生まれたのは、黒い力の渦だった。 「違う……」 だがそれは、誰の記憶にもある、刻を戻す時の輝きとは異なるものだ。 かつて沙灯が紡いだそれは、もっと優しく、穏やかな光だった。沙灯の悲しみと胸の想いをそのまま裏返したような、希望を望む輝きだったはず。 「あれは……」 そう。 それは、やはり誰もが知る輝き。 空間を歪ませ繋ぐ、黒い渦。 「……転移門!?」 ネクロポリスに至る時にも見た、空間移動の穴である。 「けど、クロノスで転移門は……」 万里の救出作戦では、クロノス単体では移動先の空間を見定めるだけで精一杯だったはず。だからこそ門を開くためにはセタと、いまだ動作の不安定だったバスターランチャーに頼るしかなかったのに。 「不可能ではありません。時間と空間に影響を及ぼすのが、クロノスの神術機関ですから」 ロッセの言葉に、ネクロポリスへの突入作戦では、主機の力は使っていなかった事を思い出す。 恐らくはそれが、クロノスの本当の力なのだろう。 「ええ。……当初の予定とは少し事情が変わりましたが」 黒い渦の間近に立つのは、三頭を備えた神獣。 聞こえてきた声は、それを駆る禿頭無毛の人物のものだ。 「ネクロポリスのバルミュラ達を呼び寄せるつもりか……!」 「別にこちらに攻め入るつもりはありませんよ。……沙灯」 三頭の神獣が思念を向けたのは、クロノスに爪を立てる半人半鳥のシュヴァリエへ。 「神王様の知識があれば、あなた方をこちらの世界に安定させる事も出来そうです。瑠璃にもそう伝えておいてください」 世界から弾き出された沙灯達を外の世界へ掬い上げたのは、神王の力。彼の知識があれば、その逆も不可能ではない。 「お前……まさか、そのために……?」 神王と融合し、その知識のみを手に入れる。 理屈では分かるが、それを成し遂げられるかどうかは、分が悪い……それこそ、神王を押さえ込むほどの意思や知恵を要求するほどの……あまりにも分の悪すぎる賭けのはず。 「まさか。……その仕掛けを知ったのは、たった今ですよ」 だがその言葉を、シャトワールは穏やかに否定した。 「ですが、ヒサ家の想いを束ねた神王様ですから……。わたしの、彼女達を救いたいという気持ちを、理解して下さっただけです」 故に妄執を束ねたその塊は、いまだシャトワールの内にある。ただその想いに逆らう事なく、寄り添い、わずかな力で怒りと執着の向きを制御しているだけだ。 「ああ……そうか。そうなのですね……」 そしてシャトワールが得たのは、神に近しい知識だけではなかった。 神の記憶。 神王に遺され、アーレスにも渡らなかった情報の一部。 自分以外の目から見た世界。 「愛では、なかったんだ……」 自分の想いの本当の形。 それを世界で……何と呼ぶか。 「……沙灯さん」 もはやそれは、言葉にする必要もない。 「シャトワールさん……」 ただ想いを、思念通信の波に乗せるだけで良かった。 普通ならばしない……礼儀知らずと誹られるような行いも、別れの一時くらいは許されるだろう。 きっと。 「……指輪、大切にします」 「わたしのわがままでしたが……お役に立ったなら、何よりです」 そう。 シャトワールにとっては、そのひと言だけで十分だったのだ。 「さあ、皆さんも早く逃げた方がいいですよ。アーレスさんの思念を受けて、もうすぐ世界樹は崩壊します」 シャトワールはクロノスに食い込むオーキュペテーの爪をゆっくりと外すと、ぎこちない歩みで黒い渦へと身を躍らせる。 「シャトワール! 待ちなさいよ!」 「ジュリア殿! 危のうござる!」 「ああ。あの規模の転移門では、もう間に合わない!」 シャトワールも主機を全開にしたわけではないのだろう。クロノスを飲み込んだ転移門は収縮を始めており、既にひと一人も通れないほどの大きさとなっていた。 「それより、みんな早く逃げるわよ! 万里!」 「迎えに来たよ! みんな!」 動くことさえ忘れたかのような少女達に声を掛ける昌。そんな彼女達に大きく影を落とすのは、中腹から駆けつけたリーティの黒い翼だった。 |