20.ありがとう、さようなら 炎と雷がぶつかり合うその光景を背に、ゆっくりと立ち上がるのは白虎を模した騎体であった。 「……そうか。貴公はそれでよいのか?」 アーデルベルトがここまで乗ってきた、王虎と銘打たれた神獣だ。しかし今その騎体に乗るのは彼ではなく……助け出されたばかりの、珀亜の兄だった。 「ああ。王虎がここまで来たがったのは、あんたの存在を感じていたからだろう。俺はこっちでも行ける」 アーデルベルトが乗っているのは、今まで激しい戦いを繰り広げてきた翼の巨人だ。珀牙の王虎から両刃の剣を受け取り、代わりに片刃の刀を差し出してみせる。 シャトワールやキララウスが乗りこなしていた事から予想してはいたが、翼の巨人の操縦法はさして難しいものではなかった。飛行さえしなければ、恐らく王虎と同程度には動かせるだろう。 「戦術的にもこれがベストだろう」 アーデルベルトは王虎とバルミュラ、どちらに乗っても変わらない。しかし珀牙と王虎の組み合わせは、恐らくバルミュラに乗ったままより彼の力を引き出す事が出来るはずだ。 「兄様。ビャクが、これも持つようにと」 「……かたじけない」 傍らの白いコボルトから受け取ったのは、先代ヴァイスティーガの頭蓋から削り出された白虎の仮面だ。 鋼鉄で補われた頭部にそれを被せ……。 「……む!?」 そこで王虎の目の前が揺らいだのは、仮面の力を発したからではない。 空間が揺らぎ、その内から黒い影が姿を現したからだ。 「なに? この状況。どうなってるの?」 現れたのは、鷲の頭と翼を備えた、黒い獅子。 「ゆ、柚那殿!?」 「……誰?」 じろりとこちらに向けられた視線に、勇ましく構えていた王虎が、びくりとその身を震わせる。 「あ、あの……柚那さん。この方は私のお兄様で……」 「珀亜ちゃん……じゃないわよね? あなた」 騎体は見慣れた狐面のコボルトだし、声も同じ。しかし口調と言葉に含まれた感情は、柚那の知る珀亜のそれではない。 「色々ややこしい事情があったのだ。後でまとめて説明する」 そんな柚那を引き留めたのは、その場ではただ一人、彼女の知る男だった。 「……この剣の運び賃で、そのくらいはいいだろう? ミカミ」 どうやら柚那が預けた剣を転移の目標に使ったことも見抜いているらしい。……もっともそんなアーデルベルトも、なぜか敵のシュヴァリエに乗っていたのだが。 「……あたし、下との連絡役で来ただけなんだけど」 上層では神王との戦いが繰り広げられているのかと思っていたが、一行が戦っているのは赤く燃える獅子の怪物と、黒い輝きを放つ三頭の神獣だ。 連絡役で様子見に来たのはいいが、説明をされるのも、するのも面倒くさい状況になっているらしい。 「下とは先程通信が繋がった。いまロッセとセタが事情を説明中だ」 「え、じゃああたし別に来なくても……」 どうやら完全な入れ違いだったようだ。 面倒な説明をしなくても良いのかと思った反面、転移のし損ではないかとも思ってしまうが……。 「お前達、もういいのか!」 彼らの話を打ち切ったのは、暴走するアーレスとの戦いから数歩を下がってきたヴァルキュリアとセタだった。刃の欠けた大鎌や、あちこちが歪んだ装甲が、目の前の敵の圧倒的な強さを物語っている。 「無論だ。ヴァルキュリア殿」 「殿はいらん。名前だけで良い」 「ならば征くぞ。ヴァルキュリア、珀亜!」 白虎の仮面を被り駆るのは、虎の銘を受け継ぐ神獣だ。 「はい!」 そしてそれに並ぶのは、白狐の面を被ったコボルトと、大鎌を提げた黒い重装機。 「アーデルベルト君も行けそうかい?」 「ああ。ミカミも手伝ってくれるそうだ」 「後で高いからね!」 どう考えても、剣の運び賃だけで足りはしない。珀亜と共に戦うのはやぶさかではないが、それにだって限界はある。 「飯や酒ならいくらでもおごる。行くぞ!」 戦いの余波を受けているのだろう。 崩れ始めた世界樹の頂で、アーデルベルトも最後の戦場にその身を躍らせる。 意識を集中させれば、辺りから聞こえてくるのは気合の声と、必死の呼びかけだ。それは空気でも、電波を通じて交わされる声でもない。 「シャトワール! ねえ、シャトワールってば!」 思念である。 人の心を……想いを形に変えて放つ、神揚の技の一つ。 ようやく使えるようになったばかりのそれを、ジュリアは目の前の黒い光に向けて精一杯に投げかける。 「無駄よ。万里達もさっきから呼びかけてるけど、あの神王って奴の魂を取り込んでから、ずっと返事がないの!」 「そんな……シャトワール!」 昌の言葉に小さく息を呑み、それでもジュリアは意思を放つが……。 そんな彼女の叫びを無視するかの如く。三頭を備えた神獣は、白と黒、二体の九尾の攻撃を双の刃で切り払う。 「全く、拙者以上に無茶をする御仁でござる!」 「いい加減に……しやがれっ!」 防御術の一環なのだろう。周囲を包む黒い光に、万里と同時に生み出した青と赤の狐火もかき消されてしまう。刃を使った物理攻撃は通じているようだが、光を束ねた二つの刃に遮られ、本体までは届かない。 「せめて、あの主機が止められれば……」 戦いを続ける間にも、クロノスの中央から漏れる駆動音は徐々に大きく、力を増しつつあった。かつて柚那が空間を歪ませるために使った時とは、力の桁が違う。 「万里様。あの光ってる所を壊せば良いのね?」 「ええ。ですが……」 術も、刃も届かない。 目をくらまし、フェイントを掛け、その上で数で攻めても……それでもまだ、足りはしないのだ。 「もう三手、足せるわ」 万里の言葉にジュリアが弓に番えたのは、三本の矢。ほんの僅かに打点を変えて放たれる矢は、三つの的に同時に当てることさえ難しくない。 「それで、シャトワールは止められるんでしょ?」 走り続けて止まらないなら、無理矢理にでも止めるしかないのだ。 止めて、そして話を聞かせる。力任せだが、相手が言葉に応じないなら、こちらも相応の策で返すしかない。 「……頼みます」 その言葉と共に、沙灯の翼が舞い上がる。 黒い輝きを半蔵の煙が覆い隠し、その中で炸裂するのは同時に昌の放った閃光の目くらまし。二重の妨害を受けた相手に放たれたのは、前後左右、そして上方から放たれた五つの刃だ。 その中で、なお。 右の刃は一つ目の万里の白鞘を撥ね返し。 左の刃が二つ目の奉の大太刀を撃ち落とす。 渦を巻くように振るわれた次撃で昌の短刀と、背後を狙う半蔵の斬撃を同時に止めて……。 「え…………」 貫かれたのは、頭上から打ち下ろされた半人半鳥の大爪に、であった。 「シャト……ワール……さん?」 「受けるなら、あなたの攻撃で止められたかったですから。……沙灯」 操縦席から届いた思念は、抑揚の薄い、柔らかな声。 喉から放たれる人工音とは違う、シャトワール自身の声。 「お前、意識が……!」 神王を受け入れた時、そのまま呑み込まれたのではなかったのか。 「私のすべき事は済ませましたから。最後の挨拶にね」 「……ジュリア殿!」 「もう遅い!」 その声と同時、沙灯の爪を逃れていた神術機関がひときわ甲高い唸りを上げて、一瞬遅れて放たれたジュリアの矢を生まれた力場で弾き飛ばす。 崩れ始めた世界の中。 完成したその力が、解き放たれたのだ。 |