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22.ユグドラシル崩壊

 崩れゆく世界の中。
「なんで……。どうして、こうなっちまうんだよ……」
 もはや動くこともなくなった赤い獅子の中でぽつりと呟くのは、赤い髪の少年だった。
 彼の意思に応え、世界樹は崩壊を始めている。
 それは、本当に彼の望みだったのか。
 何がしたかったのか。
 何を、すべきだったのか。
「……どこで、間違えちまったんだろうな」
 繋がったままの機体に意思を込めれば、崩れ落ちた獅子の中、アームコートの部分だけがゆっくりと立ち上がる。
 アークの力を取り込んだ時点で変質したのか、既に武器も、装備の類も残ってはいない。
「……アーレス」
 ネクロポリスで換装された動力炉も、もはや余力はないのだろう。足取りさえも覚束なくなった彼を呼び止めたのは、大きなマントをまとった紺色の異形であった。
「責任くらい取らせろよ」
 まだ通信機に響く彼女の声に短く答え。
「あばよ」
 踏み出した先は、もはや崩れて何もない。
 傾いだ機体を立て直す力も、気力もなく。アーレスの体は、自由落下に身を任せ……。
 機体ががくりと止まったのは、次の一瞬だ。
「……テ……メェ……っ!?」
 ソル・レオンの背中に打ち込まれたのは、紺色の脚の一撃だった。足の各所に仕込んでいた刃をアンカーとして使う事で、その落下を食い止めているのだ。
「死んだら責任取れるとか、なに格好いいことやろうとしてんだよ。バカか」
 エレの機体には、腕がない。長銃に換装される前でさえ、それはバランスを取る為の簡素なものでしかなかった。
 だからこそ、落下したアームコートを引き留めるとなれば、足を使うしかない。
「……死んで英雄になれるなんて思うなよ」
 操縦席を揺らすのは、鈍い音。
 彼女の機体は、もともと試作品に無理な改良を施した物だ。装甲などないも同然だし、狙撃と電磁砲の乱射でフレーム自体への負担も設計値を遙かに超えている。
「テメェはなぁ! 最後までみっともなく生きるのがお似合いって言ってンだよ!」
 ばきりという鈍い音が響き、痛覚遮断が働いた時のどこか落ち着かない感覚が伝わってきた。太い枝にアンカー代わりに打ち込んだ足先の刃も、もはや限界だ。
「……最低だな、テメェ」
「そう言う生き方も……気持ち良い、だろうがっ! 柚那!」
 叫びと共にアーレスに打ち込んだ足を振り抜いて、赤い機体を枝の上へと蹴り上げる。
「ちょっと、なんでみんな面倒事ばっかり!」
 だが、重量物を投げた体に来るのは反動だ。
 それは、エレの機体の脚部を砕き、枝に打ち込んでいた機体保持用のアンカーが抜けるに十分過ぎるもので……。
「アーレスと……コトナの事、頼むぜ?」
 最後に通信機に飛び込んできたのは、そんな声。
 片足になった機体は、崩れ落ちる世界樹の枝に紛れて闇の底へと消えていく。
「エレ! なんで野郎の面倒なんか見なきゃいけないのよ!」
 既に周囲でも世界樹の崩壊は始まっている。神獣よりも大きな瓦礫さえ落ちてくる中でエレの救出に向かうのは、柚那はおろか、重装を誇る鳴神の竜でさえ不可能だろう。
「事無き、とか言ってコトナちゃんも転がしたんでしょ……。お手つきなんだから、そんなの自分でやんなさいよ……ばかぁ……っ!」
 動かないアーレスの機体を脇に置いたまま、闇の中に響き渡るのは柚那の涙混じりの叫び声だ。


 タロが空から目にしたその光景は、初めて大樹を目にした時以上に現実感のないものだった。
「世界樹が、崩れていく……」
 頂上や根元からだけではない。強度やバランスの限界を超えたのか、大樹のそこかしこで崩壊が始まっている。
 それに拍車を掛けるのは、崩壊を起こした箇所で続けざまに起こる爆発だ。
「ねえ、あの爆発って」
「プレセアの仕掛けた爆弾であろう。……あ奴らも、無事に逃げ延びておれば良いが」
 何かが起きた時の備えとして、プレセアは世界樹の各所に爆弾を仕掛けて回っていたらしい。だが、それを目的通りに使うより早く、世界樹は崩れ始めてしまったのだ。
 世界樹を伝って撤退する地上部隊は、ムツキたちホエキン組の脱出よりも先に本営を後にしていたが……果たして無事に逃げられただろうか。
「小僧どもも無事なら良いが……」
 いまだ血の滲む包帯を軽く押さえ、ムツキは小さく息を吐く。
「ホエキン! 聞こえるかい。こちら、リーティ! 聞こえたら返事してー!」
 傷だらけの老爺が慌てて身を起こしたのは、通信機に彼も良く知る少年の声が響いたからだ。
「聞こえてるよ! みんな無事!?」
「ああ、何とか……。助かったみんなは、飛べる神獣に掴まって脱出してるよ」
 そう言うリーティも、珀亜の白いコボルトを吊り下げて飛んでいた。飛行速度はかなり遅くなってしまったが、既に妨害してくる敵もいないのだ。世界樹の倒壊範囲さえ逃れてしまえば、後はどうにでもなる。
「そっか……。こっちから何か出来る事はある?」
 さりげなく言葉を濁したリーティに深く突っ込むような事はしない。上層の戦いは激しいものだったと聞いているし、今は生き残りがいる事を喜ぶ所だろう。
「……とりあえず、お腹空いたかな」
「ごめん。食料は全部置いてきちゃったんだ。メガリか八達嶺に着いたら、何でも作るよ!」
 タロはそう言って話を打ち切ると、後ろの部屋にいる環を大声で呼んでみせるのだった。


 大きく広げた鷲翼の下。大きな爪に掴まれて運ばれているのは、騎体の半分を機械に変えた白兎だ。
「沙灯さんさ……」
「はい?」
 薄紫の空をゆっくりと舞いながら昌が思念を向けたのは、彼女をぶら下げて飛ぶ沙灯に向けて。
「何であの時、神王を倒せって言ったの?」
 目の前の相手に届く程度の弱い思念だ。少し離れた所を瑠璃に運んでもらっている万里にも届かないだろう。
「そうしないと、万里が決断出来ないって思って……」
「……万里は、沙灯を救う方法をずっと考えてたんだよ?」
「それは分かってますけど……」
 万里の、そして昌の言いたい事も分かっていた。
 けれどあそこで決断を迷えば、間違いなく大後退が起こっていただろう。結果的にシャトワールの乱入で沙灯が生き残る事が出来たのは、偶然が重なった末の幸運でしかない。
「……だったら昌さんは、どうしようって思ってたんですか?」
「助けたいって思ってた」
 沙灯が死ねば、万里は悲しむだろう。それは昌にとって、何よりも辛い事だったのだ。
 話を聞き、支える事は出来るが、昌にはそれしか出来ない。悲しむ万里の代わりになる事など、出来はしないのだ。「わ、私だって……死にたくなんか、ないですけど……」
「何よ。だったら言えば良かったのに」
「無茶言わないでくださいよ。じゃあ、もし昌さんが同じ立場だったらどうするんですか!」
「そりゃ神王を倒せって言うに決まってるでしょ」
 即答だった。
「で、でも、万里は後で絶対悲しみますよ?」
「でも……万里が生きててくれる方がいいじゃない」
「私だって……そうです……」
 ごくごく短距離の会話に交じりはじめるのは、嗚咽の声。
「……ごめん。無茶言った」
 答えの出せない問いだった事は、正直昌も分かっているのだ。
 あの場で出せる最良の答えを、沙灯は出した。
 けれどそれだけでは納得出来ない自分がいて、そのわだかまりを……万里を自らの命以上に大切に思う少女に、ついぶつけてしまったのだ。
「……でも、シャトワールさんの事で万里、絶対落ち込みますよね」
 強くて、そして弱い娘だ。自らの力が及ばなかった今回の件は、間違いなく彼女の心に大きな影を落とすだろう。
「うん……。美味しい物食べに連れていくのがいいかなぁ……」
「しばらくは部屋に籠もるでしょうから、落ち着いたら買い物か何かから、ちょっとずつですかね……」
「……そうだなぁ」
 どうやら沙灯のいた世界の万里も、この世界の万里とほとんど変わらないらしい。シャトワールに申し訳ないと思いながらも、昌は神獣の中でくすりと微笑んでしまう。
 いや、都合の良い解釈をするならば、シャトワールはそうして沙灯と万里が笑って過ごせる世界を望んで、ネクロポリスに戻ったのだろうけれど……。
「そろそろ合流地点だぞ、お前達」
「あ、ヴァルさん」
 そんな彼女達に距離を詰めてきたのは、近くを飛んでいたヴァルキュリアだった。彼女は思考通信は使えないはずだから、内緒話は聞こえなかっただろうが……。
「……柚那さんは?」
 彼女をぶら下げて飛ぶ鷲頭の獅子は黙ったまま。
 柚那の性格からしてこの手の話題には飛び付いてきそうなものだが、小声の思念は届かなかったのだろうか。
「分からん。ずっと黙ったままだ」
「……エレが」
 その無線は聞こえたのだろう。
 無線機から短く聞こえたのは、擦れるような少女の声。
「ソイニンヴァーラさんがどうかしたの?」
 確かエレは、アーレスと戦っていたはずだ。昌達はシャトワールと戦っていたから、細かい状況は良く知らないが……。
「……アーレスを庇って、世界樹の底に……」
 柚那がちらりと視線を向けたのは、背後で崩れていく大樹であった。
「エレさんが!?」
「そんなバカな……」
 最も死から縁遠いと思われていた女性の凶報に、昌と沙灯だけではない。ヴァルキュリアさえも、思わずそれを疑う言葉を漏らしてしまうのだった。


続劇

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