2.you 食king 「美味しくない」 「ええ。美味しくないわね」 「美味しくないです……」 出された食事……それを食事と言って良いなら、であるが……に口々に不満を並べたのは、黒い部屋に押し込まれた少女達だった。 囚われの身である以上文句を言える立場ではないが、それでも限度という物があるだろう。 「っていうか、アレク様やアディシャヤさんに出してた食事って、これよりだいぶマシでしたよね……」 キングアーツ人の二人に神揚の料理がどこまで口に合ったかは分からない。けれど少なくとも神揚の基準では、彼ら捕虜に対しても、一般兵や武官も食べるようなまともなものを出していたつもりだ。 「……タロ、何とかならない?」 そんな少女達の様子を見守っていたタロも、ため息を吐く事しか出来ずにいる。 「アヤさんの頼みだし、何とかしたいのは山々だけどさぁ……」 いかな料理人のタロでも、食材や道具と引き離されていては、その力を振るう事など出来はしない。彼らと一緒に鹵獲されたホエキンにはその両方が揃っているから、少なくともそこまで行けば何とかなるのだが……。 「誰か来たら、その事も話してみようかしらね」 誰が来るかは分からないが、キングアーツや神揚の道理が通じる相手なら、この食事には必ずや不満を抱いているはずだろう。無理を言うだけなら通らないだろうが、こちらで全ての段取りを整えるなら、何とかなるかもしれない。 「そうだ。その前にオイラ、一つ謝りたい事があったんだ」 「……謝りたい事?」 「……それって、わたし達が体を拭いてる所をこっそり見てた事ですか?」 四人が一つの部屋に押し込められて、既に一夜が明けた後だ。着替えこそ支給されなかったが、飲み水を布に染みこませて体を拭くくらいの事はここにいるだけでも何とかなる。 「ち、千茅さん……っ!?」 「あれ。男の子って、そういうの好きって聞いたけど……?」 「アヤさんまで……! バカにしないでよ!」 ニヤニヤとどこか意地の悪い笑みを浮かべているソフィアと千茅に、タロは声高に抗議の声を上げてみせた。 「見るなら堂々と見るに決まってるだろ!」 「ああ……うん。まあ減るもんじゃないからいいけど」 「そうね……。でも、面白いものでもないでしょ?」 軍部に入ってからはそんな場面も減っていたが、従者に着替えさせてもらう事が当たり前の生活を送っていたのだ。実のところ二人にとっては、裸を見られる事に対して悲鳴を上げるという感覚は今ひとつ馴染みがない。 「マジで!?」 「減ります! 減りますから! なんかこう、女の子の大事なものがっ! 万里様もですーっ!」 そんなソフィア達に必死で言い返しておいて、千茅は小さくため息を一つ。 「それで……裸を見てたことじゃないなら……何ですか? タロさん」 「……今回の事だよ」 「今回の……」 呟くタロの言葉は、先ほどのようなおちゃらけた物ではない。 茶化せる雰囲気ではないのを感じ取って、少女達も狭い部屋の中、僅かに身を正してみせる。 「オイラがホエキンを乗っ取られなかったら、こんな事にはならなかっただろ……。だからさ、ケジメは付けないといけないよね」 真剣な口調でそう呟いたタロが懐から取り出したのは、手のひらに乗るほどの小さな板きれだった。墨で幾つかの文章が記されたそれを見て、万里は思わず息を飲む。 「ちょっと、タロ!? それって……」 やはり慌てた様子のソフィアが言葉を続けるより早く、タロはその板をぱきりと二つに折り割っていた。 「何なんですか? その板」 ぱっと見、社に奉納する絵馬くらいにしか見えない。その割には、万里もソフィアも驚いているようだが……。 「千茅は見た事ないか。……イズミルとメガリ・エクリシアへの通商許可証よ。……神揚じゃ、手形っていうんだっけ?」 ソフィアの問いに頷く万里も、まだ驚きの表情を崩さないままだ。 「え、それって……すごく大事なものなんじゃ……」 千茅は軍の人間だから、イズミルやメガリと行き来する事をごく当たり前に感じているが……本来は、それらの地に足を踏み入れるには両国の許可が必要になる。 ましてやタロのように民間人が商売をするなど、今の段階からすれば特例中の特例なのだ。 タロがそんな特権を得ていることは、千茅もぼんやりとは知っていたが……。 「多分、今のところオイラかプレセアさんくらいしか持ってないんじゃないかな」 その許可証を割るという事は、誰もが欲してやまない権利を、タロは自ら放棄したという事になる。 「え、あの、だったら、わたしも何か謝罪したほうがいいんですか……?」 千茅は思わずそう口にしていたが、一介の武人でしかない千茅はタロのように特別な権利などあるはずもない。言ってからさてどうしようかと思った所に来たのは、タロの苦笑いだ。 「千茅さんこそ巻き込まれただけだろ。オイラは、ホエキンまであいつらに渡しちゃった責任があるからさ」 事態を様子見していた節があったのは否定しない。しかし事態は、タロの想像以上の速さで進んでしまったのだ。 タロが途中で協力を拒んでさえいれば、万里達もこんな所まで来る事はなかったかもしれないのに……。 「……信用を失った商人なんて、商人失格だよ」 だが、割れた許可証を見るソフィアの目は、千茅はおろか万里さえも見た事がないほどに、冷たいものだった。 「ふーん。……それで責任を取った事になるんだ?」 「……取れるとは思ってないけどさ。無事に帰れたら、ホエキンもホエルジャックも、全部処分するよ」 空飛ぶ鯨たちが敵の手に渡れば恐るべき脅威となる事は、今回の件で身に染みて理解出来た。これからはそれを教訓として、もっと悪用されにくい方法で商売を進めた方が良いだろう。 ……タロ以外の、許可を得た者が。 「そうやって、キングアーツと神揚の商業の発展を十年遅れさせるのが、タロの責任の取り方なんだ?」 「なら、オイラにどうしろって……」 信用を失った商人など、誰からも相手にされないはずだ。殊に、両国の姫君を二人も危険にさらしたとなれば……。 「万里。悪いけど、帰ったらさっきの手形、もう一枚発行してくれない? タロの分、連中の襲撃で壊れちゃったみたいだからさ」 「それはいいけど……」 万里としても、もとよりそうするつもりだったのだ。ソフィアの頼みを拒む理由はない。 「アヤさん……?」 「責任取るって言うなら、これからの仕事で十倍働いて信用を取り戻したら? 一線から退いて責任を取りましたなんてやり方、あたしは認めないからね」 どこか苛立った様子でそう言い捨てたソフィアの向こうで鳴ったのは、扉を叩く音だった。 「……じゃあこの話はこれでお終いね。いいわよ。入ってもらって」 「あ、はいっ! どうぞ!」 千茅の返事を待ってから、中へと入ってきたのは……。 「御免」 平板な顔をした忍びと、禿頭無毛の二人組。 「ハットリさん……」 「シャトワール……」 そして……。 「……沙灯」 金の瞳と鷲の翼を持つ、少女だった。 燃え上がる炎がぶつかるのは、上に乗せられた大きな鉄鍋だ。 「ごちそうさま」 そこから溢れる匂いと油の音を前に、早々に席を立ったのは細身の青年だった。 「なんだ、もう良いのか? セタ」 皿の中身こそ空になっていたが、いつもの半分にも満たない量だ。それこそ、気持ち腹に入れる、といった程度の量でしかない。 「ったく、しっかり食べなって。そんなんじゃ元気出ないだろ?」 「まだ片付けが残っているからね。壊せる相手がいるうちは、壊すよ」 リーティ達の言葉を聞いているのかいないのか。何やら物騒な事を言い残し、セタはそのまま酒家の天幕を出て行った。 「……壊す相手がいなくなったらどうするつもりなのだ、あれは」 「その前に倒れちゃうんじゃないかなぁ?」 セタはあの事件の後、昼夜を問わずに片付けの作業を黙々とこなしている。先ほど食べた程度の食事で体力を維持出来るとは思えないし、それこそ今は気力が身体を凌駕して何とか保っているだけではないかと思えてしまう。 「へいおまち! こっちは持ち帰りで二人分ね」 そんな話をしていると、カウンターに置かれたのは大皿の炒飯と二人分の折詰だった。 「リーティはここで食べんのか?」 「姐さんと部屋で食べようと思ってさ。神揚料理も食堂よりこっちの方が美味しいし」 どうやらネクロポリスからの客人は、夕食もそれなりの物を食べているらしい。それが彼女の我が儘なのか、リーティの気遣いかは分からなかったけれど。 「……やはり、タロでないと今ひとつだな」 出された炒飯を口に運び、そんな感想を漏らすムツキの隣。 料理が温かい内にと天幕を出て行ったリーティと入れ替わるようにカウンターに着いたのは、柚那である。 「まあそれでも食堂よりは美味しいしねぇ……。あ、適当になんかちょうだい」 タロが行方不明になっていても、ホイポイ酒家が閉まるような事はない。もともとタロは行商人だし、イズミルの他にも二つの酒家を切り盛りしている。今日調理場に立っているのも、タロ不在のシフトでそのまま回しているだけだ。 そんなタロの弟子筋に当たる料理人だから、決して料理も不味いわけではないのだが……やはりまだ師匠に追いつけるほどではない。 「…………」 「どうしたの、珀亜ちゃんもジュリアちゃんも。食べないの?」 そんな柚那の脇で食事をしていたのは、二人の少女だった。 しかしいつも静かな珀亜だけでなく、賑やかなジュリアさえその手はどこか止まりがち。 「あ……ごめん。聞いてなかった」 ジュリアが考えていたのは、食事以外の事だった。小さく謝るジュリアに、柚那は拗ねたように口を尖らせてみせる。 「もう。美味しくないなら、口移しで食べさせてあげようかって聞いてたの。珀亜ちゃんも!」 「……言うておる事が変わっておるぞ」 「え? ああ、いえ……大丈夫です」 珀亜も少々考え事をしていただけなのだ。 だがそれは目の前の料理にも失礼である事を思い出し、小さく頭を振って思考を頭から追い出していく。 「ちょっと、頼んだ料理まだ来ないんだけど!」 珀亜とジュリアがようやく料理を食べ始めた所で、少し離れた席から飛んできたのは……苛立ちを隠す様子もない声だった。 「昌! そう誰にでも当たるでない! 当たるならセタのように夜の片付けでも手伝っておれ!」 イズミルの被害地域の解体作業は、神術の明かりなどを投入して昼夜を問わず行なわれている。既に崩すしかない半壊した建物もおおかたは片付いていたが、昌の今の鬱憤を晴らすくらいには残っているはずだ。 「…………ごめん」 小さく呟いた昌に頷き、ムツキは残った料理を片付け始める。 むしろタロの料理が美味すぎたのだ。これ以上味のことを言うのは酷という物だろう。 「……さて。なら、私も行くわね。ごちそうさま」 「何だ? 夜番か?」 柚那たち馬廻衆は夜の番の役目からは外されているはずだが……。 「違うわよ。リフィリアちゃんと、夜の訓練その他がね……」 「……程々にしておけよ」 それが本当なのか、ただ適当なことを言っているだけなのか。 意味深な微笑むだけを残して、柚那は静かにその場を後にするのだった。 |