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「ああ……」

 少女が口にしたのは、魂消えるような弱々しい声。
 銀色の瞳に映るのは、世界を分かつ薄紫の世界。
 相対するのは、鋼の巨人と獣に似た異形の群れ。
 そして。
 中央にあるのは、その二つと比べれば驚くほどに小さな、鷲翼を備えた少女の姿。

 いや、彼女が居るのは既に中央ではない。
 鷲翼の少女が掲げた娘の頭が消し飛ばされた事に激昂した巨人達が突撃を掛け……打ち込んだ槍の穂先に貫かれていたからだ。

「…………あなたも」

 銀の瞳の少女は、既に世界から弾き出された身。この世界の存在ではない。
 ただほんの僅か、血肉を分けたという深い縁を介して干渉出来る……その程度。
 故に出来たのは、槍に貫かれ、後は死を迎えるだけの少女に対して静かに声を掛ける事だけだった。

「繰り返してしまうのね」

 死を目前に迎えた彼女が世界を繰り返す事で、目の前の滅びは回避出来るだろう。ほんの僅か前に世界から弾き飛ばされた彼女がした時と同じように。
 それが彼女たちの……ヒサの家に与えられた役割だから。

 けれど。

「……二度目も駄目であったか」

 術式を紡ぐ鷲翼の少女を見下ろすのは、銀の瞳の少女だけではなかった。
 白い仮面を被った、長身の男。
 いや、それが本当に男……否、性別があるのかさえも分からない。
 ただ今の仮の宿りとする肉体が、男というだけだ。

「沙灯もソフィアも、全力を尽くしました」

「だが、世界は滅んだ」

 言葉と共に眼前に映し出されたのは、槍に貫かれた妹の姿ではない。
 戦火に燃える多くの町。
 闊歩する異形。
 倒れる人々。
 それがかつて彼女が目にした光景ではなく……妹の死より後の、妹がそのまま時を戻さなかった世界の姿だと理解するまでに……銀の瞳の少女には少しだけ時間がかかった。

「…………三度目は、上手く行きます」

 妹が命を賭したのだ。姉は力が足りなかったが、彼女よりもはるかに強い力を持つ彼女なら……もっと多くの人々を、より根源的な所まで引き戻す事も出来るだろう。

「四度目はない」

 二度ある事は三度ある。
 此度は幸か不幸か二人の使い手が居たが、時を巡る術の使い手が新たに育ち、世界が安全装置を手に入れるまでには再び幾ばくかの時間が掛かるだろう。
 四度目の巻き戻しが起きる事は……ない。

 だとすれば、世界が滅びてしまうと判断した時、彼が選ぶのは…………。

「……上手くやります」

 三度目の正直。
 その言葉を、銀の瞳の少女は口の中で転がして……。

 世界から弾き出されてしまった妹を迎えるため、その場を後にするのだった。





第5話 『five days war』




1.二つの指輪の物語

 放たれた一撃が打ち砕いたのは、炎の中を生き残り、それらしき形を今なお留めていた倉庫の一角。
 北のメガリから予備機として持ち込まれた、作業用のアームコートである。緩慢な動作は戦闘用としては望むべくもなかったが、拳に秘められた殺気は戦闘用のそれと何ら変わりないものだ。
 そしてそんな大破壊を行なっているのは、傍らの白い機体も同じだった。
「……何をしている。昌と……誰だ?」
 白い機体が昌のウサギなのは分かる。だが、作業用コートの側にはそれらしき識別のマークもなく、誰が乗っているか分からない。
「……セタだ。イライラして手が付けられんかったから、崩さねば危ない建屋の解体を任せておる」
 分厚い布に覆われた目元は、ちらりと向けられても見えているのかどうなのか分からなかったが……。老爺の振る舞いとしてはいつもの事だ。娘もそれ以上の反応を示す事はない。
「なるほどな……」
「……それで納得するか」
「気持ちは分かる」
 恐らく彼女も、自身の上官が同じ事になれば同じような反応を示すだろう。むしろ、物に当たるだけセタ達の方が健全とさえ言えた。
「……何だ、その顔は」
 だが、そんな彼女を見て僅かに歪む老爺の口元に、娘は憮然とした顔をしてみせる。
「何でも無い。して、何の用だ? ヴァルキュリア」
 上官の出歩きや偵察任務でもない限り、彼女が一人で現場を歩いている事は珍しい。しかも廃墟の片付けなど、興味を持つとも思えなかったのだが……。
「珀亜・クズキリという神揚の兵を探している。この辺りで作業をしていると聞いたんだが……」
「珀亜ならその辺りにおったはずだが……コトナ!」
 ムツキが背後に声を投げつければ、そちらで作業をしていた少し小柄なアームコートから穏やかな声が返ってくる。
「珀亜なら、先ほど八達嶺に戻りましたよ。急ぎでしたら、誰かに思念通信でも頼みますが……」
 ちょうど入れ違いのタイミングだ。片付けに使う物資を取りに行くため、他の数人と南の前線基地へと戻ってしまったのである。
「いや……大した用ではない。なら、また来る」
 相変わらずの大破壊をちらりと見遣ると、ヴァルキュリアはその場……あの戦いから一夜が明けてもなお傷跡が残る地を、静かに後にするのだった。


「くしゅっ!」
 可愛らしいくしゃみが響いたのは、黒大理に覆われた巨大な広間。その一角に腰掛けた、金の瞳の少女からのものだ。
「風邪ですか? 沙灯さん」
 そんな少女の背後から声を掛けたのは、禿頭無毛の人物だった。無機的な辺りの光景から抜け出てきたようなそいつに、金の瞳の少女は少し弱々しく微笑んでみせる。
「シャトワールさん。そういうわけではないと思うんですけど……」
「なら……元気がないのは、万里様の事ですか?」
 神揚とキングアーツの姫君がこのネクロポリスに連れて来られてから、既に一夜が明けていた。もっとも全て室内で昼夜の区別のないこの死者の都では、一夜が明けたという感覚も極めて薄いものではあったけれど。
「割り切ったと思ってたんですけどね……」
 彼女たちの中に沙灯の記憶が無い事は分かっている。清浄の地から撤退する時も、ネクロポリスに戻ってからも……いや、半年前のあの夜から、それは分かっていたはずなのに……。
 二人の姿を目にする度に、心の一角がちくりと痛むのだ。
「割り切ったなどと言っているうちは、割り切れていない証拠ですよ。……一度、ゆっくり話してみては?」
 気にする対象との正面対決は、実のところ決していい解決法ではないのは分かっていた。しかし目の前の少女の場合は、その決着を引き延ばす事にも負い目を感じてしまうだろう。
「そう……ですね」
 それは、小さく呟く言葉の端にも見て取れるもの。
 分かっていながら、最後の一歩が踏み出せない、そんな呟きだ。
「良かったら、これを」
 そんな少女の様子を見て、シャトワールはそっと片手を差し出してみせる。
「何ですか?」
「キングアーツに伝わる、お守りです。バルミュラやソル・レオンの作業中に作ったんですよ」
 広げた沙灯の手の中に落ちてきたのは、小さなひと組の指輪だった。綺麗に磨き上げられたそれは、一切の装飾のないシンプルなものだ。
「両手の指にはめれば、心を落ち着かせる効果が。二人で付ければ、それは友情の証となるそうですよ」
 実のところ、そんなお守りがあるかどうか、シャトワールは知らない。けれどそれで目の前の少女の心が少しでも落ち着くなら……それは本当の力となるだろう。
「……ありがとうございます」
 二つのそれを両手の中指に嵌め、弱々しく微笑むと……沙灯は背中の大鷲の翼を広げ、上層の通路へと飛んでいってしまった。
「後はきっかけだけですか……」
 自発的な理由がない以上、沙灯が万里達と会うのは難しいだろう。出来れば何か、それらしい理由があればいいのだが……。
 そう考えているシャトワールの所に姿を見せたのは、特徴のない顔をした、男とも女ともつかぬ人物だった。
「アディシャヤ殿。沙灯殿をご存じないか?」
「ちょうど今いた所ですよ、半蔵さん。……何か?」
 間の悪いすれ違いだ。
 広間と合わせて無駄に広く、シャトワール達では出入りできる所も物理的に制限されているここでは、下手をすればずっと会えなくなる可能性さえある。
「少々、万里様たちに話していただきたい事があったのでござるが……。……もう思念も通じんでござるな」
 周囲の黒大理のせいか、神揚の通話術も遮られる事が少なくない。思念の透過を防ぐ壁材は神揚でも珍しくないから、さほど驚く事でもないが……。
「でしたら、わたしもお伴しますよ」
 上層の通路に向かうだけなら、周囲のバルミュラを少し動かせば何とかなるだろう。
 シャトワールの言葉に小さく頷くと、半蔵は鷲翼の少女を追ってゆっくりと走り出すのだった。


続劇

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