3.語られなかった、もう一つ 「困りごとはありませんか?」 「ご飯が美味しくありません」 「ご飯何とかしてよ」 「ご飯が美味しくないです!」 「ご飯が美味しくないでござる!」 シャトワールの問いに異口同音に出てきたのは、まずはそんな言葉だった。最後に一人、明らかに違う方向からの声が混じっていたが、それは聞かない事にする。 「……オイラが作っちゃダメ?」 「願ったり叶ったりでござるよ……。それは、拙者が身命に誓って何とかするでござる……」 ミーノース側に付いたは良いが、こればかりは半蔵としても閉口するしかない。 まだここに来て数日も経っていないが、美味しくない上に三食同じ内容なのだ。ここで長い年月を過ごしているはずの沙灯や瑠璃はよく我慢したものだと、感服するほどである。 「それで、どうしたのですか。半蔵、シャトワール。貴方がたはミーノース側に付いたのでしょう?」 まさか食事の不満を聞きに来ただけでもあるまい。 敵側に付いたばかりの二人が顔を見せるという事は、それ相応の理由があるはずだが……。 「そうでござるが……。アーレス殿から部屋を分けろとの指示があり申した故、皆様方には別室に移っていただく事になり申した」 「……えー。オイラこのままでいいのに……」 明らかに残念そうな声を上げたタロを颯爽と無視して、半蔵はさらりと言葉を続けていく。 「それと……改めて、拙者達がこちらに付いた理由を、沙灯殿に語って頂こうと思ってでござるな」 そんな半蔵の視線を受けて、二人の奥にいた少女が遠慮がちに頭を下げてみせた。 「ああ……。貴女が沙灯なんだ。ホントに半蔵がしてた格好とそっくりなのね」 今は術を使って収めているのだろう。鷲の翼がなければ、それは確かに半蔵が姿を借りていた少女の姿と瓜二つだった。 「はい。……初めまして、ですよね。ソフィアさま」 「確か、あなたは初めましてじゃないんでしょ? だったらソフィアでいいわよ」 「そうですか……」 そんな人なつっこい様子も、沙灯の知るソフィアと同じもの。それに不思議な感覚を覚えながらも、『あなたは』という言葉がちくりと胸に突き刺さる。 「それで、話というのは……?」 「わたし達が、見てきた事について……」 そして、この先にしようとしている事について。 「……なるほど」 「それはわたしも気になります」 千茅も、前の巡りの事は夢の中で見届けていた。けれどそれより前の事はアレク達から聞いた話が全てだし、何より沙灯がどんな思いでこの世界を眺めていたかは分からずにいる。 「なら、お願いします。沙灯」 「……分かりました。では、どこから話しましょうか……」 「でしたら、アレクや瑠璃の時の話から聞かせてもらえますか?」 万里の言葉に小さく頷き、沙灯は少しずつ話し出す。 キングアーツと神揚。二つの国がお互いの領土を狙って戦いを始めた、初めの歴史の事を。 ドアを軽くノックすれば、迎えてくれたのは見張り役を任された少年である。 「リーティ。瑠璃はまだ起きてるか?」 「ああ。元気だよ」 白狐の青年が部屋の中に足を踏み入れれば、そこには既に数名の先客がいた。 「……なんだ。お前も来たのか」 鷲翼の少女の傍らに座った白猫の娘と、少し離れた所に腰を下ろす、片手を鋼に置き換えた大柄な男である。 「で、奉は何持ってきたの?」 「何って……土産持ち込み前提かよ。良い身分だな」 さも当然とばかりに言い放つ部屋の主に、捕虜という言葉の意味が、奉の中で一瞬ぐらりと揺らいでしまう。 どうやら夕食も食べたばかりらしいが……デザートは別腹とは、良く言ったものだ。 「情報の対価は必要でしょ」 「まあ持ってきたけどさ……。っておい」 部屋の中央に置かれた卓に、八達嶺で買い込んでおいた秘蔵の菓子を置けば……既に卓の上には同じ物が置かれているではないか。 「……酒家のワッフルならともかく、何で八達嶺のお店で被るのよ」 鳴神の買ってきたワッフルは、イズミル唯一の料理屋の品だから、被るのも理解出来る。 しかし八達嶺の菓子屋は、一軒だけではないはずなのに。 「昌に教えてもらったんだよ。どうせ柚那もそうだろ?」 「残念。あたしは八達嶺名物甘味手引草」 「……出てたのかそれ」 帝都のそれに続き、出るらしいという噂は僅かに聞いていた。神揚第二の都市である震柳や第三位のルビーナを差し置いてなぜ八達嶺なのかは分からなかったが、それは正体不明の著者の都合なのだろう。 「まだ初版だから色々改訂入ると思うけどねー」 「……まあいいや。で、何の話してたんだ?」 被ったとはいえ、既に柚那の持ち込み分は残り少ない。補充を持ってきたと思う事にして、奉も部屋の一角に腰を下ろす。 「ネクロポリスの話を聞いておった」 「転移神術や似た方法がないと行けないのと、中の構造はだいたい分かったけど……」 小さく呟き、柚那は卓の上の菓子を平然と取り上げて口の中へ。 「お前が食べるのかよ」 しかも瑠璃への土産だったはずなのに、柚那が手にしているのは彼女自身が持ってきた菓子である。 「栄養が足りないのよ、色々と」 殊に最近は何かと忙しいのだ。体力や気力を使う事も多く、失ったその分を補うにはお菓子は最高の補給手段と言えた。 「……それだけ胸に栄養が行っといて?」 「他の所にも必要でしょ。栄養も愛も必要な相手には、たっぷり注いであげなきゃ」 呆れる瑠璃の姿は、双子だけあって妹の沙灯とほとんど変わらない。それは即ち、柚那の好みの範囲の内にあるという事でもあって……。 「……いる? 愛」 「旦那ので十分。……で、奉は何が聞きたいの?」 混ぜっ返した言葉にも動じるどころかさらりと応じる柚那に苦笑をひとつして、瑠璃は奉に視線を戻した。 「そうだな。その辺も聞きたかったけど……」 既に聞いてあるなら、それは後で鳴神達から聞けば良い。 奉としては、聞きたい事は他にいくらでもあるのだ。 「……何で大後退なんてしようとするんだ?」 「直球ね」 とはいえ、問われた瑠璃もさして嫌な顔をしているわけではない。むしろ嬉しそうな様子さえ見せながら、僅かに考えて……。 「それが、ヒサ家の役割だから……かな」 答えは、たったのひと言だった。 「ヒサ家の役割……」 「そんな理由でか! くだらん」 「……王族や神揚の名家連中が言っていい台詞じゃないでしょ。じゃああんた達は何でここにいるのよ」 確かにここに奉や柚那がいるのは、万里の側仕えという立場あってのことだ。そしてその立場は、彼らの家に由来するものでもある。 「それはただのきっかけだろう」 そう。確かに家の都合はきっかけではあったが、それと万里に誓う忠義に、直接の関係はない。 「じゃあ、世界が滅ぶから」 次の答は、前の答からいきなり一足飛びだった。 「世界が……」 瑠璃は話をするのが苦手という様子はないから、故意に話をややこしくして楽しんでいるのだろうか。 「世界が滅ぶって、世界を滅ぼそうとしてるのは姐さん達だろ?」 「六刻半」 だが、リーティの問いに答える様子もなく、瑠璃が口にした次の言葉も、唐突なもの。 「……六刻半?」 一日は十二刻だから、半日よりも僅かに多いくらいか。 「ええ。一つ聞くけど、六刻半で何が出来ると思う?」 この頃合いであれば、朝日が昇って夕陽が沈むまでの時間と言って良いだろう。その間に出来る事となれば……。 「八達嶺とメガリは往復出来るな」 「空を飛べばもっと早いよ。オレなら、買い物も出来るな」 「可愛い女の子とゆっくりイチャイチャするに決まってるでしょ」 「宴を開くにしては、少々長いか。……その時間で、何が出来ると言うのだ」 それぞれの答えを満足そうに聞き届けて、瑠璃は答えを紡ごうとして……。 「おーい! 酒呑むぞ、酒! つまみはあるか!」 ノックもせずに飛び込んできたのは、力強いそんな声だった。 「甘いものばっかりだけどいい? エレ!」 甘いものでも酒は呑める。 エレのその言葉に、瑠璃は満足そうに頷いてみせる。 |