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3.彼の地、灰色の街

 見上げれば、頭上を覆うのは灰色の煤煙と鉛色の空。
 視線をそのまま落とせば、巨大な灰色の城壁と、石畳に覆われた街がある。
「これが、キングアーツの街……」
「なんか、どこもかしこも灰色だなぁ」
 それは、リーティ達のよく知る神揚の町並みとは、何から何まで異なる風景であった。
 侵略国家である神揚だから、街によって違う様式が使われている事は珍しくない。けれどそんな彼等の知識の中でも、ここまで異質な光景を見たのは初めてだった。
「神揚の街は木が多いのだったよね」
 セタが本物の沙灯の夢の中で見た神揚の光景は、琥珀色の雲に覆われた、緑の木々の間に並ぶ白木造りの建物だ。それと比べれば、確かにキングアーツの光景は特異に映ることだろう。
「ああ。この辺りとは全然違う」
「あまり走り回んなよ。帽子落ちっぞ」
 そんな、物珍しそうに足を速めたリーティをひょいと捕まえたのは、鍛えられた太い腕だった。そのままぐいと引き寄せられて……。
「うわ! だからってガキ扱いすんなよ! あ……当たって、当たってる!?」
 顔を包む込む予想外の柔らかな感触に小柄な身体はバタバタと暴れるが、腕の主はそれを恥ずかしがるどころかむしろ喜んでいる始末。
「ンだぁ? 神揚でも当たってりゃ嬉しいってか? このマセガキが。うりうり」
「や、やめーっ!?」
「エレ殿は相変わらずでござるな」
 リーティはエレともほぼ初対面だが、半蔵はスミルナで何度もエレとは顔を合わせている。
 恐らくはその辺りの配慮もあるのだろう。半蔵とリーティの外出に付けられた監視役は、あの清浄の地で顔を合わせた面々だけで構成されていた。
「……キングアーツ人が全てああだと思われるのは、だいぶ心外ですが」
「どこにも例外というのは少なからずいるものでござる」
 その言葉にコトナが思い出すのは、黒い獅子型の神獣を操る猫のような娘の事だ。
 コトナと半蔵が呑気な会話を繰り広げている間にも、エレの手は容赦なくリーティの身体を侵略しつつあった。
「へぇ。ホントにこの耳って動物の耳なんだな」
 リーティを抱きしめたエレがまさぐっているのは、大きめの帽子越しの少年の頭である。もはやリーティは力尽きてしまったのか、反撃する様子も見当たらない。
「…………」
 そして、リーティと同じように茫然としている娘が、もう一人いた。
「……どうしたの? リフィリア」
 エレとリーティの様子に視線を固定させたまま動きを止めている少女の目の前。ジュリアが何度かひらひらと手を振ってやれば、ようやくリフィリアは意識を取り戻す。
「な、なんでもない! エレ、お前も監視役なんだからいい加減にしろ!」
「ンだ? リフィリアはこういうタイプが好みか? お前がもふもふするか?」
 既に自分は十分に堪能したのだろう。息絶え絶えのリーティをひょいと立たせてやって、エレはニヤニヤと笑っている。
「そういう事じゃない! 節度を守って行動しろと言っているのだ! こちらもキングアーツの代表なのだぞ!」
「つっても、スミルナで会ってんだし今更だろー」
「リーティは会っていないだろう!」
 浮かぶ思いを全力で押し殺そうとはするものの、そうそう殺しきれるものではない。自分の声が想像以上に荒ぶっている事に、リフィリアは内心驚きを隠せない。
「……で、最初はどこに行こうか? 行きたい所、ある?」
 そんなリフィリア達を颯爽と無視して、ジュリアが問うのは半蔵に向けてだ。
「そうでござるな。であれば……」
 もちろん半蔵の中では、行きたい場所などとうに決まっている。


 騒がしい視察団とは対照に、そこでは変わらず淡々とした会話が続けられていた。
 先ほどまでの地下ではない。市街を見渡せるバルコニーへと場を移し、尋問という名目の雑談は緩やかに進んでいる。
「……再生機能の仕掛けはムツキも良く分かんないのかぁ。残念」
 とはいえ、ソフィア達の万里にどこまで協力出来るか決まっていない以上、八達嶺の情報を話題には出来ない。自然、神揚の技術や習慣についての話が中心となっていた。
「役に立てんですまんな。技術的な事はとんと門外漢でな」
「……だが、痛覚遮断がないというのは厳しいな」
 それは、ククロとムツキの話の中で出た話題の一つだった。アームコートでは当たり前の、人体に届く過剰なダメージを遮断する機構が、神獣には一切存在しないのだという。
 その機能の恩恵を最大限に受けているアーレスやアーデルベルトとしては、驚くしかない。
「むしろ儂らは痛みを和らげる方法がある事に驚いておる」
 ムツキとしても、痛覚遮断という技術を知っていればむざむざ神獣の弱点を口にする事はなかっただろう。だが、本当に知らない事は、指摘されるまで分からない事さえ気付けない。
 故にムツキも失言ではなく、新たな驚きとしてその失敗を気付かぬフリを貫く事にしたのだった。
「その辺も込みで、いろいろ参考になったよ。滅びの原野の空気でも呼吸できる仕掛けとか……。聖なる石って呼んでるんだっけ? スミルナから見つけた浄化技術がある事とか……」
 呟き、見上げるのは、灰色の煤煙に覆われたメガリ・エクリシアの空である。
「おぬしらの国にもあるのだろう?」
「……そりゃあるけどさ」
 滅びの原野の、薄紫の毒の空気。それを浄化する技術は、もちろんキングアーツにもある。だからこそこうして橋頭堡たるメガリを築き、空気や地上を浄化して、少しずつその版図を広げる事が出来たのだ。
「けれど、万能というわけにもいきませんものね」
 プレセアの言う通り、キングアーツ式の浄化は時間がかかる。メガリの建造も数年がかりの大事業だったし、これから周囲を浄化するにもさらなる年月が必要となるだろう。
 そしてアームコートに搭載された浄化装置の小型化も、今の技術では限界が見えていた。
 けれど。
「二つの国の技術が合わされば、もっと凄い事が出来ると思わない?」
 いまだ見た事のない神揚の技術体系。
 それがキングアーツの偉大なる王の術に加われば、彼等の技術は新たな局面を迎える事が出来る……。
「そんな事が出来るのか?」
「分かんないけど、キングアーツの技術じゃ出来ない事が神揚なら出来るかもって分かっただけでも、大発見だよ」
 ククロには、そう思えて仕方ないのだった。


 灰色の石畳を進み、やがて辿り着いたのは、甘い匂いの漂う一角だ。
「おおお……これが…………!」
 まだ湯気の立つふわふわの生地を二つに割れば、中から溢れ出すのはたっぷりと詰まった真っ白なクリーム。きつね色に焼き上がった外の生地も、真綿のように白い中身も、神揚ではただの一度も見た事のないものだ。
「へー。美味いな、このワッフルっての。タロの所で食べたのと全然違う」
 リーティもタロの店で再現されたキングアーツ料理を食べてはいたが、やはり本物と、代用品を使った再現品では全くの別物だった。
「これが外出の……目的……?」
 自らもワッフルをかじりながら、リフィリアはどこか釈然としない表情のまま。プレセアから半蔵達の監視を指示されたはずなのに、これでは休みの日にソフィアやジュリアに連れ出された時と何も変わらない。
 半蔵達が満足しているのだから良いと言えば良いのだが、本当にこれでいいのだろうか……。
「全ての文化の基本は食にあり。キングアーツの文化を知る事が、今は大事なのでござるよ」
「そうそう。工廠やハンガーを案内しろって言われても困るし」
「……まあ、それもそうか」
 半蔵の言う文化の基本とやらは今ひとつ理解出来なかったが、さしむきこの程度の街歩きで機密に関わる事はないし、スミルナでも交流会と称してして実際にしていたのはのんびりと互いに時間を過ごす事だった。
 プレセアに何をどう報告すれば良いのかは……その時になって考えれば良いだろう。
「なあなあ。そっちのちびっ子は平気なのか? なんかキツそうだけど」
 ワッフルの最後のひと口を口の中に押し込み、指先に付いたクリームをぺろりと舐め取ったリーティが気にしたのは、灰色の石壁に背中を預けているコトナに対してだった。
 街を歩いている間も歩き方がぎこちなかったし、事あるごとに壁やエレにもたれかかっているようだったが……。
「お気遣いありがとうございます。この程度はいつもの事ですから、お気遣いなく」
 実際、コトナにとってはいつもの事なのだ。だからこそジュリア達もそれを気にしないし、求められた時は応じられるように様子を見てもいる。
「……それと、あなたはお幾つですか?」
「十八だけど?」
 唐突なコトナの問いに答えると、コトナは「ふむ」と僅かに考えて……。
「……でしたら同い年ですね。キングアーツと神揚の暦の数え方が同じなら」
「マジかよ!? どう見ても年下だろ!」
 リーティも決して大柄な方ではないが、コトナはそんな彼と比べてもふた回りは小さかった。特殊な能力を見いだされて軍属となる子供は神揚でも少なくはないから、てっきりその類なのだとばかり思っていたのだが……。
「へぇ。コトナが年の事気にするなんざ、珍しい」
 コトナが風呂や食事が面倒だと不満を漏らす場面は少なくないが、抱きしめたり抱えたりといった扱いで何か言った事は付き合いの長いエレにもあまり覚えがない。
「エレやイクス准将に子供扱いされるのは当然の事だと諦めていますが、別に気にしていないわけではないのですよ?」
 エレやプレセアは実際に年上だから、子供扱いも理解出来る。
 ただ、それが同い年の相手だとすれば、話は別だ。
「へぇ……」
 コトナの意外と言えば意外な面に笑いながら、エレがワッフルを食べ終えると……。
「じゃ、次はクレープ食べに行こうよ。ソフィアがお気に入りの店があるんだー!」
「クレープ!? 聞いた事のない菓子でござるよ!」
 一部の者達の間で、既に次の目的地も決定済みらしい。
「だったら次はそこに行こう! ソフィアにもお土産買って帰りたいし!」
 ジュリア達はこうして街を歩いているが、ソフィアはいまごろ環と共に、王族会議で父王や兄王子達を相手に頑張っているはずだ。
 それが終わった時、お気に入りのクレープがお土産にあれば……少しは元気の足しにもなるだろう。


続劇

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