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4.ソフィアの決めたこと

 副官を従えた司令官代理が通信室から執務室へと戻ってきたのは、昼を大幅に過ぎ、西の空に光度を落とした日輪が沈もうかという頃の事だった。
「お疲れ様です、姫様」
 彼女達に代わって軍務を片付けていたアーデルベルトやプレセアに力なく軽く手を振って、応接テーブルの上に置かれた皿に気付いたのはその後だ。
「わ、これどうしたの!?」
 それは、丁寧に皿に盛られたクレープだった。
 焼きたてというわけではないが、中の少し黄みがかったカスタードと大粒の苺。そして脇に飾られた、特製のクッキーは……。
「ジュリア達が、神揚の皆様を連れて外に出ていまして。そのお土産だそうですわ」
「さすがジュリア! わかってる! ねえねえ、食べて良い? ずーっと会議だったから、おなか空いちゃって……」
 昼に軽くサンドイッチを摘まんだ程度で、それからは何も食べてはいないのだ。優しく頷くプレセアの様子に、ソフィアは嬉しそうにナイフとフォークを取り上げる。
「食べながらで結構ですが、会議はどうなりました?」
「万里に力を貸す事になったわ。父様達は抗戦派の言い分にしばらく怒ってたけど、神揚全体の考えじゃないって分かってくれたし。和平の条件は、あたしと兄様で決めろって」
「アレク王子と?」
 切り分けたクレープをぱくりと頬張って、ソフィアは頷きを一つ。
 それは即ち、和平成立の大前提として、アレクを取り返さなければならないという事だ。
「まあ、何とか説得できたって所だな。全面降伏なんざ論外だし」
 そんなソフィアの皿の端からクレープの一枚をひょいと摘まんで、環は小さく呟く。大切なおやつをつまみ食いされてソフィアはぷぅっと頬を膨らませていたが、皿を自分の方へと引き寄せる事でこれ以上の攻撃を拒絶する意思を示してみせる。
「条件付きとは言え、半蔵さんも喜びますわね」
 元々アレクのメガリへの帰還は万里達の希望の一つでもある。協力の条件としては、それほど大きな問題にはならないだろう。
「それで、これからの事だけど……。抗戦派の要求を断る以上、その前に兄様の安全を確保しなきゃいけないわよね」
 相手はアレクの命を握っているのだ。先日のように要求を正面から断ってしまえば、その後にアレクがどうなるか分からない。
 切ればおしまいのジョーカーである以上、うかつに何かするような事はないだろうが……。
「ならば、先手を取った方が良いでしょうな」
 以降のやりとりの面倒事は、一つでも少ない方が良い。
「あたし達も同じ意見よ。それで……ついでに敵陣に忍び込んで、アレク兄様と万里を助けるっていうのは出来ないかしら?」
「一気にカタを付けるおつもりですか」
 アレクと万里を解放してしまえば、クーデターを起こした抗戦派の力は激減する。内政干渉と取られない程度の働きしかしないにしても、以降は万里の勢力が優位に立つ事が出来るはずだ。
「抗戦派が強いのは分かっているでしょう? なら、こちらの残存戦力で仕掛けられるのはせいぜい一回か二回……」
 先日の戦いでの損害も少なくない。補充物資の余裕があった事と、ククロ達の夜を徹した作業のおかげで戦力は整いつつはあるが……それでも、万全の状態とは言いがたい。
「カイト兄様はイサイアスから増援を出してくれるって言ったけど、それは明後日までには間に合わないしね」
 今晩からの夜を徹した行軍をするにしても、与えられた時間は実質一日半。それでメガリ・イサイアスからメガリ・エクリシアまで辿り着く事は不可能だ。
「ですが、それは向こうも同じ事……という事ですか」
 後日改めての決戦を挑むにしても、それでは向こうにもさらなる時間を与える事になる。航空戦力のある神揚ならば、キングアーツよりも早く陣容を整えることが出来るかもしれないのだ。
「向こうはこちらに三日しか時間をくれなかったのよ。なら、あたし達だって向こうに時間をあげる義理はないわよね?」
 アレクが囚われて、実質一日と少し。
 三日という期間はこちらに考える隙や準備を整えさせないための期間だったのだろうが……それは、裏返せば向こうも同じ事。
「環、残りのクレープも食べて良いから、アーデルベルトと作戦を立ててちょうだい。夜の軍議までに草案が欲しいわ。……お願いできる?」
「了解」
 ソフィアの皿に残ったわずかなクレープを取り上げると、環はそれを口の中へと放り込んだ。

 その日の晩。
「反対です」
 二日後に控えた返答の日を前にした作戦会議でコトナが口にしたのは、誰もが予想だにしない否定の言葉だった。
「な、なんですと……!」
 驚いたのは、本来の姿を見せて会議に参加していた半蔵だけではない。彼女の同僚や他の隊の将まで、意外といった様子で小柄な娘に視線を向けている。
 それで自分の言葉が意味していた事に気付いたのだろう。「ああ」と小さく前置きをして、コトナは言葉を続けてみせる。
「王国の方針や、今回の作戦そのものに反対というわけではありません。……反対なのは、私の扱いに対してです」
「聞こう」
 ちらりとソフィアに視線を寄せられたアーデルベルトの言葉に応じて、コトナはさらに続きを口にする。
「返答の当日、陽動部隊が八達嶺の正面から敵を誘導し、その間にアレク王子の救出部隊がハットリさんの手引きを受けて八達嶺に侵入する……という作戦は理解しました」
 典型的な陽動作戦だ。戦力的に余裕のないメガリ・エクリシアで有効な策といえば、確かにこのくらいしかないだろう。
 そう。それ自体は問題ないし、コトナがこの状況で作戦を立てろといわれても、似たような策を立てるはずだ。
「ですが、救出部隊に私を入れる意味はないと愚考します」
 問題は、そこだった。
「だが、その目と慎重さは役に立つだろう?」
「確かに私の目は遠くまで見えますし、神経質な所があるのは否定しません。……が、この足で素早い隠密活動が出来るかは疑わしい所です」
 その言葉には、誰もが反論できずにいた。
 確かに、少数の救出部隊は機動力と一点突破の攻撃力が必要になる。いかにコトナが慎重な性格で、機動力を生かす場面を減らす動きが出来るとしても……そこにリソースを割くぶん、突入班には常に危険がつきまとう。
「もちろん、不要だと判断した時点で切り捨てて頂けるなら、同行する事もやぶさかではありませんが……」
「そんなこと出来るわけないでしょ!」
 判断や検討をするまでもない。反射的に放たれたソフィアの言葉に、コトナも小さく頷いてみせる。
「ええ。ソフィア姫様は、そういうお方です。……ですから、アレク王子も、万里姫も救おうとなさる」
 そして、どんな危機に陥ったとしても、コトナを見捨てようともしないだろう。
 だが、ダメなのだ。それでは。
「大も捨てない、小も捨てないという理想は気高いものです。けれど、大を生かすために小を捨てる選択は、いずれ必ず出てきます」
「それが、今だって言うの……?」
「まさか」
 まっすぐに見据えるソフィアの言葉を、コトナはあっさりと否定した。
「私も、まだ死にたくはありませんから。ですので、私の目の代わりには……」
 ずっと立っている事にも疲れたのだろうか。
 コトナは僅かに息を吐き……。
「……ジュリア・イノセント少尉を推薦します」
「私ですか!?」
 彼女は弓兵としての腕を買われて、陽動部隊の弓隊の指揮を任されたばかりだった。故にこのやり取りも、不安そうに見つめていただけだったのだが……。
「彼女の弓の腕前は確かですよ。それに、目も利きます……そうですよね? ジュリア」
「それはまあ……」
 弓の命中精度をより高めるため、彼女の左目はより遠くのものまで見通せるようになっている。コトナのそれと少し用途は違うが、その特性はそれなりに近い。
「周囲の警戒については少々不安ですが、そこはウィンズ大尉やアルツビーク中尉もいてくださいますし、心配はないでしょう。何より、私よりも足が速い」
「……そうだな」
 少なくとも、コトナの言っている事は間違っていない。彼女が役に立たないというわけではなく、適材適所という事だ。
「ですので、私は陽動部隊への配置換えを希望したいと思います。アームコートであれば、私の足はそれほど問題になりませんので」
「ジュリアはどう?」
「私も……ソフィア隊の一員ですから」
 そのひと言に込められているのは、判断を任せるといった意味合いではなく、一員であるという誇り。常にソフィアの傍に在ろうとする、強い意志だ。
「なら決まりね」
 大も捨てない。もちろん小も捨てはしない。
 その選択肢が提示された以上、提案したのが誰であろうと、それを受けない理由はない。
「他に意見のある者はいるか」
 次に手を挙げたのは、部屋の隅に腰を下ろしていたアーレスだった。
「どうして俺が後詰めなんだ?」
 今回の戦いで、アーレスは陽動部隊でも突入部隊でもなく、メガリ・エクリシアの防護に充てられている。特に陽動部隊という柄でないのは分かっているが、それでも面白い気分ではない。
「今回の戦い、攻撃力よりも防御力が必要になる。……それに、敵が同じ事を考えていないとも限らない」
 相手も同じ人間。
 そして、同じく武力で国を広げてきた大国でもある。
 だとすれば……三日目に返答を待たずして攻撃を仕掛けてくるという可能性も、必ずしもゼロではない。その場面には、必ずある程度の戦力が必要になるのだ。
「……なるほどな。そういう事なら、まあ、今日は我慢してやらぁ」
 アーデルベルトの言葉にどかりと腰を下ろしたアーレス以外に口を挟む者もおらず、その夜の会議は終了となった。
「…………」
 ただ一人。
(環……。私は、本当に黙っておくだけでいいのか……?)
 そんなアーレスをじっと見据えていた、娘一人の心の内を除いては。


続劇

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