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読者参加型プライベート・リアクション
ユノス=クラウディア
第4話 越えるもの・残るもの(その2)



「僕が霧の大地の人間………?」
 朝食のソテーを飲み込むと、青年は女性に返事を返した。白髪に近い色あせた銀髪
にぱっとしない丸眼鏡という、見るからに冴えない貧乏学者……といった風体の男だ。
「もしくは、その子孫か関係者………」
 図書館で食事をしている青年をやや不機嫌そうに見遣りながら、女性は言葉を続け
る。宿の主であるクローネに頼まれて彼らの朝食を持ってきてはみたものの、彼女は
図書館で食事をすることに対して不快感を持っていた。ユノス=クラウディアの図書
館はその辺の事をあまり気にしないと聞いたので、一応黙ってはいたが。
「お前はあの『霧の大地』について知りすぎている気がする。だからそう思ったのだ
が……違うか? フォリント」
 相変わらず裏表のないストレートな物言いに、フォルは苦笑を浮かべつつ答える。
食事中に喋ると女性がうるさいから、口の中に物は入っていない。
「違いますよ、カイラさん。僕の実家はノルドの貴族で、マグナ家……って言っても、
ご存じ無いでしょうけど」
 カイラもノルド出身ではあったが、そんな名前の一族に聞き覚えは全くなかった。
まあ、狭いと言っても広いノルドだ。彼女の知らない家があっても何ら不思議はない。
「そうか……。まあ、いい。どちらにせよ、例の霧の大地に行くつもりではあるのだ
ろう?」
 本当の所、フォルが何処の馬の骨であろうとどうでもいい事なのだ。要は、今度の
霧の大地遠征にフォルの知識が借りられればいいのだから。
「当然ですよ。僕が行かないでどうします?」
 つい油断してしまったのだろう。フォルはそう言ってソテーを口にした後、開いて
いた傍らの書物のページをぺらりとめくってしまった。所詮は学者、自分の関心のあ
ること以外にはつい注意が散漫になってしまう。
「フォリント……食事中に本を読むのは行儀が悪いぞ」
 ぽつりと呟いたカイラに、フォルはバツが悪そうに席を立つ。今回は警告だけで済
んだようだが、今度『つい』をやってしまったら、彼女の言葉よりも早い拳か、延々
と続く説教地獄が始まることは間違いない。
 ただでさえ霧の大地の研究には時間が足りないのだ。図書館に泊まり込んでまでい
るフォルとしては、彼女の説教に付き合っている時間すら惜しい。
「さ、さて……と。食事も済んだことですし、本を片付けに行ってるシュナイト君や
ティウィン君を手伝いにでも行って来ますか」


「ティウィン」
 傍らで本棚の整理をしている少年に向け、眼帯の青年は小さく声を掛けた。
「何ですか? 兄様」
 屈託のない笑顔を見せ、ティウィン……青年の弟……は軽く首を傾げる。
「お前も、行くのか?」
 そう聞きつつも、青年……シュナイトはティウィンの方に顔を向けてもいない。少
年は眼帯で封じた右目の側で本を整理しているから、シュナイトが少々首を動かした
くらいでは少年の姿を見ることは出来ないのだ。
「はい」
 主語の抜けた言葉であったとしても、ティウィンは兄の言葉の意味を察しているの
だろう。不安定に揺れる地面と対照的なしっかりとした声で、肯定してみせる。
「僕の力で役に立てることがあるのなら。それに……事件が起こった以上、最後まで
見届けたいですし」
「……だろうなぁ」
 やっぱ血かなぁ……と、青年は思う。教育方針がそうだからか、もともとそう言う
気質なのか、彼の一族郎党はみんなそういう考えの持ち主ばかりなのだ。シュナイト
本人もそうなのだから、あまり人のことばかりは言えないのだが。
「まあ、無理だけはするなよ」
 いざとなったら俺もお前を守るからな……とは流石に口に出さず。シュナイトはそ
れだけ言うと、再び本の整理を開始した。
「はい」


(ったく、大将のヤツ……)
 少年は不機嫌だった。
(……何でああまで警戒心だとかないのかね、全く……)
 天井に近いところにある本棚に乱暴に本を突っ込みつつ、黒い少年はぼやく。今ぞ
んざいに扱った本に一体どれだけの学術的・金銭的価値があるモノやら、全く気に掛
けてはいない。相棒のことで機嫌が悪くもあったし、昼間にムリヤリ叩き起こされた
事で機嫌の悪さにはブーストがかかっている。更に言えば、こんな紙束の価値がどれ
ほどであろうと少年にはそれこそどうでもいい事だった。
(何かあったらどうする気だ……。あんな奴らなんて、信用できねえ……)
 その信用できない『奴ら』の筆頭である青年は、今はユノス=クラウディアにはい
ない。その事も、少年の気に掛かる理由の一つだ。
「あの……」
 そんな彼に掛けられる、小さな声。
(まあ、何かあったら俺様が守るケドよ……くそっ)
 今度は薄い金箔で装丁された本を、本棚に叩き込む。その衝撃で金箔の一部がぱら
ぱらと剥がれ落ちたが、少年はそれを気にする気配すらない。
「あの、レリエル様ぁ……」
 再び掛けられる、声。
「ンだ、さっきからっ!」
 ようやく気付いたのか。少年……レリエルは、目の前で重そうに本を抱えている小
さな影に荒っぽい返事を返す。
「何だ……ザキエルか……。悪いな、怒鳴ったりして」
 と、『同僚』相手に流石に気が引けたのだろう。泣きそうな顔なザキエルの抱えて
いる本をひょいと受け取り、レリエルは努めて穏やかそうな顔をしてみせた。そんな
表情なんて全然慣れていないので、所々ひきつってはいたが。
「レリエル様、本当にシュナイト様の事が心配なんですね」
 そのレリエルに、ザキエルは涙を浮かべたままながらも優しく微笑む。こちらはム
リヤリのレリエルとは違い、本当に可愛らしい笑顔だ。
「ザキエル……」
「はい?」
 照れ隠しにザキエルの涙を細い指でそっと拭ってやりながら、レリエルは呟く。
「この戦い……俺様達の主、絶対に護り抜くぞ。我らがシャハリートの銘に賭けてな」
 漆黒の天使の、真剣な言葉。
「はい」
 その言葉に、小さな天使も少年以上に真剣な表情で頷き返していた。


「俺は……守れるのか?」
 誰もいない部屋。少年は一人、そんな事を呟いていた。
 彼が無力……というわけでは決してない。いや、それどころか、そこいらの人間よ
りも格段に強い『力』を持っていた。
 迫り来る敵……蒸気甲冑のディルハムの群を、軽く蹴散らす事が出来るほどの力を。
 だが。
「あの力で本当に……戦えるか?」
 自らの内に眠る壮絶なまでの力を、人を護る力として振るう事が出来るのだろうか。
 先日ディルハムを倒した直後は、護るための力として使えると思った。しかし、怪
我が治り、体調も精神も万全となった今……ゆっくりと物事を考える余裕の出来た今
では、その自信は急速に薄らいでいたのだ。
「せめて……『こいつ』が無事なら……」
 足下に置いてある巨大な力晶石の破片を手に取り、ぽつりともらす。
 かつては彼の武器だったその力晶石のブーメランは、先日のディルハムとの戦いで
中央から真っ二つに折れてしまっていた。力晶石、しかも、これだけ大きな力晶石の
塊を再加工できるような鍛冶職人などこの街にはいないから、修理のしようもない。
「俺……どうしたらいいんだろう……兄貴……」
 自ら師と仰ぐ青年の静かな表情を思い浮かべつつ。少年は拾い上げた欠片をもとの
所へと戻していた。


 ユノス=クラウディアから少し離れた、森の中。
「ふむ……。これくらいなら、十分使える……か」
 修理したばかりの槍を正面に構え、ジェノサリアはそれなりに満足そうな声を上げ
た。先日の戦いでユノスの兄から譲り受けた、対ディルハム用の強化槍だ。
 クローネから紹介して貰った鍛冶屋の腕は確かで、折れてしまった強化槍も応急処
置ではあったが、昼前には修理してしまったのである。それどころか、構造が多少特
殊なだけの強化槍なら、複製を作ることも可能だという。予備の武器があるほど心強
い事はない。ジェノサリアは有無を言わさず複製品の注文を行っていた。
 巻き上げた枯れ葉を相手にして構えた槍を縦横に取り回し、その使い心地を確かめ
ていく。流石に元の状態と寸分違わない……とは言えないが、際だった不満があると
いうわけでもない。
 と、その槍をぴたりと一点に向け、ジェノサリアは静かな声を上げた。
「それで……いつまでも人の観察をしていて面白いか? そこのお前」
 返ってきたのは、聞き覚えのある声。
「別に。いつ出ていこうかと思っていたら、出そびれてね」
 誰何の声に別段身を潜めるでもなく森の中から現れたのは、一人のエレンティアの
少女。無論、ジェノサリアの知り合いである。
「クリオネか……。何の用だ?」
「少し……ね」


「お主、一寸待つがよい」
 唐突に掛けられた声。その声があまりに唐突だったため、彼女はそれが自分に掛け
られた声だとは露ほどにも思わなかった。
「主人。これで、頼んでおいた物は全部か?」
 もともと大地亭の仕入れ作業で忙しいのだ。彼女はその声を気にする事もなく、果
物屋の親父にクローネから預かったお金を払う。
「ナイラさん、そうやって見ると、美人だねぇ」
「………そうなのか?」
 親父のお世辞に不思議そうな顔をしつつ、ナイラは膨大な量の果物と野菜を受け取
った。大の大人でも抱えられないようなサイズの麻袋をひょいと抱え上げ、大地亭の
方へと歩き始める。
 お世辞など言われた事もないから、そちらの方には反応のしようがないのだ。
「待てと言うに……」
 再び掛けられた、声。無視された事に腹を立てているらしく、どう見ても機嫌が良
さそうではない。
「? 私に何か用か?」
 そこに至って、ナイラはようやくその声が自分を呼ぶものである事に気が付いた。
 振り向いたナイラの前にいたのは、美しい女性。
「おぬし、『氷の大地亭』とやらを知っておるであろ? 妾を案内するが良い」
 ヤケに尊大な態度だ。『美しい女性』という事をさっ引いても、普通の人間ならそ
の偉そうな態度に怒ってどこかへ行ってしまうだろう。
「いいぞ。付いて来い」
 しかし、ナイラはその辺の感覚が常人と少し違う。こちらも美女に負けず劣らずの
無愛想な態度……実際は、人をどう案内したら良いかが分からないだけなのだが……
でぽつりと呟くと、さっさと歩き始めた。


「あの鉄の竜をお前に?」
 クリオネの言葉に、ジェノサリアは小さく眉をひそめる。
「ええ。マナトさんに聞いたら、あの竜は大人は二人乗れないって言うから。で、マ
ナトさんが使わない方はキミが乗って行くらしいって言うじゃない」
 マナトから霧の大地に攻め入るという話を聞いた後、誰かが霧の大地に先行して偵
察に出掛けるという話が浮かんでいた。クリオネはその事を言っているのだろう。
「まあ、別にお前に譲っても構わんが……」
 あの時は自分が先行偵察しても構わなかったのだが、今は多少事情が異なる。
 強化槍の複製が完成するまでは、ジェノサリアはあまり動きたくなかった。霧の大
地で武器を調達するという手も無いわけではなかったが、彼女に合う槍があるという
保証はない。ここで可能な限り準備していく方が堅実だし、賢いやり方だろう。
 竜の飛行速度ならば霧の大地まで数時間で行けるというから、後から迎えに来て貰
ってもそれほど時間のロスにはならないはずだ。
「だが、何故にわざわざ?」
 そう。
 本隊の移動は最も速度の遅い蛇を基準にして行われるから、竜で行っても蛇で行っ
てもかかる時間は同じ。それなのに、どうしてわざわざ安定性も乗り心地も悪い竜を
使うのか。
「大した理由じゃないんだけど……」
「?」
 ふと感じた気配に、ジェノサリアはその銀の瞳を細めた。クリオネが一瞬だけ赤い
霧……それも、凄まじく凶々しい気……に包まれたような気がしたのだ。
「まあ、こういう事……ね」
 慣れているのだろう。辺りを覆い始めた幾つもの殺気に特に感慨を受ける様子もな
く、クリオネはぽつりと呟く。
「なるほど……」
 それで得心がいったのか、ジェノサリアも直したばかりの槍を構える。
「この槍の様子見には丁度いい。クリオネ、感謝するぞ」
 ジェノサリアの言葉にクリオネは口元を僅かに歪ませたが、それを彼女の苦笑だと
気付いた者は、ここには誰一人として…そう、本人すらも…いなかった。


「……嫌な気配がする」
 素振りしていた手を止め、男の子はぽつりと呟いた。普段の男の子からは想像も付
かないが、その表情は心持ち青ざめていたりする。
「? どうかしたんですか?」
 こちらは洗濯物を干していた黒髪の少女がその手を止め、男の子に向かって声を掛
けた。男の子はついこの間まで寝込んでいたのだ。青ざめた顔を見れば、心配にもな
る。
「……僕の予感は良く当たるんだ。ユノス達もここは去った方が良いかもしれない」
 男の子は自分の直感を信じる事にしていた。殊に、嫌な予感に関しては。
 自らの直感に従ったおかげで命拾いした事は何度もあるし、陥った窮地を切り抜け
る切り札となった事はもっとある。
「あたしはそう言う嫌な気配って感じないけどな……。ルゥちゃん、何かある?」
 少女……ユノスには魔法的な素養があったから、そういう直感や予感と呼ばれる能
力には幾分かの自信があった。だが、その自分の感覚では、何も感じないのだ。
「ルゥは……すっごく遠くにはイヤ感じがあるけど……」
 ユノスの傍らで洗濯物を干していたルゥの言葉にも、ユウマは首を横に振る。
「それじゃない。もっと近く……」
「それは……分かんないや」
 ルゥの予感はユウマの戦いの勘やユノスの魔法的なものと違い、もっと本能に近い、
野性的……と言っていいレベルの物だ。それですら感知できない謎の気配に、ユノス
は小さく首を傾げていた。
続劇
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