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[5/16 PM13:18 帝都外縁南 商店街]
 そこに立つのは、巨大な脚だった。
 正確に言えば、『脚だったもの』だった。
 帝都外縁南、市街地のど真ん中である。どこから持ってきたのかテントやタープ、リア
カーなどの仮設屋台が立ち並ぶ市場の真ん中に、巨大な戦闘メカの脚部が2本、所在な
さげに突っ立っているのだ。
 ハッキリ言って場違いだった。
 この場所で海からやってきた巨大怪物『ザッパー』と村雨音印の駆る『玖式』が差し違
えたのは昨日の昼のこと。例の爆発から半日ほどは立入禁止のロープが張られ、現場調査
その他で防衛隊や合衆国軍関係者、果ては軍事企業の連中までが詰まっていたのだが……。
 商売の場所を占領されてしまった商店街の皆さんが黙っているはずもなく、軍のお偉方
が入る際に『残留放射線など有害物質なし』と兵士の一人が口を滑らせたのを聞きつける
やいなや、彼等によって即座に取り返されてしまったのだ。
 そして何事もなかったかのように夕方のお買い物シーンが展開され、今日に至る。今で
は仮設の屋台村ならぬ商店街村が建ち並び、やはり仮設のスピーカーからは有線放送が流
れっぱなしだ。今は未織愛沙という若手シンガーの歌である。
「……この街の人達が精神的にタフなのは知っていたけど、まさかここまでとは……」
 どこに問題があるという風に大根を売っている八百屋のおっさんを遠巻きに眺めて呟い
たのは、蘭だった。昨日の午後からの検査入院で異常なしと判断されたのが、その日の夜。
もう数日入院した方がいいという医師を強引にねじ伏せて退院したのが、今朝。
 そして、直後に電話したウィアナからの指示で玖式の『脚』を回収しに来てみれば……
これだ。
 これでは周囲に屋台ひしめくこの空間から『脚』を持っていくなど不可能だろう。屋台
が引っ込む夜を待つしかない。
 そんな光景を道ばたのコンクリート塊に腰掛けて眺めていたウィアナは、蘭の隣でぽつ
りと呟く。
「『帝都迎撃都市構想』……進行3割とか言ってたけど、なかなかじゃない……」
「何? それ」
 聞き覚えのない固有名詞に顔を上げ、蘭。ウィアナは膝頭に載せていた頭を上げて一瞬、
ありゃ、という表情をしたが、すぐに頭を膝の上に戻してしまった。
 そんなだらしない彼女を見て『美人がもったいない』と思うものはいるだろうが、まさ
か世界を股に掛ける複合企業の長と思うものはいないだろう。
「まあ、そういう風に努力してるって事よ。この歌みたいにね」
 有線の歌は何かの応援歌のようだった。実際に何年か前に流行した歌なのだが、もちろ
ん蘭もウィアナも初めて聞く歌だ。
「結構なことじゃないか。来もしない援助を求めてブーブー言ってるよりは、百倍マシだ
ろ」
 そして、ウィアナの隣に同じく腰を下ろして怪訝そうな表情を浮かべている蘭の上から
声が掛けられたのは、このタイミングだった。
「リリア……」
 リリアが内乱のあった国の出身だった事を思い出し、蘭は口をつぐんだ。
 小さいとは言え現実の戦場となった場所で、いつもと変わりなく商売をする帝都の住人
達。その光景を前に彼女としても色々と思うところがあるのだろう。彼女の国の戦いの終
結は、国連から依頼された合衆国の強制的な介入によるものだったというし……。
「会長。ネインの方は何とか見つけたそうですが……『紫』はヤツらの手に渡ったようで
す。連中のエージェント一人相手に隊の半分が潰された挙げ句、見失ったそうで」
 蘭の方に紙袋を押しつけておいて、リリアも二人の隣に腰を下ろす。
 袋の中身にちらりと目をやれば、その辺の屋台で買ったらしい回転焼きだった。そうい
えばこの近所っておいしい回転焼きのお店があったな……と思いだしつつ、蘭は2つ取り
出して1つをウィアナに渡す。
「鍵とヴァイスの案内にローラ達を回したのは失敗だったかしらね……。分かったわ。諜
報部には補充を回すよう手配しておく」
 Gディスク『紫』。『玖式』の動力機関として積んであったそれは、世界に7枚しか存
在しない貴重なシステムだ。出来ればこちらの手に入れておきたかったが……敵の手に渡っ
たのであれば、それはそれで仕方がない。
 昨日の晩、忽然と姿を消したザッパーの『鍵』。その捜索に何人か人員を割いていなけ
れば、謎のエージェントにもあれだけの被害を出さないで済んだのかもしれなかったが…
…いずれにせよ、全ては指示を行ったウィアナ本人の責任だ。
「ういっす。って、何だよ、蘭。いきなり立ち上がって」
「ちょっと交渉してきます。あの『脚』を回収しないといけませんから」
 回転焼きをほんの三口で食べ終り、蘭はすっと立ち上がった。残された二人がなかば呆
然と見守る中、蘭は八百屋の親父に声を掛け、そのまま何事か話し始める。
「……強いッスね」
「ええ。空元気なのは分かってるんだけどね……」
 廻りの店まで巻き込んだ口論に一歩も退かない蘭を見て、昨日の彼女を想像できる人間
はいないだろう。目の前で最愛の青年を失ったショックに半ば狂乱状態となり、強力な鎮
静剤まで打たれているのだ。
 半ば朦朧状態で検査を終え、ようやく目を覚ましたのは今朝になってからのこと。
「ま、あたしに出来るのはこんな事くらいだしね……」
 本当はあんな『脚』の回収などいつでもよかったのだ。もっと極端に言えば、住民の邪
魔になっていないようなら回収する必要すらなかった。玖式のデータは既に十分取ってあ
るし、肝心のGディスクがないならあんな脚だけ拾っても何の意味もない。
 ただ、蘭の気が紛れれば、と思って指示を出してみただけなのだ。病室で抜け殻のよう
になっている彼女を見るよりは、無駄な仕事での損失の方が何倍もマシだ。
「そういえば、ネインの彼女とか言ってた子達、どうなったですかね……」
 リリアの方は入院どころか、検査すらしていない。蘭を病院に放り込んだ後はウィアナ
について帝都に舞い戻っている。
「遥香と雛子の事? どうなったのかしらね……いちお、見つかったら連絡はするよう約
束はしたけれど……して、大丈夫そう?」
 僅かに首を振ったリリアに、ウィアナはため息。
 多分、ネインを探すために今日も朝から街中を走り回っているに違いない。こちらにも
関わることだし何とかしてやりたいとも思うが、いくら世界的企業のトップとて出来るこ
とと出来ないことがある。
 出来ることと言えば治癒系の能力を持つ能力者をネインに回してやるくらいだが、治癒
系の能力者は組織でも一握りの貴重な存在だ。壊滅しかけた諜報部の事もあるし、回せる
かどうかも正直なところ怪しい。
「ていうか、ですね……」
「何?」
 珍しく憂鬱そうなリリアに、ウィアナは首を傾げた。
「アイツを見つけたの、何かあの子らの知り合いだったらしいんスよね……」
 最悪だ。
「あーもう、何か『鍵』はなくなっちゃうしGディスクは取られちゃうしナインはボロボ
ロだしオマケにあの子達までどん底? やってらんないわ……もう」
 さらにというか、追い打ちをかけるようなタイミングで無遠慮な電子音が辺りに響き
渡った。
 ウィアナの個人用衛星携帯だ。
 鳴っているのもウルサイので力任せに電話を取り、相手の確認もせずに一気にまくし立
てる。個人用だから、少なくとも仕事先の相手や部下ではないはず。地で話しても問題な
い。
「誰よ。このクソ忙しい時に……雅人ぉ? は? ったくアンタ、間が悪いなんてもん
じゃないわよ。守護神の失敗作なの、あの子は。そう、8番。アンタの言うメイって子の
ね。あのさぁ、前にウチで圧力かけたでしょ。分かった? OK? じゃ、もうかけてこな
いでね」
 がちゃん。
 好き勝手な事を言うだけ言って気が晴れたのだろう。ウィアナは携帯の時計を確認する
と、すっと立ち上がった。
 その姿はいつも通りの麗女の姿だ。
「……それじゃ、私はそろそろ戻るわね。雅人やローラの事もあるし、後のことは貴女達
に任せるわ。いいようにやって頂戴」
「ういっす。適当にやっときます」
 あの探偵の兄ちゃん、災難だな……と苦笑しつつ、リリア。
「ああ、夜の会議には遅れても良いけどちゃんと来なさいね」
 彼女達の言う『適当』とは、全力を尽くす、という事だ。彼女の返事に満足げに頷くと、
ウィアナはそう言い残して場を後にする。
 蘭と商店街の一同のやり合っている喧噪をBGMにして。


[5/16 PM13:20 帝都外縁北 古書店『霙堂』]
「……?」
 あまりに一方的に切られた電話に、雅人は首を傾げた。彼は組織というよりウィアナ個
人のための活動を行う方が大半だったから、プライベートの携帯番号も教えてもらってい
たのだが……。
 彼女も彼が探偵になった『理由』を知っているから、この話題で怒る事はないはず。
「何かあったんですか?」
 ちゃぶ台の向かいで緑茶を飲んでいた和風美人が雅人の態度を不思議に思ったのか、そ
う声を掛けてきた。
「いえ……。それより、すいません。霙さんにはなんか無理言っちゃって……」
「別にいいですよ。閉店した後ですし……店長には言えませんけどね」
 それでは、と言って店の方に姿を消した霙の後ろ姿を見送り、雅人は小声でぼやく。
「俺、何か悪い事……したっけかな」
 蘭ならともかく、まだ付き合いの浅い雅人には不条理極まりない彼女の行動パターンな
ど読めようはずもない。いくら雅人が女性心理を理解するのに長けているとはいっても…
…だ。
「まあ、いいや……とりあえずこの項は削除……と」
 そして。気を取り直して雅人は小さく呟き、ノートPCに映るレポートから、ある少女
に関する項目を消した。
 右下の時計表示に目をやり、何事か思い出してふと呟く。
「そろそろ時間か……。ヴァイスさん達、ちゃんと帰れたかな……」


[5/16 PM14:30 帝都飛び地一区 スラム街]
 巨漢は、目の前の男に唐突に声を掛けた。
「……お前、名は?」
 鎧のようなごついコートをまとった身の丈2mに達する大男が声を掛けたのは、壁際に
うずくまっている男だ。ボロ布といって差し支えない布で身体を覆い、無気力に腰を降ろ
している。
 体格は良さそうだがその姿勢のせいで小さく見える彼は、いわゆる浮浪者という類の輩
なのだろう。
「…………」
 見ず知らずの男に声を掛けられたなどと思いも寄らない彼が巨漢に気付いて顔を上げる
まで、少しばかりの時間を要した。
 思ったよりも若い。まだ20台の初めか、せいぜい半ばといった所だろうか。
 もっとも、瞳の輝きは濁り、顔色は年老いた者のそれだったけれど。
「……お前、名は?」
 もう一度巨漢は同じ質問を繰り返し、男からの返答を待つ。
「……力王」
「そうか」
 返事を確かめると、巨漢は力王と名乗った浮浪者に唐突に告げた。
「……お前に『破壊神』の名をやろう」
 まるでその辺で買ったバナナでもあげましょう、という風に。
「!?」
 男はその言葉に弾かれたように顔を上げた。
「どうするかは自由だ。お前が決めろ」
「……アンタ、俺が『何者』か知っているのか?」
 だが、そう言った力王は少し違っていた。濁った瞳は僅かに意志の輝きを灯し、不審げ
に巨漢の方を見上げている。
「今からの俺には不要な名だ。だが、まだその名はこの世界に必要だろう」
「……そうか。世界はまだ、俺を必要としている……か。俺を……」
 力王は苦笑。自嘲とも自虐とも取れる皮肉な笑みだったが、それは確かに自らの意志に
よって浮かんだ笑みであった。
 青年の笑いを肯定と取ったか、かつての『破壊神』であった巨漢はコートの裾を翻し、
歩き出す。
「では、さらばだ」
「あんた、名は?」
 背中越しに投げ掛けられた力ある声に、巨漢はただ一言。
「ヴァイス」
 『破壊神』の名を受け取った青年はヴァイスに返事を返すため力強く立ち上がり、良く
通る声で己の名乗りを上げた。
「俺は力王。台場……力王だ」
「覚えておこう」


[5/16 PM14:35 帝都飛び地一区 スラム街]
 戻ってきたヴァイスに投げつけられたのは、不機嫌そうな女性……リーシェの投げやり
な声だった。
「ヴァイス。なぁにコソコソ話してたのよ」
 ヴァイスが勝手に出歩くのはいつもの事だから慣れているのだが、やっぱりそう言って
しまう。別にそう言う所を嫌いなわけでも、直そうと思っているわけでもないが。
「別に。ローラ、彼等は何者なのだ? 戦災にでも遭ったように見えるが……」
 そんなリーシェの文句をいつもの事と流し、ヴァイスは傍らにいた金髪の娘に問いかけ
た。
 ウィアナから雅人の代理の案内として付けられた、ローラという娘だ。まだ16だが、
彼女達の組織の中でも一流のエージェントだという。
「二区から流れてきた流れ者ですわ。あちらは三年前の崩壊事故から復興していませんか
ら」
 帝都には二つの飛び地がある。一つはこの大帝都空港を中心とした千葉方面独立自治区
『第一区』。もう一つは、三年ほど前に原因不明の爆発事故が起き、全てが焦土と化した
『学園都市』周辺。茨城方面独立自治区『第二区』である。
 どちらも能力者達の無法地帯のような様相を呈しており、治安は正直言って良くはない。
特にこの一区は大帝都空港と中央幹線以外のエリアは完全にスラム化しており、よそ者が
おいそれと立ち入っていい場所ではなくなっている。
 帝都側も各区の支配者に独立自治区としての権限を与えることで今の状況を維持してい
るだけにしか過ぎない。都民で結成された治安維持組織がバランスよく機能している帝都
本土とは完全な対極に位置する、そんな場所だ。
「……知らないで話してましたの?」
「それが?」
 しれっと答えるヴァイスにローラは呆れた表情を浮かべた。凶悪犯罪者だったらどうす
るつもりだったのだろう……とも思ったが、まあ、彼からすればこの辺りの危険地帯も大
したことはないのだろう。
 それは少女にとっても大差はない。少なくとも、彼女を知る者にとっては。
「……まあ、別にいいですけれど」
 ちらりと時計を見、ローラは一行を促す。
「少し急ぎませんと。ミス・ウィアナの予言したゲートの出現時間まで、もう30分あり
ませんから」
 ナイン達守護神は既になく、災いの元凶たるザッパーも滅びた。
 『守護神』を倒すというヴァイスの約束が果たされた今、彼等はこれから『ゲート』と
いう空間を通り、自らのいた世界に帰っていくのだ。ウィアナの話では、先日雅人が異世
界に飛ばされたときにもそれと同じものを通っていたらしい。
 今回のゲートは雅人が使ったときのゲート……飛行機がまるまる通れるほどの大きさ…
…よりもはるかに小さいが、人二人が使う分には十分だという。
「……そうだな」
 そして30分の後。
 ヴァイスとリーシェは、この世界から完全に姿を消していた。
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