-Back-

[Notice Chapter]
 はるかな天空の果て。
 何人もたどり着けぬその場所で、少女はぽつりと呟いた。
 幼い娘だ。まだ15には達していまい。
「読んだ?」
 少女の姿は見渡す限りの青空に一人だけ。だが、けっして独り言ではない。相手はちゃ
んといる。
 良く目を凝らせば、赤いコートをまとった長身の青年がいることが分かるだろう。目を
こらさなければ分からないのは、青年の姿はほとんど向こうの青空に透けているからだ。
 広げていた小さな紙片を畳んでポケットに入れ、青年は奇妙なイントネーションの残っ
た日本語で言葉を紡ぐ。
「チア。あの人は、ドコへ?」
「ミューアのこと?」
 小さく頷く、青年。
「もう、行っちゃった。キミが来るちょっと前にね。言いたいことはその手紙に全部書い
てあるから、って言ってたよ」
 チアもミューアの残した手紙を見せて貰ったから、それは間違いない。青年が受け取っ
た手紙には、自分が青年とその母親に対してどれだけの事をしてしまったか、そしてその
償いについての事が書かれているはずだ。
 顔を合わせると話しづらいから、と苦笑し、ミューアはチアの元から去っていった。
 ほんの半日ほど前のことである。
「……シグマ。怒ってるの?」
 返事のない青年……シグマの顔を下からのぞき込み、チアは首を傾げる。
「もう一度人生をやり直せ……? 一発殴らせて貰えればそれで良かったのニ……何で、
貴方はいつも勝手な……っ!」
 800年の時を生きてきた偉大な天使であるチアが唯一分からなかったのは、怒ってい
るはずの青年の瞳に寂しげな涙が浮かんでいることだった。

親愛なる、貴方への手紙 ―剣は鞘に、人は家に。全て世は事もなし―
[5/16 AM 0:26 帝都外縁北 住宅街]  真夜中になっても光の絶えない街。  夜にあっても真昼の存在する街。  不夜城、帝都。  しかし、そんな永久の昼の世界にも、影は存在する。もちろん、闇も。  殊に中心部を囲むように存在する住宅区域『帝都外縁』ともなればなおさらだ。駅周辺 の繁華街ならいざ知らず、住宅街は不夜城とは縁遠く、夜も更ければ灯りなどほとんど見 られない。 「やれやれ。こんな所に……」  そんな僅かな灯りの一つ。  街灯の光の元。夜の中よりふらりと姿を現したのは、一人の青年だった。黒いスーツに 冷然と見据える瞳、そして何より、手に持っている細長い包みが強く印象に残る。  対するは未だ影の中。  街灯の光の外。夜の中に同化するように存在するのは、初夏も近いというのに黒いトレ ンチコートをまとった男らしき姿だった。  らしき、である。トレンチコートと帽子の間から覗く貌は、人とも獣ともつかぬ異形の 表情を持っていたからだ。夜道で出会えば、あまりの印象の強さに夢まで……もちろん楽 しい夢ではないだろうが……見てしまいそうなほど。 「……貴様……ゼロ……いやいや、黒逸ハルキと呼んだ方が宜しいかな?」  どちらでも、という青年のなおざりな返事に、影は口の端を奇妙に歪ませた。本人とす れば苦笑したつもりだろうが、顔の造りに問題があるためかあまりそうは見えない。 「何故、我に気付いた?」 「貴方の存在を我々が感知できないとでもお思いでしたか? こちらには彼女がいるとい うのに……カナン!」  青年……ハルキの声を受けて青年の後ろより姿を現したのは、一人の娘だった。まだ大 学生くらいか。少なくとも二十歳には達していないように見える。 「8号……いや、違うな。“出来損ない”か」  人とも獣ともつかぬラインを持つ影の言葉に恐怖すら覚える事なく、不快な表情一つ浮 かべるだけの少女、カナン。  ハルキと同じ冷然とした……いや、それ以上に冷めた瞳で、影を見据えている。 「これ以上、我々や音印達にちょっかいを出して欲しくはないのでね……。貴方にも恨み はあまりないのですが、とりあえず消えて貰いますよ」  青年はそう言い、包みの紐を解いた。  足下に分厚い布の包みがこぼれ落ち、青年の手に残るのは……一本の剣。  剣に鞘はなかった。  抜き身のそれは、刀でも、それ以前に作られていた大太刀でも、ましてや洋式の剣です らない。  銅剣だった。古墳時代などの発掘品と言っても疑われないような、流線型の刃を持った 直刀である。ただ一つ違う点を上げるとすれば、彼の銅剣は博物館にあるような緑青色で はなく、合金本来の持つ美しいあかがねの輝きを放っているという事であろうか。  舞のように優雅な動作で剣を持ち上げ、相手を指すよう水平に構える。剣の支持は腕一 本。余る手は力を入れず、傍らの娘の肩へと抱き寄せるように掛かっていた。 「……巫女の付いた『剣聖』相手に勝ち目などあるまいて……好きにするがよい」  ゆらり、薄い光の粒が舞い始めた銅剣を静かに見遣り、影は淡々と呟く。光の粒は目の 前の男が自らの力『能力』を発現させた証だ。同時に、彼の握る剣が己の持つ真の力を解 き放った証でもある。  対する自分は僅かに自我を残すだけで、何の力も残されていない。『フォース』の圧倒 的な破壊力も、シグマの無敵の戦技も、そして彼の銅剣に抗すべき力を持った『叢雲』も。 全ての力はナインと共に消え、今の自分はかろうじて意識のみを分身の一つに落とし込ん でいる存在でしかない。  もっとも、仮に『叢雲』があったとしても……剣の真の力の覚醒を司る『巫女』がいな いままで青年に勝てる可能性は、万に一つもなかったが。 (我が『シグマ』であれば、違ったのであろうが……な)  影の脳裏をかすめるのはそんな思い。一時は支配下にあった青年の記憶の奥底にある女 性の顔を思い出し、苦笑する。口の端すら動かないその表情は、誰にも分からない苦笑で はあったけれど。 「それでは、今度こそさようなら。ザッパー」  そして、青年は『練気』に覆われた青銅の剣をゆっくりと夜空へかざし…… [5/16 AM 0:30 帝都外縁北 住宅街]  閑静な住宅街に響き渡ったのは、何かが叩き付けられ、砕け散るような衝撃音だった。  途端に静まりかえっていた周囲の家々に明かりが灯り、窓という窓が開かれていく。流 石に大怪獣と巨大ロボットの戦いのあった日の晩だ。いつもなら気にもしない程度の衝撃 音でも、耳ざとく反応するようになっている。  再び数度かの衝撃音。今度はやや、離れた場所だ。  住人達の間に緊の表情が浮かび、気の早い者は窓枠に足をかけ、さらに気の早い者は寝 間着姿のままで飛び出し、夜の闇へと姿を消していった。  残された者達は、そのままの体勢で、耳をそばだて、待つ。  ……沈黙。  それに続く音は、ない。  ……もう少し、時間が過ぎた。  まだ、何もない。  ……さらに、沈黙が流れた。  どうやら決着は着いたようだ。  何だ、いつものケンカか。  ですな。  住人達は互いの窓に視線を送ってそういう会話を始める。間を置かず、夜の闇に消えた 数名も戻ってきた。 「どうでした? 山田さん。やっぱりケンカでしたか」 「ええ。道路に大きな穴が空いてましたよ。明日にでも市役所に電話しといて下さいよ」 「分かりました。それじゃ、お休みなさい」  結論に達すると、次々と窓を閉め、カーテンを引いて電気を消していく。山田と呼ばれ た男も何事もなかったように二階の自分の部屋へ跳躍し、そのまま部屋の中に入ってし まった。  大怪獣の襲来ならともかく、能力者同士のいさかい程度などこの辺では珍しくも何とも ない。今回の一連の態度も事件に関心がないわけではなく、過剰に反応するほどの事です らないというだけである。  後は市役所に電話をして、穴の空いた道路を補修して貰えばおしまいだ。  そして住人達の予想通り、それっきり音は途絶えた。  いつもと変わらぬ……いや、いつもより静かな夜は、穏やかに過ぎていく……。 [5/16 AM 0:25 帝都外縁北 住宅街]  時は僅かに遡る。 「いつもさん。こっちでいいのね?」  新車となった軽自動車の中で傍らにちょこんと腰掛けている娘に話しかけたのは、和装 の美しい女性だった。  霙である。 「……そう」  対するのは、意外にもいつも。  霙自身、何故こんな真夜中に自動車を運転しているのかはよく分かっていなかった。い きなり自宅に押し掛けてきたいつもの剣幕に流されるまま、ここでハンドルを握っている。  そういえば自宅は遙香にすら教えていなかったな……とも思ったが、まあ何せ超能力者 の彼女がやることだ。少々は目をつぶることにしておく。 「この子も、そう言ってるから……」  少女の膝の上でにゃんと鳴く白毛の子猫が『言っている』というのも、以下同文。 「……そうですか」 「少し、急いだ方がいいかも」  どちらにせよ、先日の戦いの中ですら眉一つ動かさなかったいつもが『急いで』と言っ ているのだ。目的地の状況も並大抵の事ではないのだろう。 「そうですね。いつもさんも行きます?」  だが、この期に及んでいつもは首を横に振った。  超能力者であっても、彼女に直接の戦闘能力は全くない。東条の戦闘学生集団である攻 科に比べればはるかに戦闘能力の落ちる普通科の中であっても、最弱の部類に入るだろう。 「ううん。私はもう……帰るから……。やる事も、あるし……。後は……雅人さんと、よ ろしく」  そう言ったときには、既にこの場にはいない。  『テレポート』である。昨日大きな物を動かしたから、しばらくは自分程度を動かすの が精一杯なのだという。だから霙の力を貸して欲しかったらしいが……。 「……雅人さん?」  そう呟いた次の瞬間。  隣を併走していたベスパが鋭いクラクションを叩き付けてきた。 「霙さん!」 「あら」  件の探偵、御角雅人である。夕方に今霙の乗っている新車を持ってきたのが彼だったか ら、霙を見つける事が出来たのだろう。 「何か、音印君がどうとかって変な電話がかかって呼びつけられたんですが……霙さんも ですか!?」 「ええ。少し、急いだ方がいいみたい」  その言葉に了解の意を示すと、雅人はエンジン音一つ。霙より僅かに早く、さらなる加 速を開始した。 [5/16 AM 0:31 帝都外縁北 住宅街] 「しばらくほとぼりを冷まそうと思ってたってのに……もう来やがったか……くそっ」  穿たれたアスファルトに身体をめり込ませたまま、少年は悔しそうにそう呟いた。衝撃 を食らったときに切りでもしたのか、口元からは血が流れている。  軋む身体に無理矢理気を入れて起きあがり、流れる血を汚れた袖で拭う。  正直言ってダメージは大きい。全身の動作も微妙に怪しかった。が、無理をすれば戦え ないほどではない。もちろん、逃げ切ることも出来るだろう。  確率で言えば、2割程度のものだったが。 「貴方、我々を甘く見すぎですよ」  対する声は、街灯の光届かぬ影の中から。  この街の闇は、闇と言うにはあまりに薄い。  なるほど、真の闇に住まう彼等なら、影に隠れた少年を見つけることなど造作もないだ ろう。 「……それから、これは返して頂きますよ」  少年の飛び去った穴にゆっくりと手を伸ばし、落ちていた物を優雅に拾い上げる、影。 「くそ、絶闘が……」  暗がりから姿を見せた相手は意外にも少年と同じくらいだった。一枚のディスクを拾い 上げたその理知的な容貌に、少年はぽつりと呟きかけ…… 「いや、お前、見た事があるぞ。確か……」 「僕の名は、もうしばらく忘れていてもらえるとありがたいのですが?」  絶闘と呼ばれた男は片手を振り上げ、少年に向けて振り下ろす。ちょうど、雛子達がや るのと同じような衝撃波の動きだ。  違うのは、その威力が衝撃波などの比ではない、という一点に尽きる。  衝撃波のような線の打撃ではない。一線に断ち切る刃の斬撃ではなく、より広い範囲を 無理矢理に押し潰しねじ曲げる、凄まじく巨大な棍棒のごとき重打撃。 「ンな打撃なんざ、まともに相手出来るかよ!」  力の源は重力か圧力か。  アスファルトが圧倒の力で削り取られていく轟音の中、まさに一髪の隙で避けた少年は 悲鳴に近い声を上げた。炎や衝撃波なら紙一重で避ければ問題ないが、この系統の打撃は コートの裾がかすっただけでも命に関わる。かすった所からそのまま打撃の射程内に引き ずり込まれ、破壊の奔流の中に放り込まれてしまうからだ。  水中の渦潮のようなものを想像すればよいか。 「既にディスクは頂いていますからね。もう手加減はありませんよ」  手加減の直撃を受けてこのザマだ。  たぶん、本気の一撃を食らえば無事では済むまい。  影の右腕が三度繰り出され……全てを打ち砕く回避至難の破壊の渦が、少年の全身を 粉々に打ち砕く!  空中を渦巻く力の奔流だ。少年の絶叫すら渦動の内側に巻き込まれ押し潰されていく中、 破壊は全くの無音。  ……いや、原型は留めていた。  ぼろ切れのようになった人型が、どさりとアスファルトの上に崩れ落ちる。 「……おや、命拾いしたようですね」  夏も間近だというのに辺りに漂い始めた冷気に僅かに眉をひそめ、影はぽつり。自らの 力を凌駕しうる冷気に気を取られ、本来の半分ほどの力しか繰り出せなかったのだ。  まだまだ自分も甘いですね……と苦笑し、右腕から展開した『力』を収める。 「まあ、ディスクは頂きましたし、ザッパーも……他の方が何とかしてくれたようですし ね。僕はこれで失礼しますよ」  近寄ってくるいくつかの気配を感じ、影は再び大都会の暗がりの中へと姿を消した。 「く……そ……っ……」  後に残された少年はゆっくりと身を起こしかけ……  ぼきり  右腕の骨が限界を超えた負荷に砕け、支えをなくした身体は再びアスファルトにくずお れる。 「……少し、遅かったようですね。立てますか?」  少年にそんな穏やかな声が掛けられたのは、それから30秒も過ぎた後のこと。 「死ぬ……かよ……『コイツ』を……春……か……に……」  知り合いに出会えた安堵からか。少年の意識は台詞を最後まで口にすることなく、闇の 底へと沈んでいった。
< Before Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai