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[5/15 PM 0:07 帝都外縁南 某所]
 最初に気付いたのは、雛子だった。
「ね、遙香。あのコートって、何だろ?」
 臨時の制御者に任命されはしたが、エイムの話では「ただ座っていればいい」だけらし
いので、やる事がない。いつもや後から追いついてきた霙とはあまり面識がないし、エイ
ムは起動準備で忙しそうだ。必然的に雛子の話し相手は遙香となってくる。
「?」
 音印のテントと『玖式』を囲む森。確かに、指さされた木の枝にはボロボロのコートが
ぶら下がっている。
 ネインのいつも着ているコートではないようだし、人が着ていたにしては破れがひどい。
「? ねえ、霙さん。あれ、何だろうね?」
 覚えのない霙も、同じように首を傾げる。
 その時だった。
「……来る」
 いつもの呟きを聞き、その変化をその場にいた誰もが目にした。
 木の枝に引っかかったボロボロのコートが歪み、内に秘められた影が次第に形を成して
いく様を。影はやや大柄な人型を得、どこからともなく黒い帽子を取り出すと、目深に被
る。
 樹上から舞い降りた影の上げた貌にあるのは、黒いサングラスだ。
「あいつ!」
 『そいつ』には全員に心当たりがあった。
 ネインを襲った衝撃波の使い手。
 霙が作った神社の下にある氷像の群れ。
 そして、玖式を狙った黒コートの男。
 全てが同じ姿であり、また別の存在。
「まだいたの……懲りない」
「ありゃ、『ザッパー』の分身かぁ……。さっき穿九郎さん、倒しきってなかったんだね」
 と、唯一『そいつ』に直接の面識のないヤツがふらっと姿を現した。
「エイム! 出撃準備は出来たの?」
 エイム・Cである。
「ん、ばっちり。完璧だよ」
「じゃ、行って」
 自信たっぷりに言うエイムに、いつもはぽつりと呟いた。
「行って、って……まず、この土をどかさないとなんないでしょ」
 黒コートの男を見据えたまま反論する雛子。
 もっともな意見だろう。完全に土に埋まっている『玖式』を動かそうと言うのだ。内側
から自力で出るにしても、あっさり『行く』というわけにもいかない。
「大丈夫。私が何とかするから」
 だが、いつもは普段通り淡々と。
「何とかって……。それに、この中じゃあたしだけだよ!」
 雛子が知る限り、この場の『能力者』は雛子一人だけ。逆を言えば、衝撃波を操る怪人
と対峙できる力を持っているのは雛子一人でしかない。その雛子がいなくなればどうなる
か。そんな事は、誰でも予想の付くことだ。
 まあ、仮にいつもと霙の正体を知っていたとしても、雛子という少女は敵の矢面に立っ
ただろうけれど。
「時間がないんでしょ? それに、ここも大丈夫」
 ちらりと霙の方を見、いつもは返す。
「ええ。大丈夫」
 頷く、霙。
「霙さんまで……」
「……分かった」
「遙香!?」
 それに決断を下したのは、今まで沈黙を守っていた伊月遙香だった。
「雛先輩。二人とも大丈夫って言ってるんだからさ。たぶん、大丈夫なんだよ」
 大丈夫。その言葉に根拠はないはずだ。
「……」
 根拠のない言葉を相手に、陰鬱な沈黙が流れる。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
「……そうね」
 沈黙が、破れた。破ったのは……緒方雛子だ。
「それじゃ、後は頼んだわよ!」
 考えさえまとまれば行動は速い。霙といつもに簡潔な声を掛け、遙香を抱えて玖式のコッ
クピットに飛び込む。もともと一人乗りらしい操縦席は狭かったが、少女二人くらいなら
何とかなりそうだ。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
 いつもがそう言った次の瞬間。
 エイム、雛子、遙香の乗った『玖式』は、一瞬のうちにその場から掻き消えたではない
か。
「まあ……」
「それじゃ、後はよろしく。『この世ならぬ存在』の、お姉さん」
 落ち着いた彼女にしては珍しく呆然とする霙に短く声をかけると、力を使い果たしたら
しいいつもは、その場に力無く腰を下ろした。


[5/15 PM 0:09 帝都外縁北 上空]
 二人には、状況が全く理解できていなかった。
 無理もないだろう。土の中からどうやって出ようかと考えた次の瞬間、帝都上空数千m
の所にいたのだから。普通の感覚の持ち主であれば、当然の状況といえる。
 もちろん、動力もロクに通っていない上に飛行能力を持っていない『玖式』では、ニュー
トンの万有引力の法則に従うしかないわけで。
「な、何よ、これっ!」
 フリーフォール並の落下に微妙に状況を把握した雛子が、悲鳴を上げながらエイムにそ
う叫んだ。非常識な力を有する能力者だけあって、異常な状況に対応する能力が一般人の
遙香よりも高いらしい。
「まあ、慌てないでよ。ただテレポートしただけじゃない」
「テレ……! これ、そんな機能がついてたの!?」
「そんな機能ついてるわけないじゃん。あのちっちゃいお姉ちゃんの力だよ」
「いつも!? ……ていうか落ちてるじゃない!」
 ようやっと現実を取り戻して悲鳴を上げまくる雛子を無視して「土から出るより楽だっ
たじゃん」とか何とかぶちぶちと呟きながら、エイムはどこからともなく小さなボールを
取り出した。見る間にそれは両手で抱えるほどに大きくなり、エイムはそれを抱えてオペ
レートを開始する。
「Gディスク『紫』接続確認。SRドライブ、フェイズ1で起動完了。サテライト・オペ
レートに接続確認。システムコール『砲王』!」
「エイム。落ちてるけど、大丈夫なの?」
 と、ここでようやく遙香が復帰してきた。絶叫系には強いのか、完全に状況を把握しきっ
てないのが逆に安定を呼んだのか、雛子ほどに取り乱してはいない。
「大丈夫だよ。翼を『呼んだ』から」
「翼!?」
 画面隅にあるオペレート画面を見れば、そこにあるのは巨大な鋼鉄の翼『砲王』を背に
まとった『玖式』の姿。これがエイムの言う『翼』の姿なのだろう。
「専用衛星だから、すぐ来ると思うけど……。プロテクトがあると、ちょっと時間がかか
るかも」
「衛星ぇ???」
 ようやっと意識を取り戻した遙香は当然として、雛子にも状況やら何やらが全く理解で
きない。専用衛星と言われても、どう反応して良いものやら……なのだ。
「あー。ごめん。あと1時間くらいかかる」
「完璧に落ちた後じゃない!」
「大丈夫だよ。5000m落ちたくらいじゃ、玖式も二人もダメージなんて受けないから」
 幸いにもテレポートでとばされた先は、ネインのいるあたりの真上らしい。少なくとも
突拍子もない所に落下する心配は、ない。それだけでエイム的にはノープロブレムなカン
ジだ。
「大丈夫ならいいってもんじゃ……きゃぁぁ!」
 もしかして私ってとんでもない選択肢を選んじゃったんだろうか……という雛子の一抹
の後悔を残し。
 飛行能力を得ないまま、『玖式』は一路、帝都外縁北を目指して5000mのフリー
フォールを開始した。


[5/15 PM 0:10 帝都外縁北 住宅街]
 傾斜のある屋根の上を2度、3度。軽いステップで体勢を整えると手にしていたスポー
ツドリンク……ちゃんと自動販売機で買ったものだ……を捨て、ネインは4件向こうの雑
居ビルにある影を静かに見据えた。
「ちっ……」
 黒いコートの影。衝撃波を放ち、ネインに突然の襲撃を仕掛けた謎の男。
「前の時より進化してやがる……」
 短く呟き、跳躍。
 ほんの半瞬後にはネインのいたトタン屋根は衝撃波によって粉々に打ち砕かれている。
「『ザッパー』?」
 着地と同時、眉をひそめる。
 覚えのない名前と、記憶。頭をよぎったためつい口にしてみたものの、それがどんな、
何を指す名なのかは思い出せない。
 頭を切り換え、また跳躍。無尽蔵に放たれる衝撃波の前では、一瞬の迷いすらも命取り
になる。
 衝撃波と共に突進してきた相手をギリギリでかわし、相手の背を蹴ってさらに跳躍。
「また、逃げるのデスか?」
「!?」
 ネインの動きが、止まった。
 それは沈黙を守っていた相手が口を開いた故か。
 それとも、
 相手を知っていたが故か。
「嘘……入れ替わる暇なんて、なかったハズだぜ」
 着地と同時、相手を見据たネインは呆然と呟く。
 黒コートの太めと思えた体が、今では幽鬼のごとき細さを得ていることに。
 手入れされていない前髪の下に光る眼が、単なる破壊の色ではなく、憎悪と言ってもい
い色に染まっていることに。
 先程と同じ黒コートでありながら、
 まるきりの別人だった。
「それとも、もう一人くらいどこかに?」
 能力は一人に一つ。その原則に従えば、先程から無数の衝撃波を放ち続けた黒コートが
姿形を変えたりする事はありえない。
 考えられるのは、近くに他人を変形させる力を持つ能力者が潜んでいるという事だけ。
 だが、そのネインの言葉はあっさりと否定された。
「まさか」
 温度のない嘲笑。
 それが、さらなる確信をネインに叩き付けてくる。
「そうか……」
 ぼそり、呟く。
「ほぅ。ようやく分かったようですね。ネイン・ムラサメ」
「ああ。大体な……」
 半分は本当で、半分は嘘だ。目の前の相手が何者かは初めから記憶の奥にあったし、そ
れ以外のことはほとんど思い出せていない。
 だが、目の前の相手の本質と、記憶の底の相手がどうなったのかは……分かる。
「あんた、ザッパーに取り込まれたな」
 返事はない。返事の代わり、眼前の青年は口の端をわずかに歪ませる。表情を滅多に見
せない彼流の『笑み』だ。
「アンタほどの男がどうして! 答えろ! シグマ・ウィンチェスター!」


[5/15 PM 0:11 帝都外縁北 住宅街]
「あんた、3年前は台場の傭兵だったじゃねえか。何で今更、俺を狙う……」
 そう。3年前の中東。ネインとシグマは同じ組織に属する傭兵として、ある作戦に身を
投じたのだ。
 一緒に行動していた二人だったが最後にはそれぞれの目的を果たすために分かれ、ネイ
ンの方は目的を(偶然ながら)果たすことが出来た。それ以降は一度も会っていない。シ
グマの当時の目的が達成できたのか知ることもないまま、現在に至るわけだが……。
「?」
 返事はない。
「ゼロ……そしてナイン。アナタ達は、どうしてそう、平和にしているのです」
 返事の代わり、シグマはぽつりと呟く。
「は? ……何で俺なんだよ」
 ハルキに関しては分からないでもない。シグマの父親のミューアは、ハルキを救うため
に命を落としたと、ハルキに聞いたことがあったからだ。
 もしミューアがハルキを助けていなければ、シグマの運命も今とは全く違ったものに
なっていたはず……。その程度の予測はネインにも十分つく。
「父の……そしてワタシの敵であるゼロを許す気はありまセン。けれど、3年前に会った
とき、ワタシとアナタは同じだと思いました」
 かたや、実験途中で廃棄された失敗作。かたや、存在意義を実験途中でなくし、用済み
となった兵器。
 同じ、組織から捨てられた存在。
 そう思ったのだ。
「でも、アナタは、どうしてそう平和に……」
 シグマの咆吼が響く。冷徹な戦士の激昂に応じるかのように振るわれたシグマの右腕が
異様な変形を起こし、剣状の物体へと姿を変える。
 衝撃波、変身、武器変化を起こした腕。三つ目に数えられる能力だが、既にネインは驚
かなかった。人間でない存在が人間にあらざる能力を使おうと、驚くことではない。
「だからザッパーに協力したっていうのか! アンタだって全然平和じゃなかった、って
事はないだろ!?」
 剣を突きつけられてなお表情を変えぬネインの言葉に、シグマは一瞬言葉を詰まらせる。
「黙りなサイ!」
 と、その時だ。
 彼等のほんのすぐそばで、巨大なエネルギーが炸裂したのは。シグマの怒りを代弁する
かのような、強力な炸裂。
「……今度は砲撃かよ!」
 先ほど電気屋の前を逃げていた時にちらりと見た沿岸の戦車隊を思い出し、叫ぶ。そい
つらの撃った戦車砲弾がこちらまで流れ弾として飛んできたのかと思ったのだ。
 もちろん違う。
 質量数十トン、数百トンに及ぼうとする巨大な砲弾など、この世にあるものか。
「ネイン・ムラサメ! ワタシはアナタを許さない!」
 だが、見よ。巻き上げられ、迫り来るエネルギーの奔流の中、迫り来る鬼神の姿を。岩
塊をかわし、捲りあがるアスファルトを切り伏せ、ネインに迫るシグマの姿を!
「しつこい!」
 エネルギーの嵐に巻かれつつもそれを認めるネインもさる者。しかし、衝撃の余波に吹
き飛ばされずにいるのが精一杯の今、跳んで逃げる事も叶わぬ。天才的な対人戦闘能力を
誇るシグマの攻撃を逃れる術は彼にはもうない。
 迫る異形の刃!
 そして、彼は知ることになる。
 天空より斜めに叩き付けられ、衝撃の余波をまとって迫り来る砲弾の正体を。
 彼の『力』を! 
 道路や住宅を蹴散らして迫る衝撃波の中心より伸びいでた巨大な右手がシグマとネイン
を遮り、シグマをしっかりと掴み取った。同様に二本目の腕……左手がネインを、こちら
は柔らかにすくい上げる。
「音印先輩!」
 聞こえる声は、もちろん少女の声だ。
「遥香……お前、逃げろつったろうが! そんなモンまで持ち出しやがって!」
 ゆっくりと操縦席のある胸元までたどり着いた腕の中、ネインが叫ぶ。
「助けられてその言いぐさはないんじゃない? アンタ、早く乗んなさいよ!」
「緒方……てめえまで……。制御はエイムか!」
「あったり〜」
 目的を果たしたからかやはり巨大な足でブレーキをかけて大地への侵攻を止め、悠然と
立ち上がる。ようやく収まりつつある破壊の波を右腕の一閃で吹き散らすは、今し方帝都
の上空5000mに忽然と姿を現した鋼鉄の巨神。
 『玖式』
 それが、巨神の名。
「ったく、誰がこんな無茶を……」
「……ごめんなさい」
 コックピットの中から現れたのは予想通り。目を伏せたままぽつりと呟く遥香と、敵意
のこもった視線を叩き付ける雛子の二人だ。二人の様にぼりぼりと頭を掻くと、ネインは
小さく呟いた。
「…………助かった」
「……はい!」
 顔を上げた遥香に雛子は満足げな笑みを浮かべると、
「じゃ、あたしらは逃げるから。後はよろしく」
「おう」
 遥香を背負い、思い切り跳躍。そのまま屋根の上を走り去っていく。今度は戻ってくる
ことはないだろう。
「さて、と。エイム」
「ん〜?」
 のんびりとそう呟いた瞬間、『玖式』の右手が轟音と共に破裂。それと同時にその内側
より、既に異形とも呼べぬ、巨大な怪物の姿が現れる。
 8つの首を持つ巨大な大蛇が東京湾で穿九郎や鋼が戦っている巨大生物とほぼ同型と気
づいた者は、ここにはまだいない。
「シグマめ……ザッパーに完全に取り込まれやがったか……」
 少しだけ寂しそうにぽつりと呟き、隣でこちらをのぞき込んでいる小さな少女に声をか
ける。
「こいつ、どうやって倒そうかね? 強襲装兵ならともかく、俺、こいつの動かし方、知
らんのだがよ……」
「あちゃぁ。まだ記憶が戻ってないのかぁ」
 エイムの制御で後退する『玖式』を8対の赤い瞳でにらみつけるシグマ……否、『ザッ
パー』に、電子の少女は苦笑を浮かべるのみだった。
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