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[5/15 AM11:42 帝都外縁南区 東条学園 地下某所]
 闇の中。ただ一つ緑の光を放つディスプレイに映されているのは、太平洋の一部を拡大
した地図だった。隅の方には帝都の沿岸の地形が大雑把なラインで描かれており、画面の
反対側からは白く太い曲線が一本、帝都に向けて伸びている。
「自衛隊の戦力ではどうにもならないでしょうね。校長」
 点滅しているポイント、自衛隊の防衛ラインを一瞥し、女の声。
 部屋……いや、そう呼べるほどの広さはない。淡いディスプレイに照らされた空間は、
ディスプレイを見ている女が両手を伸ばせば一杯になってしまうほど。老爺の声は通信機
の向こうから響いているのである。
「強襲装兵、メガ・ダイバー、そして戦車などの在来戦力。『守護神』に常識兵器が通用
しないのは、十年前に予言され、三年前の学園都市で実証されていた事だ。だから我々は
黒逸ハルキや村雨音印に協力し、これを造り上げた……」
「はい……。調整に時間がかかってしまいましたが」
 女性の言葉に、老人もうむ、と頷く。
「本来なら爆炎や玖式が使えれば良いのだろうが……。爆炎は行方不明。玖式とて、ナイ
ンがあの状態ではな。我々ではこの時雨を動かすのが精一杯か……」
 次の瞬間、ディスプレイの一部が拡大され、帝都の詳細な地形が描き出された。しばら
くすると白いラインが港湾エリアを抜け、現在地である外縁南にまで延びてくる。
 相手の経路は予測可能だ。予想される『敵』が何を目的にしているか。黒逸ハルキがこ
の帝都を訪れた9年前から、それだけははっきりとしていた。
「ともかく、塩川君は時雨で自衛隊の援護に向かってくれたまえ。穿九郎君も帝都入りし
たようだから、すぐに大穿神も来てくれるだろう」
「穿九郎……巌守教授のお孫さんでしたね。了解しました」
 鋼の返事と同時に次々と光が灯っていく。調整中を示すレッドシグナルが次々にグリー
ンに切り替わっていき、狭い空間の中はすぐに緑色の光に包まれる。
「Gディスク『橙』接続完了。SRドライブ、フェイズ3での起動を確認。出力安定……」
 低い駆動音と共に、機体が微細な振動を始める。ただの鋼鉄の塊が仮初めの魂を与えら
れ、『巨大兵器』としてこの世界に降臨する瞬間だ。
「蘭先輩……方向性こそ違ってしまいましたが、私達の研究の成果……見ていて下さい」
 自らの歩く道を決めた頃に先輩と慕った女性の名を呟き、塩川鋼はレバーを握りしめた。
「塩川鋼、真超弩攻『時雨』、出撃準備完了。カタパルト、射出願います!」


[5/15 AM 11:45 帝都外縁南 某住宅地]
『あ! 今、水際に展開していた強襲装兵の最後の一体が後退を始めました。軍事評論家
の神林さん……』
 相変わらず怪獣関連のニュースが流しっぱなしになっているラジオのボリュームを絞り、
霙は車を止めた。
「遙香さん達、ここでいいの? 東条じゃなくって……」
 ここは東条学園から少し離れた住宅街である。ここから東条に行くには、自転車を全力
でこいだとしても、まだ10分程度の時間がかかってしまう。
「うん。別に、学校に用事があるわけじゃないから」
「……そう。でも、ここは……」
 珍しく言い出しにくそうにしている霙に、遙香は不思議そうに問う。
「どうしたの?」
「ううん。何でもないわ。気のせいだと思う」
 近くから悪い気配、それも、並ではないものを感じたのだ。だが、今は巨大生物なる怪
獣が帝都に襲来している時。周囲の気も相当に乱れ、何が強く、何が弱いのかがよく分か
らなくなっている。
「それじゃ、自転車はお店に置いておくから。明日にでも取りに来なさいね」
 勘違いかも知れないし、何より二人の少女に余計な不安を与える事もあるまい。そう思
い、霙はさりげなく話題を変えた。
「ありがと。霙さんも何か用事あったんでしょ? ごめんね……」
「私もこの近所みたいだから、大丈夫よ。ちゃんと避難したかどうか、見てくるだけだし」
 くすりと笑う霙に、遙香も安堵の表情を浮かべる。そして、雛子と一緒にもう一回「あ
りがとう」と言うと、すぐ前にあった石畳の道を元気良く走り去っていった。
「さて、と。雅人さんの言っていたのは……」
 遙香を見送った後、天井の可動式日よけに挟んであったメモを取り出すと、霙はそこに
丁寧な文字で書き記してあった名前を読み上げる。
「村雨音印君に、大貞神社……あら?」
 そこで、彼女は二つの事に気が付いた。
 一つは目的の場所が遙香達の向かった所であること。そしてもう一つは……僅かに距離
を取り、彼女の車を取り囲むように立つ、数人の男達のこと。
「何の……ご用かしら?」
 神社の方から漂ってくるものと寸分違わぬ、黒い気配を持つ男達。
 揃いの黒コートまとった彼等は、霙の問いかけに返答を返すことはなかった。
 返事の代わりに、
 鋭い衝撃波を叩き付けたのだ!
 炸裂!
『あっと、今、海面に巨大な人型ロボットが着水しました。これは……超弩攻です! 日
本の誇る最終兵器が今、出撃……』
 怪獣関連のニュースを流しっぱなしになっていたカーラジオは、あわれ最後までその放
送を続けることが出来なかった。
「まあ、乱暴な……。まだローンも残ってますのに」
 明後日の方向から響いた声に黒服が振り向けば、そこにいるのは自動車の中にいたはず
の、そして先程の衝撃波で吹き飛ばしたはずの女……霙。
 だが、霙は何事もなかったかのように路地の真ん中に佇むのみ。かすかに吹く涼風に細
い身体と長い黒髪をまかせ、表情一つ変えぬ。いつものままだ。
 再びの衝撃波。
 直撃!
「……無駄ですわ」
 霙の声は、やはり明後日の方向より。今度は反対側の路地にその美しい着物姿を示して
いる。やはり、表情は変わらない。
 身にまとう涼風も、いつものまま。
 またもや腕を振り上げる男達。
「仏の顔も三度まで、という諺をご存じかしら?」
 霙としてはやや大きめに言ったつもりだったが、男達に聞こえた様子はない。
 三度、衝撃波。
「同族のようだし、人の魂も喰らっているようでしたから、少しはご存じかと思いました
のに……無駄でしたわね」
 霙はそう言うと柳眉を困ったように寄せ、右腕を軽く振った。振る方向は男達のような
上下ではなく、左右に薙ぐかたち。
 ただ、それだけだった。
「あなた方のような方がいるから、『私達』も公に出る事が出来ないのですね……」
 まあ、『本体』に言わなければ意味がないか、とまでは続けず、霙は何事もなかったよ
うに神社の階段に向かって歩き始める。衝撃波の第4波を気にした様子もない。背後どこ
ろか、正面からでも隙だらけだ。
 だが、衝撃波の第4波が来ることはないだろう。
 永遠に。
 霙が右腕を薙いだほんの刹那、雅な涼風が氷刃を孕む烈風に変わり、周囲を洗い尽くし
たのだ。その洗礼を受けた黒コートの男達は衝撃波ごと氷の彫像と化しており、もう二度
と動く事などないのだから……。


[5/15 AM 11:48 帝都外縁南 某所]
 ようやく目的地にたどり着いた二人に掛けられたのは、静かな女の子の声。
「遅かったのね」
「結城さん! 何でここに?」
 結城いつも。東条学園壱年参組……要するに、遙香のクラスメイトだ。席が近いことも
あり、仲も結構いいのだが……その事と彼女がここにいることは、何のつながりもない。
「いいじゃない、そんな事。それより、やる事があって来たんでしょう?」
 遙香はもちろん、音印の秘密をいつもに話してはいない。しかし、情報の入手経路は何
も音印本人からだけ、というわけでもないわけで。
「あたし、このコとは初対面よ」
 ちらりと雛子の方に視線を遣ると、即答。雛子経由の知り合いかとも思ったが、それも
どうやら違うらしい。
「ま、まあ、いいわ。とにかくこのコを音印先輩に届けないと……」
 そう。これが、遙香のやろうと思っていたことだった。
 巨大兵器『玖式』を主である音印に届ける事。この玖式がどんな力を持っているのかは
分からないが、少なくともあの衝撃波を操る怪人相手に力になることだけは間違いない…
…はずだ。
「動くの?」
 だが、その決意はいつもの一言で凍り付いた。
「え?」
「動くの? こんな埋まってるのが」
 玖式の周りの土は偽装用に載せてある、という雰囲気ではない。少なくとも、年単位で
積もり、固まった様子がある。
 いかな巨大兵器とはいえ、数トンの土塊を相手にそう簡単に立ち上がれるとも思えない。
「う、動かすのよ! 努力と根性で」
 わずかにどもり気味の雛子の言葉も、妙に説得力のあるいつもの言葉にはいつものよう
な無意味な説得力がない。
「努力と根性……ねぇ」
「エイムちゃん!」
 そこにどこからともなく現れたのは、エイムだった。長く外国にいた音印の妹、のよう
な人らしい。妙に自信たっぷりな様子で遙香と雛子の側に歩み寄ると、人の悪そうな笑み
を浮かべる。
「何よ。努力と根性のどこが悪いっての?」
「べっつにー。っていうか、SRドライブの本質をよく分かってるな、と思ってね」
 不思議そうな表情を浮かべている雛子を尻目にエイムはくるりと半回転し、『玖式』に
向かって大声で語りかけた。
「『玖式』、AMCの自動管制により全システム起動。Gディスク『紫』をフェイズ0から
1に移行。なお、伊月遙香と緒方雛子を『玖式』臨時制御者として承認する!」
「はぁ!?」
 『制御者』という聞き慣れない、そして色々な意味でよく知っている単語に、遙香はお
ろか、さすがの雛子も凍り付いた。
 ぎぎぃっと首を動かし、無邪気にニコニコしているエイムの方を見る。
「てなわけで、頑張って『玖式』動かしてね。努力と根性で」


[5/15 PM 0:02 帝都港湾部 海上]
「くっ……」
 2、3歩たたらを踏み、時雨は再び構えを取り直した。
 しぎゃぁぁぁぁぁぁっ!
 対するは、『ザッパー』のコードネームを持つ巨大怪獣。8つの首を持つ、神話に出て
くる八俣之大蛇に似た巨大生物だ。
 数合を経て互いの間合は分かっている。時雨の鋼は戦闘の勘と知性。『ザッパー』は野
生の本能で間合を計り、構えたまま。
 ジリジリと、時間だけが過ぎる。
 そして、均衡を破ったのはどちらでもなかった。
「! 後退したんじゃなかったの!?」
 後退したはずの戦車隊の砲撃。冷静に考えれば、少々の移動など戦車の射程距離には何
の影響もないと分かっていたはずなのに。
 通用しないと分かっているはずの攻撃が、山なりの弾道を描いて巨大生物に降りそそ
ぐ!
 この場合、砲撃の正確さだけは誉めるべきだったろう。時雨に当たった砲撃は一発もな
い。
 もちろん、どちらに当たったとしても、効果はなかったのだが。
 しぎゃぁぁぁぁぁぁっ!
 均衡の崩れた今、『ザッパー』としても時雨を攻撃しない理由はない。50mに及ばん
とする巨体と力に任せ、猛然と突撃を仕掛ける。いかに時雨が超兵器であろうとも、20
m強の機体では『ザッパー』の超重量を押さえきることなど出来ようもない。
「甘い!」
 だが、鋼は襲いかかってきた『ザッパー』をすんでの所でかわさ……なかった。
 だからといって、正面から受け止める事もない。
 触れたのは、僅かに指先のみ。
 それで十分だった。
 ……どがぁっ!
 巨大な水柱が、港に立ち上がる。
 時雨の指先が触れた瞬間、『ザッパー』の巨体が宙に舞ったのだ。宙を舞った巨体は重
力の法則に従い、海面に容赦なく叩き付けられる。自重による衝撃と海面にぶつかる時の
落下衝撃は、そうとうなダメージのはずだ。
 これが、超弩攻『時雨』の力。
 相手の力を利用し、触れただけで相手を投げ飛ばす合気柔術の奥義と、鋼の『能力』、
そして時雨の三つが揃った最強の力。その力の前では、最凶兵器『ザッパー』といえど、
抗うことは許されない。
「ここから先は通さないわよ……」
 絶対の力を以て、時雨は『ザッパー』を押さえる。
 だが。
 完全なる絶対は、この世に有らざるもの。
「この時雨じゃ……あと2回が限界かしらね」
 もともと時雨は東条財閥によって開発された実験・研究色の強い機体であり、他の超弩
攻のような完全な戦闘用ではない。女性型の細いラインを取っていることもあり、フレー
ムや関節も極端に高い強度を誇るわけではなかった。
 それに加えてこの海上戦。時雨の命である足捌きをいつも通りに行うためには、陸上戦
以上に負荷がかかってしまう。
 限界は近い。
 その時!
「2度も必要ない」
 構えを取ったままの時雨の肩より響く声!
 身の数倍に値する巨大生物と激戦繰り広げる時雨の肩に、いつの間に舞い降りたのか。
漆黒の白衣を身に纏う、青年科学者の姿がそこにある。
「……何とか間に合ったわね。巌守穿九郎!」
 青年。
 名を、巌守穿九郎。
「少々、寄り道をしていてな。だが、後は任せてもらおう」
「ええ。よろしく」
 しぎゃぁぁぁぁぁぁっ!
 ようやく体制を立て直し、新たな敵意を感じて戦意をむき出しにする『ザッパー』に視
線一撃。
 16の複眼と2つの視線が絡み合い、爆ぜる。
 攻めるのはザッパーが先手!
 しかし、穿九郎はその圧倒的な突撃にも不敵な笑みを保ったまま。
 そして叫ぶ!
「大穿神!!」
 穿九郎の第一手は後の先!
 海中に潜んでいた巨大海底軍艦『大穿神』が突如浮上。その莫大な出力に任せ、『ザッ
パー』の突撃を横からねじ伏せたのだ。
 しぎゃぁぁぁぁぁぁっ!
 暴れる巨大獣と巨大戦艦の巻き起こす大波と波濤に隠され、戦況はどうなっているか見
当も付かない。分かっているのは、大穿神の制御を司る穿九郎と、『ザッパー』当人のみ。
「次はこちらの番よ。大穿神! Gディスク『藍』、フェイズ2より3へ。装甲外殻、急
速展開せよ!」
 しぎゃぁぁぁぁぁぁっ!
 ぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……!!!
 天を貫く絶叫と、海原を振るわす咆吼と。その2つを開幕のベルとし、波濤の天幕が左
右に割れる。
「な…………。これが、『大穿神』!?」
「そう。これが、我が『大穿神』」
 中から現れたのは。
 50mもの巨大生物と互角の力比べを演じる、全高30mの雄々しき巨大ロボットの姿
だった。
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