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[5/15 AM 10:43 駿河湾内某所 海上]
 富士山を望む駿河湾、沖合。
 そこに一機の飛行艇が舞い降りた。
 パイロットを含めて4人も乗ってしまえば一杯になる小さな機体の乗員は、今の所二人。
「やれやれ……ミス・ウィアナも人使いが荒い。日本に帰ってくるなり、これだもんな…
…」
 その内の一人である男は、ファイルに挟まれた地図を見ながらそう呟いた。狭い機内で
は地図を広げるスペースもないから、必要な部分だけコピーしてファイリングしてあるの
だ。
 地図は普通の地図。機密を守るため、マーカーなどは書き込みは一切描かれていない。
目的の場所の名前と位置は、パイロットと彼の頭の中だけに記録されていた。
 対するパイロットの方は全くの無言。ただ淡々と目的を遂行するためだけに、操縦桿を
握っている。
「それにしても、こんな所に研究所があるとはね……」
 苦笑した男は腰のケースから取り出した携帯の液晶を覗いてアンテナ数を確認すると、
番号を押しはじめた。海上での携帯電話の使用は禁止されているはずなのだが、守る気は
あまりないようだ。
「ハルキさんはいなかったけど、霙さんはいた……。さて、次はどうかな」
 幸いにも、電話は3コールで繋がった。
『巌守だ』
「もしもし。私、御角雅人と申します。ウィアナ……」
『WPの輩とつるむつもりはない。帰れ』
 出てきた相手は男。声の調子から雅人と同世代くらいに聞こえるが、にべもない。
 がちゃん。
 速攻で切られるが、雅人も慣れたもの。悪びれる風もなく、再び同じ番号をプッシュし
始める。普通なら発進履歴からリダイヤルを仕掛けるところだが、今回の仕事は機密保持
の都合上、発信履歴を使うことは禁止されていた。
「帝都に侵攻中の『守護神』の事でお電話……」
『既に準備中だ。情報などいらぬ』
 がちゃん。
 三度、かけ直す。
「その情報ですが……」
 がちゃん。
 またまた、かけ直す。
「実際にはもう一人……」
 がちゃん。
 やっぱり、かけ直す。
 しゃべりかけて切られ、またかけ直すの応酬がしばらくの間、続いた。
「で、引き取りに来たんですが……」
『君もいい加減しつこいな。……分かった。入りたまえ』
 ようやく相手が応じてくれたのは、かれこれ15回目のかけ直しの時。
「何しろ、探偵ですから。諦めが悪いのは信条でして……」
 巧妙に周囲の岩盤に偽装された入り口がゆっくりと開いていくのを、雅人はいつもの笑
みを浮かべながら見守っていた。


[5/15 AM11:15 帝都外縁南 巴荘]
 ぢりりりりん……
「はい。黒逸探偵事務所」
 不景気に鳴った黒電話を取るなり、電話の向こうからのんびりした声が聞こえてきた。
「あー。カナンさん。俺ッス。ネインっス」
 電話の相手は村雨音印。この黒逸探偵事務所の主、黒逸ハルキの義理の弟……のような
少年だ。もっとも義理とは言え、戸籍上の関係なども全くないのだが。
 その辺の細かいところは、ハルキの助手であるカナンもよく知らない。知ろうとも思わ
ない。
 まあ何にせよ、そういう少年であるのだ。
「あ、音印君……じゃないわね。ネイン君? どしたの? 『君』からなんて珍しい」
 電話口の向こうは、息も相当上がっているようだった。全力疾走でもしたのか、はたま
た喧嘩にでも巻き込まれたのか。
 バックに区役所の避難勧告放送が流れているところを見ると、区内ではあるようだが。
「ちょっと変なヤツに襲われちゃいまして。逃げ回ってるんスよ」
 どうやら両方だったらしい。
「あ、やっぱそうなんだ。いやね、今さっき御角雅人さんって人から電話があって、君が
狙われてるらしいって言ってたから」
「ちっ……やっぱそうか。ところでハルキさんは?」
「ハルキね、今アメリカに旅行中なの。帰ってくるのは明日くらいになるって」
 『村雨音印』という少年の戦闘的側面を司るのが、この『ネイン』と呼ばれる人格だ。
そんな闘争心の強いネインがハルキに助けを求めているという事は、相当に不利な状況な
のだろう。
 とはいえ、無い袖を振ることまでは、流石のカナンにも出来なかった。カナンも一応能
力者であるが、そう強力な力というわけでもないのだ。ネインを助けに行ったとしても、
足手まといになるのがオチだろう。
「そっか。ま、いいや。俺が狙われてるのだけでも分かったから。とりあえず逃げ回って
みます。どうも」
 狙われる心当たりは全くないようだ。その上、狙われたと分かっても取り乱す気配も全
くない。大した根性だった。
「そういえば、穿九郎さんからも電話あったわよ。今からこっち来るとか。上手く会えた
ら、手伝ってもらえるかもよ」
「義兄さんが? へぇ、珍しい……」
 だが、その言葉の続きが返ってくることはなかった。
 彼の使っていた公衆電話が追撃者に破壊されたかしたのだろう。カナンの受話器からは、
断続的なコール音が響いて来るのみだった。


[5/15 AM 11:21 帝都外縁南 某所]
「諦めが悪い……」
 周囲をつまらなそうに見回し、少女はぽつりと呟いた。
 彼女の周りにいるのは数人の男。全員が同じ冬物のコートを羽織り、色の濃いサングラ
スをかけている。そう、仮に二つの光景を見る事が出来る者がいたならば、村雨音印を追っ
て伊月家を襲撃したコートの男と同一の格好だと分かっただろう。
 背格好も全くの同一。これで二人しかいなければ、双子と言われて納得できてしまうほ
どだ。
 だが、双子や三つ子というには数が多い。クローン人間の技術は実用化されていないか
ら、同一人物ではない……はずなのに。
「あなた達を近付けさせる気はないの。ゾッドとの、約束だから」
 岩壁を背にして少女が腰掛けているのは、小さな岩だ。男達はそれを囲むように半円を
描いて立っている。全員が中央の少女から全く同じ距離を置き、それ以上近寄ってくる気
配はない。
 近付かないのではない。
 近付けないのだ。
「ゾッドは『ザッパー』を敵だと言ってた。それに、トロゥブレス号を沈めたのも……あ
なた達よね?」
 ザッ!
 ゾッドと、トロゥブレス号。この二つの固有名詞を聞いたその時、男達が一斉に動いた。
全く同じ形に同じ長さの腕が動き、同じ角度と同じ速度で、一斉に振り下ろす。
 違うのは、振り下ろすタイミングのみ。
 放たれたのは『衝撃波』だ。
 音印達を襲った衝撃波と同じ。アスファルトを穿ち、人の肉体など一瞬で粉々にしてし
まえる威力を持つ、疾風の斬撃。わずかコンマ数秒ではあるが発動のタイミングをずらし
たのは、相手が少しでも対処しにくくするためだ。
「無駄なのに……」
 そんな衝撃波に恐怖を示すこともなく、ちらりと後ろを一瞥し、少女は再び正面のコー
トに視線を戻す。感情など滅多に表にしない少女にしては珍しい、怒りのこもった視線だ。
 彼女の後ろには、巨大な顔……『玖式』と呼ばれる巨大兵器の顔が埋まっている。
 少女を、そして巨大兵器を一撃の下に破砕せんと、幾条もの破壊が一斉に殺到する!
 ぎぃんっ!
 だが、それは届かなかった。
 はるかな蒼穹から突き刺さった、一条の黒い閃光に遮られて。
「一人の少女を囲んで何をしているかと思えば……なんと義のない!」
 高速落下の空気抵抗による束縛から解放され、少女を庇うようにふわりとはためく、漆
黒のコート。いや、普通のコートにあるべき装飾類の一切ないそれは、漆黒の白衣と呼ぶ
べきものなのかもしれなかったが。
 再び放たれた衝撃波をことごとく叩き落とし、天から降ってきた青年は少女に呟いた。
その口調は怪人どもに向けた怒りの声ではない、力強くも穏やかな声。
「……以前、トロゥブレス号の沈没を知らせてくれた少女だな。義弟の……音印の『玖式』
を守ってくれていた事といい、よくよく縁のある事だ。とりあえず、礼を言おう」
 呼吸の具合、声の雰囲気、気の流れ。人によって千差万別のそれを区別するのは、青年
にとっては造作もないことだ。少女との会話は先日の数語の電話だけであったが、その記
憶だけでも十分に識別できる程に。
 青年が少女を旧知のように扱うことに何ら驚きを見せることもなく、少女。
「こちらこそ。ジムさんを助けてくれて、ありがとう。巌守穿九郎さん」
 反対に、驚いたように眉をひそめたのは穿九郎の方だった。
「君は……そうか。エスパーか」
 穿九郎は読心系の能力者からは心を読まれないよう、訓練と調整を行っている。その防
護壁を貫けるとなると、余程の能力者か、全く別系統の力……例えば、能力とは似て異な
る異能『超能力』……の使い手としか考えられない。
 長い修行生活を行ってきた彼も、世界に数人といないと言われる超能力者と相対するの
はこれが初めてだった。
「あと少しで伊月さん達が来るから……村雨君には、伊月さん達が渡してくれるわ」
「『玖式』は俺が届けようかとも思っていたのだが……そうか。伊月遙香か」
 義弟の彼女である伊月遙香のことは、穿九郎も知らないわけではない。微笑ましいと思
うし、この状況下でここまで辿り着ける事が出来るのなら、相応の力もあるのだろう。
 そして、想いも。
(彼女がいれば、『運命』も変えられるやもしれんな……)
 だから疑問は差し挟まなかった。ただ、無言で構えを取った体に、強き意志の力『練氣』
をゆるりと取り巻かせはじめるのみ。螺旋を描いて穿九郎の体を疾走する気の流れには、
一欠片の澱みもない。
 これぞ穿九郎の操る最強格闘技『螺殺』。触れる悪を弾き飛ばし、邪を正し、魔を穿つ
必殺の拳。
「では、俺はあの『人ならぬ者』どもを何とかしよう。構わぬかな?」
 自らの成すべき事は単純明快。
「ええ」
 だから彼は拳を握るのだ。
 自らの信念のために!


[5/15 AM 11:27 帝都中央区 国道]
 気持ちいいほどに空いた道の上を、一台の軽自動車が走っていた。
「呆れた……それじゃ、本当に南まで行くつもりだったの? 自転車の二人乗りで」
 運転席の女性が言っている自転車とは、車の後部座席に放り込まれている家庭用自転車
を指しているのだろう。最近の軽自動車はスペースが広くとってあるため、無理すれば自
転車の一台くらい積み込む事も不可能ではない。
「だって、電車が止まってるなんて思わなかったんですもん。それに、どうしても行かな
いといけない用事だったし……」
 後部座席の空いたスペースに座っている遙香が答える。ちなみに助手席には息の上がっ
た雛子が座っていた。二人乗りでバランスを取りながら全力で漕いでいたのだから、息が
上がるのも無理はない。
 鉄道関係は公営も私営もおしなべて全面通行止めだったのだ。雛子が音印を連れてきた
後、通行止めになってしまったのだという。怪獣映画では怪獣の目の前を特攻して破壊さ
れる山手線や新幹線なんかよく見かけるが、本物はそこまでバカではないという事だろう。
 結局、自転車で外縁南に向かっているところを、たまたま通りかかったこの女性に助け
られたのだ。
「でも、検問もあったし、どっちにしても自転車じゃ抜けられなかったですね」
 怪獣が接近しつつあるだけあって、遙香達の対向車線はそれなりに渋滞している。それ
に検問が加わっているから、渋滞車両の進度は見た目以上に遅い。
 とは言え、検問といっても犯罪者を捕らえるものではなく、自衛隊が部隊搬入を容易に
するための誘導みたいなものだ。
「それにしても意外だったな。霙さんが車の免許持ってるなんて」
「古書店は、持ち込みだけじゃないから」
 そう。女性の名は『霙』。和服の物凄い美人で、古書店『霙堂』の雇われ店長だ。それ
以外の事……彼女の名字だとか、『霙堂』のオーナーの事だとか……は、付き合いの長い
遙香も知らない。彼女が車の免許を持っていることも、たった今知ったばかりなのだから。
「そっか。そうだよね」
 だが、よく考えてみれば当然と言えば当然だろう。本というのはかさばる上に数がまと
まると相当な重さになる。いつも運送屋に配達してもらえるとは限らないだろうし、確か
に車を運転できないと業務に差し支えが出そうだ。
 単に和服の霙が車を運転するのが想像できなかったから、そうは思っていなかったのだ。
「でも、国際免許かぁ。霙さん、海外に出た事ないって言ってたけど……何で国際免許な
んて取ったの?」
 素直に感心する遙香に「何せ日本国籍がないから、日本の免許は取れなかった」とはと
ても言えない霙であった。
「見えてきたわ。あれが……『怪獣』というやつみたいね」
 そして、車は外縁南に入る。
 南のさらに向こう、港湾部に巨大な影を浮かべた姿で……。


[5/15 AM11:30 帝都港湾部 自衛隊対巨大生物迎撃部隊]
 広大な港に響き渡ったのは、港湾重機の駆動音や船の汽笛ではなく、炸裂する砲撃音だっ
た。
 何十もの戦車砲の音が同時に響き渡り、それが数度に渡って繰り返される。いかなる砲
弾種であるにせよ、近代戦車のそれだけの砲撃を受けては、食らった方は無事では済まな
いだろう。
 通常の相手であれば。
「効いてるようには見えんな……全弾直撃のはずだぞ」
 砲塔から顔を出したひげ面の戦車兵が砲撃の轟音から耳を守るヘッドセットをわずかに
ずらし、呆れたように呟く。
 目の前の相手。海面から上半身……といって良いものかどうかは不明だが……だけを出
した巨大生物は、長大な8本の頭をゆらゆらと揺らめかせつつ、砲撃前と変わらぬ速度で
ゆっくりとこちらに進んでいる。砲撃が効いているようには、お世辞にも見えない。
「はぁ。全くです。あ、中に入ってください。後退指示が来ましたから」
「おう」
 応じるのは、同じ戦車に乗っている青年兵。ひげ面がハッチを閉めるなり、並んでいた
戦車に僅かに遅れて後退を始める。
「司令部は何て?」
「上陸間際を機甲部隊で叩くみたいです。オレ達は後退しつつ、砲撃で支援するようにと」
 陸自にも試験的にではあるが、機甲部隊……強襲装兵やメガ・ダイバーなどの戦車猟兵
で編成された重機動兵士部隊……が配備されていた。軍事目的というより、その汎用性と
機動力が災害救助に役立つのではないか、というのが『公式な』導入理由だ。もちろん本
当の理由が諸外国に対抗する戦力の導入だという事は、言うまでもない。まあ、実際に何
度かあった災害救助ではコスト以上の活躍をしており、消防庁などでも機動歩兵の導入が
真剣に検討されているというのは皮肉な話ではあったが。
 だが、今回はそんな『公式な』目的での出動ではない。戦車猟兵という本来の名称に恥
じぬ、主力武装のメタルジェットランサーや大口径滑腔砲を装備した純然たる戦闘仕様だ。
「だがよ。強襲装兵は役に立つのか?」
 しかし、ひげ面は疑わしそうな表情を浮かべるだけだった。
 強襲装兵が戦車よりもはるかに強く見えるのは、その機動力を限界まで生かして効率の
良い攻撃を仕掛けているからにしか過ぎない。純粋な攻撃力だけを見れば、強襲装兵のメ
タルジェットランサーよりも戦車砲の方がはるかに強いのだ。
 その戦車砲が通じない相手に強襲装兵はどれだけ役に立つのか……。
「何とも言えんでしょうね……。米軍じゃ、強襲装兵とMDの混成部隊で巨大怪獣を倒し
た、って噂もあるみたいですけど」
「ネットのアレか? バカバカしい……」
 噂の出所は二人とも知らない。とは言え有名な話であるのもまた事実で、特にこの話は
ネット上を漂う軍事系の都市伝説の中でもポピュラーな部類に入る。
 もちろん、誰も信じてはいないが……。
「まあ、巨大怪獣ってんなら『アイツ』もひけを取らんでしょう。伝説が本当なのか、立
証できるチャンスと違いますかね」
 戦車と入れ替わるようにして進んできた全高8mの巨人と巨獣の勇姿を見送り、青年は
期待する気配もなく、そう呟いた。
< Before Story / Next Story >



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