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12.フォトジェニックなアナタ

 華が丘山の西の端。
 舗装された道路に滴り落ちるのは、大量の汗。
「この程度か?」
 日も落ちかけた秋の頃だ。本来であれば、そこまで汗ばむような時期ではない。
 事実、青年騎士は短衣の上に汗一つかいてはいなかった。
「まだまだぁっ!」
 ただ一人汗を流すのは、咆哮と共に立ち上がった少年だ。ふらつくその身で拳を構え、大きく振りかぶって。
「根性だけは一人前だな。けど、それだけじゃ……どうにもならないと言ったろう!」
「ぬおおっ!」
 渾身の気合を込めた一撃も、青年騎士は容易くかわし……。
 ゆっくりと崩れ落ちる、良宇の身体。
「ぬぅぅ…………まだ、まだぁ……っ!」
 全身に力を込めても、持ち上がる気配がない。
 夕方にこちらに現れてから、既に数時間を全開で戦っているのだ。自慢の気力と体力も、流石に限界のようだった。
「………良宇さん? どうなさったんですの?」
 動かない身体の中、唯一動かす意思に答えてくれた、首を動かしてみれば……。
「………ハルモニア?」
 視界に逆さまに立っているのは、こちらを覗き込むキースリンの姿。
「こら、君。この先は悪いけど、立ち入り禁止だよ」
「騎士様、失礼いたします。……わたくし、ギース・ハルモニアの末の娘で、キースリン・ハルモニアと申します。申し訳ありませんが、父に取り次ぎをお願いできませんか?」
「え……? 団長の……お嬢さん?」
 穏やかに微笑むキースリンに、青年騎士は慌てた声を上げるのだった。


 チャイムを鳴らせば、五人の待つ玄関が開くまでにはほんの五秒ほどしかかからない。
「いらっしゃい。もうちょっとしたら葵ちゃんも来ると思うから、適当に上がってて」
 薄手のシャツにショートパンツ。そろそろ夜は寒くなってくる時期だというのに、はいりの格好は夏のそれと変わらぬまま。
「おじゃましまーす」
「わぁ………ホントに片付いてるんだ。意外」
「……意外とは余計でしょ」
 勝手な言い分に苦笑しつつも、食事の支度を調えた居間へと五人の来訪者を案内していく。
「先生。これ、差し入れです!」
「ありがと! へぇ……肉じゃが?」
 最後に入ってきた百音から渡された鍋の蓋を開けてみれば、そこにあるのは煮込まれた肉とじゃがいもだった。出来たてを持ってきたのか、まだ鍋の底にはじんわりと暖かみが残っている。
「はい。キースリンさんが、どうしても作りたいって言ってたので。一緒に作ってきたんです」
「あらあら。委員長は幸せ者ねぇ……」
 委員長と副委員長の関係は、既に教師達にも伝わっているらしい。にこにこと笑顔のまま、はいりは肉じゃがを温めるために台所へと去っていく。
「あれ、みんなもう来てたの? 早いわね」
 そんなはいりを見送っていると、玄関からやってきたのは一年B組の担任教師だった。はいりが冬奈達を迎え入れたときに鍵を掛けている様子はなかったから、そのまま勝手に上がってきたのだろう。
「じゃ、みんな揃ったし、始めましょっか!」
 肉じゃがが温まるまでにはもう少し時間がかかるらしい。
 台所から戻ってきたはいりが席に着き、葵が缶ビールの口を開ければ……。
 ささやかな食事会が、幕を開けるのだった。


 華が丘山の一角にひるがえるのは、一流の旗。
 無論ハルモニア騎士団の団旗と言えど、本家の大騎士団が掲げるそれではない。描かれた意匠は、ハルモニア本家の紋章に、ギース自身を示す紋章が加えられたもの。
「キースリン! どうしたんだね!」
 その旗が掲げられた幕舎の入口で少女を出迎えたのは、青年騎士と同じ短衣をまとった壮年の騎士だった。
「実は、お父様にお料理を食べていただきたいと思って……お友達に手伝ってもらって、お弁当を作って来ましたの!」
 抱き寄せた愛娘が提げているのは、幾つかの箱を重ね、大きな布で包み込んだもの。地上の資料で読んだことのあるそれは、確か『オジュウ』と『フロシキ』とか言っただろうか。
「驚いたな……。こちらに来てから、そんな事が出来るようになったのかね?」
「騎士団の皆さんのぶんも作ってきましたの。ですから、ぜひ……」
 家にいた頃は、何も出来ないとばかり思っていたのに。
 華が丘への修行に出したのは家の事情を抜きにしても正解だったと、騎士は穏やかに微笑むばかり。
「うむうむ。なら、後で戴くとしよう」
 キースリンから受け取った重箱は、騎士団のぶんもあるからかそれなりの重みを伝えてくる。
「それから……お父様。ちょっと、お願いしたい事が…………」
「……ふむ。なら、私のテントで聞こうか」
 どうやら、そちらが本題らしい。
 神妙な顔を見せるキースリンの肩を抱き、親子は奥の騎士団長用のテントへと消えていく。


 はいりのアパートは、普段のだらしないはいりの様子とは対照に、綺麗に片付いたものだった。
 普段から片付け慣れているのだろう。来客があるからと慌てて片付けたような取って付けた感じはなく、使い込んだ壁紙も、補修のされたふすまも、ごく自然な感じにくたびれているように見えた。
「先生。あの写真って……」
 その一角、壁から提げられたコルクボードを指したのは、ファファだ。
 わずかに色あせた写真にあるのは、五人の少女。
 雰囲気から察するに、幼い頃のはいりと葵、ローリと、少し年上の菫。そして……。
「ああ。柚ちゃん?」
 線の細い、大人しそうな娘だ。快活なはいりや気の強い葵とは違う、図書館あたりで静かに本を読んでいそうなタイプに見える。
「あれが……柚子さん。後ろの家は、大神くんの家じゃないですよね?」
 大きな一軒家だ。随分な豪邸に見えるが、何度か行った事のある八朔の家とは全体の作りが違っている。
 それに背景は一面の森だ。街中にある大神邸とは、明らかに違う。
「あれははいりの前の家よ」
「前の……?」
「高校の時まで借りてた家でね。大学は少し離れた所だったから、その時に引き払ったんだけど」
 それから教員免許を取って、華が丘の教師としてこの街に再び戻ってきたのだが……。
 当時住んでいたあの家は、既になくなっていたのだという。
「あれ? 中学って……家族は?」
 百音の問いに、はいりは笑顔のまま。
「いろいろ、ややこしい家なのよ。はいりの家は」
 ややこしいと言えば、ドルチェに連なる魔女っ子の家系もそれなりに複雑な関係である。
 葵がわざわざ口を挟んで濁す辺り、あまり聞かないでいた方がいい事なのだろう。
「そうだ。アルバム、見る?」
「見たいです!」
 即答する少女たちに穏やかに笑い、コルクボードの傍らにある本棚から、薄いファイルアルバムを一冊取り上げて……。
「ちょっと、はいり!」
 葵の言葉に、その手を止める。
 それ以上のことは言われる前に理解したのだろう。取り上げた冊子を、一瞬前と逆の動きで棚へと戻し。
「……ごめん。やっぱ、ナシ」
 瞬間に上がるのは、場にいる少女たち全員からのブーイングだ。
「えーっ!」
「そこまで引っ張っといて、それはないですよ先生ー!」
「ごめんごめん………って、ひゃぁっ!?」
 野次を飛ばす少女たちに苦笑しながら、そっと振り返れば……。
 外に出ていた写真があったのだろう。アルバムを並べていた本棚から、一枚の写真がひらりと舞い落ちる。
「これ………」
 はいり、葵、ローリに菫。そして柚子。
 先ほどと同じ五人の少女だ。
 けれど、彼女たちのまとうその格好は………。
「…………」
 メガ・ラニカの様式とは明らかに違うラインを持つ、色とりどりの法衣や戦衣。動きやすさは重視しているように見えたから、それなりに実用に足りる物なのかもしれないが。
「…………コスプレ?」
 晶の呟きに、辺りを支配するのは、耐えきれない類の沈黙だ。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「………人には、触れられたくない過去というものがあるの。分かるわね?」
「…………ごめんなさい」
 沈黙の果てにぽつりと呟いた葵に、一同は謝罪の言葉を紡ぐしか出来ずにいる。


 テントの中に転がっているそいつに最初に気付いたのは、たまたま報告に来た老副団長だった。
「…………どうしましたね、団長。起こすのを手伝いましょうか?」
 倒れてはいるものの何やら幸せそうな表情だったので、シャーデンフロイデはとりあえず声を掛けるだけにしておくが……。
「いや……いい」
 答えられるということは、生きてはいるらしい。……相変わらず転がったまま、ぴくりとも動かなかったけれど。
「本当に大丈夫ですかな?」
 主に頭が、と付けたいところだったが、さすがに上下関係の厳しい騎士団で団長にそんな事が言えるはずもない。
「ああ。ちょっと、破壊力が強すぎて……」
 意味が分からない。
「破壊力……? 何か必殺技でも受けましたかな?」
 さっきまで、愛娘と久方ぶりの水入らずの時間を過ごしていたはずだが……。
「必殺技……そうか。あの「にゃーん」というのは、必殺技か……」
 そう。
 必殺技だ。
 その表現が、ギースとしても一番しっくりくる。
「大丈夫ですかな? 本当に」
「ああ。これはこれで幸せだから、放っておいてくれ」
「? よく分かりませんが、お大事に。……お嬢さまのお料理、戴いていきますぞ」
 食らって幸せな必殺技と言われても、老副長には想像することさえ出来なかったが……。
 まあ、本人が幸せそうだからいいのだろう。
「娘の手料理だ。皆に味わって食べるよう伝えてくれよ?」
 シャーデンフロイデは死んだままのギースに一礼すると、キースリンの差し入れの一部を団員の所へと持ち去っていく。


 楽しい食事会は、たった一枚の写真のおかげで、針の筵の上での死の宴と化していた。
「はいり先生達にあんな趣味があったなんて……」
 若気の至りと言うべきか、ノリの良い少女たちだったと言うべきか……。
「まあ、似合ってたしいいんじゃないの?」
 せめてもの救いは、五人とも楽しそうだった事と、しっかり似合っていた事だろう。当時も帝都では大きなイベントなどはしていたはずだし、そんな所でしたのなら、結構な人気者になれたのではないか……とすら思えてしまう。
(でも、あんなアニメやゲームの格好って、見たこと無いわよねぇ……。OVAか何かかしら?)
 92年と言えば、伝説の変身ヒロインアニメが始まった年だったはずだ。
 逆を言えば、それまでにそういったデザインラインはほとんど無かったはずなのだが……。
 もっとも晶も、アニメを網羅しているというわけではない。機会があれば真紀乃にでも聞いてみようと思いつつ、考えを本題に戻す事にする。
「…………」
「どうしたの、百音。さっきからずっと黙ってるけど」
 そんな騒ぎの中、百音だけは困ったような難しい顔を崩さないまま。真紀乃のアニメ談義や晶のゲームの話にも普通に応じているから、コスプレなどにそこまで抵抗があるとは思えないが……。
「……何でもないよ」
 友人達のはいり達に対する反応に、どうしても自分を重ねてしまう。
(そっか……コスプレか………)
 不幸の束縛があってもなくても、自身の正体は絶対に明かすわけにはいかないと、改めて心に誓う百音であった。
「晶さん! 皆さん!」
 そんな五人に掛けられたのは、道の向こうからやってきた黒髪の少女の声。
「あ、キースリン! ……って、何で良宇が?」
「………こんな夜道を、ハルモニア一人で帰すわけにもいかんだろうが」
 質問と回答が根本からずれている気もしたが、まあ色々とあったのだろう。
 それに、肝心なのは経過ではなく、結果だ。
「どうだった?」
 だが、晶の問いに、キースリンは肩の力を落として首を振るだけ。
「………すみません。やはり、危険だからダメだと」
 それに加えて、ゲートの警護は主君たる魔女王直々の任務だったのだという。
 騎士の家に生まれたキースリンだから、ギースの言葉がいかに重い意味を持つか、よく分かる。いかに愛娘の頼みであろうと、主君の命に逆らうわけにはいかないのだ。
 それが人の道に外れた命令であればともかく、ゲートの内外の脅威から華が丘の住人を守るための真っ当極まりない任務である。どちらに非があるかと言われれば、無理に押し通ろうとする方が悪いに決まっている。
「そっか……」
 分の悪すぎる賭けだったとはいえ、貴重な勝負を落としてしまったことはかなり厳しい。
 帰ったら、レイジや悟司達と作戦を立て直す必要があるだろう。
「ただ、騎士団の警備は十八日の昼頃までだそうです。十八日の午後からはゲートの正門で儀式があるから、その警備に回るとか……」
「……正門で儀式?」
 晶の問いにキースリンはわずかに言葉を濁すが……やがて、ぽつりと呟いた。
「………レムさんとリリさんの」
「ありがと。その情報だけでも、十分だわ」
 儀式はメガ・ラニカに戻ってからだとも思っていたが、華が丘から向こうへ流れるマナをどうにかする儀式なのだから、華が丘で行うというのもそうおかしな話ではない。
 とにかく分かったのは、十八日までには何が何でもどうにかしなければならない、という事だ。
 この情報をどう勝負に生かすかは……晶達の采配一つに掛かっている。


 はいりがそっとかざしたのは、一葉の写真。
 幼い頃の自分たちの姿だ。
 まとうそれは、かつて蚩尤を封印したときに使った戦闘服だ。
 幾重にも強力な防護結界の封じられたそれは、自分達にとっては、共に戦い、何度も命を救われてきた戦友と呼んで良いほどの存在なのだが……。
「コスプレかぁ……」
 もちろんある程度の自覚はあったから、腹が立つような事はない。ただあの頃は、そんな事も気にならないくらい必死だったと思い出すだけだ。
「まあ、見られたのがあれで良かったわよ。……バカはいり」
「ごめんってば」
 そう言ってはいりが開いたのは、途中で戻したファイルアルバムの最後のページ。そこに貼られた一葉の写真を確かめて……。
 小さく、ため息を一つ。
「やっぱり持ってたのね。処分しとけって言ったでしょ」
「ヤだよ。大事な……思い出だもん」
 覗き込んできた葵の言葉にぷいとそっぽを向き、世界を救った運命の少女はアルバムを愛おしそうに抱きしめる。
「歴史が変わっても知らないわよ。……もぅ」
 その写真に写っていたのは、高校生のはいり達と、若きルーナレイア。
 そして……。


続劇

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