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11.円環か、螺旋か

「はよー」
 教室に入ってきた八朔に掛けられた第一声は、気の抜けた挨拶に対する返事などではなく……。
「大神くん! 写真、何とかなった?」
 なぜか隣のクラスから遊びに来ていた晶の声だった。
 頼まれたのはレイジからのはずだが……肝心のそいつの姿が見えないところを見ると、放送部の朝の仕事でも片付けに行っているのだろう。
「ああ。お婆さまに聞いてみたんだけど、実は……」
「……何よ。役に立たないわね」
「いきなり役立たず扱いかよ……」
 任務を失敗したのは事実だが、無いものは無いのだ。手品よろしくどこからともなく取り出せるなら、とっくにやっている。
「まあまあ。八朔のお婆さまにも、色々と事情があるんだよ」
 八朔の祖母の言う通り、倉庫にも仏間にも、柚子を偲ぶ写真の一枚も残されてはいなかった。大事な末娘の思い出をあえて残さなかった大神老の気持ちは想像するしかないが……並大抵の思いではないという事だけは、年若いウィルにも理解出来る。
「ウィルがそう言うんなら、仕方ないか……」
「……俺の立場は?」
 ため息を一つ吐き、ウィルのひと言で納得してしまった冬奈達に、さしもの八朔も微妙な表情を崩せない。
「聞きたい?」
「…………止めといた方がいいと思うよ」
「……そうするわ」
 ロクな言葉が返ってこないのはまあ、ハークに言われるまでもなく予想できる。正面から受け止めると当分立ち直れそうにない気がしたので、助言を受け入れて聞かないでおくことにする。
「けど、八朔が持って来れないんじゃ、写真……どうしようか」
 持って来れはしないまでも、柚子の顔が分かれば、最低限どうにかなるのだが……。
「他に持ってそうな人かぁ……」
 大神柚子の写真を持っている相手に、百音達にも心当たりはないわけではない。
 ないわけでは、ないのだ。
 だが、それは高いリスクも同時に背負うことになるわけで……。
「……やっぱりここは、勝負に挑むしかないっしょ」
 呟く晶に、他の一同も頷くしかない。


 校内を回ること、ほんの数分。面倒な予鈴が鳴る前に、冬奈たちはその相手をその相手を見つけることが出来ていた。
 本館一階、魔法科棟に至る渡り廊下の少し前。
「はいりせんせー!」
 声を掛けられ、はいりは少女たちとは違う方に小さく一礼。
 少女たちから死角になった彼女の向こうから、細身の影が飛びだし、少女たちの傍らを駆け抜けていく。
「今の……佐倉井先輩?」
 魔法科二年の先輩だ。確か彼らの体育教師ははいりではないから、本来なら佐倉井とはいりの接点などほとんどないはずなのだが……。
 一緒に来ていたファファは、何かあったのだろうかとも思うが、さすがに会話内容の一片も聞き取れていない段階では、推論を重ねる事さえ出来はしない。
「……どうかした?」
「先生。今日、先生の家に遊びに行って良いですか?」
「それはまあ、いいけど……随分と唐突ね」
 さすがにそれは予想できていなかったのだろう。苦笑するはいりに、冬奈はそれ以上の苦い顔。
「いえ……実は、前に先生の家に遊びにいった話が、晶や百音にバレまして」
 それは夏休み、性別逆転騒動が収まる直前のことだ。冬奈達としてはメガ・ラニカの土産を持っていっただけのことなのだが……。
 それを、晶や百音はズルいという。
「何で隣のクラスの冬奈とファファは良くて、あたしたちにはそういうのがないんですか!」
「………いや、四月朔日さん、ウチの部だし」
 はいりは女子水泳部顧問で、冬奈はそこに所属する水泳部員だ。この理屈だと今度は同じ部員である真紀乃が何か言いそうな気もしたが、この場にはいないのでそう言っておくことにする。
「わたし達も行ってみたいです!」
「はいはい。どうせ今日は葵ちゃんも来るって言ってたし……良かったら、みんなもご飯食べていくといいわ」
 彼女としては、別に押しかけられて困るわけではない。
 二つ返事で了承した瞬間、本館の廊下に授業が近いことを告げる予鈴が響き渡る。


 華が丘山の西側に響き渡るのは、裂帛の気合。
「でやぁぁぁぁぁっ!」
 迫り来るのは巨大な体躯。
 迎え撃つのはそれに比べればひと回りは小さな姿。
 だが、小さな影はほんのワンステップで巨漢の突撃を受け流してみせる。
「直線的な動きが多すぎる! それじゃ、すぐにパターンを読まれるぞ!」
「ぬぅぅっ! ならっ!」
 巨大な躯に似合わぬ機敏さで、急速ターン。再突撃は、男の反応よりほんの少しだけ速い。
 けれど、そのアドバンテージがあるのはその一瞬だけ。次の瞬間には男は反応速度を戻し、良宇の動きに対応できるよう構えを取り直している。
「………あれは何をやってるんだ? シャーデンフロイデ」
 その一風変わった光景を眺めているのは、ゲートの番を司る騎士団長と、それを補佐する老副長だ。
「はぁ。何としてもゲートを通りたいと言う少年がおりまして……。マーヴァも暇を持て余していましたし、マーヴァを倒せば通してやる、と」
「昨日も来ていたよな、確か」
「このところ、毎日です。あの手の輩は、勝つまで通い詰めるのではありませんかな」
 また突撃をいなされ、叱咤を受けている。もちろん少年がその程度で諦める様子もなく、もう何度目かになる突撃の構えを取り直す。
「マーヴァの実力を分かってて言ったのか?」
 若いが、マーヴァの実力は騎士団のうちでも五指に入る。少なくとも、少年の不意打ち程度でどうにかなる相手ではない。
「はて。このところ、とんと古い事が思い出せなく」
「やれやれ……あの少年も、災難だな」
 とぼけてみせる老騎士に苦笑いを浮かべつつ、ギースは終わる気配の見えない調練をぼんやりと眺めるのだった。


 穏やかな湯気が立ち上るのは、調理室の一角だ。
 響くのは小気味よい包丁の音と、調理器具のぶつかり合う金属音。
「はいり先生の家に?」
 その合間に聞こえてきたのは、品の良い少女の声だった。
「うん。撫子ちゃんとキースリンさんも行く?」
 今日は料理部の正式な活動日ではない。一部の生徒が個人的な理由で……もちろん部としての活動許可は取っていたが……自主的に練習をしているだけだ。
「すみません。私はちょっと用事が……」
 ハークの問いにまず断りを入れたのは、撫子だ。
「維志堂くんの所?」
「い、いえ……私の腕では、とてもそんな……」
 いつもの彼女なら、晶の言葉に頷いてみせただろう。けれど今度ばかりは、その剛胆さも息を潜めているようだった。
「撫子の料理なら喜んで食べてくれそうだけどなぁ……」
 晶の言葉に乗ってきた百音の追撃に、頬を赤らめ敢えなくノックダウン。口の中で何事かをもごもごと呟いた後、しゅんとうつむいてしまう。
「ほら、二人とも。撫子ちゃんをいじめちゃダメだよ」
「別にいじめたりしてないわよ、ねぇ」
「ねぇ。……で、キースリンさんは?」
 テンションの上がっている二人の猛攻をハークが何とかいなせば、次の標的はもう一人の恋する乙女へと。
「私も申し訳ありません……。今日は、父の所に行こうかと」
 だが、続けられたその言葉には、さしもの二人もからかう糸口を見いだせない。
「……そっか。今日にしたんだ」
「はい。明日は土曜日ですし……」
 それはキースリンの個人的な用事でも何でもない。それどころか百音達からの頼み事なのだから……。
「……付いて行った方がいい?」
 いざとなれば、レイジ達も呼べるだろう。キースリン一人で頼むよりみんなでお願いした方が効果があるだろうし、何より筋が通っている。
「いえ。お父様とゆっくり話す機会も、なかなかありませんし……こうやって、お料理を手伝っていただけるだけで十分です」
「………ごめんね。迷惑かけて」
 そうは言うが、期間や作業の中身に対して圧倒的に手が足りていないのもまた事実。
 悟司達は図書館へ情報収集に出ているし、百音と晶は料理が出来れば、冬奈達と合流してはいりの家へと向かう事になる。
 もちろんそれも、遊びではない。計画の一端を担う重要な活動だ。
「大丈夫よ。あたしが教えたとおりにやれば、どんな相手だって一発だから」
 くすりと笑う晶に、キースリンは嬉しそうに頷いてみせる。
「一発って……晶ちゃん、何教えたの?」
 どうやら何か、交渉の秘策を授けているらしいが……。晶の事だから、まともなやり方であるはずがない。
「………必殺技だよ」
「………必殺技」
 交渉の秘策で、一発で、必殺技。
 ぽつりと呟くハークの言葉で、なおさら意味が分からなくなる。
「さて……こんなもんでしょ。ハークくんははいり先生んち、行くよね?」
「そりゃ行くよ」
 むしろ、この状況で行かない理由がない。
 もう一度温め直せば丁度良くなる程度のそれを別の鍋に移し替えながら、ハークはさも当然というように答えてみせる。
「じゃ、後で元栓締めて、職員室に鍵、返しといてね!」
「撫子ちゃんもキースリンさんも、頑張って!」
 そろそろ冬奈達も部活を終え、待ち合わせ場所の校門に来る頃だろう。冬奈を待たせるだけならいいが、その先で待つのははいりと葵だ。
 今回ばかりは時間厳守、である。
「はいっ!」
「ありがとうございます!」
 笑顔で鍋を見守っているキースリンと撫子を調理室に残し、三人は移動を開始する。
(…………大丈夫かなぁ。あの二人を残して)
 そして。
 漠然としたハークの不安は、予想をはるかに越える形で実を結ぶことになる。


続劇

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