-Back-

13.急転の朝

 森永家の台所に姿を見せたのは、寝間着姿の少女だった。
「おはようございます……祐希さん」
 既に台所にはテンポの良い包丁の音と、ご飯の炊ける甘い匂いが漂い始めている。
「おはようございます。もう朝ご飯出来ますから、顔を洗って……母さんを起こしてきてくれますか?」
「ふぁい……」
 エプロン姿の祐希の背中にあくび混じりの寝ぼけた答えを返しておいて、キースリンはとたとたと洗面所へと向かっていく。
 やがて聞こえてくる水音に混じって台所に響くのは、ダイニングテーブルに置いてあった携帯の振動音だ。
 代わりに受けてくれそうなキースリンは洗面所。
 そして母は、まだ夢の中だろう。
「ったくもぅ……」
 携帯の表面にほんの一瞬指を当て、口の中で幾つかの単語を続けて詠唱。
 指を離して作業に戻れば、背後に立ち上がるのは手足を生やした携帯だ。
「わたしだ。祐希は手が離せないので、代わりに用件を聞こう」
 祐希の意志に従ってバイブの音が止まり、代わりにスピーカーから流れ出るのはどこか慇懃な合成音。
「……………はい?」
 そして。
 電話の向こうからの話を聞いて祐希が漏らしたのは、そんな間の抜けたひと言だ。
「お電話ですか?」
 キースリンが顔を洗って台所に戻ってくれば、包丁の音は止まっていて……味噌汁の鍋が沸くしゅんしゅんという音だけがその場を支配していた。
「はあ……。ホリン君からだったんですが……」
 変形した携帯を元の電話モードに戻させながらも、祐希の言葉は今ひとつ要領を得ない。
「ゲートの番をしている騎士団のかたが、全員ダウンしているようなので……今から、ゲートに仕掛けると」
 そして。
「……………はい?」
 祐希の話を聞いてキースリンが漏らしたのも、そんな間の抜けたひと言だ。


 真紀乃のアパートに姿を見せたのは、冬奈とファファの二人組。どこかに遊びにでも行くのか、それぞれスポーツバックや弁当の入っているらしい鞄を提げている。
「おはよー!」
「今日はよろしくね!」
 冬奈と真紀乃は元気よくハイタッチ。もちろん真紀乃も遊ぶ気満々らしく、背負ったリュックにはバトミントンのラケットやプラスチックのバットが無造作に突っ込まれていたりする。
「レムくん……ごめんね」
 そして、松葉杖を突いたレムに微妙な表情を見せるのは、弁当を提げたファファだ。
 最初にレムを治療したとき、彼女の魔法がもっと強い効果を出せていたなら……折れたレムの骨も、その段階で何とかなっていたはずなのに。
「これで体育祭も堂々とサボれるんだから。気にしないでくれよ?」
「うん……」
 基本的に運動を見るのは好きだが、自分でするのはそこまで好きではないレムだ。特に刀の出番もないとなれば、そこまで必死になる事もない。
「それより気を付けてね、真紀乃さん。みんな」
 心配そうなレムの様子に、場にいた一同たちは静かに頷いてみせる。
「大丈夫だよ! レムレムにも、ちゃーんとお土産買ってくるからね! 大神さん。レムレムのこと、お願いしますね」
 そして、レムの傍らに立つ少年は、真紀乃の言葉に苦笑してみせるだけ。
「ああ。ウィルは……まあ、大丈夫か」
「おや、心配してくれないのかい?」
 小さなバッグを提げたウィルの言葉に、八朔は言葉を返さない。ただ穏やかに微笑むウィルと軽く拳を打ち合わせて、それだけだ。
 そんな一同を、八朔とレムは静かに見送って……。
「………行っちまったな」
 無論、真紀乃達はどこかへ遊びに行ったわけではない。
 向かう先は、過去。
 背負っていた遊び道具の類は、レムの家の隣に住まうルーナ達に対するカモフラージュだ。効果があったのかは運を天に任せるしかないが、少なくとも隣人の部屋からは、ルーナや月瀬が顔を見せる様子はない。
「八朔。悪いんだけど……ちょっと、行きたいところがあるんだ。良かったら付き合ってくれないか?」
「神社か?」
 松葉杖で八幡宮の階段を昇るのは、流石に厳しいだろう。介助役と護衛を兼ねた八朔としては、レムにあまり無理をさせたくはないのだが……。
「違うよ。まあ、似たようなもんだけどな」
 そう言って、レムは松葉杖を片手にバス通りへと歩き出す。


 道の向こうから姿を見せたのは、小柄な少年と少女の二人組。
「…………遅くなった」
「遅えぞ! クレリック、セイル!」
 普段ならそこまで厳しく言わないレイジだが、今日ばかりは一分一秒を争う事態だ。さすがに剣幕も荒くなる。
「ごめん! パパとママに気付かれないように出てくるの、大変だったんだよ!」
 緊急の連絡を受けて、どうやって部屋を出るかに今までの時間のほとんどを費やしていたのだ。結局、リリの飛行魔法でこっそり外へと出てきたのだが……。
 その甲斐あってか、二人の外出が両親に気付かれた様子はなかった。
「まあいいや。これで全員だな!」
 華が丘山の隅に揃ったのは、魔法科一年の三分の一ほど。緊急の招集でこれだけ集まったのは、多いと見るか少ないと見るか……微妙なところだったけれど。
「向こうに行くのは予定通りの面子でいいのよね」
 ここにいるうちの約半数が、時の迷宮を越えて過去の魔法世界へと渡り、与えられたミッションを果たすことになる。
「ああ。全員で行くと、多すぎるだろうしな……残りはバックアップ、頼む!」
 レイジの言葉に一同は無言で頷き、目標地点への移動を開始するのだった。


 地方の田舎町である華が丘の朝は、無駄に早い。
 無論バスの始発時間も、驚くほどに早い。
 だが、その停留所までの道のりは、いつもの数倍の時間が掛かっているようだった。
「背負った方がいいか?」
 ぽつりと呟いた八朔に、レムが振り上げたのは自身を支えていたはずの松葉杖だ。
「ンな恥ずかしいこと出来るか。こうやって歩くのも、練習だ………って、おおっ!?」
 そこでバランスを崩した事に気付いたらしい。諦めて倒れるか、折れた足で自身を支えるかの即断二択を強いられたところで、脇から八朔の手が伸びてくる。
「……助かった」
「こういう時は、飛行の魔法がありゃ良かったなぁって思うよなぁ……」
 基本的に魔法初心者の八朔は、飛行のような高度な魔法はまだ使えない。体力を増強してレムを抱えて歩くくらいならともかく、空輸する事は出来ないのだ。
「…………ちょっと、やってみるか」
 そんな八朔のぼやきに、レムはその身を支えられたまま、ポケットから携帯を取りだして……。


 華が丘の案内は、地元住民である冬奈達の役目だ。
 特に華が丘山の西側は、近辺に住む彼女たちの庭と言っても良い。最短ルートも、周囲から警戒されづらいルートも、完璧と言っていいほどに把握済み。
「けど、何で分かったの?」
 しかもこんな夜が明けて間もない早朝にである。偵察に行くにしても、早過ぎやしないか。
「ああ。良宇が朝から騎士団の所に行くって言うから、付いていったんだけどよ……そしたらな」
 異変は、遠目からでもよく分かった。
 そこから慌てて撤退し、呼び出しを掛けたのである。
「ほとんどの連中がトイレの前で死にそうな顔してたから……何か悪いもんでも食ったんじゃねえかな」
 もちろん、全ての会話は声を潜めてのやり取りだ。ここで相手に勘付かれれば、こっそりとゲートに向かう計画は失敗してしまう。
「どうかしましたか、キースリンさん」
「いえ、別に……」
 そんな中、どこか呆然としたままのキースリンに祐希は小さく声を掛けるが、それ以上の事は触れられずにいる。
 まあ、自分の実の家族が食中毒になったらしいと聞けば、気が気ではないのは当たり前だろう。だが、ギース達のもとへキースリンが行くと言わない以上、祐希に出来ることは彼女をただ見守ることだけだ。
「……ホントに大丈夫なの? 罠じゃないの?」
「悟司に斥候を頼んでるから平気だろ。何かあったらワンコする事になってっから」
 集合時間よりだいぶ早く来た悟司に、先行偵察は任せてある。華が丘山は華が丘……それも街のほぼ中心辺りにあるから、連絡が取れなくなることはないはずだ。
「それより、もうちょっとでゲートよ!」
 収穫の終わった田んぼを駆け抜け、山の端へと。
 そこを過ぎて騎士団の幕舎を回り込めば、いよいよ裏口へ到着となる。
「よし! なら、一気にまくるぞ!」
 壊滅状態の幕舎はスルーできるはずだし、そこを抜ければもうゲートの裏口は目の前だ。
「でも、何か気味悪くない……?」
「何が?」
 そんな場面でぽつりと呟いたのは、晶だった。
「それは、よく分かんないけど……」
 漠然とした不安感。
 あまりに上手く行きすぎ、目の前の落とし穴に気付いていないような……。
「だな。周りを警戒しながら、急ぐぞ!」
 目指すゲートは、すぐそこに…………。
「…………やっぱり」
 いた。
「パパ………なんで……?」
 そこに立つのは、騎士服の青年と……今は家で眠っているはずの男の姿。
 現物を確認したわけではないが……ならば、少女たちはいないはずの相手を警戒して、脱出方法を考えていたというのか。
「ここの騎士団にいるダチから連絡があったんだよ。死にかけてるってな」
 どうやら隣に立つ騎士服の男が、陸の言う同級生らしい。彼のマーヴァという名を知るのは、少年達の中では良宇とキースリンの二人だけ。
「まあ、何かするだろうたぁ思ってたけどよ……」
 陸が右手に提げるのは、身ほどもある大剣だ。それを無造作に肩に背負い、少女たちを静かに見据えてみせる。
「晶ちゃん。俺、言ったよな? 約束の日までは動くなって……」
 その言葉に、晶達は動けないまま。
 分かってはいた。
 分かってはいたが……さすがに、真っ正面から堂々とその事を突き詰められれば、答えを紡ぐ隙がない。
「…………」
 そして、周囲の茂みから立ち上がり、姿を見せるのは、短衣を着た男達。
「なんで……騎士団の人が……」
 謎の腹痛で壊滅しているはずの、ハルモニア騎士団の騎士達だ。
 それに加えて、騎士達に混じって姿を見せたのは、小柄な影。
「私達で治したからに決まっているでしょう」
 一人は、華が丘高校の養護教諭。もともと子供と見紛うばかりに小柄な彼女だが、屈強な騎士達に混じればさらに小さく見えてしまう。
「先生……何でじゃ……」
「言ったわよね。無謀な作戦だと思ったら、全力で止めるって」
 良宇の言葉にも、ローリは眉一つ動かすことはない。ただいつものように何の感慨もないかのように、静かに言葉を紡ぐのみ。
「パパ……ママ……」
「…………」
「…………」
 正面に立っていた陸と、彼に寄り添うもう一人の治癒術士もまた、リリの言葉に言葉を返す事はない。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai