20.異性、最後の夜
ポーチを学校に提出してから、数日が過ぎた。
「………泊まり?」
四月朔日道場からの帰り道。レムの側から切り出された話題に、真紀乃は眉をひそめてみせる。
「ああ。ちょっと、考えたいことがあってさ……」
クラブで仲の良い友達の家に泊まって来たいのだという。
「そりゃ、構わねえけど……。明日には、ちゃんと戻ってくるんだよな?」
なにしろ明日は臨時登校日。
すなわち、元に戻れる薬が完成し、皆に配布される日なのだ。
「大丈夫。着替えも向こうに持って行くし」
特に体格の変わった生徒は、替えの服もちゃんと持ってくるように指示されていた。もちろん、指示がなくても持って行くつもりではあったが……。
「……そっか。なら、何かあったら携帯に掛けてくれよ?」
「ああ」
真紀乃の言葉に軽く頷き、レムは途中の道でもう少しトレーニングをするという真紀乃と道を分かった。
東の空に浮かぶのは、白い月。
「ってさ……何なんだろうね、俺」
呟くのは、長い髪を後ろでまとめた少女だった。
レムである。
クラブの友達の家……ではない。
もちろん、クラスの友達の家でも、真紀乃と住んでいる自分の家でもなかった。
友達はいるが、行くアテはない。
ただ一人で考える時間が欲しくて、嘘を吐いて出てきたのだ。
華が丘に宿泊施設はないし、二四時間営業のカラオケも、マンガ喫茶もない。かといって魔法が使えない隣町に行くのも不安だったし、コンビニの店員とは顔見知りで、怪しまれるのは間違いなかった。
結局、この華が丘で友達の家を頼る以外、夜を明かすには野宿しかないのだが……。
「………ソーア君?」
公園を出て、ゲートの建物にでも行こうかと思ったその時だ。
「雀原先生……」
目の前に立つのは、レムのクラスの担任教師。
仕事の帰りなのだろうか。小さな鞄を脇に抱え、こちらを厳しい目線で見つめている。
「どうしたの。こんな時間に出歩いて……女の子って言う自覚、ある?」
華が丘は基本的に平和な田舎だが、その手の類がいないわけではない。年に数件くらいは、警察から手配書が回る事もある。
しかも今のレムは、見かけだけなら十分に女の子なのだ。こんな時間に男の時のように無防備に歩いていて、安全であるはずがない。
「いや、まあ……」
言葉を濁すレムに、大体の事情を察したのだろう。
「まあ、そういう時もあるか………だったら、来なさい」
葵は小さくため息を吐くと、少女に向けて、そっと手を伸ばした。
華が丘の中心部から、少し離れた住宅街。
階段を昇った二階の一室に、その部屋はあった。
「いらっしゃい、葵ちゃ………あれ? ソーア君も一緒?」
表札にあるのは雀原ではなく、兎叶の文字。
どうやら、はいりの部屋らしかった。
「ちょっとね。そっちも確か、誰か連れてきてるんでしょ?」
「うん。じゃ、上がって」
「はぁ………」
部屋に通されれば、はいりの言うとおり、先客が既に二人いる。
「あれ……? ソーア君?」
綺麗に片付いたテーブルの上。料理を並べているのは、ファファと冬奈の二人だった。
「なんか、メガ・ラニカのお土産持ってきてくれるって言うからさー」
「なに? どうかした?」
レムの様子に、言いたいことを察したのだろう。
「いや、綺麗だなぁ……と」
片付いた部屋には、洒落た観葉植物や、ピンで留められた写真などがあちこちに飾られている。普段の大雑把でいい加減なはいりのイメージからは、あまり想像できない。
「まあ、中学の頃から自活してるしね」
「……はぁ」
どうやら、はいりにも色々あったらしい。もちろん、それ以上聞くのははばかられそうな内容ではあったが。
「で、家出なんてどうしたの? 子門さんとケンカでもした?」
スーツの襟元をわずかに緩めた葵は、他人の家の冷蔵庫から勝手にビールを取り出すと、さっさと席に着いてしまう。
他の皆も席に着き、レムも落ち着かないまま腰を下ろし……。
「はぁ……」
今までの事情を、話せる範囲でぽつぽつと語り始めた。
二人のビールは、既に五本目に突入していた。
「………なるほどね。裏で、よく分からない事をしてると」
「はい」
二人も華が丘の教師とはいえ、どこまで知っているかが分からないし、ファファや冬奈の目もある以上、錬金術の名前は出せない。だが説明できる範囲で、レムは皆に今までの出来事を話し終えていた。
「聞けばいいじゃない」
冬奈の答えは、驚くほどに単純だった。
「だから、教えてくれなかったんだって」
「だったら……そうね。押し倒せば?」
「はぁ!?」
そして呑み組の意見は、あっさり飛躍した。
表情こそいつもと同じだが、明らかに酔っているらしい。
「っていうかね、みんな大人しすぎるのよ。あなたに限った事じゃないけど、言いたいことは正面からちゃんと言う。見守るだけとか、思うだけとか、拗ねて裏でコソコソやったって、どうせ相手には伝わりっこないんだから」
しかも、妙に例えが生々しかった。
そういった経験があるのかとレムは少しだけ気になったが、いくら何でもわかりやすすぎる地雷だったので、ギリギリの所で踏まずにおくことにする。
「なんか先生たち、普段とだいぶ違いますけど……」
「そりゃまあ、学校じゃ先生だもの。はいりじゃないんだから、猫くらい被るわよ」
「葵ちゃん、ひどーい!」
確か、この二人は同い年で幼なじみと聞いていた。いつも仲良く見えるし、実際何でも言いあっている仲ではあるのだが……それでも、色々と思うところはあるらしい。
正面から堂々と言う辺りは、大したものではあったが。
「とにかく、気になるなら全部教えてくれってお願いしたらいいよ。ある程度はその秘密っていうのも、自分でも調べてるんでしょ?」
「まあ、ある程度は……」
大半はルーニから聞いた話だが、それを言うとまた話がこじれそうだったので、上手く誤魔化しておくことにする。
「じゃ、お風呂に入って寝ましょ。明日は登校日だから、みんなちゃんと起きるのよ?」
「それと二人とも、今日の話は内緒ね?」
冬奈もファファも、その辺りは心得てくれているらしい。
そして、兎叶家の夜は、穏やかに更けていくのだった。
続劇
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