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21.夏の終わりの、ハーモニー

「というわけで、支所のかたがたの不眠不休の努力もあって、性別逆転解除の薬が出来ました。拍手ー」
 はいりの合図が出る前に、魔法科1−Aの教室からは万雷の拍手が巻き起こる。
 隣の教室からも拍手が聞こえてきている辺り、状況は似たような物なのだろう。
「それじゃ、そっちの列から一人ずつ取りに来て。一人につき一本しかないから、落としたり、飲んでる間に吹いたりしないようにね」
 解除の薬は、なぜかホット用のペットボトルに入れられていた。ラベルこそは剥がしてあったが、フタの色がまちまちなあたり、状況がいかに逼迫していたかがひしひしと伝わってくる。
 皆飛び上がりたい気持ちはあるが、本当に飛び上がって薬をこぼしてしまっては、元も子もない。
「あの……私のは?」
 そんな中。
 キースリンの問いに、はいりは首を傾げた。
「え? ハルモニアさんは性別変わってないから、いらないでしょ?」
「………あ、はい」
 キースリンは、女生徒だ。
 そして、祐希が庇ったことで、性別の逆転を免れている。今まではそれで逃げ切れていたが、今度はそれがアダとなっていた。
「先生」
 解毒薬の配布が終わり、体格が変わっていない生徒の中には、さっさと飲んで元に戻る者も出始めている。そんな浮つく一同の中、解散を前に手を上げたのは、祐希だった。
「ついでですし、二学期の委員長を決めておきたいと思うんですが……」
 そんなキースリンのパートナーの問いにも、はいりは真顔で首を傾げた。
「……………二学期の委員長って、森永くんじゃないの?」
「……はい?」
 祐希の背中に流れたのは、ひとすじの嫌な汗。
 今までの人生で何度も見てきたような展開だが、あえてその先を思い出したくはなかった。
「森永くんがいいと思う人」
 手を上げたのは、祐希を除くクラスの全員だ。
「キースリンさんまで……」
「いえ、祐希さんなら適任かなと……」
 多数決という名の数の暴力で、祐希の委員長続投は決定した。この流れで行けば明らかに三学期の続投も確定だったが、さすがにそんな先のことまで考えたくはなかった。
「じゃ、今日はこれでおしまいね。次は九月一日だから、みんな、忘れないようにねー」
 諦め顔の祐希を放ったまま、その日の臨時登校日は解散となる。


「ぷは…………」
 礼法室でペットボトルを飲み干したセイルは……。
 胸元以外、何の変化も見られなかった。
「……つかお前、その格好でも違和感ねえな」
 そもそも元に戻れる日だというのに、セイルの服装は普段着せられていたひらひらのワンピースだ。犯人はどう考えても明らかだったが、セイル自身は特に気にしていないのか、レイジの言葉に不思議そうに首を傾げるだけ。
「まあ、気にしてねぇんならいいけどよ」
 そんなレイジも最初から大きめの服を着て来ていたから、元に戻っても服が丁度良くなるだけで、さして違いは見られない。
 髪の毛だけは変わらなかったから、帰りに切りに行く必要があるだろうが……せいぜい、その程度だ。
「うぅ。これで、ついにオレもいつもの身体に……!」
 そして、良宇もペットボトルを一気飲み。
 ボトルの中の液体が一瞬で空になり……。
「あ、ちょ、おま、バカ……っ!」
 レイジが止めてももう遅い。
 良宇の体格はみるみる膨れあがり……胸を押えていたサラシが、鈍い音を立てて千切れ飛ぶ。
「おおおおっ!? なんじゃこりゃぁっ!」
 元の姿に戻ったまでは良かったが、ほつれきった女物の和服をキツそうに着ている巨漢という、あまり見たくない構図の物体がそこに現れていた。
「だからお前、ちゃんとメールで注意があっただろうが。体格が小さくなってる奴とスカート履いてる男子は、替えの服、ちゃんと持って来とけって」
 セイルはまあ違和感がないからいいとして、良宇が今の格好で街を歩けば即座に警察が呼ばれることは想像に難くない。
「おお…………?」
 だが、レイジの言葉に良宇は不思議そうに唸るだけ。
「………聞いてなかったんだな。っていうか、またメール見てなかったんだな」
「おお………」
 レイジのため息に、巨漢は申し訳なさそうに肩を落とすだけだ。


 華が丘高校、本館屋上。
 水のタンクの上にうずくまるのは、小柄な影。
「真紀乃さんは……何をやってるんだい?」
 それをグラウンドから見上げて呟いたのは、ウィルだった。
 さすがに元に戻った後も女性の振る舞いをするつもりはないのか、更衣室でいつもの服に着替えて来たらしい。
「ああ。真紀乃さん、なんか、穴があったら入りたい気分なんだって。記憶なんて、全部なくなれば良かったのにとかなんとか……」
 答えたのは、もちろんレムだ。
 彼も元の姿に戻り、重い痛いと気に病んでいた長い髪も、根本からばっさりと切り落としていた。後で散髪屋で整えてもらう必要はあるが、とにかく一秒でも早く長く鬱陶しい邪魔者を何とかしたかったのだ。
「まあ、だいぶノリノリだったしなぁ……」
 傍らの銀髪の少年をちらりと見遣り、八朔。
 彼は朝から男物の服を着てきていたため、何の荷物も持っていなかった。
「そうなのか。勇ましくて、あれはあれで魅力的だったと思うけれど………でも穴という割に、何で屋上に?」
 そんな八朔の視線に気付く素振りも見せず、ウィルはそんな疑問を隠せない。
「さあ……。穴掘るの、めんどくさかったんじゃない?」
「ふぅん……。地上の人は、変わっているね」
 もちろん美の追究者たる彼は、女性の間にした行動に、何の後悔をすることもないのだった。


 華が丘高校からの帰り道。
 長い長い坂を下り、その麓にある公園で。悟司はブランコに腰を下ろし、ぼんやりと空を眺めていた。
「どうしよう……」
 手元にあるのは、薬の入ったペットボトル。
 もちろん悟司自身は既に男の姿に戻っている。
 ペットボトルは、今日病欠した百音のぶんだ。
 もちろん百音は既に元に戻っているから、この薬は必要ない。だが、話に聞けば魔法庁の研究スタッフ達はこの薬を一刻も早く完成させるため、不眠不休で打ち込んでくれたらしいし、その段取りのギリギリぶりは手元のペットボトルが全てを物語ってくれている。
 それをいらないからと言って無碍に捨ててしまうのも、何だか悪い気がしたのだ。
「どうしたんですか? 悟司さん」
 そんな悟司に声を掛けたのは、あの事件の中で唯一、性別逆転の災いを免れた少女だった。
「ああ、ハルモニアさんか……」
「お悩みごと、ですか?」
 悟司の雰囲気に気付いたのか、キースリンは小さく首を傾げるだけ。語りたくないと言えば去るし、語るというなら聞く、そういうどちらにも動ける状態だ。
「まあ、ハルモニアさんなら百音さんと仲良いし、いいか……」


 今日の登校は特別な事情もあり、全員が私服登校を許可されていた。
「あーあ。つまんなーい。なんでハーちゃん、男の子に戻っちゃったのよー」
 そんなわけで、学校帰りに堂々とライスに寄っていた晶は、テーブルに突っ伏したまま盛大なぼやきを漏らしている。
「バカ言わないでよ……」
 個人的には性別逆転生活を満喫していたハークだが、戻れる公算があったから楽しんでいた面は多分にあった。もし二度と戻れないと告げられていたなら、正直どうなっていたかは分からない。
「晶は、元に戻る薬をなげすてた!」
「それをすてるなんてとんでもない!」
 もちろん、開き直って楽しんでいた可能性もなきにしもあらずだが……。
「けど、これで服の採寸が出来るね。冬奈ちゃん」
 そして、同じテーブルでお茶を楽しんでいるのは彼女たち二人だけではなかった。
 ファファと、冬奈だ。
「……ホントにやるの?」
「やるよぅ。服飾研のファッションショーにも出てもらう約束、ちゃんと忘れてないよね?」
「え……ああ、うん…………」
 性別逆転で一番被害を被っていたのは、実際の所はファファだったかもしれない。なにせ、文化祭までに作る予定の服の採寸が、今の今まで出来なかったのだから。
 しかも、ファファと冬奈の二人分だ。
 ファファも外観こそ変わらなかったが、採寸のレベルでは相当な差違が生じていた。数値が分からない以上型紙を作るわけにもいかず、これまで延び延びになっていたのだ。
「え? なになに? ファッションショーとかやるの?」
「やるよー。文化祭だもん!」
 九月に入ればすぐに文化祭の準備が始まる。大半の文化部にとっては最大のイベントとそれに、力が入らないはずがない。
「そっか。そういえば……ウチも来週、集まりがあったよね」
 そして、晶とハークも料理部の一員だ。
 料理の準備そのものは服飾研ほど期間を要するわけではないが、材料の調達や部室内の飾りには、やはりそれなりの手間は必要になる。
「あ、そっか……あーあ。やっぱりハーちゃんが女の子のまんまだったら、メイド喫茶とか出来たんじゃん。ちぇー」
「別にボクじゃなくてもいいでしょ……それ」
 そもそも料理部に女子の数は事欠かない。
 わざわざハークを女装させてメイドさんの格好をさせる意味など、どこにもないはずだ。


 悟司の隣のブランコに腰を下ろし、キースリンは百音が学校に来なかった理由を聞いていた。
「まあ。なら、ご実家から送られてきた魔法の薬で、もう女の子に……」
 百音のドルチェ家は、メガ・ラニカでも最高位に位置する大魔女を擁する一族だ。性別変化の霊薬に対抗できる薬のひとつやふたつ、持っていても不思議ではない。
「なんか貴重な薬だったみたいで、一本しかなかったらしいんですけど……。で、この薬、百音さんに持って行ってくれって先生に渡されたんですけど、どうしようかな……と」
 もちろん、理由に関しては嘘だ。彼女の祖母ならその手の薬を持っていてもおかしくはないが、何の見返りもなく百音にそんな薬を授ける性格ではないだろう。
 だが、いくら百音の親友といえど、彼女の秘密を話すわけにはいかなかった。
 百音はずっとこんな想いをしていたのだろうか……そう思うと、秘密にしていた彼女の方が、むしろ大変だったのではないかとさえ思ってしまう。
「あの……悟司さん」
「何ですか?」
 キースリンから投げかけられたのは、思い詰めたような声。
「そのお薬、譲ってくださいません?」
「それは別にいいですけど……どうかしたんです?」
 彼女は祐希に庇われたおかげで、性別逆転に遭っていないはずだった。ただの解呪薬だから、他のことに使えるわけでもないし、彼女にとっては悟司並みに無用の長物であるはずだが……。
「そ、それは…………」
 問われ、キースリンも言葉に詰まる。
 まさか正直に事情を話すわけにもいかないし、かといって上手い嘘も思いつかない。
「そ、そうですわ! 祐希さんが、薬をこぼしてしまって……」
 心の中で祐希にごめんなさいと手を合わせながら、とりあえずそんな事を言ってみれば。
「あれ? さっき会いましたけど、普通に元に戻ってましたよ?」
 メイド服を着なくても良くなったと、嬉しそうにしていた祐希の姿を思い出す。もちろんほんの少し前の話で、彼は既に男の姿に戻った後だ。
「うぅ………ダメ、ですの?」
「いえ、まあ、どうしても言えない理由があるなら、いいですけど……。あ、そうだ。この薬を渡したことは、僕と百音さん以外、内緒にしてください」
 理由とやらの見当は付かないが、言えない理由があるのは悟司も同じ。こちらはいらない物だし、渡して喜んでもらえるなら、みんな幸せになれるはずだ。
「祐希さんは……?」
「まあ、森永ならいいです。とにかく、百音さんが先に元に戻ってたっていうのは、内緒にしときたいそうなので」
 実際、そんな嘘に嘘を重ねる事を防ぐため、あの作戦の日以降、百音は誰とも連絡を取らずにいたのだ。この四人だけの秘密にすれば、少なくとも明日からは百音は普通の「みんなと同じ薬で元に戻った」ということが出来る。
「分かりましたわ! ありがとうございます!」
 笑顔で悟司の手を取るキースリンに、流石の悟司も思わず頬を赤らめて………。
 同時、掛けられたのは。
「…………悟司くん?」
 公園の西側、家の方から姿を見せた、百音と。
「…………キースリンさん?」
 公園の東側、学校の側から姿を見せた祐希。
「え、あ………」
「あの………」
 百音と祐希の目に映るのは、悟司とキースリンが互いに手を取っている構図、ただそれだけだ。
「こ、これは……」
 呟く悟司に、百音は思わず走り出し。
「ちょっ! キースリンさん!」
 祐希の制止を聞くこともなく、キースリンもその場を駆け出していくのだった。


続劇

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