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23.トライアングラー

 チェックインを済ませて歩いてきたのは、見知った顔のはずだった。
「………どうしたんだ? 森永」
 ロビーのソファーでジュースを飲んでいた悟司は、親友の変わり果てた様子に思わず声を掛けている。
「ああ……鷺原君ですか」
 祐希はその声に気付き、力なく微笑んでみせるだけ。
 その様子は単純に疲れているというよりも、気力を使い果たし、やつれているように見える。
「なんだ、幸せ疲れかよ?」
 ハルモニア邸での彼等の暮らしは、セイルの家にいた時にレイジ達から聞かされていた。
 その時は流石に話半分に聞いていたが……。目の前の祐希を見れば、それも言うほど冗談ではなかったのかと思えてしまう。
「……鷺原君こそ、美春さんと良い感じだって聞きましたよ?」
 そう言ってくる悟司達も、百音の家で楽しく暮らしていると聞いていた。
 ただ、レイジがドルチェの屋敷を訪れたのは悟司達の試練が始まる前のことで、情報には若干の劣化がある。その後に待ちかまえていた試練の話は、当然ながら祐希の耳には届いていない。
「そ、それは……そりゃ、ちょっとは良い感じになれたかな……とは、思ってるけどさ……」
 共に試練を乗り越えて、少しだけ強くなれたという思いはある。
 そして、百音との距離も少しは縮まったとも。
「ねえ、鷺原君」
 そんな悟司の隣に腰を下ろし。
「何だ?」
 祐希は、ぽつりと呟いた。
「男同士の恋愛って、成り立つんですかね……?」
 その瞬間、悟司の姿はロビーの彼方、ソファーから遠く離れた壁際にある。
「ちょ、おま……っ!」
 親友の漏らした核弾頭並みの告白に、悟司の頭は処理が追いつかずにいる。
「悟司くん……森永くん………」
 その混乱に拍車どころか鞭を叩きつけたのは、呆然と呟く少女の声。
「え、いや、あの、美春さん………っ!?」
 百音は交互に二人の様子を確かめて……。
「悟司くん総受けなんていやーーーーーーっ!」
 その場を、脱兎の如く駆け出した。
「ちょっとなにそのワケ分かんない誤解……っ!」
 あっという間に見えなくなってしまった百音を追い掛け、悟司も慌ててロビーを後にする。


 通りを駆けていく百音を呼び止めたのは、レイジの穏やかな声だった。
「どしたんだ? 美春」
 珍しく、一人である。
 そういえば良宇はセイルにレリックの調整をしてもらうと言っていた。レリックの調整は集中の必要な作業だから、レイジも遠慮して席を外しているのだろう。
「あ、ホリンくん……ちょっと、聞い……いや、いい」
「何だそりゃ」
 いくらレイジが信用のおける人物とはいえ、さすがに自分のパートナーのそんな状況を愚痴るのは嫌だった。
「そうだ! 良かったら、買い物に付き合ってくれないかな? まだウチのお土産、買ってなかったんだ」
 だからそのストレスは、単純に購買欲を満たすことで発散することにする。
 要は家族へのお土産の名を借りた、ヤケ買いだ。
「そりゃ、構わねえが……買い物なら悟司と行きゃあいいじゃねえか」
 レイジとしては、可愛い女の子とデートできるのだから……ハークではないが、断る理由はどこにもない。
 ただ、その相手が彼氏持ちでない、という条件付きではあるが。
「悟司くんなんて知らないんだから! 勝手にウホッてやってればいいのよ!」
「………ウホッ?」
 何かの隠語なのだろう。
 だが、そういう事に通じていそうな彼の友人は、まだ宿に辿り着いていない。


 白い世界は、うっすらとした霧のようなものに覆われたまま。
「ねえ、晶ちゃん。今日って何日?」
 呟くハークに、傍らの晶はため息を一つ。
「携帯の電源なんてとっくに切れてるわよ。ハークくんは?」
「切れてなかったら聞いたりしないよ……」
 当然の話ではある。
 砂色の怪物から逃げている間、即座の着スペルにも対応できるよう、携帯はずっとフル稼働。もともと電池残量に不安があったところにそれだから、既に魔法携帯はただの魔法の杖の役割しか果たさない。
 どちらも予備のバッテリーを持ってきてはいたが、残念ながらハークの家の荷物の中だった。
 帰ったら、買った魔法のポーチにバッテリーだけは入れる事にしよう。
 そんな事を考えながら、携帯の電源ボタンを押してみれば。
「あ。ついた!」
 真っ黒だった液晶に表示されるのは、久しぶりに見る起動画面。どうやら残ったわずかなバッテリーが、起動に足りる量に回復したらしい。
「まだ八月七日だって。だったら、余裕よねぇ」
「その余裕がどこから出てくるのか知りたいよ……」
 世界は真っ白。少女から渡されたコンパスの通りに進んではいるが、行けども行けども出口らしき物は見当たらない。
 そこに、声が響いた。
「おまえ達! そこで何をしている!」
 鋭い男の声だ。
 当然ながら、晶のものでも、ハークのものでもない。
「え……?」
 霧の中から現れたのは、見覚えのあるコートを着込んだ男達。
 そして、その腕に巻かれているのは……。
「見たところ、華が丘の学生のようだが……どこから入ってきたんだね!」
「た……助かった……!」
 ゲート管理局の男達にお叱りの言葉を受けながら。
 二人はその場に、へなへなと崩れ落ちるのだった。


 レイジの手に下がるのは、お土産の入った布袋。
 もちろん自分の土産など数えるほどしか入っていない。大半は、一緒に歩いている百音の物。
「悟司と祐希が……ねぇ」
 買い物をしながら、百音は先ほど彼女が見た出来事を洗いざらい吐き出していた。買っても買ってもイライラが収まらなかったのだから、仕方ない。
「……けどよ。そいつぁ、事故なんじゃねえか?」
 祐希にはキースリンがいるし、悟司にも百音がいる。
 どちらかといえば、そんな噂が立てられかねないのは……レイジ達のような男同士の組み合わせや、ファファや冬奈のような女同士の組み合わせだろう。
「どういうシチュエーションで……?」
 だが、百音の言葉は冷え切ったもの。
「…………すまん。勢いで言った」
 確かに、言葉とは何らかの意思ありきで放たれる物であって、行動のように不確定な要因が絡み合うことはまず無い。
 もちろん聞く側に間違った前提があれば、意思ある言葉も曲解されて、事故へと至ってしまうのだが……。まさか間違っているのがよりにもよってキースリンの性別などとは、二人が気付こうはずもない。
「けど悟司って、美春の事が気になってると思うんだけどなぁ?」
 テントでの合宿生活の時も、今までの生活でも、悟司がパートナーの事を気にする素振りは幾度となく見てきた。
 しかし、自分たちに対して、似たような視線を感じたことは当たり前だが一度もない。
「そ……そう、かなぁ………?」
 悟司と百音は、レイジから見ても似合いのカップルだと思う。
 どちらももう少し、踏み込んでもいいだろうに……などと、おせっかいじみた事を考えたその時だ。
「………ホリンくん?」
 明らかに身を固くしたレイジの様子に、百音は首を傾げ。
「……すまん美春、逃げられそうにねえから、ちっと合わせてくれ」
 その意味を百音が問うより早く。
「あら、レイジくんじゃない!」
 レイジに掛けられたのは、正面から歩いてきた少女の声。


「…………マヒル」
 そのレイジの呟きは、今まで百音が聞いたことが無いほどに渋いもの。
 百音とレイジの間に、それほど深い付き合いはない。同じクラスだし、パートナーの親友という事で共に課題に挑むこともあるが、あくまでもクラスメイトの範囲の内だ。
「久しぶりー。どしたの? 地上に行ってたんじゃないの?」
 その彼女でさえ分かるレイジの異変を、レイジが名前で呼んだ少女は、気付いているのかいないのか。
 気付かないなら相当なものだと思うし、気付いていてこれならなおさらタチが悪い。
「夏休みでな。ちょっと帰ってきてたんだよ」
 口調こそいつもの様子だが、表情は硬く、目は少しも笑っていなかった。
 そこに感じるのは、嫌悪でも、諦観でもなく。そんなぐちゃぐちゃとした感情を洗いざらい片付けた先にある……百音のいまだ知り得ない心境だ。
「そうなんだー。で、そっちのコは? メガ・ラニカのコ……だよね?」
 マヒルの値踏みするような視線に、百音は小さく身をすくませる。
 祖母や大ブランオートがして来るような、相手の実力を計るための視線ではない。そんな物よりもっともっと生々しい、レイジの傍らにある名も知らぬ少女が、自身より格下である事を確かめるための……オンナの、視線。
「ああ。向こうに住んでる、メガ・ラニカとのハーフで……俺の、パートナーだ」
 そんな視線から百音の体を隠すように。
 レイジは百音の肩を抱き、そっと引き寄せてみせる。
「ふぅん……。レイジくん、今はこんなコが好みなんだねぇ」
「な、なんですかぁ……っ?」
 百音のうわずった声を、己に張り合うためだと思ったのだろう。
 実際は芝居とはいえ、男子に肩を抱き寄せられた事そのものにテンパっているだけなのだが、マヒルはそんな事にも気付かない。
 気付こうとも、しない。
「優しくて良い子だぜ。なあ? 百音」
 顔を真っ赤にしたまま無言で頷く百音の肩を軽く叩き、方向転換。
「じゃあな、マヒル。俺達、今日で向こうに帰らなきゃなんねえんだ」
「そっか……。私もこれからデートなんだ。じゃあねー!」
 ひらひらと手を振るマヒルを背に、百音の肩を抱いたまま、レイジはゆっくりと通りを歩き出す。


 通りの中程まで来ても、背中に刺さる視線はいまだ鋭さを失わぬまま。
「……すまん。もうちょっとだけ、合わせてくれ」
 角を曲がったところで、ようやく視線は消えてくれたが……。そこまでずっとこちらを睨んでいた少女のことだ。追い掛けてこないとも限らない。
「い、いいけど……あの子は?」
 肩を抱く腕の意外な大きさに早まる鼓動を隠せないまま、百音はそれを口にするのが精一杯。
「…………別れた、元カノ」
 レイジの先刻の態度や今の口調から察するに、相当な修羅場だっただろう事は容易に想像がついた。
「うわぁ………」
 さらに言えば、そんな修羅場をくぐってなお平然とレイジに声を掛けられるマヒルには……一周回って感心するしかない。
「もう何でもねえと思っちゃいたんだが、ああもフツーに声を掛けられると流石にカチンと来ちまってな……。ホントに悪かったな」
 話す間に通りを二度曲がり、追跡が来ないことを確かめて。
「じゃ、次で……」
「ああ。後で、パフェでもおごらせてもらうわ」
 次の角で抱いていた肩を離そう。
 そう決めて、角を曲がった先にいたのは。
「美春さん…………レイジ?」
 悟司の、姿。
 汗だくの額は、逃げた彼女を捜して街中を走り回っていた事を示している。上がりきった息を整えるため、建物の角に背を置いて、ひと息ついていたらしい。
「あ……悟司くんっ!」
 そのまま無言で走り出した悟司の背中に。
 百音の叫びは、届かない。


「どしたの? 祐希」
 宿のロビーに入ってきた冬奈は、ソファーで休んでいた少年に思わず声を掛けていた。
「やつれてるみたいだけど、やりすぎは体に毒よ?」
 ファファは祐希が何をやりすぎるのかよく分からなかったが、食べ過ぎやオーバーワークが体に毒な事は理解していたので、黙っている事にする。
「何をやりすぎるんですか……何を」
 対する祐希は疲れ果て、腹を立てる気力もない。
「四月朔日さん達はどうでした? 楽しかったですか?」
「ええ。まあ、色々あったわよ」
 王都観光に、頼まれ物の消化。ファファの住んでいる所も見て回れたし、おおむね満足な旅行だったことは間違いない。
「ラピスさん、元気な赤ちゃんが生まれるといいねぇ」
 そして、森の中で知り合った少女たち。
 予定日は九月の末から十月の初めだと聞いていた。その頃には、二人の元にも良い報告が届くことだろう。
「……四月朔日さん? 何か、顔色が赤くありません?」
「そんな事ないわよ。大じょ……う……………」
 祐希の問いに、そう答えようとして。
 少女の視界がぐるりと回り、膝が力を失って。
「冬奈ちゃんっ!」
 ロビーに響く鈍い音に、ファファの悲鳴が重なった。


続劇

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