22.メガ・ラニカ最後の日に
ローゼリオン家の一日は早い。
薔薇が朝日に輝く頃に始まり、薔薇が夜露に濡れる頃に終わると言っても過言ではない。
だが、今日の始まりはいくらなんでも早すぎた。
まだ陽も昇らぬ薔薇園に揃うのは、当主エドワードを筆頭に、ウィルの両親と弟のハロルド。そして、パートナーの八朔。
ローゼリオン邸にいる全ての者が、その場へと集っていた。
普段は笑顔と会話の絶えぬ一同なのに、今日ばかりは誰もが無言。
ただ薔薇園の中央。広場に一人立つ、少年の背を見守っているだけ。
「ウィリアム、覚悟は良いね」
「お爺さま。試練の前に一つ、よろしいですか?」
掛けられた言葉に、少年は振り返ることなく言葉を返す。
寄越された沈黙を是と取ったのだろう
「八朔くん」
ウィルが呼ぶのは、パートナーの名。
「君に一つ、隠していた事があったんだ。立ち会ってもらう前に、それをまず謝っておかなければ」
「……お前が?」
意外な場面での唐突な告白に、八朔はそう呟き返すことしか出来ない。
「私のレリック……まだ、見せていなかったよね」
そう呟き、左手に取り出したのは携帯電話。
電源は既に投入済み。
そして、右手は彼の後頭部。結い上げた髪をまとめている薔薇の髪留めにすいと触れる。
髪留めの戒めが解き放たれると同時。銀色にも見える長く白い髪が、ふわりと大きく広がって……。右手の内に握られているのは、薔薇の意匠を刻まれた白大理の細剣だ。
「その姿、今こそお目に掛けよう。……お爺さま!」
「うむ! ローゼ・リオン!」
エドワードの叫びと共に大地の内より現れるのは、ローゼ・リオン。ローゼリオン家の薔薇園に住む、薔薇獅子の異名を持つ幻獣だ。
そして、それを迎え撃つように立つのは……。
「薔薇仮面…………」
華が丘高校でそう呼ばれた仮面の貴公子が、ウィルの代わりにそこには立っている。
「残念ながら、今日は訂正している暇はなさそうなんだ……」
既に薔薇獅子は仮面の剣士を侵入者として認識したらしい。無数の触手を蠢かせ、口角に並ぶ牙を鳴らして威嚇の姿勢を取っている。
「ウィリアム……いや、マスク・ド・ローゼよ! 今こそ我がローゼリオン家当主の資質、薔薇獅子に示してみせよ!」
それが、ウィルが挑むことを許された試練。
彼の家族とパートナーは、それを見届けるためにここにいる。
「マスク・ド・ローゼ……参る!」
現当主の鋭い声に、薔薇獅子は弾かれたように走り出し。
ウィルもマントをたなびかせ、まっすぐに翔けだした。
白い雪空に舞うのは、黒赤の翼の飛竜達。
メガ・ラニカの飛竜は爬虫類の性質を備えるが、爬虫類そのものではない。品種改良の中で竜鱗に耐寒の特性を宿すようになったそれは、変温動物でありながら雪の中での飛行も十分にこなす。
昨晩のうちに近くの町まで伝書鳩を飛ばし、迎えの依頼をしておいたものだ。
「どうやら上手く言ったようだね、おまえ達」
ゆっくりと降りてくる飛竜を横目に、ブランオートの大魔女が声を掛けたのは己の孫と、傍らの巨漢。
「あとは……王都で、仕上げる」
夜を徹しての捜索作業となったのだろう。ふらふらと半ば眠っている様子のセイルだったが、唯一の肉親であり師でもある老女の言葉には、しっかりと頷いてみせる。
「……ありがとな、婆ちゃん。大切に使わせてもらう」
良宇の携帯にぶら下がっているのは、小さな鋼のストラップ。それが、昨晩の二人の成果なのだろう。
「やっぱりそれ、不愉快だからやめな」
「お、おう……」
呟き、折りたたみの携帯をポケットに押し込んだ。
「維志堂くん! セイルくん! 行くよー!」
「ええっと……フィアナさま、本当にありがとうございました!」
「ああ。こっちに来る機会があったら、またおいで」
雪原の向こうから飛んできたリリ達の言葉に、良宇はフィアナに深く一礼。
二人分の荷物を抱え、セイルの背中をぽんと押して歩き出す。
「セイル。獣化の力が使いこなせるかどうかは、あんたの心の持ち方次第だよ。上手くあの子を守っておやり」
祈るようなフィアナの言葉は、たった一人の孫に届いたのだろうか。
八月八日。
旅行の六日目は、メガ・ラニカ全土に散った生徒達の集合時間に充てられていた。
いくら狭いメガ・ラニカとはいえ、最遠部から王都までは飛竜を使っても半日以上かかってしまう。もし集合を最終日にしてしまうと、合流に間に合わない生徒が出てくるからだ。
だが、王都の中だけの移動なら、徒歩でもさほど掛からない。
「ええっと……」
集合場所の宿からいくつか隔てた通りを歩きながら。
黒髪の少女は傍らのパートナーに、わずかにはにかんでみせる。
「こういうのを、デートって言うんでしょうか………?」
集合時間まではまだ十分な時間があった。ついでに華が丘へのお土産も買おうと、キースリン達は宿の近くで馬車を降り、こうして街を散策していたのだが……。
「そう……ですねぇ」
端から見れば、楽しそうな女の子と、それに従う男の子の構図であることは、間違いない。
だがその真実を聞けば、みんなどう思うだろうか。
そんな事を思いつつ、祐希はキースリンにそんなぼやけた答えを返すだけ。
「ふふっ。私、デートって初めてです」
余程、昨日のファファ達との買い物が楽しかったのだろう。身一つのキースリンは通りに並ぶショーウィンドウを子供のようにはしゃぎながら見て回っている。
「ほら、祐希さん! このペンダント、すごく綺麗!」
いつものキースリンは、淑女然としたお嬢様だった。
そんな彼女の初めて見せる無邪気な一面に、祐希の胸はわずかに軋み。
(ええっと……キースリンさんは男の子だから! 僕と同じ男の子……ですからね、森永祐希……っ!)
だが、そう必死に念じる祐希の脳裏に浮かぶのは。
ハルモニアの屋敷で見た、女の子の体を持つ彼女の幻だ。
「やあ! みんな、久しぶり!」
集合場所となっている宿でレイジ達を出迎えたのは、ロビーで紅茶を楽しんでいたウィルだ。
「どうしたの、ウィルくん! そのケガ!」
だがその有様に、迎えられた側は息を呑むばかり。
首から下にはぐるぐると包帯が巻かれており、ミイラ男のような有様である。
これでは歓迎どころか、ドッキリだ。
「ははは。ちょっと試練に失敗してしまってね」
元気そうではあるから、装いが派手なだけでそこまで深刻な状態ではないらしい。
「大丈夫なのか……? まさか、退学になったりとかは……」
悟司としては、試練という言葉に退学の二文字しか結びつかない。
自分たちは試練を達成することで、その危機を乗り越えることが出来たが……。
「そこまで厳しいものではないさ。ただ、もっともっと腕を磨かなければならないけどね」
その言葉に、悟司と百音はほっとひと息。少なくとも、彼等のような切迫した条件は付けられていないらしい。
「ともかく、部屋に行こうよ。あんまり役に立たないかも知れないけど……治癒魔法、使えるからさ」
「ああ、それは助かるよ。ウチでは誰も、その手の魔法が使えなくてね」
そしてウィルは紅茶を飲み干すと、リリやセイルに連れられて、階上にある彼等の部屋へと消えていった。
「何があったんだ? 八朔」
包帯だらけの背中を見送って。
レイジが問うのは、八朔だ。
ウィルのケガの原因は、レイジ達がローゼリオン家にいたときにエドワードが言っていた『試練』のせいだろう。
そして八朔はパートナーが挑むというその試練を見届けるため、レイジ達と行動を共にすることなく、ローゼリオン家に残っていたはずだ。
「ま、ちょっとな」
「……そうか」
静かな呟きに幽かな苛立ちが混じっていることを、感じ取れないレイジではない。
「悪い。やっぱ、ちょっと見てくる」
そう言ってウィルの部屋へ上がっていく八朔を見送り、彼等も一同のチェックインを済ませるべく、カウンターへと向かうのだった。
続劇
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