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18.ファファとキッスのよもやま家族事情

 扉を開ければ、漂ってくるのはパンの焼ける香ばしい匂い。
「おはよー………」
 久しぶりに晶達と遊び回ったせいか。珍しくまだ寝ぼけ声のファファの耳へと届いたのは、おはようの挨拶ではなく。
「それでは、行ってくるよ」
 往診用の鞄を携えた、父親の声。
「あれ? パパ、どこか行くの?」
 家族経営であるハニエの診療所は、基本的には外来専門だが、乞われれば往診にも応じることがある。大半は近所でお爺さんがホウキから落ちて腰を打っただの、子供が熱で動けないだのといった程度の話なのだが……。
「ああ。ギース卿の所に往診にね」
 その腕を見込まれて、王都から仕事を依頼されることもある。
「ギース卿って……ハルモニア家の?」
「そうだよ。地方の視察から今日王都に戻れるという連絡があってね。夕方には戻れると思うから」
 そう言って、ファファの父は玄関へと歩いていく。
「それって……冬奈ちゃん!」
 近くの森で朝の稽古を終え、戻ってきていた冬奈も、ファファの言葉に頷いてみせる。
 王都のハルモニアといえば、レイジ達が向かった場所に違いない。
「ねえ、パパ! ちょっと待って!」


 メガ・ラニカで一般に使われる乗用飛竜は、雌ならば濃緑、雄ならば黒赤の鱗を持つ。どちらも頑強な鱗と強くしなやかな翼を持ち、南の果てから北の彼方までひと息に飛翔するだけの体力を備えている。
 だが、その飛竜の色は、雌雄のどちらの持つ色でもなかった。
 桜花色。
 亜種、と呼ばれる突然変異である。
 大半が原種よりも強力な性質を持ち、翼の叩き出す最高速もおおむね亜種の方が速い。
「けど、何とかなって良かったねぇ……」
 そんな変異種の鞍で呟くのは、百音だった。
 向かう先は北の果て。極北の調査都市タラルクトスのさらに北、人など数えるほどしか住まない辺境の地。
 銀嶺の森へと、進路を取る。
「うん。美春さんがいなかったら、どうなってたか」
 彼の限界をはるかに超えた、八発の弾丸。極限の集中と百音のサポートがあったからこそ使えたそれは、試練が終わった後でも彼一人で使うことは出来なかった。
 勝てたのは決して彼一人の力ではない事は、その事一つを取っても明らかだ。
 まだまだ先は長いと、大ドルチェから「持っているだけでいい」と言われた魔法の手綱を握りしめる。
「そんな事ないよ。わたし一人じゃ……何にも、出来なかっただろうし」
 桜色の飛竜の上。百音もぽつりと、そう呟く。
 紫音の魔法の力は、百音のそれをはるかに凌いでいた。もちろん百音の真の力を出したわけではないが……仮にそれが出せる場面だったとしても、彼女一人で勝てる見込みは限りなくゼロに近かったろう。
 そもそも、百音一人で紫音に本気の攻撃を放つなど……出来なかったはずだ。
「え? でも、今回の件って……美春さんは巻き込まれただけでしょ?」
「…………え?」
 だが、悟司の言葉に百音は言葉を失った。
「俺が修行したいって言ったから、フランさんがあんなこと言いだして……。俺のワガママで変な事になっちゃって、ほんとにごめん」
 あの場面だけを見れば、確かにそんな解釈も出来る。
 修行をしたいという悟司に対して、悪ノリしたフランが無茶な課題と条件を、百音にまで押しつけてきた……と。
 悟司から見れば、確かにそうだろう。
「悟司くん……」
 だが、違う。
 違うのだ。
 巻き込まれたのは百音ではなく、悟司のほう。
 百音の試練に巻き込んで。
 百音が出来ない、紫音への本気の攻撃を肩代わりさせたのだ。
「………わたしこそ、ごめんね」
 飛竜の起こす風の中。
「え? 何か言った?」
 百音の想いは、すぐ前にいる悟司にさえ届かない。
 いや、届けてはならない。
 届けてしまえば、百音自身ではなく、その周囲に災いが襲いかかるという。それがどんな災いかは分からないが、彼女の周囲の中には、間違いなく目の前の少年も含まれているはずだ。
「…………ううん。何でもない」
 百音のその呟きすら、桜色の風の中に消えていくばかり。


 がたがたと、馬車は街道を進んでいく。
 メガ・ラニカの街道は、大地の精霊を操る魔法で造られる。魔法使いがいれば良いだけだから大規模な工事など必要ないし、工事のための人足が市井の内から取られることもない。
 故に、メガ・ラニカの街道はどこも驚くほどに整備され、管理されていた。
「けど、良かったのかい? ファファ」
 そんな街道をゆっくりと進みながら。手綱を取っているファファの父は、傍らの娘へとそう問いかける。
「何が?」
「今日はママと、クッキーを焼くって言ってたじゃないか」
 確か昨日の夕食の席で、そんな話をしていたはずだ。帰ってきたら食べられるだろうと、密かに期待していたのだが……。
「……うん。ママが、明日で良いって」
 友達の所に遊びに行くのも大事な勉強だと、そう言ってくれたのだ。
 もちろん明日は、今日できなかったぶんまでしっかりとクッキーを焼く約束も、することになったけれど。
「そうか」
 そんな父娘の会話がひと段落ついた所で、傍らに座っていた冬奈は小さく頭を下げた。
「あの、無理について来ちゃって、すみません」
「ははは。構わないよ。ハルモニア家にお友達がいたおかげで、こうしてファファと出かけられたのだからね」
 クッキーは明日のお楽しみになってしまったが……。娘とこうして出かけられる機会が出来たのは、彼にとって喜びこそすれ、迷惑に思うことなどどこにもない。
「いえ、それだとなおのこと……」
 ほんのわずかの言葉の齟齬に、冬奈は苦笑。
「もう、パパったら!」
 ぷぅっと頬を膨らませたファファの姿に、彼もようやく冬奈の言いたい本当の意味に気付いたらしい。
「……そういう意味か。それこそ、気にしなくていいのに」
 男は穏やかに笑い。
 馬車は、王都に続く街道をのんびりと進んでいく。


 北方に向かうというレイジと良宇を送り出してから、一刻ほどが過ぎ。
「やあ! 遅くなって済まなかったね、キースリン!」
 馬車から降りてきた盛装の男女を、少女は優雅な礼で出迎えていた。
「お帰りなさいませ、お父さま! お母さま!」
 今の姿は、レイジ達を送り出したときに着ていた簡素なサマードレスではない。そのまま舞踏会に出てもおかしくない程の、優雅な黒いドレス姿……盛装である。
「あの……ええっと、ゲデ…ヒトニスさん?」
 親子の再会を邪魔するのも悪いと、少々離れた所から一同の様子を眺めていた祐希が声を掛けたのは、同じように彼の傍らに立っている執事服の老人だ。
「呼びにくければ、セバスチャンで構いませんよ、祐希さま」
「……さまはやめてください。ええっと、セバスチャンさん?」
 何故ゲデヒトニスがセバスチャンになるのかはよく分からないままだったが、とりあえず言いにくいのでセバスチャンと呼ばせてもらうことにする。
「して、何でございましょう。祐希さま」
 祐希も様付けで呼ばれるのは勘弁して欲しかったが、そちらに関しては譲る気がないらしかった。
「キースリンさんのご両親は、キースリンさんの正体は……」
「もちろん、存じておりますよ」
 それはそうだろう。何せ、彼らは彼女の両親なのだから。
 キースリンの正体だって、ちゃんと知っているはずだ。
「いやはや、見違えたぞ。屋敷を出た頃より、何倍も美しいレディになっているじゃないか!」
 知っている……。
「いやですわ、お父さまったら」
 はず、だ。
「……でも、明らかに女の子のかわいがり方してますよね」
 少なくとも、女らしく育っている事を喜ぶというのは、そういうことなのだろう。
「旦那様は、三人目のお子様もお嬢様を欲しがっておいででしたから」
 まあ、男親というのは、そういうもの……なのだろうか。
 祐希は父親がいないから、想像するしかないのだが。
「じゃあ、お母さんは……」
「あらあら、どうしましょう。こんなに可愛いくなっているなら、何着か新しいドレスも仕立てておけば良かったわね!」
「奥様も、三人目も女の子がよいと、常々おっしゃっておいででした」
 母親というのは、そういうものなのだろうか。
 考える祐希の脳裏におそらく彼の知っている中で一番悪い見本が浮かんできたため、それ以上は考えないことにした。


続劇

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