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11.ノブレス・オブリージュ

 晶が通されたのは、陽光の差し込む広い応接間だった。
「そう。晶ちゃんは華が丘高校に……」
 窓は大きく、差し込む陽は強い。
 けれどその影となる場所。部屋の隅には埃まみれの蜘蛛の巣が張られ、窓の高い箇所には雨の流れた痕が刻まれたまま。
 きちんと手入れされていれば、それは見事な館だった……のだろう。だが、手入れするだけの力が既に無くなっているのは、素人である晶の目にも明らかだった。
 幼い頃、一度だけ訪れた時の記憶から、何一つ変わっていない。
「じゃあ、パートナーはどうしているの? 確か今年は、ハルモニア家のご令嬢が入学したという話だったわよねぇ。晶ちゃんなら、パートナーに相応しいのはそのお嬢さんかしら?」
 ハルモニア家の令嬢というのは、キースリンのことだろう。お嬢様だという話は常々聞いていたし、実際振る舞いもそのものなのだが……貴族社会とは縁遠い生活を送っている晶としては、名家のお嬢様と言われてもいまいちピンと来ない。
 しかしこちらの社交界では、正真正銘に名家のお嬢様らしい。
「いえ。ハルモニア家のお嬢様は、私のクラスの委員長のパートナーになってます」
 だが、キースリンのパートナーは祐希だ。晶ではない。
「あらあら、ハルモニア家のご令嬢と同じクラスなのねぇ。じゃあ、近いうちに皆さんをお招きしてパーティーを開かないといけないかしら……? 晶ちゃんは、いつまでこちらにいるの?」
 キースリンは休みの間、実家でゆっくり過ごすと言っていた。
 それにキースリンの家には祐希も一緒にいる。
 二人のそんな時間を邪魔するほど晶は無粋ではないし、そうありたいとも思ってはいない。
「私のパートナーは、オーヴィスの近くの山で山羊育ててるそうです。昨日の晩は、山羊をご馳走になりました」
「山羊……?」
 晶の言葉に籠められた棘に、気付いているのかいないのか。
 ただ、老婦人はその単語だけを目を丸くして繰り返すのみ。
「美味しかったですよ。山羊」
 晶の基準は、単純な二択。
 面白いか、面白くないか、だ。
 その基準で言えば、ここは明らかに『面白くない』。
「そ、そう……山羊……?」
 そんな姿勢に相対するのは初めてだったのだろう。老婦人は彼女のプライドに抗うでもなく、かといって従うでもない晶の奇矯な物言いに、目を白黒させるばかり。
「では、友達を待たせてますので。これで失礼します。お婆さま」
 そう言いきって、晶はその席を立ち上がる。
 晶の重みから解放されたソファーとクッションからは、その衝撃で強い埃の匂いが立ち上った。


 陽光を弾いて誇らしげに咲くのは、ローゼリオン家の紅の薔薇。
 見渡す限りの紅の庭園に、普段は薔薇など縁のない少年達ですら言葉もない。かつてウィルが一度だけ華が丘へと呼び出したそれは、広大な庭の本当に一角だったのだと……一同は改めて思い知る。
「ようこそ。我がローゼリオンの花園へ」
 その庭園を一望できる東屋で一同を出迎えてくれたのは、ウィルをそのまま成長させたような、長身の老紳士だった。
 彼らが到着することも察してくれていたのだろう。東屋に置かれた卓で湯気を立てるのは、薔薇の香りをまとう紅茶だ。
「残念ながら、地上のお茶は準備できなかったのだが……こちらのお茶でも良ければ、好きなだけ楽しんでいってくれたまえ」
 一同を卓へと招き入れ、慣れた手つきで一人一人にカップを振る舞っていく。
「それにしても、すごいですね……この庭」
 ウィルの話では、彼がこの広大な庭の管理をほぼ一人で行っているのだという。両親はもちろん健在だが、彼らは王都の真ん中で花屋を営んでおり、忙しいときに手伝う程度らしい。
「そうかね? 勇者ホリンの裔に喜んでもらえたなら、我が父祖にも鼻が高いよ」
 最後に自らの分のカップを手元に寄せて、老紳士は穏やかに微笑んでみせる。
「ご存じなんですか? ウチのこと」
 老紳士は確かに、勇者ホリンと呼んだ。
 ホリンの名はウィルから聞いていたのだろう。けれど、彼の家に伝わる竜退治の勇者の物語は、まだウィルには話していなかったはず。
「君の事をウィリアムから聞いたとき、ぴんと来たよ。我がローゼリオンの父祖が力を貸したホリンもまた、君のような金髪の青年だったと言うからね」
「曾爺さんの話、冗談じゃなかったのか……」
 彼の記憶にわずかに残る曾祖父は、明るく元気ではあったが、時折嘘とも真ともつかぬ話を始める、とぼけたところのある老人だった。
 そのせいもあって、竜退治の勇者の伝承は彼の冗談だとばかり思っていたのだが……。
「お爺さま。レイジくん達はそのお話を聞きたいそうなんですが……」
 レイジがウィルのもとを訪れた最大の目的は、その物語の真偽を確かめることにある。
「もちろん構わんよ。ならば、どこから話そうか……」
 そして、老紳士は東屋の椅子に身を委ねると、ゆっくりと瞳を閉じ。
 偉大なる父祖の物語を、緩やかに紡ぎ始めた。


(さて、どうしようか……)
 友達を待たせていると、晶は言った。
 だが、当然ながら晶は一人でこの街に来ている。オーヴィスに実家があるクラスメイトにも心当たりがないわけではないが、携帯もメールも使えない今、呼び出す手段がない。
 そもそもこんな街外れにどうやって呼び出すのか。
「…………」
 そんな事を考えながら玄関を出たところで、晶は言葉を失った。
「や」
 玄関に立つ門扉に身を委ねているのは、見慣れたパートナーの姿。
 晶の姿を見つけるなり、軽く手を挙げてみせる。
「あらあら。本当にお友達を待たせていたのねぇ……。ごめんなさいね、晶ちゃん」
 晶の苛立ちを友達を待たせているからだと理解したのだろう。穏やかに微笑む老婦人は、ハークに向けて軽く会釈をしてみせる。
「こちらこそ、急かしてしまって申し訳ありません。ボクは、ゆっくりしてきていいって言ったんですが……」
「そうねぇ。晶ちゃんも、お友達と一緒の方が楽しいわよね。またいつでもいらっしゃいね? 今度は、ハルモニア家のお嬢様も連れてくるといいわ」
 最後まで晶の苛立ちの本当の意味を理解しないまま。
 老婦人はオーヴィスへと続く街道を歩き出す晶に、いつまでも手を振っているのだった。


 ハルモニア家の書庫を歩いているのは、人ではないモノだった。
 開いた携帯に、細い手足の生えたもの。
 それは人の背などはるかに超える本棚の間を身軽に跳び回り、主が探しているだろう性質の本を一冊ずつ確かめていく。
 無論、さして力のない彼では、本を主の元まで運ぶことなど出来ようはずもない。ただほんの少し、本の位置を前へと引き出すだけだ。
 だがこうしておけば、後で主は少し引き出された本を探していけばいいことになる。
「お疲れ様、ワンセブン」
 与えられた任務をこなし、主の元へと戻ったワンセブンは、その言葉と共に魔法を解かれて元の携帯へと再変形。
「メガ・ラニカを作ったのは、魔女王とツェーウー……これもか」
 祐希が読み進めているのは、メガ・ラニカの創世に関する本だ。
 しかし、書かれている内容にわずかな差違はあれ、どれも大筋は変わりない。
 魔女王ドロシーと数名の有力な魔女が、ツェーウーと呼ばれる謎の存在の協力を得て異世界への扉を開き、魔法の力で新たな大地を作り出す。何もないその地に精霊と呼ばれる魔法の創造物を放ち、自然や太陽の代わりとした……そんなところだ。
「まさに、スペースコロニーですね……」
 もしくは、テラフォーミングといったところか。
 ワンセブンが探してくれた他の本に、それ以上の面白い情報はあるだろうか。そんな事考えつつ、本を閉じて……。
 向かいでやはり本を開く、パートナーの姿が目に入る。
 淡いサマードレスに身を包むキースリンは、さして厚くはない本を何やら熱心に読みふけっている。
「キースリンさん……何、読んでるんですか?」
 あまりに真剣なその様子が気になって、祐希はつい声を掛けてしまう。
「子供向けの絵本ですわ」
 キースリンは穏やかに微笑むと、本を持ち上げて表紙を見せてくれた。
「絵本……ですか」
 メガ・ラニカと地上の数少ない交易物に、書籍がある。
 日本の本ならメガ・ラニカの公用語である日本語が使われているし、何より電気が無くても楽しめる。地方でも少し大きな街に行けば、地上の本を扱う店は探し出すことが出来た。
 最近では、メガ・ラニカの本を地上で印刷し、逆輸入する事もあるという。
「小さい頃に好きだった絵本なんですけれど……セバスチャンが、その続きをずっと取り寄せていたらしくて」
 置かれているのを見つけ、つい続きが気になった、といった所だろう。祐希も本は読む方だから、そんな経験は幾度となくある。
「どんな話なんです?」
「ええ。幼い兄妹が時の迷宮に迷い込んで、いろんな所を旅するお話ですわ。これが最終巻だそうなのですけれど……」
 ページの別れ方を見れば、既に数ページを残すだけとなっていた。地上の本で言えば、出版社の情報や後書きが載っている頃だろう。
「一度は、百年先の実家に辿り着くんですが……その後、もう一度迷宮を通って、旅だった日の翌日に、無事帰り着けたんですの」
「へぇ……」
 子供向けの絵本にしては、随分と波瀾万丈な物語だ。
 キースリンが読み終わったら、読んでみようか。
 そんな事を考えながら、祐希は席を立ち上がる。


 平面世界のメガ・ラニカに、地平線はない。
 だがそんな世界でも、十分も街道を歩けば遠近法の恩恵で、館の姿は視界から消える。
「なんでここにいるのよ。ハークくん」
 そこでようやく、晶は傍らの少年に声を掛けた。
「でも、助かったでしょ?」
「………っていうか、どうやってここが分かったのよ」
 彼の母親に出かけて来るとは言ったが、行き先までは聞かれなかったので言わなかった。その時ハークはまだ寝ていたはずだから、彼女の行き先が把握できるはずがないのだが……。
「だって、飛んでいったら、晶ちゃんフツーに歩いてるんだもん」
 上空から見つけられれば、後はさして難しいことではない。特に今日の晶はいつもの理不尽な程の直感も働いていないようだったから、ほどほどの距離を取れば追跡する事に何の苦もなかった。
「飛べないって言ったじゃない!」
 ハークの家の周辺は乱気流の影響で、飛行魔法は危ないと言っていたはず。だからこそ、ハークの家に行くときは飛竜はおろか飛行の魔法さえ使えず、長い道のりを延々歩く羽目になったというのに。
「危ないとは言ったけどね」
 危ないだけで、不可能ではない。
 ましてやハークの村は、ハークのホームグラウンドだ。ハーク『は』飛べる、と考える方が自然だろう。
「…………」
 無言で歩き出す晶に、ハークはゆっくりと付き従うだけだ。
「でも、晶ちゃんの実家がオーヴィスにあるなんて、知らなかったなぁ」
「何で着いてきたのよ……」
 明らかに一本取られた腹立たしさを不機嫌さに転化して、晶はぽつりとそう口にする。
「別に……家にいるのも、面倒だったから」
 ハークの基準は、単純な二択。面倒か、そうでないか、だ。
 その基準で言えば、そこは明らかに『面倒』だった。
「別に家族を好きでなきゃいけないってワケじゃないだろ?」
 けっして、家族が嫌いというわけではない。
 ただ単に面倒で、そこまで踏み込む気にもなれないだけ。
「家族のこと、嫌いなの?」
 ハークが家族に対する態度は、晶の目から見ても明らかに仮面をかぶっているときのそれだった。
 女の子に可愛がられようと、媚びを売るときのそれとは少し違う。
 もっと無機的な……。
「そうじゃないけど……。ええっと、こういうの、地上の言葉で何て言うんだっけ……?」
「好きの反対は……嫌いじゃなくて、無関心」
 そのフレーズは、晶の口からさらりと流れ出た。
「ああ、そう言うんだ」
 それを実感しているのか、いないのか。
「……無関心なんだ。ボクは」
 ハークは他人事のように、口の中で転がすだけ。


続劇

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