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10.メガ・ラニカの貴族達

 メガ・ラニカの太陽は、地上のような宇宙に浮かぶ天体ではない。
 彼の地を構成する『精霊』によって形作られた、大いなる魔法の結晶体だ。
 大いなる魔法の恵みは黄道の頂を過ぎ、ゆっくりと残りの行程を始めようとする所。
「なんか、悪かったな。昼飯だけご馳走になりに来たみたいで」
 レイジ達がいるのは、来たときと同じ脚の生えた家の前だ。今日の夕方にはウィル達のいるローゼリオン家に行く予定になっているから、そろそろ出発しなければ間に合わなくなる。
「いいよ。ヤガーやリンキーも喜んでたし」
 殊に料理人形のリンキーは体格の大きな良宇を気に入ったらしく、食べきれないほどの料理を供しては彼を困らせていた。
「それよりごめんね。お婆ちゃん、急な用事で出かけてるみたいで……色々聞きたいこと、あったんでしょ?」
 レイジ達が強行スケジュールの中にあえて百音の実家を組み込んだのは、大魔女である彼女の祖母に話を聞きたかったからだと聞いている。もちろん、おもしろい話が聞けるだろうと誘ったのは百音の側なのだが、肝心の祖母がいなければ、話はおろか、調べ物をするための書庫の扉も開かない。
「こっちも急に押しかけたんだ。そんな事もあるさ」
 タイミングとは、そういうものだ。不要な時にはいつでもあるくせに、必要な時には限って無かったりする。
「レムの調べ物の確認は、華が丘に戻ってからかね……」
 唯一の幸いはレムから二通の伝書鳩が出発前に届けられた事だったが……貴重なその情報も、質問できる相手がいなければ進めようがない。
「悟司。修行、頑張れよ」
「ああ。維志堂さんたちも、気を付けてな」
 悟司の掛けたその言葉に、良宇は黙ったまま。寡黙ではあるが、問われたことにはきちんと返答を寄越す彼にしては珍しいと思っていれば。
「……良宇でいい」
 呟いたのは、そのひと言。
「レイジを名前で呼ぶなら、俺も良宇で構わん」
 言われ、確かにそうだと気が付いた。
 わざとしていたわけではないのだが、何となく中学校の頃からの呼び方を引っ張っていたのである。
「そっか。じゃあ……良宇達も気を付けてな」
「おう」
 そう言い残し、二人は村へと続く街道を歩き出す。
「……行っちゃったね」
「だな……。次に会うのは、ブランオートさんの家で、かな」
 良宇達はこれから村まで戻り、飛竜か馬車で王都に向かうのだという。
 本来なら二人も誘われていたのだが、百音は祖母への用事が残ったままだし、悟司もそれに合わせつつ、水晶の森での修練を続ける事になっていた。
 悟司達がこの不思議な館を後にするのは、おそらくは二日後、北方にあるセイルの家に向かうときになるはずだ。
「あの、悟司くん……?」
「ん? どうしたの?」
 振り向く悟司に、百音はある言葉を続けようとして……。
「…………ううん。修行、頑張ってね!」
 そう言うのが、精一杯。
「ありがと。美春さんもね!」
 穏やかに微笑む悟司は、悪くない。
 少々生真面目なきらいはあるが、この手のことに気が利きそうなレイジやハークでも、今の百音の気持ちを察することは限りなく不可能に近いだろう。
(いいなぁ……男の子は)
 心の中でそう思い、百音はやはり心の中で小さくため息を吐いた。


 目の前にそびえるのは、天まで届こうかという魔法銀の大扉。
 その前に控えるのは軽装の衛兵だ。
 メガ・ラニカにも犯罪はあるし、要人の家にはそんな賊に抗するための護衛兵が当然ながらいる。程度や質の差はあれ、そのあたりはメガ・ラニカも地上も変わらない。
 その衛兵は少女たちの前でしばらく険しい顔をしていたが、やがて通信の魔法が籠められている腕環を下ろし、表情を緩めた。
「四月朔日冬奈さま。ロベルティーネ様より連絡をいただいております。どうぞ、お通り下さい」
 衛兵の言葉と共に、大扉は音もなく開く。
 先に続くのは長い長い館への道。
「ね、ねぇ……冬奈ちゃん。ホントに大丈夫なの?」
「あんまり大丈夫じゃないけど……ロベルタから頼まれてるんだし、行くしかないでしょ」
 個人の館でありながら、ハルモニア家以上の警備と設備を持つそこは、メガ・ラニカの大貴族が一つ、ヴァンデルフェラー家の本宅である。
 実家に帰らないロベルタの代理として、何故か冬奈が挨拶の役割を押しつけられたのだ。もちろんそんな無茶振りは放置して、『行かない』という選択肢もあったはずなのだが……それを出来ない妙な生真面目さを持つのが、冬奈という少女なのである。
「ファファ、怖かったら外で待ってて良いわよ?」
 確か近所にはカフェがあったはずだ。挨拶が終わればすぐに戻るつもりではあるし、その時間を潰すくらいは何とでもなるだろう。
「ふみゅぅ……行くよぅ」
 そんな冬奈にしがみつくように、ファファも門の内側へと。
 館へ続く長い長い小径を、ゆっくりと歩き出す。
「そういえば冬奈ちゃん。気になってたんだけど、それ、何?」
 冬奈が提げているのは、薄紫の風呂敷に包まれた小さな箱だ。ヴァンデルフェラー家への手土産なのだろうが、一体何を選んだのか……。
「え? ものじ饅頭だけど……」
「ものじ………? それって確か……」
 華が丘の銘菓ではない。確か、隣県の有名銘菓だったはずだ。
「華が丘って有名なおみやげなんてないんだもの。これのほうがメジャーだし……」
 確かにファファも、華が丘の定番土産と言われてもぱっと思い浮かぶものがない。
 百音の実家で売っているお菓子は、お土産というより、普通に家で食べるような印象が強かった。
「こんな所に持ってくるのに、ちくわってわけにもいかないでしょ」
 華が丘のある県は三方が海に囲まれている事もあり、海産物だけはやたら捕れる。そこから派生した練製品などは、確かに名産の一つではあるのだが……。
「……おまんじゅうも、あんまり変わらない気がするんだけど……」
 そんな事を言う間に、二人は長い長い小径をあっさりと歩き抜いていた。どうやら小径全体に、移動速度と体感時間を早める魔法が籠められていたらしい。
「………無駄なところに金掛けてるわね。偉い人って」
 そんな感想を口にしながら、冬奈は目の前の巨大なノッカーを取り上げた。


 牧羊都市オーヴィスから、馬車に揺られること十分ほど。
 彼女を下ろし、街道を去っていく馬車を見送れば。
 人の姿など、見渡す限り他にはない。視界に入るのは牧羊都市名物の、羊の群れと牧羊犬。
 そして、一件の大きな館。
「……結構、覚えてるもんね。さすがあたし」
 古い記憶そのままの位置に、その館は記憶通りの姿を留めていた。
 分厚い錆の浮いた巨大なノッカーを取り上げたところで、晶はその手を一旦停止。
 よく見れば、ノッカーの土台となっている古木の大扉には細かなヒビが無数に走っている。力一杯ノッカーを叩きつければ、その衝撃でノッカーは基部ごと落ちてしまいそうだった。
 力加減を考えながら、ノッカーの先をご、と打ち付ける。
 大扉の表面からぱらぱらと何かが落ちていったが、それ以外に館からの反応はない。
「ごめんくださーい!」
 仕方なく、大声を出してみた。
 目の前の館は、沈黙を守ったまま。
「……留守かな」
 少女の言葉尻に混じるのは、残念の感情よりも、何かから解放されたような……喜の感情を含むもの。
 だが。
「あらあら。どなたかしら?」
 嬉しそうに館に背を向けたところで、その相手と目が合った。
 上等な服を着た、穏やかそうな空気をまとう老婦人だ。
「……水月晶と言います」
「ミナツキ……? もしかして、晶ちゃんかしら?」
 老婦人はほんのわずか、その眉根を寄せていたが……ようやくその名に思い至ったのだろう。
「お久しぶりです、お婆さま」
 スカートの裾をつまんで礼をしてみせる晶の挨拶に、老婦人の顔は柔らかくほころぶのだった。


 石畳の中庭に舞い降りるのは、やや大きめの乗用飛竜。
「やあ! よく来たね、二人とも!」
 飛竜の背中から降りてきた少年達を迎えたのは、ウィルの満面の笑顔だった。傍らには少々疲れた表情ではあったが、八朔の姿もある。
「よう」
 良宇が飛竜の背から飛び降りれば、中庭の石畳がその衝撃でわずかに沈み込んだ。
 靴底に伝わるめき、という鈍い振動は、敷石にヒビでも入ったのだろうか。
「何というか……趣のあるお屋敷だな」
 レイジは言葉を選ぶように、そうひと言。
 小綺麗な庭は日常的な手入れこそ行き届いているようだったが、大きな修復や整備までは明らかに手が回っていない。敷石の老朽化一つ取っても、見ての通りだ。
「そうだろう? 地上の言葉であるよね、ボロは着てても心はニシキヘビって」
「自分でボロいとか言うなよ……」
 その現状を把握していてなお笑顔を絶やさないウィルに、八朔はため息を吐くしかない。
「ってか、ニシキヘビ?」
 以前お昼の放送であった懐メロ特集で……その企画を誰が提案したのか、レイジは知らない……似たようなフレーズは耳にしていたが、ニシキヘビではなかったはずだ。
「知らないかい? 私も見たことはないけれど、錦というからにはきっととても美しい模様を持っているのだろうね」
 ニシキヘビは漢字でも錦蛇と書くが、別に錦のように派手な色をしているわけではない。むしろ凄まじく地味な配色をしているのだが……。
「あのな……」
「言うな、良宇!」
 口を開き掛けたところで傍らの八朔に肘で小突かれては、良宇もそれ以上の言葉を止めざるをえない。
「なあ、ウィル。一つ聞きてぇんだが……いいか?」
 そう言いかけたレイジにも八朔の視線が送られるが。それに「その事じゃねえ」と目線で返し、レイジは庭の向こうの渡り廊下に視線を移す。
「あっちのそっくりさんは……?」
 一同が視線を向ければ、そこに立っているのは黒髪のウィルだった。買い物の帰りだったらしく、何か大きな包みを抱え、じっとこちらを見つめている。
(あのクマっぽいミミはなんなんだろう……)
 包みの端は包装がほどけ、ふわふわした丸っこい耳が見えていたが……突っ込んでいいものか分からなかったので、一同は見なかったことにした。
「…………お客さん?」
 呟いた声は、トーンが落ちただけのウィルの声。
「弟のハロルドだよ。ハル、こちらは華が丘でお世話になっている、同じ科のレイジくんと良宇くんだよ」
「…………」
 ハロルドと呼ばれた黒いウィルはぺこりと頭を下げると、そのまま無言で歩き去ってしまう。一礼した時に包みがわずかにずれ、黒くつぶらなクマさんの瞳が片方だけ姿を見せるが……それも、一同は見なかったことにする。
「悪いね。気は優しい子なんだけど、僕に似て人見知りでね」
「…………いや、それはどうだろう」
「…………いや、それはどうだろう」
「…………いや、それはどうだろう」
 そのぶん、ウィルの言葉には総員で突っ込むことにしておいた。
「でな、ウィル」
 ひととおり容赦ないツッコミが終わったところで、レイジは話を本題に戻す。
「ああ。お祖父様に話を聞きたいんだったね。今ちょうど薔薇園にいるはずだから、案内するよ!」


続劇

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