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11.5.森永祐希の優雅かもしれない半日

 異世界メガ・ラニカと地上世界に、時差はない。
 ついでに言えば季節差もない。
 故に、夏のメガ・ラニカからゲートを隔てたここ華が丘も、夏真っ盛りであった。
「あ………」
 そんな真夏の空を、冷房の効いたオープンテラスからぼんやりと見上げつつ。スーツ姿の女性はぽつりと呟きを漏らす。
「どうしたんです? ひかりさん」
 咥えて遊んでいたアイスコーヒーのストローから、コーヒーがスーツに撥ねでもしたのだろうか……そんな事を思いながら。エプロン姿の女は空になったケーキの皿をトレイの上へと引き上げ、お代わりのケーキをテーブルの上へと置いてやる。
「いや、そろそろギアスの効果、切れる頃かなぁ……って思ってさぁ」
 ひかりはストローは相変わらず口元に咥えたまま。
 ただ、アイスコーヒーに突っ込んでいたはずのそれから、スーツにコーヒーが撥ねている様子はない。
 そこでようやくエプロンの女は、ひかりは学生の頃からナポリタンやカレーうどんを綺麗に食べる技に関してだけが天才的な才能を持っていた事を思い出す。
「また祐希くんで遊んでるんですか……?」
 彼女の魔法は、相手の心に影響を与える。
 心を操る魔法といえば、メガ・ラニカでも使える者は数名と言われる、極めて高度な大魔法だ。そんな魔法をごく弱いレベルとはいえ使えてしまうのだから、目の前の彼女も才能がないはずはないのだが……。
「子供で楽しむのは、親の特権だもん」
 その天賦の才の一切合切を真っ当ではない方向に全賭けしてしまうあたりが、彼女の良いところでもあり、致命的な欠点でもあるのだろう。
「……勘弁してくださいよ」
 ぷぅっと頬を膨らませる年上のひかりに、華が丘ただ一つの喫茶店の女主人は、ため息を吐くしかないのだった。


 華が丘からゲートを越えた、異界の地。
 魔法世界メガ・ラニカの王都も、華が丘と同じく夏真っ只だ。
「あの……」
 緩やかな風の抜ける広間。そこに広がる光景を眺めて、少年は近くにいた老執事に小さな声を掛けた。
「おや、これは祐希さま。どうかなさいましたか?」
 きっちりとアイロンの当てられた執事服をまとう老爺は、背後からのその声にも驚く様子もなく穏やかに応じてくれる。武術の心得があるわけではないだろうが……祐希の気配などとっくに気付いていたのだろう。
「いったい何の準備なんですか? これ」
 屋敷で一番の大広間と聞かされていたそこは、天井高くまで梯子が伸ばされ、作業中らしい男達があちこちを走り回っている。
 飾り付けと掃除の真っ最中なのは、見れば分かるが……。
「はい。旦那様から、明後日お戻りになるという連絡がございまして。そのパーティの準備をしているのでございます」
「ここは、魔法じゃないんですね……」
 普段の掃除は、清掃の魔法の掛かったモップやホウキで行っていると聞いていた。高い所は梯子など使わず、そのホウキを念動魔法で動かして行うとも。
 それが、今日だけはみんな梯子を引っ張り出して、全てを手作業で行っている。
「祐希さま。このメガ・ラニカにおいて一番贅沢で誠意の伝わる方法が何か、ご存じですか?」
 老執事の問いに、祐希は僅かに思考して……。
「………魔法を使わないこと?」
「お見事」
 地上世界で言う、既製品に対する手作り品と同じ感覚なのだろう。確かに同じ物でも、機械で作られた大量生産品と、誠意を込めて作った手作りの品では、受け取る側の感覚にも大きな隔たりがある。
 だが、納得したのはそこまでで。
「明後日のパーティは特に、お嬢様のバースデーも兼ねておりますし……」
 ごく自然に続けられたそのひと言に、祐希の体が硬直する。
「…………キースリンさんの、誕生日って?」
 先ほどの思考時間よりもはるかに長い沈黙を得ておいて。
 ようやく呟いたのは、そんな間の抜けたひと言だ。
「今月の二日にございますが?」
 言われ、無言で携帯を出そうとして……電源節約のために電源を落としている事に気付き、代わりに腕時計へと視線を移す。
 八月五日。
 二日から、既に三日が過ぎていた。
 パーティそのものは両親の帰還に合わせたのだろう。それは問題ないはずだ。
 だが………。
「……………ゲデ…ヒトニスさん」
 祐希の声は、絞り出すように。
「何でございましょう」
 老執事の声は、先ほどと変わらぬままに。
「ちょっと、街に出てきたいんですが……構いませんか?」
 キースリンの屋敷は、王都の外れにある。王都と言っても二十万都市の規模だから、繁華街まで歩いてもさして時間は掛からないはずだ。
「ご入り用でしたら、馬車を出させますが?」
 老執事の申し出に祐希は穏やかに首を振り。
「いえ……手作業が、一番誠意が通じるんでしょ?」
「これは差し出がましいことを」
 ようやく小さな笑みを見せた祐希に、老執事は恭しく一礼してみせた。
「それと、キースリンさんには内緒にしていて欲しいんですが……いいですか?」
 そして、少年のささやかな頼み事にも、もう一度頭を下げてみせるのだった。


 ハルモニア邸には、冷房がない。
 代わりに館の全ての壁には風の魔法が刻み込んであり、そこから生み出された空気の流れが夏の暑さを自動的に吐き出してくれる構造になっていた。
「セバスチャン、セバスチャンはいる?」
 廊下に吹く穏やかな風に少女の凜とした声が乗ったのは、午後のティータイムを間近に控えた頃合いだ。
「はい、お嬢様。ちなみに私の名前はゲデヒトニ」
「祐希さんを知らない?」
 キースリンの言葉に老執事は僅かに言葉を止め。
「はて……どうかなさいましたか?」
 返したのは、さらりとその問いを避ける言葉。
 主たるキースリンに嘘は吐かず、そして祐希の依頼も守りつつ。
「探しても、どこにもいないんですの」
「左様でございますか」
 老執事の言葉に、キースリンは言葉を続けない。
 ハルモニア家の広い廊下に落ちるのは、何とも言えぬ微妙な沈黙だ。
 ならば、執事の役目はただ一つ。
「お嬢様。祐希さまのお部屋にはお寄りになりましたか?」
「見てきたわ」
「では、お風呂や台所はお調べに?」
「調べたわ」
「庭園や裏の森はいかがでしょう?」
「庭番達も見ていないって」
「よもや、戸棚の中に見落としは……?」
「さすがにいないと思うわ」
 すぐに重なる回答に、老執事もそれ以上沈黙を破る手段を見つけられない。
「……ねえ、セバスチャン」
 後は便器の中とでも言うべきか……などと思っていると、次に沈黙を破ってきたのはキースリンの側だった。
「私、お友達をこうやってお屋敷に招くのって初めてなのだけれど……間違っていないかしら?」
「間違っているとは?」
「祐希さん、読書がお好きだし、菫さんの所のアルバイトや、家事もたくさんしていて疲れているでしょうから……ゆっくり過ごした方がいいかと思っていたのだけれど」
 事実、午前中は書庫で本を読んで過ごしていたのだが……。
 どうも祐希には、いつものような落ち着きが欠けていたように思う。
 もちろんそれは彼女の不安とは全く別の事情による物だったのだが、神ならぬ身のキースリンだ。そんな事に気付くはずもない。
「もっと、街の案内でもした方が良いのではないかと?」
 老執事に、少女は頷きを一つ。
「素晴らしいお考えでございます。旅は人の見聞を広め、心を豊かにすると言いますゆえ」
「やはりそうなのね」
「ですが、普段から忙しく働いておられる祐希さまの身を案じたことも、またお嬢様なりの素晴らしいお気遣いかと」
 そう。
 館でゆっくり過ごすのも、キースリンなりに考えてのもてなしだったのだ。それを否定することなど、老執事の考えの中には存在しない。
「ちなみに、私の名前はゲデ」
「でも祐希さん、どこに行ったのかしら……?」
 しっかりしている祐希の事だし、さして広くもない……彼女基準で、の話だ……館の中だ。大丈夫ではあるだろうが。
「……捜索隊でも組織いたしましょうか?」
 

 広い通りを見回して、祐希はため息を一つ。
 二十万都市でしかないメガ・ラニカだ。街の構造もそれほど複雑というわけではないから、市街地らしき所には難なく辿り着くことが出来た。
「…………やっぱり、誰かに案内してもらうべきだったかな」
 だが、どこに何を売っているかが分からない。
 せいぜい二十万の都市とはいえ、繁華街はそれなりに広いのだ。
 少なくとも、祐希一人の手に余るくらいには。
「圏外がこんなに不便だとはなぁ……」
 頼みの携帯の電源を入れても、アンテナピクトに表示されるのは圏外の二文字だけ。さらに言えば空には衛星もないから、GPSも役には立たない。
 この二つが使えれば、せめて良さげな小物の店でも探して、そこまでのルートを見いだすことも出来るのに……。
「………まあ、無いものは仕方ないか」
 バッテリーの心許ない携帯の電源を切り、そのままポケットへ。
「とりあえず、どこかのお店で道を聞いてみるか……」
 日本語が普通に通じることだけが唯一の救いだろう。呟き、祐希が足を向けたのは……。
 ローゼリオンの名を掲げる、花屋だった。


 テラスでお茶を飲んでいたキースリンの元に老執事が姿を見せたのは、廊下で別れて一刻ほど経ってからの事。
「お嬢様。捜索隊が組織できました」
「そう。なら……」
 ことり、とカップを置いた所で掛けられたのは……。
「………どうしたの、キースリンさん」
 少年の、声。
「祐希さん! どこに行ってらしたんですの?」
「え、あ、いや……その………」
 詰め寄るキースリンに、祐希は半歩を下がるだけ。
「セバスチャンに聞いても分からないと言うから、捜索隊を出そうかと思っていましたのよ!」
 後ろに回した祐希の手元でがさりと何かの音がするが、半泣きの少女は当然ながら気付かない。
「外のアレ、捜索隊だったんですか………」
 正門からのショートカットではなく、庭をちゃんと歩いて戻ってきたのだ。玄関の辺りに、先ほどまで広間でパーティの準備をしていたはずの男達が集まっていて何事かと思ったが……。
 大事になる前に戻ってきて良かったと、祐希は本気で思った。
「えっと、その……キースリンさん、二日が誕生日だって聞いたので……これ」
 僅かに呟き。
 パートナーの眼前に差し出されたのは……。
「薔薇………ですの?」
 真っ赤に咲き誇る、薔薇の花束。
「ローゼリオンですか。これはまた、見事な」
「やっぱり、誕生日のプレゼントならこういうのが良いのかな……と思いまして」
 たまたま寄った花屋で相談すると、ぜひと勧められたのだ。
 少々気障かとも思ったが、キースリンの好みがよく分からない以上、小物や本などよりは喜んでもらえる可能性が高かった。
「セバスチャン、早速生けてくれるかしら?」
 無論、大輪の花束を捧げられたキースリンに浮かぶのは、咲く花に勝るとも劣らない満面の笑み。
「承知いたしました。明後日のパーティでも、お嬢様の席の前に飾らせましょう」
「ええ!」
 喜ぶキースリンに、ほっと胸をなで下ろしながら。
(………あれ? これで……良かったのかな?)
 それが明らかに男友達向けのプレゼントではない事に気付くのは、今更のことだった。


続劇

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