-Back-

2.行くもの、来るもの、送るもの

 登校日から、二日過ぎ。
 華が丘山の長い長い坂の下。小さな広場となっているそこにいるのは、少年が一人だけ。
 広場といっても広さは猫の額ほど。隅にはコンクリート壁に覆われた簡素な小屋が一つあるだけだ。
 知っている者でなければ、まさかこんな小屋が異世界へと通じる『ゲート』だとは思わないだろう。無論、何もないように見えるそこには、幾重にも魔法の防護壁と警戒網が張り巡らせてある。
 その結界の隅にいた少年は、気配を感じて顔を上げた。
「あ、ルーニ先生」
 先生と呼ばれたのは、小さな女の子。背丈に至っては、立っていてなおベンチに腰掛けている少年ほどしかない。
「なんだ。一番乗りはお前か、ソーア。……子門はどうした」
 ふわ、とあくびを一つして辺りを見回すが、いつも一緒にいるパートナーの姿がない。
「なんか、まだその辺り走ってます。訓練し足りないとかで……」
 今朝も真紀乃は、四月朔日の道場でいつも以上の練習を行っていた。それが終わってなお、それでは足りないと言い切って、ランニングに出かけてしまったのだ。
 おかげでレムは、二人分の荷物を抱えてここまで来る羽目になっている。
「……お前、パートナーの手綱、しっかり持っとけよ?」
 レムの隣にちょこんと腰掛け、ちびっ子先生は脚をぶらぶらと遊ばせつつ。している仕草は見かけ相応の子供の物だが、先を見据える視線は少年達のそれ以上に重く、真剣なもの。
「………何か知ってるんですか? 先生」
 確かルーニは、真紀乃の京都行の引率にも加わっていたはずだ。
 そして彼女が所属する水泳部の顧問も、同じ水泳部の冬奈も、京都行には加わっていない。
 ならば、彼女の京都行の真の目的は部活動などではなく……。
「あーっ! ルーニ先生! おはよー!」
 問いかけたところに、遮る声。
 見れば、クラスの女子達がこちらに元気よく手を振っている。
「分からんなら良い。暴れても捕まえられてるうちはいいが……とにかく、手だけは放すなよ」
 そう言い残し。
「こらーっ! 子供扱いすんなー! 先生だぞーっ!」
 ベンチからひょいと飛び降た少女の表情は、既に年相応の子供のものだ。


 小さな小屋の前での少年の話に、少女は思わず目を見開いていた。
「え? にーに、一緒に帰らないの?」
 てっきり、兄妹一緒に実家に帰れるものだとばかり思っていたのだ。だが現れた兄は、彼女を見送りに来ただけだという。
「生徒会でちょっと用があってね。早急に調整しなきゃいけないんだ。……あと、その言い方はやめなさい、百音」
 百音の傍らに立つ悟司をばつが悪そうに見やり、少年はため息をひとつ。
「ミスコンの調整ですか? 紫音さん」
 一昨日の登校日にあった、委員長委員会で聞いた話だ。
 何でも文化祭のイベントでミスコンが提案されているらしいのだが、女子をそういう目で見るのはどうかという反対意見が主に女子の間から出されているのだという。
「悟司くん、そういうのが好きなんだ……」
「いや、そういうワケじゃないけど……っ! 美春さぁん……」
「ははは。まあ、その辺りは想像にお任せするよ」
 ぷぅっと頬を膨らませてしまった百音に慌てる悟司の様子に、紫音は軽く苦笑い。
「ともかく、明後日には僕もそちらに着けると思うから……悟司くん、百音のこと、よろしく頼むよ?」
 口調こそ穏やかだが、目は少しも笑っていない。
「分かってます」
 だが、そんな視線が無くとも、悟司は真剣にその言葉に頷いてみせる。


 コンクリートの小屋がぼぅっと光を放ったのは、ほんの一瞬だ。
 光が収まれば、その内から現れたのは背の高い細身の男。ゲート管理局の腕章を付けた彼は、眼鏡の掛かり具合を軽く整えると、広場に集まっている生徒達をぐるりと眺め……。
 一点で、視線を止める。
「…………父さん?」
 向けられた側が口に出来たのは、そのひと言だけ。
「やあ。元気そうだな、レム」
 父親がゲート関連の仕事をしている事は、当然知っていた。
 だが最近は後進の指導が中心で、第一線からは退いていると聞いていたのだが……。
「え? レムレムのお……」
「わーっ! わーっ! わーっ!」
 そんな混乱から引き戻してくれたのは、ようやく訓練から戻ってきたパートナーの第一声。それが『おじさん』のおではなく、『お義父さん』のおである事は、驚くほど容易に想像が付いた。
「そうか。君がレムのパートナーだね」
「子門真紀乃と言います! レムレム……じゃなかった、レムくんには、いつもお世話になっています!」
「ははは。元気そうなお嬢さんじゃないか、レムレム」
「レムレム言わないでよ!」
 父親でさえこの有様だ。これが姉たちに知られれば、一体どうなるか……。
 考えただけで気が重くなるが、その未来がすぐに来るだろう事は真紀乃の性格を考えれば火を見るよりも明らかだ。
「……それより、何で父さんが?」
 世間は空前の不況だが、いくらなんでもゲートの管理にまでその不況の波が来ているとは考えづらかった。そもそも独立した経済圏であるメガ・ラニカには、地上の経済の影響はほとんどないのだ。
 そんな業界だから、案内人の数が足りない……などという事はないはずなのだが。
「今日は大人数の案内だからな。最近はゲートの中も不安定だし、私が誘導の監督をすることになった」
「不安定……?」
 大人数の案内が大変なのも、熟練を要する仕事なのも分かる。だからこそ経験豊富なレムの父が抜擢されたのだろう。
 だが、不安定というのは……?
「少々口が滑ったか。……まあ、その話は帰ってからだ。あまりこんな所でする話でもないからな」
 そこで一旦話題を切って、レムの父親は華が丘高校側の監督のもとへと去っていった。


 ゲートの裏手は、華が丘山の森になる。
 そこに伸びる太い枝を見上げ、冬奈は声を放り投げた。
「なに? 陰も帰らないの?」
 木の股で丸まる黒い姿は、彼女の家に居座る魔法猫。一応は冬奈の召喚獣……らしいのだが、彼女のいう事を聞いた事など、今までで五本の指で足りるほど。
「別に召喚解いてもらえば勝手に帰れるしー」
 そうは言うが、気付いたら辺りをぶらついているその猫を召喚した覚えは、冬奈にはない。実は彼女の召喚獣などではなく、ただの違法入国猫だったとしても、納得しこそすれ驚きはしないだろう。
「あ、そ。おみやげ買ってきてあげないから」
「はいはい。向こうの魚よりこっちの魚の方が美味しいから、別にどうでもいいわよー」
 メガ・ラニカには淡水の河と湖があるだけで、海がない。もちろん荒波に揉まれ、たっぷりと脂の乗った海水魚も存在しない。
「わたしはおみやげ買ってくるからねー」
 猫の憎まれ口に返ってきたのは冬奈の雑言ではなく、傍らの少女からの澄んだ声。
 白い猫を胸元に抱いた、小さな娘だ。
「楽しみにしていますよ、ファファ」
 ファファの言葉に、彼女が抱いた白猫も言葉を放つ。
「ファファは良い子だね。冬奈もちょっとは見習うといいよ」
 樹上の黒猫と同じく、魔法猫なのだ。
「おまえら、集合しろー! 来なかった奴は置いていくぞー」
 そして、冬奈が反論するよりも早く、広場の方からルーニの出発を告げる声が飛んできて。
 召喚術者と使い魔の言い合いは、水入りとなるのだった。


 一行のしんがりを務めるのは、レムの父と同じゲート管理局の案内人だ。
 彼が小屋の中へと姿を消せば、ゲートはその輝きを収め、異世界へ至る道を一時閉ざす。
 残るのは、少年が一人だけ。
 百音の兄である、紫音だけだ。
「…………」
 少年は無言のまま、わずかに時を待つ。
 そして。
 少年の目の前でその身を休めていた異界への門が再び輝き。
 現れたのは、ゲート管理局の案内人でも、華が丘高校の生徒でもなかった。
 三人の女性。
 誰一人として管理局の腕章を付けていないという事は、案内人の一人も伴わず、女性達単身でゲートの迷宮を抜けてきた事を意味する。
「お待ちしていました」
 だが、その姿が現れる事を予期していたのだろう。紫音は驚く事もなく、悠然と一礼をしてみせるだけ。
「……大ドルチェ、大ブランオート、大クレリック」
「挨拶はいいよ。それより、女王虫が壊したという第四結界の状況……早速検めさせてもらおうか」
 大ドルチェの言葉に頷く紫音だが、傍らにいた大ブランオートだけは彼以外のものに視線を向けていた。
 広場の樹上よりこちらを見下ろす、二匹の猫に。
「なんだい。ヴァンデルフェラーにまとわりついてる妖怪猫じゃないか」
 猫のまとう気配は、そこらの猫のものとは明らかに違う。そもそも、普通の猫は二股の尻尾など持ち合わせてはいない。
「メガ・ラニカの大魔女が一度に三人も地上に来るなんて、大アヴァロンが崩壊したとき以来じゃないか。一体今度は何の祭が起こるのか、聞かせてもらおうじゃないのさ」
「何じゃと? 妖怪風情が……」
 挑発的な黒猫の言葉に、大ブランオートの目がすっと細められる。
 その内に輝くのは人間の目の輝きではない。
 月光の色を映す、金の瞳。
 狼の瞳。
「北の穴蔵から出てきもしなかったヒキコモリ魔女が、どうするって?」
 対する黒猫が見せるのも、相手を見下す冷たい瞳。
 相手がいかなる力の持ち主であろうとも、退く気配は微塵もない。
「やめなさい、陰」
 そんな黒猫に掛けられたのは、傍らの白猫の声。
「フィアナもやめて下さい。……大人げないですよ」
 そして狼の大魔女に掛けられたのは、今まで無言を貫いていた大クレリックの静かな言葉。
 黒猫と狼は互いにため息を吐き、張っていた気をわずかに緩めさせる。
 あくまでも、わずか、ではあったが。
「まあ、あんたらの力でもどうにもならないことだろうけど……。見るだけならタダだ。ついておいで」
 大ドルチェのひと声で、猫を加えた一行はゆっくりと歩き出す。
 長い長い坂の上。
 華が丘高校へ。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai