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3.ようこそ、メガ・ラニカへ!

 辺りを包むのは、一面の霧。
「へぇぇ……ゲートの中って、こんな感じになってるんだ」
 手を伸ばせばその先も見えない……という程ではないが、霧の向こうには何の姿も見通せない。周囲でまともに識別できるのは、ゆらゆらと浮かぶ魔法の明かりだけ。
 自力で浮遊するそれらは、少女たち一行を囲むように浮かび、速度を合わせて動いている。ゲートの案内人達が使う、誘導灯なのだ。
「あんまり歩き回ると危ないよ、晶ちゃん」
「ねえ、ハークくん。あっちってどうなってるの?」
 晶が指すのは、誘導灯のはるか彼方。
 一面の白に覆われたそこには、何があるのか見当も付かない。霧に散らされ、光源の位置すら定かではないのだ。
「そんなの知らないってば……」
 明るいだけで、本質的には闇の中と変わりない。ただ、回りを包む色が黒いか白いか、それだけだ。
「ああ、誘導灯は越えるなよー。時の迷宮に迷い込むと、二度と帰って来られなくなるからなー」
 傍らを歩いていたルーニの言葉に、ハークは思わず言葉を失った。
「え……? それって、おとぎ話じゃないんですか……?」
「なになに?」
「どんな時間にも通じてるっていう、不思議な迷路のお話だよ」
 そこに迷い込んだ小さな兄妹が過去や未来を旅して回るという、メガ・ラニカでは定番のおとぎ話だ。
 だが、実在するとは思ってもみなかった。
「すごい! そんなのもあるんだ!」
「その代わり、一度迷うと二度と出られなくなるんだって」
 ハークが知る限り、時の迷宮の物語には結末がない。旅路の果てに家族の元に辿り着いたと言う者もいるし、帰り着いた世界は既に廃墟と化していたという説もある。ただ、どちらも噂としてあるだけで、他の物語のように活字として読んだ記憶はない。
「先生も……知りませんよね?」
 年下のルーニなら後に続いた物語を知っているかとも思ったが、頼みの彼女も小さく肩をすくめるだけだ。
 幼い兄妹は元の世界を探して、今でも終わりの見えない旅を続けているのだろうか……。
「ねえ。ゲートって、どういう構造になってるの?」
 見上げる限り、空の果てまで白に覆われているだけで、生物の姿はおろか光源の類さえ見当たらない。足元も踏んでいるからには地面に相当する物はあるのだろうが、一面薄い霧に覆われたそこは、空と同じ白の色。
 ただ、白の中を歩いているだけだ。
「メガ・ラニカや精霊を創ったとき、ツェーウーと初代ドロシーがセットで創ったとか言われてるけど……実際の所は、よく分かってないんだよな」
 世界を作る儀式を研究している魔法流派は数多くあるが、空間を歪めて庭や部屋を広げる程度ならともかく、大陸レベルのそれに成功した例は、オリジナルとなる初代ドロシー以外に存在しない。
「そもそも、魔力も儀式時間も足りなさすぎるんだよな……。調査もしてるらしいんだが、そっちも進んでないらしいし」
 今の段階でルーニ達に分かるのは、案内人や周りを囲む誘導灯を見失えば、自分の位置すら分からなくなるという一点だけだ。
「ふぅん……」
 携帯は当然ながら圏外。携帯にダウンロードした高度計やコンパスのアプリも、まともな数値は表示されていない。
 要するに、地上の常識は全く通じないという事だ。
「…………変な気、起こさないでよ?」
 晶の様子に、呟くハークだが。
 それはやがて、最悪の形で現実の物となる。


 伸ばされた手に重ねられるのは、白く細い少女の手。
「ど……どうぞ、キースリンさん」
 手の先に掛かるわずかな重みと、傍らに響く階段を打つ靴の音。
 どきり、と脈打つ胸の感覚に混乱を覚えながら、祐希はキースリンを伴い、ゆっくりと階段を下っていく。
「ありがとう、祐希さん」
 十段ほどのわずかな階段ではあったが、降りきったところで少年に向けられるのは、穏やかな淑女の笑み。
「い、いえ……どういたしまして」
 無防備な少女の笑みから逃げるように。
 そしてそれを相手に気取られぬように。
 少年は降りてきた階段の先を、ゆっくりと見上げた。
 夕日に紅く染まるそれは、白い大理石に覆われた白亜の神殿だ。
 メガ・ラニカに宗教は存在しないから、神殿という表現には語弊がある。だが、その神々しささえまとうその建物の様子を簡潔に表現するには、神殿という言葉が最もしっくり来るように思えた。
「…………おっかしいなぁ……」
 そんな事を考えていると、階段から難しい顔をした二人組が下りてくる。
「どうしたんですか? 二人とも」
 レイジと、レムだ。
「移動に時間が掛かりすぎてんだよ。時計、何時になってる?」
 レイジの言葉に慣れない動作で腕時計を確かめれば、示す時間は……。
「…………十二時ですけど?」
 空を見れば、太陽が西の空に沈むところだった。
 平面世界のメガ・ラニカも、精霊が灯す太陽は東から昇り、西へと沈む。さらに言えば地上と同じ二十四時間のサイクルで一日が回っているから、今は夕方の六時前後のはず。
「ウィル。おめぇが入試の時で渡ったときには、どのくらい掛かった?」
「私が前に通ったときは……その日の最初の便で通ったけれど、二時間は掛からなかったと思うよ」
 ウィルの話が正しいとすれば、今日は十時頃に出発したから、こちらの到着時刻は十二時頃……携帯の表示とほぼ同じくらいになる。
「だよなぁ……。セイルは?」
 次に問われたセイルは、無言で首を傾げるだけだ。
「キースリンさんはどうだった? 確か、俺たちと同じ便だったはずなんだけど」
 レムは入試の時、ファファと一緒にハルモニア家の令嬢の姿を見たからよく覚えている。あの時は、確か二時間ほどだったはずだが……。
「さあ? よく覚えていませんけれど、たぶんウィルさんと同じくらいだったかと……」
「だよな。俺もそう思った」
 どうやら、ゲートの所要時間は二時間程度というのが一般的な見解らしい。
「時差があるんじゃ?」
 だが、祐希の意見にレイジは軽く首を振ってみせる。
「メガ・ラニカと華が丘に時差はねえはずなんだよ。そもそも、メシ抜きで八時間も歩けねえだろ?」
 言われれば確かにその通り。
 今回の移動中、ちょっとした休憩はあったが、弁当を食べるような大きな休憩はしていない。
「…………歩けないのか?」
 呟く巨漢に、相棒の少年が見せるのはあきれ顔。
「この中でそんな事が出来るのなんて、良宇かセイルくらいだろ」
「…………ごはんないと、無理」
 レイジの言葉に、セイルはギブアップを速攻宣言。
 どうやら達成できそうなのは、良宇一人らしい。
「どっちにしても、脱落者が一人も出てねえしな。……レム。良かったら、親父さんに色々聞いてもらっていいか?」
 レムの父親は今回のゲートの誘導係をしていたと聞いた。ゲートの異変についても、何か知っているだろう。
「分かった。帰ったら、伝書鳩を飛ばすよ」
「とりあえず、宿に移るぞー。みんな、荷物は忘れないようにな!」
 そして結論の出ない会談は、街道に響く馬車の音とルーニの声で終わりを告げる事となった。


 夕焼けの残照を弾き、紅に輝くのは広大な平面だ。
 ゆっくりと街道を進んでいく馬車の上、少女は身を乗り出してその正体を確かめようとする。
「ね! あれが……小さな海?」
 王都に接するように広がる、メガ・ラニカで最大の湖だ。
 水平線など無い平面世界のはずなのに、向こう岸は霞む大気に阻まれて、朧な影として見えるだけ。ずっと華が丘で過ごしてきた少女から見ても、瀬戸内の海とさして変わりないように思えてしまうほどの広大な湖だった。
「そうだよ、リリさん、八朔。それから、その向こうにある塔が王城だね」
 そう言ってウィルが指した方向には、低地にへばりつくようにして広がる街と、林立する尖塔の群れが見える。
「城って、随分イメージと違うな」
 居並ぶ塔も、窓やバルコニーなどの設えられた開放的な構造ではなく、所々に明かり取り用らしき小さな窓があるだけの、極めて簡素な作りだ。それが並んでいるだけなのだから、城と言うよりは遺跡か刑場のように思えてしまう。
「だよねー。メガ・ラニカの人って西洋系だから、お城も西洋風なのかと思ってたよ」
 隣でうとうとしているセイルの白い髪を見やり、リリはもう一度王城に視線を戻してみた。
 天衝きそびえる巨塔の群れは、王都へ続く街道に進路を取ったこともあり、会話の間にさらにその威を強めている。その姿にどこか薄ら寒い物を感じ、リリは傍らの小さな体をそっと抱き寄せた。
「ま、城があんななのは、戦術的な理由もあるんだが……」
 単身で空を翔け、転移魔法を使い、果ては大地の形さえ意のままに変える魔法使いにとって、窓やバルコニーに飾られた洋風の宮殿など攻撃してくださいと言っているようなものだ。空中からの入口を封じ、転移魔法を遮蔽し、魔法への防御を高めれば……必然的に、こうした形状になってしまうのだろう。
「昔城を建てた奴らが、西洋の城のデザインが嫌いだったんだろうな」
「そういえば……」
 今ではあまり意識されることもないが、メガ・ラニカはヨーロッパで魔女狩りに追われた魔法使い達が創り上げた国だ。迫害した側と同じ形をした建物を王宮として扱うのは、さすがの彼らも抵抗があったのだろう。
「さて。荷物置いたら、自由行動………と言いたいが、すぐに飯だからな。出歩くのは明日にして、さっさと広間に集合しろよー」
 ルーニの言葉と共に、周囲の景色ががらりと変わる。
 街の中へと入った馬車は一路、宿を目指す。


 ゆらりと立ち上るのは、白い湯気。
 メガ・ラニカにも、入浴の習慣は普通にある。魔法で水を生み出し、熱も簡単に加えられるという事情もあり、むしろ日本よりも手軽にお風呂を楽しめる環境にある。
 それは一行が泊まる宿でも、例外ではない。
 だが。
「…………」
 いつものユニットバスではない、数十人が一度に入れる大きなお風呂を満喫していたはずの真紀乃は、無言。
「…………」
 ファファの背中を流していた百音も、やはり無言だった。
「…………ど、どうしましたの?」
 彼女たちの視線を一身に受けたキースリンは、胸元を隠しているタオルをほんの少しだけ引き上げてみせる。
「いや、別に……普通だなーって」
「……一体何だと思って……って、ひゃあっ!?」
 驚きを通り越してか。よく分からない感想を口にしていた晶の手が口とは関係なくすいと伸び、キースリンの体を覆うタオルをひょいと引き抜いた。
「ほら。タオルはお風呂の中には持って入っちゃダメなんだってばー」
 そう言いながらひらひらと舞うタオルを空中で掴み、軽く畳んで浴槽の縁へ。妙に手慣れているあたり、どうやらこれが初犯ではないらしい。
「い、いくら晶さんでも、怒りますわよ!?」
 キースリンは自らの裸身を隠すように掛け湯を浴びて、お湯の中へ。
 風呂の隅で口元までお湯に浸かり、晶を軽く睨んでいる。
「あはは、ごめんごめん。……でも」
「別に気にするほど、小さくないと思うけどなぁ……?」
 晶の言葉を継いだのは、ファファと一緒にお湯の中へと戻ってきた百音だ。
「ですよね……。パットなんか入れることないですよ」
 彼女の言葉に、真紀乃も同意。
「そ、そうですの……?」
 透明なお湯の中に見えるキースリンの裸身は、普段の細身から想像できる、そのままの姿だ。パットまで入れて気にしていた胸元も、体のラインを崩すほど小さくはないように見えた。
「普通だよねぇ……」
 見ていたリリなどは自らの胸元をちらりと見て、ため息を一つ。
「そうだよ。堂々としてりゃいいって」
 だが、湯船にゆったりと身をもたせかけていた冬奈の呟きに向けられるのは、周囲からの鋭い視線。
「冬奈ちゃんは堂々としすぎだと思う……」
「………別に、好きでこうなってるわけじゃないわよ」
「ああ、一度は言ってみたいですよ! そんな台詞!」
 後に冬奈は語る。
 彼女たちの言葉には、敵意どころか明らかに殺意が込められていたと。
「……では、お先に失礼しますわ」
 そんな意味不明に不穏な空気の中、キースリンはゆっくりと湯船の中から立ち上がった。
「あれ、早いんだね?」
「思ったより、熱かったもので……のぼせてしまうといけませんし」
 頬をほんのりと上気させたキースリンはとろりと潤んだ瞳で、そうひと言。脇に置かれたタオルを体に巻き、そのまま脱衣所へと歩き出す。
「やっぱ、怒っちゃったかなぁ……」
 脱衣所に続くドアが閉まったところで、晶がぽつりと呟いて。
「そりゃそうでしょ」
 周囲にいた誰もが、彼女の言葉に同意を示すのだった。


 大浴場から続く長い廊下を歩くのは、長い黒髪の少女。
「…………危ないところでしたわ」
 胸元を押さえ、呟くのは小さな言の葉だ。
 胸の内にあるのは当然ながら女物の下着。そしてさらにその奥に詰められているのは、胸の大きさを誤魔化すためのパットだった。
 既に風呂場で晶達に晒していた胸は、彼女の体のどこにもない。
 魔法薬の効き目が切れると同時、それは彼女のもとから失われていたのだ。
「けれど、これなら……」
 ロベルタから渡された魔法薬の効果は確かめることが出来た。貴族によくあるタチの悪い冗談かとも思ったが、どうやら本当に気を使ってくれたらしい。
 あと二回、副作用がない事を確かめて、もう一瓶の薬を分けてもらえれば……その先に控える臨海学校も、無事に乗り切ることが出来そうだった。
「あ、キースリンさん……」
 ふと、安堵のため息を吐いた少女に、声が掛けられる。
「あら。祐希さん……」
 廊下の向こうにいたのは、彼女の秘密の共有者。
 祐希だ。
「…………」
「…………」
 絡み合う視線に、どちらも言葉を紡がない。紡げない。
 キースリンは味方を見つけた無防備さ故に。
 そして祐希は……。
「あ、明日は、キースリンさんのお屋敷……だね」
 湯上がりの少女の漂わせる幽かな色香に、詰まらせながらも言葉を放つ。
 自らの内に沸き立つ想いを誤魔化し、押し籠めるかのように。
(な、何を考えてるんだ、僕は……。キースリンさんは、れっきとした男子なんだぞ……っ!?)
 キースリンは男だ。
 それはちゃんと理解しているし、それが真実だと目にする機会はこれまでの生活の中で何度もあった。
 そして、彼女がそうせざるを得なかった事情も、十分に納得済みだ。
 その、はずなのに。
(何で……僕にはそんな趣味は、ないはずなのに……)
 胸の内に湧き上がる不可思議な想いは、一体何なのか。
 正体は分かっている。けれどその感情は理性で押さえつけ、知性と常識で封じ込めるべき性質のものだ。
 が。
「はい。ただ、申し訳ありません。家族は皆、出かけているそうで……あまり大したおもてなしは出来ないと思いますの」
「だ、誰もいない……の?」
 キースリンのほんのひと言で、封印の一翼を担っていた常識が吹っ飛ばされた。
「せめて、両親には紹介したいと思っていたのですけれど……」
 ついでに、知性も返す刀で打ち砕かれる。
「そっか………誰もいない、のか……」
 両親に紹介する。
 パートナーとしてだ、という事は残っている理性が分かってくれた。
 だが、既に昂る感情は、理性の堤防の限界辺りを跳び越えようと必死に藻掻き回っている。それに理性と共に感情を抑えていた思考が巻き込まれ、崩れ落ちそうになる理性の衝撃に目の前がぐらりと揺れる。
「祐希さん?」
 最後の力で理性が教えてくれた解決法は、ただ一つ。
「それじゃ、お、おやすみ! 風邪……引かないようにね!」
 そう言い残して廊下を明後日の方向に走り去っていく祐希に、キースリンは小さく首を傾げるのだった。
「………変な祐希さん」


続劇

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