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3.史上最低の交渉

「この期に及んで、僕の話を信じるんですか? 利用されているだけかもしれませんよ?」
 会談の準備の喧噪の中。少年は、自分の提案を快諾した少女にむしろ呆れ気味に呟いた。
「んー。私も、クラムさん達助けたいですから」
 傍らのフードの娘も無言で小さく頷く。
「……それでいいんですか、貴方は」
 嘆息を交えた問いに、虎耳の娘は思考。
「でも、あなたも助けたいんでしょ?」
「……え?」
 豆鉄砲でも食らったような表情の少年に、虎耳の娘はにっこりと笑った。
「だって、さっきの針だって、ただ硬くしただけだったじゃないですか。ホントに敵なら、そんな演技しないでしょう?」


「シスカ……」
 陸では不自由な体を浴槽に浸したまま。シェティスは背中を流してくれる少女に問いかけた。
「オラ……いらない子なんかなぁ……」
 ドラウンは去り、ロゥも去り、隊は戦力外通達を下された。部下達も、自分がいなくても十分な仕事をしてくれている。
「『anonymous. Please give me a name?』」
「……それは?」
 ふとシスカが呟いた不思議な言葉に、シェティスは首を傾げた。
「『どうか、名前を下さい』という意味です」
 獣機は名前がないまま生まれる。名前が欲しくて欲しくて叫び続け、その望みに答えてくれた者にのみ、主として仕えるのだと。
「……獣機は名前を叫び続けるんじゃ?」
 それはシェティスの知る話と全く違っていた。獣機は自らを認めた者に名を教え、それに答えた者を主と認めるのだと。
 シェティスがシスカに認められた時も、シスカは『シスカ』という名を名乗ったのだ。
「……不思議ですが、そうなんですよ」
 何らかの魔法なのかもしれない。だが、獣機なら誰もが叫んだはずの問い。
「私に名前を下さったのは、マスターです。そして私は、マスターが想いのままに」
 過程はどうあれ、その名を呼べる主はただ一人。圧倒的な力を持つ獣機を束縛すべく与えられた、無数の鎖の一つ。
「では、整備班の方に呼ばれていますので」
「そか……ありがどな、シスカ」
 水槽の水を入れ替え、鋼の少女は一礼。
「今頃、会議は始まってンのがなぁ」
 シスカが姿を消し、銀髪の美しい人魚は誰ともなく呟いていた。


 荒野に、二騎の獣機が舞い降りた。
 一つは直線の翼を折る、グルーヴェの獣機。
 一つは純白の羽根を畳む、スクメギの獣機。
「グルーヴェ王国獣機士団団長、トゥーナッカイ・ディバイドブランチ大将である」
 開いたハッチから姿を見せたのは、長い髭に無数の勲章をぶら下げたトナカイの老人だ。
「ココ王国直轄領スクメギ代官、イルシャナ・ラ・トーココですわ」
 スクメギ側の声の主は獣機に乗ったまま。
 否。一瞬純白の獣機の姿が揺らぎ、その足元に白いドレスをまとった少女の姿が現れる。
「ほぅ。流石スクメギ。面白い手品を使われる」
 そんな皮肉を軽くやり過ごし、優雅に一礼。
「前置きは結構ですわ。本題に」
 スクメギ側はイルシャナにシーラ代理のキッドとアクア、護衛を率いる狂犬。対するグルーヴェは、大将直属の部下達と雅華。今までの関係からしても、お世辞にも良い雰囲気ではない。
(ね、キッドくん。イル様)
 そんな中、後ろに控えていたアクアは隣の少年に怯えた声で小さく囁いた。
(ああ。イル姉、メチャクチャ怒ってる)
 将軍の獣機を見てからだ。理由は分からないが、今まで見たどんな無礼の前でも、あんな不機嫌なイルシャナを見た覚えはなかった。
(貴公ら、いざとなれば分かっておろうな?)
 不穏な匂いを嗅ぎ取った男に、頷く二人。
「では本題に入ろうか。まず現状の確認から」
 そして、和平の為の会談が始まった。


 その頃、スクメギの代官補佐はイルシャナの傍らではなく、スクメギにいた。
「疑似契約は、止められたのですね」
「客人に通じぬ以上、害にしかならぬからの」
 その指示は迅速だった。客人との戦闘が終結した直後、病床から老爺は疑似契約を全て中断させ、被害地域の復興に全力を注がせたという。
「前々から聞こうと思っていたのですが……貴方は何故、悪役であろうとするのです?」
 レアルの問いに、老爺は答えない。
 神話では蛇が世界を裏切ったと伝える。
 だが、疑似契約といいクラム・カインの事といい、彼は完全な『悪事』を成していない。
「レアル。神話の戦いの引き金を引いたのはメティシスだと、前に話したよの」
 頷くレアル。
「して、その引き金は誰が引くように命じたか分かるか? あのメティシスが、そんな事をする娘で無いのは分かっていよう?」
 言われてみれば確かにそうだ。穏やかなあの少女が、裏切りに進んで手を貸すはずがない。
「それが、蛇? では、あの神話は……」
 他の種族が蛇を陥れるために創った……。
「左様。蛇が創り上げた、戒めの神話よ」


 グルーヴェの野営陣から少し離れた森の中。
「獣機は蛇が作った……だと!?」
 ハイリガードに告げられた獣機の出自に、ロゥは自分の耳を疑った。
「ロゥは不思議に思わなかった? 生物の聖痕を持つビーワナの中で、あたし達だけが……」
 そう言いかけ、少女はロゥの手を取った。
 引かれた腕は少女の胸元へ。辺りの緑に映える肌、膨らみ切らぬ双丘の上へと導かれ……。
「お、おい」
 幼子とは思えぬ力に、少年は抗えない。
「……こんな体を持ってるって」
 胸に触れた瞬間、ロゥは息を飲んだ。
 鋼の胸。少女の形に切り出された鎧の如きその硬さ、色。本来伝わるはずの鼓動もなく、獣機のような振動だけが僅かに伝わってくる。
「腕も硬く出来るのよ?」
 そう言い、少女は細い腕も鎧で覆ってみせた。
「どう?」
 ヒトの体と鋼の体。
 その狭間をふらふらと行き来する、唯一の種。
「……悪ィ。そんなモンだと思ってた」
「……やっぱ馬鹿でしょ、アンタ」
 甲冑の腕を元に戻し、娘はため息を一つ。
「あたし達は初めから生まれたんじゃないの。機械の体にビーワナの魂を移す事で作られた、『赤』と戦うための道具。モノなのよ」
 『箱船』のかけら。始祖だけが使える禁呪が遺されていたスクメギで彼女らは創られた。存在するはずのない、七番目の種族として。
「魂を移す……?」
 ロゥは、少女の告白に息を飲んだ。
「じゃ、ハイリガード。お前も……!?」
 元は、別の体があったというのか。
「スクメギの世界門にお姉ちゃんの体と置いてあるはずだけど、今頃はどうなってるやら」
「やらってお前、自分の……」
 言いかけた所で、ロゥは口を止めた。
 少年の小柄な体に、さらに小さな彼女がぽすっと身を寄せてきたからだ。
「しょうがないじゃない。戻れないんだし」
 強がってはいるが、声は震えていた。
「……悪かった」
 甲冑と化した鋼の腕も、鋼鉄の胸もない。ロゥの腕の中にあるのは、柔らかな少女の体ひとつ。
 伝わってくるのは、少し速い心の鼓動。
「……疑似契約ってね、移された魂から、心を消しちゃうのよ。だから誰の言う事にも従うし、あたしみたいにご主人さまを蹴ったり、ワガママも言わないの」
 こいつ乱暴狼藉の自覚はあったのか……と、震える背中を撫でていたロゥはちょっと感心。
「ロゥは……疑似契約しないよね? ずっと、あたしの名前を呼んでくれるよね?」
 が、涙声で問われた瞬間、何かが切れた。
「馬鹿! ンな胸クソ悪い事、誰がするか!」
 余りの剣幕に、ハイリガードの小さな躯がビクッと震えるほどに。
 ロゥは自らの意志で傭兵になった。生まれと育ちと親は残念ながら選べなかったが、少なくともそれだけは自分の流儀で決めた。
 だからこそ、許せなかった。
 疑似契約という、システムそのものを。
「するような奴に見えるかよ……オレがっ」
「見えないよ。だから、選んであげたんじゃん」
 そう憎まれ口を叩いた少女は、ロゥの胸で未だ泣きじゃくったまま……。


「では、先日の『客人』は、かつてこの世界に赤い泉を遺した存在だと?」
 赤い泉。その言葉に、無言だった大将すらもどよめきを隠せなかった。
 魔物を生み出すその遺跡はグルーヴェの民にとって身近な『敵』である。獣機自体、もともとそれに対する為に使われていたのだから。
「はい。少なくとも、ビーワナやラッセ、もちろん蛇の遺した遺跡でもありません」
 雅華は神話を思い出す。
 かつて世界は一つだったと。
 だが、赤い泉、アークウィパス、スクメギ。アークウィパスのギリューとスクメギのハイリガードに記された文字は同じだった。三つの黄金の遺跡の中、赤い泉だけに使われていた、他とは微妙に違う言葉。それが示す事は……。
「『我らは呼ばれし者。はるかな呼びかけに応え、海を越え、谷を越え、刻を渡ってやってきた』。古代の敵は蛇などではなく……」
 かつて赤い泉で解読した古代語を口に。
「……異界から来た何者か、という事か?」
 雅華の問いをイルシャナは肯定。
「同じ源から分かたれた、別の世界の一族。それが神話の本当の敵『赤』の正体です」


「バカ! 何でそんな大事な事忘れてるのよ」
 森の中を疾走するハイリガードは、中のロゥにそう怒鳴り散らした。既に獣機に変わっており、先程泣いていたしおらしさは欠片もない。
「うるせえ! 忘れてたんだよ!」
 向かう方向はスクメギではなく、飛び出て来たばかりのグルーヴェ野営陣。
 そう。今行われているはずの、先遣隊の疑似契約作業を止めるためである。
「ロゥ! 左に反応、敵っぽい!!」
「何ッ!? こちとら急ぎだってのに!」
 殺意に、思考より先に体が反応した。
 だがロゥのそれよりも迅く反応したのは、もちろんハイリガードの左腕。3条の爪痕が盾に穿たれた所でロゥの制御が追い付いて、重なる動作が巨大な影を力任せに押し返す。
「何だよあいつ! メチャクチャはええ!」
 相手はロゥかそれ以上の駆り手。動きは速く、殺意を感じなければ反応すらおぼつかない。
 獣機というより獣の如き身のこなし。少なくとも普通の獣機の戦い方ではない。
「つか、獣機に殺意があるかよっ!」
「覚醒してる獣機なら当たり前でしょ!」
 盾で受け、矛で裁き、踏み込む先を踏み込んでさらに回避。狂犬を相手にした時のような感覚にロゥの神経が削られ、研ぎ澄まされていく。
 制御に集中した精神は、ハイリガードの動作に追い付き、追い越し、敵の姿を捕らえ……。
「ちょ、ロゥ、はやっ!」
 獣機の動きを越えた打撃へ進化する。
「そこを通せ! 猫野郎!」
 逆転。ロゥの意志に獣機の動きが追従する。
 鈍い音と共に……。
「盾よ!」
 正面から叩き込まれた打撃は、四足獣機の正面に生まれた魔力の盾に受け止められていた。
「お願い……そこを通して!」
 力のせめぎ合いの中に響く悲痛な声は……。
「……子供!? って事は、スクメギの奴か!」
「あの四つ足……思い出した!」
「汝、カースロット殿の妹君か!」
 三者三様の思いが一瞬で交錯し、
「「「武器を引け、彼奴は敵じゃない!」」」


続劇
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