2.使者達の輪舞 森の中をふらふらと歩きながら、フードを被った少女は小さく息を吐いた。 「ネコさん……ホントにダメなの?」 問われた肩の猫は、にゃあと鳴いて首を横に。 「んー。どうしよっかな……」 イルシャナの代わりにエミュ達を助けに行こうと決めたのに、肩の猫が協力を拒んだのだ。いくら何でもたった一人で彼女達を助けられると思うほど、少女は自信過剰ではない。 「それにしても、いい天気だなぁ」 差し込む木漏れ日は、戦時でも暖かい。 ふわ……と小さくあくびをして、頭を覆っていたフードを外した。人前では外さないフードだが、別に好きで着ているわけではないのだ。 休憩がてら木の根本に腰掛け、再びあくび。 「……あ」 その瞬間、目の前に現れた少年と目が合った。 「……あなた、誰?」 その問いかけに、少女は火照と名乗った。 《シスカ様。指揮官用の回線は使えますか?》 エミュの声ではない。彼女の内に棲む『もう一人の彼女』が、一時的に面に出て来たのだ。 「……スクメギには繋がりませんよ?」 火照は少し考えると、再び口を開く。 《ええ。今から言うコードに接続を》 聞いている者には意味不明な言葉の羅列だったが、どうやらシスカには通じているらしい。 「指揮官権限で回線繋がりました。どうぞ」 一瞬の後、瞳を閉じた美女の口が動く。 『……もしもし、貴方は……誰?』 だが、シスカの口から放たれた声は彼女の声ではなかった。もっと幼い、男の子の声。 「え……? キミこそ、誰?」 それは火照にも予想外だったらしい。素に戻ったエミュの声で、オウム返しに問いかける。 『……anonymous. Please give me a name?』 「……え? 嘘、なんで、古代語なんて……」 一瞬だけシスカの声に戻り、呆然と呟く。 「あのに……? 何だか言いにくいから、あっちゃんでいい? ポクは、エミュだよ」 エミュはもちろん古代語なんか分からない。ましてやその言葉の意味する処など……。 『あっちゃん……? はい!』 だが、それでもシスカの向こうの相手は感激したようだ。呼ばれた名を確かめるよう、しきりに繰り返している。 《貴公、名前が欲しいとは、一体……?》 エミュが火照に替わったその時、シスカが三度瞳を開いた。心なしか、息が荒い。 「すみません。回線が何らかの干渉で混乱していたようです。指定のコードに再接続を」 瞳を閉じ、再度どこかへと通信を開始する。 「エミュ。シスカに何やってもらってんの?」 その様子をぼんやりと眺めていたクラムが、ようやく口を開いた。 《少し、知り合いのツテがありまして。何分距離がありますから、シスカ様に連絡を》 「へぇ……。どこの友達? スクメギ?」 クラムの問いに、火照はある方向を指差した。はるか青い天へと続く、上の方向を。 「……空ぁ!?」 木や山より上の高さに人の住む場所はない。有翼系ビーワナでさえ、家は地面の上だ。 《スピラ・カナンをご存じありませんか?》 「ス……っ!」 今度こそクラムは絶句した。あまりの事に、落ち込んでいた事すら忘れている。 「スピラ・カナンって空の上にあったの!?」 選ばれた者しか辿り着けぬと言われる伝説の地。古代の秘技と失われた奥義がいまだ眠ると伝えられる、神話の時代からの遺産。 《ええ。古代の戦の時代より、ずっと》 道理で見つからないはずだ。地上をどれだけ探しても、天上の街が見つかるはずがない。 「蛇の戦か……伝説はホントだったんだ」 クラムの言葉に、火照は一瞬黙りこくった。 蛇が裏切り、他の6種族と繰り広げた争い。子供でも知る、世界の初めの物語の最後の章。 《いいえ、あれは……》 火照が答えかけたその時。 「申し訳ありません。何らかの妨害で、スピラ・カナンへの接続は不可能です」 そう謝罪し、一礼するシスカ。 《そう……有り難う。龍王様やホシノ様達、上手くやってくれていれば良いけれど》 そして火照も瞳を閉じて。 「ねえ、気になるじゃん! 待って!」 クラムに答えは与えられぬまま、瞳を開いた火照は元のエミュに戻っていた。 「ちょっと待て! 逃げんなって、オイ!」 慌ててその場を去ろうとしたコーシェイを、少年はとりあえず止めてみた。無論、止まれと言われて止まる奴は居ない。 それでもコーシェイが止まったのは、彼女の前に青い服の少女が姿を見せたからだ。 「なんで、みんな私を追いかけるの?」 「何でって……何で逃げるんだ?」 意味不明な問いに、少年は逆に質問。 「私の顔を見ると、みんな追いかけてくるの」 コーシェイの顔を見ると、追いかけてくる者達がいる。だから、顔を隠す。不思議とフードを付けていても追われる事があるのだが……それに気付くほど、少女はまだ聡くはなかった。 「ね、キッドくん。この子……」 青い服の娘が、遠慮がちに呟く。 「わーってるよ。気付いてないのか、お前」 二人組には思い当たるフシがあったらしい。言われても不思議そうに首を傾げるだけのコーシェイに、呆れたような表情をするばかり。 「まあ、いいや。アンタ、イルシャナ様ン所の護衛だろ? エミュとかいう」 「私はコーシェイだよ? こっちはネコさん」 鳴きもせず、少年達をじろりと一瞥する猫。何かを警戒しているのか、その視線はお世辞にも友好的とは言えない。 「バカ! 人違いじゃねえか、アクア!」 「そ、そんな事言われても〜〜〜」 キッドくんも分かってるって言ったじゃない、という反論は聞き入れられず、ぽかぽかと殴られる少女、アクア。 「お兄ちゃん達、イルシャナ様にご用なの?」 「おう。シーラ姫様からの特使様だぜ! こっちはただの従者だけどな!」 少年は胸を張って名乗るが、二人とも十代の半ばだろう。エミュという若い使いの前例がなければ、とても特使には見えなかった。 「じゃ、案内するよ。いいよね? ネコさん」 不機嫌そうに一鳴きし、問われた猫はコーシェイの肩からひらりと地面に飛び降りる。 「俺達、獣機にゃ嫌われてっからなぁ。じゃ、まずはリヴェーダの爺さんとこに案内頼むぜ」 木立の中に姿を消した猫の小さな背中を見送り、キッドは意味深な苦笑を浮かべるのだった。 「クラムさんは、私の『運命の人』ですから」 意味深な発言に、その場にいた一同は思わず半歩退いた。スクメギの最深部。作戦会議に使うらしい巨大な板に映し出された動く字や絵も、なんだか間が悪げにウロウロと動くのみだ。 「ミユマ、それ意味分かって言ってるの?」 イルシャナの言葉に「当然です!」と胸を張って答える虎耳の少女。 「私の村の恩人ですよ。銅像とついでに記念館も建てないと、義理が立ちません!」 彼女の賞金で村おこしのための温泉が掘れる。もうお金は送っておいたから、今頃村では着々と準備が進んでいるはずだ。 「で、その恩人を助けに行きたいんで、一言断っておこうと思いまして。ホントはメティシスさんと一緒に行こうかと思ったんですが……」 どうやら忙しそうなので、と続けかけて。 「ミ、ミユマ様っ!?」 慌ててだだだっと駆け出し、ぱっとミユマの耳をひっ掴む鉄色の髪の娘。 「マスターは火照様の事、必死に忘れておいでですの。不用意にその件を出されては……」 「あ……。うっかりしてました……」 「構いませんよ、ミユマ」 一瞬の硬直が解け、イルシャナはぎこちなく笑みを浮かべた。 「救出に関してはこちらからお願いします。メティシスはここの管理があるから、連れて行かれては困るけれど……」 その言葉にミユマは首を傾げる。管理と言われても、掃除をしたり庭の剪定をしたり、くらいしか思い浮かばない。 「管理って。結局ここ、何の遺跡なんですか?」 そのあまりに単純な問いに、二人の少女は顔を見合わせた。 「……箱船の一部ではあるわよね」 「あと研究所で、要塞で、通信施設ですわ」 「後何があったかしら。神殿?」 遺跡。箱船。研究所。要塞。通信施設。神殿。 「この星に来た古き旅人達の家、でしょうな」 答えはしわがれた声で与えられた。 「リヴェーダ!」 それはスクメギの公館で伏せっているはずの蛇族の老爺だった。今までとは何処か違う、憑き物が落ちたような穏やかな表情をしている。 そして。 「エミュ達を助けに行く必要もありませんよ」 そこに現れたのは……。 巨大な姿を空から見下ろし、少年は唸った。 「あいつらも、見納めか……」 はるか眼下にあるのは巨大な甲冑。獣機と呼ばれるそれは、人が豆粒に見える高度でも人の形を見せている。行軍訓練でもしているのか、歩いている騎体もいくらか見えた。 「な、あいつらはお前みたく喋らないのか?」 騎体が一瞬揺れ、鈍い音と共に少年は沈黙。 「これでもアンタより年上なんだから。敬語使いなさいよ、けーご」 ロゥが乗る操縦席の中に響いたのは、舌っ足らずな毒舌だった。不思議な事に子供の声だ。 「あのコ達はね、もうダメなの。あたし達とも話せないのよ」 眼下に見えるのはグルーヴェ制式の直線的なラインを持った獣機『一式ギリュー』。先遣隊に配備された『四式』ではない。グルーヴェ本国の、疑似契約を施された最新鋭機である。 「……ダメってどういう事だ? 何か、『疑似契約』とかいうのを使ってあんだろ?」 スクメギやグルーヴェの中央で普及している技術だ。搭乗者を『選ぶ』はずの獣機を誰でも乗れるようにし、動作を安定させる最新の技術。 最終的にはグルーヴェの全獣機に施される予定……だと、ロゥは聞いている。 「契約!? あんなものが『契約』ですって!?」 だが、少女はその言葉が呪いの言葉であるかのように強く吐き捨てた。 その様子は、リヴェーダの行っていた疑似契約を頑なに拒んだイルシャナにどこか似ていた。 「……『契約』はね、もっともっと神聖な物なの。あたしが認めてロゥが応えたあの時みたいにね。『運命』なのよ。分かる?」 ゆらりと騎体が揺れ、高度が徐々に下がっていく。森の中にゆっくりと着陸するや否や、ロゥの体は地面の上に投げ出された。 「っ痛ぅぅ…………何だよ、オイ……」 打った頭をさすりながら顔を上げたロゥは、目の前の光景に言葉を失っていた。 そこにあるのは巨大な獣機ではない。 先程の声相応の、幼い子供の姿。 鋼の獣機ハイリガードの、ほんとうの姿。 「……ロゥは知りたい? あたし達の、全部」 「レアル……貴方は、何をしに!」 押し殺した声と共に、響天の間に風が流れた。 「グルーヴェの使者として、会談の申し込みをしに。火急故、突然の無礼はお許し頂きたく」 詩人で身に付けた作法で、優雅に一礼。 「今更……ッ!」 少女の姿でありながら、イルシャナの腕は鋼と化していた。スクエア・メギストスの右腕となり、いつでもレアルを砕ける間合にある。 「こちらと交渉の席を設けて戴けるなら、人質の二人は無事にお返し致します。ですが、使者である私が戻らない時は……」 すっと自らの髪を一本引き抜き、集中。 それと同時に傍らにいたメティシスを抱き寄せ、少女が抵抗するよりも迅く、その首元に鉄針と化したそれを差し込んだ。 「エミュにも同じものを仕掛けてあります。僕以外には抜けないし、無理に抜けば……」 部下から、彼の『力』の報告は受けてある。ミユマもそれを知ってか、動く気配もない。 「卑劣な……」 「殿下。今は争っている時ではございませぬ」 ぎり、と鋼の拳を握るが、リヴェーダの言葉だけではまだ退かない。 「そうそう。シーラ様も、交渉しろってさ」 そこに、声。 「……キッド! アクアまで!」 コーシェイに連れられた自称『特使』の二人。当然、どちらもイルシャナとは顔見知りだ。 「……分かりました。交渉に応じましょう。まずは、メティシスを離しなさい」 |