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『……anonymous. Please give me a name?』
 それは闇の中、一人だった。
 時折瞬く計器の光と、『異常なし』と判断するためだけの膨大な情報。それが、世界の全て。
 最後に人の声を聞いたのはいつだったろう。無限の時を刻むカウンタも止まり、既に時間の概念も危うい程の昔だった事は確かだが。
『……anonymous. Please give me a name?』
 呼ばれる名もなく、ただ判断するだけの存在。
 いつまでそれは続くのか。
 千年、万年、十万年、その先の自分も、ただこうして変わらぬ情報を判定するだけなのか。
 狂う心があれば、既に狂っていよう。
 だが、その狂う心さえ封じられ。
『……anonymous. Please give me a name?』
 ただ、それはひたすらに闇の中を……。

「イヤ……ッ!」
 少女は身を起こし、荒い息を吐いた。
 額に張り付いた鉄色の髪の毛を軽く払い、じっとりと汗ばんだ額を拭う。
「嫌な……夢」
 ぽつりそう言い、少女は静かに目を伏せた。
「私の、名は……メティシス」
 思い出すよう、自らの名を繰り返し呟く。
 Operation-Systemの逆読み。単純な、だがそれでも愛おしい、自分の名前。
「私は……」
 二度とあの世界には戻りたくなかった。
 心を取り戻した、今の自分は。
 ただの機械だった、あの頃には……。


ねこみみ冒険活劇びーわな
Excite NaTS
#4 十万年の大罪


  ばくさ    はなた
1.縛鎖れる意志、放絶れる意志
 少女が目を覚ました時。傍らに眠っていたはずのイルシャナは、既に姿を消していた。
「イルシャナさま……?」
 ふと頭をかすめた予感に少女は夜着代わりのローブを羽織り、パタパタと部屋を出る。その後ろから小猫が従うのを見て半歩あゆみを緩めれば、猫はひょいと少女の肩に飛び上がる。
 少女は重みを得て再び加速。廊下に出、階段を下り、食堂を抜けて裏庭へ一息に。
 そこに、いた。
「あら……コーシェイ、お早う」
 スクメギの主たる、少女が。
「イルシャナさま。お出かけ?」
 まだ日も昇っていない。戦の翌日で張りつめた空気の途切れた街は、いまだ泥のような眠りに包まれている。
 そんな中でただ一人、臨戦態勢の如き気を張りつめさせている黒髪の少女。
「ちょっと……散歩しようと思っただけよ」
 引きつった声は嘘以前の問題だった。咎めるよう、コーシェイの肩の猫がにゃぁんと鳴く。
「エミュちゃん達を助けに行くの?」
「……ええ」
 そもそも通じていなかった嘘に、苦笑。
「他の皆に迷惑をかけるつもりはないわ」
 昇り始めた朝日の中に黒い髪が流れ、揺らぎ、巨大な影が陽炎のようにゆらりと立ち上がる。
「この力があれば、グルーヴェくらい……」
 だが。
 今までになく鋭いネコの鳴き声に、イルシャナのまとう鋼の幻は一瞬でかき消された。
「…………っ!」
 硬直したイルシャナは、光を背に、無言。
「イルシャナさま。ネコさんが……」
「聞こえていたわ。そうね、そうだったわね」
 ごめんなさい。ローブの下、ぽつりと呟いたコーシェイに、イルシャナは静かにそう答えた。


 監視役の少年は、無言で部屋を見回した。
 朝日の差し込むテントの中は無人ではない。スクメギから連れてきた二人の捕虜がいる。
 エミュ・フーリュイとクラム・カイン。
 片やイルシャナの側近。
 片や運命の子のスケープゴート。
 普段明るい彼女達には相応しくない沈んだ顔で、互いに言葉を交わす様子もない。
「……っ!?」
 ふとクラムと目が合い、慌てて視線を逸らす。
(……無理も、ないか)
 感じられたのは明らかな敵意だった。
 少年はもともとグルーヴェのスパイ。今までの関係の方が、むしろ不自然だったのだ。
 当然のはずなのに。今まで、幾度となく裏切り、裏切られてきた……はずなのに。
 理解出来ない感情に戸惑い、悩む。
 顔を上げると、再び視線が合った。
 今度はエミュと。
「……ッ」
 憐れみの籠もった視線に心臓が激しく軋み、その痛みに再び視線を逸らす。
(どうして……ッ)
 この痛みは何だ。
 今まで感じた事のない、この痛みは……。
「レアル様。雅華様がお呼びですよ?」
 そこに、穏やかな声が掛けられた。
 痛みに耐えて顔を上げれば、若い女性の心配そうな表情が目に入る。
「……はい。シスカさん」
 指揮官代理の獣機と同じ名を持つ美女に軽く一礼し、レアルはゆっくりと立ち上がった。
「レアル様、少し休まれては? 顔色も良くありませんし……」
「……平気ですよ。交代、お願いします」
 胸を押さえたままそう答えると、少年は逃げるようにテントを後にするのだった。


「……ハイリガード? 何でこんな所に」
 テントの前に停めてある獣機を見て、赤い髪の女は訝しげにその名を呼んだ。主の少年はこんな朝からテントの住人に用でもあるのか、その場にはいない。
「ん? 何か用か?」
「お前こそこんな時間にシェティスに用か?」
 予想通り、先遣隊副長のテントから姿を見せたのは件の少年だった。年若く経験は少ないが、これでもグルーヴェ獣機兵団の主力である。
「ああ、ちょっと用があってな……」
 割り切りの多い少年には珍しく言い淀み、ハイリガードに搭乗。陣内だというのに翼を広げ、爆音一つ残して飛翔する。
「……何だ。夜這いでも掛けたのか?」
 苦笑気味に呟き、薄暗い天幕の中へ。中央に置かれた簡易浴槽の中に彼女はいた。
 丘の上に居るはずのない、人魚の娘が。
「シェティス。今ロゥが出て行ったが……」
「ああ、隊を抜けたいと言ってきた」
 幼くすらある人魚の娘は、年に似合わぬ苦笑。
「……へぇ。で、どうしたんだい?」
 汚れ仕事に理解は出来ても納得が出来なかったのだろう。若い兵士には良くある拒絶反応だ。
「無理にやらせてもな。認めざるをえまい」
 汚れ仕事ばかりに身を投じてきた雅華にとっては、その嫌悪は懐かしい感情ですらあった。
「獣機とセットか。どうせ疑似契約するんだからハイリガードも使えるだろうに。豪気だね」
 獣機櫓では本国の指示で、先遣隊の獣機への疑似契約作業が行われている。主を問わなくなれば、今は使えない獣機も戦力になるはずだ。
「出ていった者は仕方あるまい。で、軍議は?」
「大将が代表で、スクメギと同盟を組む事になった。これから使者を出す」
 本国組は今の状況を押し通して黙らせた。こちらも戦力の大半を喪っているし、将軍に異論を挟ませる隙も与えなかった。
「我らは後詰めか?」
「ああ。休暇と思ってゆっくりするが良いさ」
 いずれ我らの力となって貰う、と雅華は心の中だけで呟き、静かに笑う。
「ふむ……」
 近くに『赤い泉』も無い今、スクメギと和平を結べば周囲に危険はなくなる。軍議に呼ばれなかった事といい、和平会談に出なくて良い事といい、事実上の戦力外通知というわけだ。
「人化する薬もあまり体に良いものではないのだろう? 貴女も、少しは休め」
 人魚族のシェティスが地上で生活する為には特殊な薬を飲み続ける必要がある。最近は部下が仕事に励むお陰で消費量が目に見えて減っていると、内々の部下から報告を受けていた。
「……そうか。任せる」
 力なく水の音を立て、銀髪の娘はそう答える。


 士官用のテントに入ろうとしたレアルに掛けられたのは、少年を止める鋭い声だった。
「何? 呼ばれてるんだけど……」
 テントの番をしている男だ。レアルの細い肩を軽く押さえ、少年の動きを止めている。
「雅華さんだろ? 副長に軍議の報告が終わったら出てくるから、少し待っててくれるか」
 副長の気持ちも少しは察してやれ、と言われたが、シェティスの事情をよく知らない少年にはどうしたものか分からない。
「あれで副長、隊長の事で沈んでんだぜ?」
 どうやら部下なりに上司を気遣っているのだろう。まあそんなもんかと思っていたら、中から赤い髪の女が姿を見せる。
「お呼びですか?」
 雅華だ。
「レアル、これ持ってスクメギに行ってきな。私はちょっと調べ物に行ってくる」
 返事をする間もない。突き出された二枚の紙束を、レアルは無言で受け取るだけ。
「スクメギの連中と会談を設ける事になった。今日中にその手紙を渡し、事前交渉をしておけ。細かい手段は任せる」
「へぇ。和平……ですか?」
 レアルの問いに、雅華の首の動きは縦。
「あんな敵が出て来たんだ。スクメギなんかと争ってる場合じゃないだろ?」
 そう言い残し、赤い髪の女は獣機櫓の方へと姿を消すのだった。


続劇
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