5.予兆の予兆、その予兆 全ては、赤の中にあった。 破壊に染まった赤き炎。 滅びに染まった赤き街。 絶望に染まった赤き空。 天空におわす月すらも、終末の赤。 そんな世界で私は剣を振るう。力を放つ。 白き赤を祓い、道を違えた世界に本当の道を取り戻さんが為。 「マスター・メギストス! メティシス!」 翼を広げ、赤き空を舞いながら喚ぶ。 応え現れる、白き王と鉄色の下僕。我が主にして盟友。戦友にして大逆者。道を違えた世界を正す為、道を違えた異形の獣。 青き白。蒼き悪魔。碧き神。 「いよいよ、最後ですね」 そう。世界の命運は、この一戦に在り。 「我らが滅ぶか、彼らが滅ぶか……」 敵は赤。思考すら、存在すら相容れなかった、不倶戴天の……敵。 存在意義の全てを賭け、退けるべき敵。 主の逡巡が、僅かに見て取れた。 「主……」 幽かに震える手を取り、私の小さな胸にそっと触れさせる。 「往こう、我が主。私は常に、主と共にある」 いつの世も。いつの夜も。たとえ世界が換わろうとも。たとえ世界が終わろうとも。 王の手は柔らかく暖かい。破壊の化身と思えぬ程の優しい手。優しさ故に破壊を手にした手。 「ありがとう。────」 その後の言葉は、涙に覆われ聞こえなかった。 けれど、いい。その涙がある限り、私の誓いは永劫に果たされるだろうから。 「往きましょう、火照。世界を取り戻す為に」 柔らかな繊手が、破壊の鋼に覆われた。 殲滅の翼を広げ、舞う。私も炎となり、白き翼を包み、朱く染め上げる。異則異形の赫ではなく、青き世界の清浄なる朱に。 「そう。我は、常に主の元に……」 舞う。舞う。舞う。 宿命を斬り裂く為に。運命を救い、その果てに希望を見いださんが為に……。 「……マスター」 エミュは、暗がりの中で目を覚ました。 身を起こせば、肩に掛けられた毛布がするりとこぼれ、床へと落ちる。どうやらイルシャナを看病していて、そのまま眠り込んでしまったらしい。 ふと。瞳が涙で濡れているのに気が付く。 「何の夢……だったっけ?」 思い出せない。絶望に閉ざされた悪夢だった気も、限りなく幸せな夢だった気もするが。 「ま、いーや」 繋いだ手の先にはイルシャナが眠っている。獣機工廠で倒れてから相変わらず調子が悪いようだが、丸一日寝込んで落ち着いたのか、今は穏やかに寝息を立てていた。 それだけで、十分。 そう。今は。 穏やかな瞳で……幼い娘とは思えぬほどの慈愛を湛えた金の瞳で……眠っている主を再び見つめると、 「さて。朝ご飯の準備……っとぉ」 いつものように歌い出そうとして、慌てて口を閉ざす。ただし、胸元の『お守り』に手を当て、お祈りする事だけは忘れない。 今日も良い一日でありますように、と。 「……イルシャナさま?」 瞳を開くと、こちらに顔を向けているイルシャナと目が合った。 「ごめんなさい。起こしちゃった?」 少女の問いに、黒髪の主人は穏やかに首を振る。どうやら、既に目が覚めていたらしい。 「えと、朝ご飯の支度、今からなの。今からレアちんとお買い物に行ってくるから、もうちょっと寝て……」 「少しは、エミュもお休みなさい」 穏やかに、イルシャナ。スクメギの若き領主が倒れてからエミュがほとんど眠っていないのをちゃんと知っているのだ。 「大丈夫だよぉ。ちゃんとお昼寝してるしっ」 「ピュルスのお店が開いているでしょう? 頼めば、サンドイッチくらい作ってくれるわよ」 「……ったく。何だってんだよ。畜生」 その頃、ロゥは悪態を吐いていた。ハイリガードではなく、馬などに揺られている。 (私忙しいから、スパイとの連絡役頼むわ) 雅華の言葉を思い出し、再び悪態。 もっとも、ハイリガードは一日かけて調整するらしいし、何より昨日の失態を突かれれば断る術などなかったのだが。 「ま、いっか」 それに、個人的にもスクメギには用事がある。 鋼の兵士よりも遙かに遅い歩みで、ロゥはスクメギへと向かう。 「やっぱ、無理だったね……」 「ですねぇ」 ピュルスの店でサンドイッチをぱくつきながら、クラム・カインはため息をついた。 既に黒髪のカツラはない。意味がないからだ。 昨日の戦いの途中で固定もロクにされていないカツラはアッサリと脱げ、50人の傭兵達の前に正体を晒してしまったのだ。 流石に皆一端の傭兵。戦闘中こそ何もなかったが、その後は……いや、多くは語るまい。 「そういや、ミユマはどうしてボクを捕まえないの? キミもボクを狙ってたじゃない」 確かこの娘、故郷に温泉を掘る資金を稼ごうと傭兵になったはず。クラムに賭けられた10万スーがあれば、採掘師はおろか、高名な水の魔術師を雇う事も出来るだろうに。 「一段落ついてからで、いいですよ」 先日の戦い。少女の言葉を聞き、ミユマは決めたのだ。 クラムが運命の子となるまで見守ろうと。10万スーを勝ち取るに相応しい『運命の子』となった時、初めて捕まえようと。 「それまで、予約済って事で」 でも村がなくなっちゃうから、出来るだけ早く運命の子になって下さいね。と付け加え、ミユマは穏やかに笑う。 「そっか……」 その笑みにつられるかのよう、クラムも笑み。 そこに、入ってきた影がいた。 「あーーーーーーーーーーーーっ!」 「えーーっ!」 主のその言葉に、エミュは珍しく非難の声を上げた。 「ダメ! ダメダメダメダメダメダメ!」 一呼吸置いて、 「だめーーーっ!」 ダメ押しにもう一声。 「……エミュ、そんなに言わなくても」 耳を押さえてイルシャナ。着いてきたレアルは黙っているが、やっぱり押さえている。 「イルシャナさま、やっと治ったばっかりなのに。スクメギの調査に行くなんて絶対ダメ!」 リヴェーダの提案したスクメギ深部の調査は明日に迫っていた。それにイルシャナは、スクメギの領主として同行したいと言ったのだ。 無論、理由はエミュにも分かる。 スクメギの深くで見つかるであろう新たな獣機達を、疑似契約させたくないのだ。この主は。何らかの方法でリヴェーダから取り上げ、保護するつもりなのだろう。 「今日一日寝れば、明日には体調も良くなると思うから。このあいだアリスが送ってきた薬もちゃんと飲むから。ね?」 その気持ちはエミュにも痛いほど分かる。 だが、何故そこまで疑似契約にこだわるのか。自分の身を削ってまで、辞めさせようとするのか。そこまでは分からない。 今は、まだ。 「……絶対だよ。今日一日、ちゃんと寝ててね? お薬もちゃんと飲んでね?」 「エミュ……」 絶対に逃がさないから! といったエミュの様子に、根負けしたように笑み。第2王女がふらりと送りつけた『保障付き』の怪しげな薬を飲むのは気が進まなかったが、まあ、仕方ない。 「それと、ポクも着いていくねっ! もちろんレアちんも行くよねーっ!」 レアルも一瞬呆気に取られていたようだが、無言で首を縦に振る。 そして、3人はピュルスの店に足を踏み入れ。 「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!」 最初に声を上げたのはイルシャナだった。 「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!」 次に声を上げたのはクラム・カインだった。 目の前にいるのは運命の子。 目の前にいるのは若きスクメギの領主。 初めて会う顔。だが、存分に見知った顔。 「お待ちなさい! 運命の子とやら!」 「待てるわけないじゃんかっ!」 いつものように脱兎の如く逃げだそうとして……一瞬痛みを感じ、ガクリと膝を突いた。 (何……毒針!?) 翼に集まるはず気が散じていく。祖霊の力を含んだ毒気が、全身の力を奪っていく。 両手を床に突けば、そこには硬質化した長い毛針が一本。灰にも見える青黒の毛は虎族のミユマのものではない。ならば、一体誰が……? 「貴女が捕まえたのですか? この娘を」 警備兵を呼ぶと、イルシャナは崩れ落ちたクラムの隣にいる虎族の少女に声をかけた。 「え? 予約済というか、何というか……」 「あーそうだよ。ったく。なんつーか、さ」 ロバの警備兵に両腕を抱えられながら、運命の子は毒づいた。 同じ捕まるのなら、少し抜けているが心優しい、この娘の手柄になった方が良い。毒針を影から使うような輩の手柄には、させたくない。 (村を救う運命の子、ってのも悪くないか) 気付かれないように、微笑。 「エミュ、レアル。私はこの子達を連れて行くから。すぐ戻るわね。ピュルスもお願いね」 「あ、ポクも行くーーー!」 4人の少女を見送り、少年は眉をひそめた。 不可解だった。 毒針を打ち込んだのは確かに自分。 『飛雷針』 誰ともなく呼ぶようになったそれは、山嵐の聖痕を受け継ぐ彼の秘技の一つ。自らの毛を逆立てて魔力の毒を与え、何人も立ち入れぬ棘の壁と成す祖霊使いの絶技。 その針を引き抜き、脚に撃ち込んだのだ。 針を投げた者が自分とは気付くまい。けれど毒を打ち込まれた事は莫迦でも分かるはず。それでいて、どうして彼女は犯人と指名した虎族の少女を責めないのか。 爽やかに。静かに。穏やかな笑みすら浮かべ、スクメギの軍門に下ったのか。虎族の娘に10万スーをくれてやるような真似をしたのか。 昔の自分がその立場なら、相手を恨むだろう。 今の自分がその立場なら、己を嗤うだろう。 だが、分からない。 常に裏切りと悪意の中に身を置いてきた少年の、思考の外にある感情。侮蔑し、蔑んできた、英雄歌の中にしかないと思っていた想い。 (彼女達なら、解るのだろうか) 無償の愛を、全幅の信頼を、惜しみなく分け与えてくれる、彼女達なら……。 分かるのだろうか。 あの、穏やかな笑みの意味を。 そこで、少年の思考は中断した。 「よーう」 からんとドアベルが鳴り、少年が入ってきた。 隅のテーブルに気配もなく座っていた影の隣にどっかと腰を下ろす。小柄なクセに、態度だけは異常にでかかった。 「テメェがスパイとは思わなかったぜ。詩人」 影の名はレアル。イルシャナのお抱え詩人にしてリヴェーダの秘書、グルーヴェのスパイ。 千本針のレアルと、彼を知るものは呼んだ。 「……ババアは用事があるんだとよ」 少年の名はロゥ。グルーヴェの獣機傭兵。 不思議そうなレアルは、表情を浮かべないまま小さく首を縦に。その不可解な態度に短く舌打ちをし、ロゥは店の娘へ注文を投げかける。 「なんか、メチャクチャ怒ってたぜ。報告が来なかったってよ」 「……あれは唐突な作戦だったから」 レアルから細かな報告の書かれた手紙を受け取り、少年は乱暴に懐にしまい込んだ。代価として、懐へ数枚の銀貨を滑らせる。 「けっ。あのクソ親父のやりそうなこった」 「もういないみたい、だけどね」 ロゥは『狂犬』と呼ばれた男に見当を付けているらしい。軽蔑の中に僅かに潜む理解不能な感情に、レアルは初めて表情を動かした。 「あーっ。ロゥちんだー!」 しかし、その思考も中断される事になる。 「げっ! あん時のガキ!」 「違うって、どういう事だい?」 グルーヴェ野営陣からなお南。先日まで赤い泉と呼ばれていた崩れた遺跡で、雅華は整備兵に疑問符を投げかけた。 「エノクとココくらいの差ではあるんですけどね。まあ、何とか読めるかな……程度には」 忌まわしき蛇の遺産。かつて世界を裏切った蛇の一族が残したという、呪われた金色の遺跡。石造りの遺跡を見回せば、あちこちに呪われた金属である純金の象眼が埋め込まれている。 描かれているのは古代文字だ。同じ古代の遺跡から発掘された獣機の整備を行う整備兵や魔術師なら、読めるはずの文字。 それを彼らは読めないと言う。 「赤い泉ってのは蛇の遺産だろ? 近所のアークウィパスやスクメギの字と何で違うんだい」 神話は語る。かつて世界は一つだったと。その内より蛇が裏切り、戦いが生まれたと。 そして世界は道を違えたと。 赤い泉。アークウィパス。スクメギ。 どれがどこの戦力だったのかは分からない。歴史の常として、史実の脚色もあるだろう。だが、歴史にいかな脚色があろうとも、言葉そのものがそう極端に分かたれようはずがない。 今も蛇達は同じ世界の住人であり、今も彼らは同じ言葉を喋っているのだから。 「ンなモン、俺に聞かれても分かりませんよ」 整備士はあっさりとさじを投げた。残る仕事は、魔術師が引き受けるという。 「……まあ、いい。出来るだけ調べとくれ。何かいいネタが手に入るかもしれないからね」 赤い泉。魔物。獣機。アークウィパス。 そしてスクメギ。 似て異なる、二つの古代文字。 それが意味する処は、一体何なのか……。 |