-Back-

Welcome to Labyrinth!
第4話 迷宮へようこそ!(その1)



 「あの……」
 遠慮がちに掛けられた声に、探索者は意識をそちらの方へと向けた。
 そこにいたのは、一人の少女。先日この『迷宮』へと迷い込んだ、獣人の娘だ。
 『我に用か?』
 探索者は喋るために必要な言葉を持たない。
 だから、傍らの紙に言葉を描き、少女の元へと送った。
 「はい。実は……」
 どうやら少女は何か聞きたい事があってやって来たらしい。探索者は傍らの紙を
一枚取ると、少女がその質問を口にしている間に紙の上へさらさらとペンを走らせ
ていく。
 探索者には全て分かっているのだ。少女のしている今の質問の内容も、これまで
の……いや、これから起こりうる一連の出来事の顛末すらも。
 「……それで、お掃除の道具ってどこにあるか……知りませんか?」
 ほんの少しだけ、少女の質問が終わるのが早かったようだ。
 探索者は回答の残りを書き終えると、少女の方へとその紙をそっと流してやる。
 「あ……ありがとうございます!」
 その紙に書いてある詳細な地図を見ると、少女は探索者の座っているであろう大
きな椅子の方へぺこりと頭を下げ、ぱたぱたとどこかへ走って行ってしまった。
 『一寸間に合わなかったか……』
 誰もいなくなった書庫に、一枚の紙片が流れる。
 『まあ、未来を伝えるのは止めておこう……。彼にも止められている事ではある
し』
 探索者は何かを残念がっているようだ。いや、こうなる事も『知っていた』ので
はあるが。
 『少女よ。汝の……』
 探索者の大机から流れ出た3枚の紙は誰の目にも触れることなく、床の上へと静
かに舞い降りた。


 「結構汚れてる……。本当に自動掃除の魔法って完全じゃないんだ……」
 廊下の窓枠をちらりと眺め、少女は小さく呟く。
 この長い廊下の床に敷かれているカーペットには、確かにチリ一つ落ちていない。
だが、細かい所を見ればそれなりに汚れていた。
 そこまで考えて、少女は玄関の大扉には油まで注されていたのに、一昨日行った
浴場にはうっすらと埃が積もっていた事を思い出す。どうやら掃除の魔法は掛かり
具合にかなりのムラがあるらしかった。
 「とりあえず、玄関からやっちゃおうか……」
 探索者に教えてもらった棚から引っ張り出してきた掃除道具一式を抱え直すと、
少女は玄関へと向かった。


 「一体あいつはどこへ行ったんだ……」
 幽霊は誰もいない少女の部屋に浮かんだまま、困ったような口調で口を開く。少
女が起きる時間を見計らって彼女の部屋に来たのに、どうやら少女とは入れ違いに
なってしまったらしい。
 昨日の今日の事だから、まさか出ていった……という事はないだろう。この迷宮
のどこかには必ずいるはずだ。
 「まあ、あいつの行動範囲なんてたかが知れているか……とにかく急がないと
な」
 幸いにも彼女はまだこの迷宮の構造に慣れていない。彼女の行きそうな所……否、
行ける所といえば、ここと浴場、後は玄関と書庫くらいのものだ。
 ならば、じっとしている手はない。さっさと少女を見付けだして、連れ戻さない
と。
 誰も見ている者がいないから、幽霊の動きには遠慮がない。実体が無いのを良い
事にドアすら使わず、直接床から次の部屋へと一気に突き進んでいく。
 「せめて今日一日はここで大人しくしていて欲しかったが……。余計な仕事を増
やしてくれる……くそっ」
 この迷宮においては全くのイレギュラーである彼女を、『奴』に会わせるわけに
はいかないのだ。
 幽霊は背中の大きな翼をバサリはためかせると、移動の速度をさらに増やした。


 ごぉ……ん
 玄関までやってきた少女は、突如響いてきた重い音に足を止めた。
 「あれ、この音って……」
 今までに一度だけ聞いた事がある。確か、この館に初めて来た時に聞いた……ド
アノッカーの音。
 自分が出て良いものかどうか。少女は一瞬だけ迷うが、いくら待っても幽霊が来
る気配はない。
 ごぉ……ん
 再び鳴る、ドアノッカーの音。来客が何者かは解らないが、妙な間を置いてノッ
カーを叩いている。続けて鳴らしているわけではないから、そう機嫌が悪いわけで
はないようだが……。
 「お客さんを待たせるのって……いけない事よね」
 少女は抱えていた掃除用具を隅の方に寄せて置くと、三度目の音が響いたドアの
方へと小走りに駆け出した。


 「掃除ぃ? また何でそんな事を」
 探索者の放ってきた紙を見るなり、幽霊は呆れたような声を上げた。
 『少しでも我々の役に立ちたいという、願いなり』
 少女が探索者のもとへやって来た時、そんな事を言っていたのだ。
 「俺達の役に……ねぇ」
 悪い心がけではない。いや、そんな事を素直に考えられる娘だからこそ、幽霊も
彼女をここに置く気になったといっても良いだろう。
 だが、間が悪かった。
 というか、最悪だった。
 今日に限って言えば、彼らの最も力になれる事は自分の部屋でゆっくりしていて
もらう事だったのだから。
 「今更そんな事言ってもしょうがないか……」
 幽霊は持っていた紙をその辺に放ると、純白の大きな翼を華麗に広げる。その余
波で辺りに散らばっていた無数の紙片が巻き上がったが、幽霊はさほどそれを気に
した様子もない。
 辺りの紙は本物の紙ではなく、探索者の力によって生み出された、魔力の塊なの
だ。魔力の塊だからこそ霊的な存在である幽霊の動きにも干渉されるし、いくら散
らばったとしても探索者の意志一つで一瞬のうちに整理する事が出来る。
 いわば、探索者の魔力で造られた紙に満ちたこの書庫自体が、探索者の支配する
一つの結界と言っても過言ではない。
 「おい、あの娘がどこにいるか教えてくれ」
 その言葉に応じ、幽霊のすぐ目の前に一枚の紙が顕れた。
 この書庫自体が探索者の支配する空間だから、こんな芸当も不可能ではないのだ。
 「『玄関』か……。何とか間に合えばいいが……」
 紙を一瞥するなり、幽霊はそのまま床下へと消えてしまう。
 その幽霊を追うように、一枚の紙片がひらひらと床の上へと舞い降りていった。
 『汝は、あの娘の名を知っているか?』
 という、一枚の紙片が。
 紙片は誰の目にも触れる事無く、床の上から姿を消した。


 「掃除……ですか。ふむ……。清掃魔法も随分と甘くなっているようですナ……」
 がしがしと雑巾で窓枠を拭きながらそう呟くのは、一匹のウサギ。40cmほど
のタキシードを着たウサギが、二本足で立っているうえに言葉まで喋っている。
 「あの、お客さまにそんな事してもらうっていうのは…」
 その隣でやっぱり窓枠を拭いているのは、少女だ。
 彼……彼と呼ぶべきなのかどうかはよく分からなかったが……が、やって来た客
だった。本当はノッカーも連続して叩こうと思っていたらしいが、身長の都合で叩
けなかったのだ。
 「いえいえ。こういう事をするのも、ワタクシの仕事ですから。お気になさらず
に、お嬢サン」
 身体構造の違いなのだろう。普通とちょっと違うイントネーションで、ウサギは
喋る。
 「はぁ……」
 その辺が完全獣人の考え方なのだろうか。少女は適当な相槌を打ちながら、返事
を返した。
 少女や幽霊のような半獣人はこの世界にも多いが、このウサギのような完全に獣
の姿をした種族はかなり珍しい部類に入る。実際、完全な獣人に会うのは少女も初
めてだった。
 「そういえば、お嬢サンはどうしてこの迷宮へ……?」
 とはいえ、ウサギの方は半獣人相手の会話も慣れたものらしい。ごく普通にあり
きたりな世間話を振ってくる。
 「えっと……変な森に迷い込んで、そのままここに来ちゃったんですが……。よ
く分からないんですよ」
 その質問で落ち着いたのだろう。少女の方も窓を拭きながら、ごく普通に返事を
する。
 (転移の森の結界を抜けてきた……?)
 本来の迷宮は、ウサギの使った『回廊』を始めとした幾つかの施設からしか出入
りできないはずなのだ。だが、それらの施設には少女が使った形跡や履歴は残って
いない。
 「あの、どうかしましたか?」
 思わず窓を拭く手を止め、難しい顔(?)をしてしまったようだ。
 「いえ、お気になさらずに。で、どうなったのですか?」
 少女の声に、ウサギはあわてて我に返る。
 「それで、道に迷った私をここの幽霊さんや探索者さんが優しくしてくれて、そ
のまんまお世話になってるんですけど……」
 「で、恩返しにおソウジを?」
 小さく首を振る少女。
 「私、そういう事しか役に立てないですから……」
 「なるほど。良い心がけですな。…………おや?」
 ふとした気配を感じ、ウサギは廊下の床に視線を向けた。
 そこから現われた、一人の影。
 「……遅かったか」
 幽霊は、目の前の最悪っぽい状況に頭を抱えた。


 「で、彼女の事はひた隠しにしようと思っていたワケですか……。このワタクシ
の目を欺こうとは、なんと甘い事を」
 応接間の椅子に腰掛け、ウサギは苦笑を洩らす。幽霊にはウサギが本当に苦笑し
ているのかどうかは判断しきれなかったが、雰囲気からまあ、苦笑だろう……とい
う事にしたのだ。
 「別にいいじゃねえかよ。俺達管理人が一人や二人増えたってよ……」
 「それはワタクシが決めることではありませんよ。ワタクシを含めて5人の代理
人の多数決で決められるコトです」
 残りの4人の代理人の事を思い出し、幽霊は心の中で頭を抱える。
 2人は大丈夫だろう。だが、残りの2人と目の前のウサギは………正直なところ、
一体どうなるか見当も付かない。
 「何だったら、俺の持ってるこの迷宮の管理人権限をあいつにやってもいい
ぜ?」
 幽霊には迷宮の管理人の仕事以外にも幾つかの仕事がある。管理人権限を失った
位でこの迷宮を追い出されるような事はない。
 だが、あの娘は……。
 「ふむ。何故貴公がそこまで彼の娘にこだわるのか……。まあ、その辺も他の4
人に打診しておきましょう」
 一方のウサギはすましたままだ。もともと表情が掴めないうえにこの口調だから、
何を考えているのか幽霊にもさっぱり分からない。
 そんな事を話していると、問題の少女が入ってきた。
 「あ、お茶です……」
 どうやら厨房にはまだ使える茶葉が残っていたらしい。少女は暖かい湯気を立て
ているカップを、ウサギと幽霊の前に置いていく。
 「ほぅ……。なかなかの物ですね」
 ウサギは小さな爪しかない両手で器用にカップを取って紅茶を口にするなり、そ
う呟いた。よく考えたら、この迷宮に視察に来た時にこんなお茶が出てきた事など
今日が初めてのような気がする。
 (こういうのも悪くないですな……)
 二杯目の紅茶を口にしながら、ウサギはそんな事を考えていた。


 その晩。
 「幽霊さん……。私、ここにいちゃいけないんでしょうか…?」
 枕元の幽霊に向かって、少女は小さく口を開いた。
 「聞いてたのか……。あのウサギと俺の話……」
 少女はこくり、首を縦に動かす。
 別に立ち聞きするようなつもりではなかったのだ。だが、紅茶を持って来た時、
たまたま耳に入ってしまったのである。
 「あんまり気にするな。大丈夫、俺が何とかするから」
 「管理人権限……ですか?」
 それが何を意味するものなのかは少女にはよく分からない。しかし、それが原因
で幽霊がこの迷宮を出なければいけないような状況になるのだけは嫌だった。
 「大丈夫だ。俺は管理人権限が無くてもこの迷宮に住む権利を持っているから」
 幽霊の果たすべき仕事は多い。そんな中では迷宮の管理人の仕事など、彼の仕事
のほんの一部……特に、住人が自分と探索者しかいない現在はオマケのようなもの
にしか過ぎないのだ。
 「そうですか……」
 安心したように、少女は瞳を閉じる。
 「それでは、良い夢を」
 幽霊は天井に浮かんでいる光球に指示を送り、ゆっくりと照明の輝度を落とさせ
ていく。
 「はい。おやすみなさい」
 触れる事こそ出来ないが、闇の中でも幽霊の気配は分かる。
 青年の優しい気配を感じながら、少女は穏やかに眠りの中へと落ちていった。
続劇
< Before Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai