８．The Starry Rift

　忽然と現れた大樹が消えるのも、また一瞬のこと。
「世界樹が……崩れていく……」
　周囲を護衛していた神獣達も、作戦の失敗を悟ったのだろう。ある者は投降し、またある者は何処かへと姿を消している。
　戦いは、終わったのだ。
「ねえ、ペトラは？」
　だが、世界樹の中枢に飛び込んだはずの少年は、いまだ戻ってくる気配がない。
「翼が付いてたから、大丈夫だとは思うけど……」
　そんな中、空の一角を指差したのは、本営の警戒と護衛を務めていた銀色のアームコートだった。
「あれ！　あそこ！」


　ゆっくりと空を舞うのは、翼を備えた赤い猟犬だった。
「……まったく。寿命が縮まったぞ」
　広げているのはネクロポリスで増設された直線的な翼ではない。
「これ……ケライノー？」
　アンピトリオンの背中に設えられた連結器を掴むのは、半人半鳥の飛行型神獣……いや、トリスアギオンと呼ばれる次世代機であった。
「ククロが突貫で仕上げてくれてな。……未来の私に申し訳が立たなくなる所だった」
　ケライノーの駆り手の姿を見る事は出来ない。
　けれど伝声管からのその声で、誰かは分かる。
「……父様」
　アレクサンド・カセドリコス。
　万里の夫で、ペトラの父親だ。
「……ペトラ」
　そして、アンピトリオンの操縦席にいるのはもう一人。
「無事で良かった。セノーテ……っ！」
　今更ながらに彼女の格好に気が付き、ペトラは慌てて羽織っていた上着を彼女の裸身に掛けてやる。
　義体と言えど、製法次第で人の体と変わらぬように作る事は難しくない。それがククロ謹製の義体であれば、なおさらだ。
「……ありがとう」
「ううん。また会えて、良かった」
　隠れきれないセノーテの体に、先程の光景を思い出しそうになりながら……少年は顔を紅く染めたまま、ぎこちなく微笑んでみせる。

「未来には……戻れない？」
　ようやく地上に戻ってきたペトラが告げられたのは、ネクロポリスの戦いを終えたロッセからの絶望的な言葉だった。
「少なくとも、今の我々の技術では何十年かかるか分からん」
　現時点で分かるのは、術の実現より先に十三年後が来てしまうであろう予測だけだ。
「一つだけ、方法があるにはあったんだけどね……」
「あった……って？」
　ロッセと共にこちらにやってきた瑠璃が告げるのは、過去形の言葉。
「ネクロポリスには何十年も眠っておくための装置があってね。それを使えば、ほとんど時間を止めたまま、十三年後まで進む事が出来るんだけど……」
　ここしばらくシャトワール達の調査で、ネクロポリスは遙かな世界を渡る巨大な船だった事が明らかになっていた。長い長い旅路にかかる体感時間と水や食料を減らすため、そんな仕掛けが用意されていたのだ。
「……その区画が敵の攻撃を受けてしまってな。何とか二つは動くようなのだが……。他は現状、直す方法も分からん」
　十三年先からやってきたのは、ソフィアとタロ、そしてペトラの三人だ。一人はどうしても、この時代に残る事になる。
「なら、それはソフィア様とタロさんに回して下さい」
「いいのか？　タロは、自分が残ると言っていたが……」
　今もネクロポリスに残っているタロは、ソフィアとの年齢差が逆転出来ると笑っていた。半分は強がりだろうが、恐らく半分は本心だろう。
「二人には、イズミルを支える役目がありますし……タロさんがネクロポリスに十三年も籠もるなんて、無理でしょ？」
「……まあな」
　誰がこの時代に残るとしても、動けない十三年はネクロポリスから出る事は出来ないだろう。
　イズミルにせよ他の場所にせよ、同じ人物が二人いるなど混乱しか起こさないし、王族としてイズミルに留まる事さえ由としないタロが十三年もネクロポリスに籠もるなど……それこそ彼にとっては別の意味での拷問だろう。
「僕はこの時代で、修業を続けたいですし……」
「……それは、だめ」
　けれど、ペトラの言葉を押し留めたのは、白銀の髪の少女だった。
「セノーテ……」
「未来の万里様達が、悲しむでしょ？」
　それこそ、タロと状況は変わらない。歴史が変わってしまうだけでなく、万里達は十四歳から二十五歳のペトラとも同じ時を過ごせなくなってしまうのだ。
「大丈夫。コールドスリープなら、この子にも載ってるから」
　呟き、セノーテが見遣るのは、傍らに立つ猟犬の騎士。
「それって……」
「……ククロが言っていた機能か」
　この時代のククロがアンピトリオンを解析した時、幾つか用途の分からない機能が組み込まれていると言っていた。セノーテは先程アンピトリオンに乗った時、その機能を見つけたのだろう。
「十三年先までに装置を直してこいつに乗せれば、いいって事か……」
　だとすれば、少しは希望も見えてくる。