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7.滅びへの決着

 世界樹の頂で、若きペトラは呼びかける。
「セノーテ! 聞こえてるんだろう!」
 いまだ答えを返さぬ、十五歩先の少女へと。
 世界樹の樹皮に覆われ、その中枢となった少女へと。
「君は未来で、僕に『果たすべき事を果たす所に、連れていく』って言った!」
 目の前の彼女は知らない事だ。
 けれど十三年後の彼女は、間違いなく何も知らないペトラの前に現れ、この世界に彼を導いた。
「未来の世界に、君はいた! 十三年後の世界に、君はちゃんといたんだ!」
 世界樹の一部などではなく。
 セノーテ・クオリア……今と変わらぬ、ククロ・クオリアの娘として。
「僕の果たすべき事は……その未来に、君をちゃんと連れていく事だ!」
 落ちていた刃を噛み構え、四本の脚で一気に加速。
「何を言う! 貴様……っ」
 迅く、ただ迅く。風然が遮るより迅く、噛み構えた刃で緑の兵を切り裂き、その先の言葉を紡がせない。
「この世界が君の望んだ世界かどうか、僕は分からない!」
 どんな気持ちで、あの黒大理の牢獄からこの地を眺めていたのか。
 ヒサ家の……彼女の裔達を見守っていたのか。
 理解出来ない。
 知る術もない。
「でも、知りたいって思ってる!」
 けれど、話を聞く事は出来る。
 彼女の心に、想いを巡らせる事は出来る。
「君は本当はどうしたいんだ!」
 十五歩の距離は、既に無い。
「セノーテ・クオリア!」
 問いかけた少女がいるのは、ほんの目の前だ。
「…………ペトラ!」
「おいで!」
 太い枝を駆け上り、赤い猟犬の首筋から身を乗り出したペトラのもとへと飛んできたのは、樹皮の束縛を振りほどいた細身の肢体であった。


「いま、西のウナイシュで戦いが繰り広げられています」
 その言葉に、謁見の間にいた誰もがざわめきを隠せなかった。
 言葉の内容そのものに、ではない。
 立ち上がった万里が、その場から一歩を踏み出したからだ。
「風然のあれか」
 十五歩の禁を破った者は、誰であっても反逆者に同じ。
 しかし彼女はナガシロ帝の娘。
 腰の刃を抜き、それ以上の歩みを阻もうと踏み出す衛士達を片手で制し、ナガシロ帝は静かに自身の娘を見据えている。
「……私たちは負けません。そして……恐らく、そこでヒサの術者は絶えるでしょう」
 沙灯も瑠璃も既にその束縛から解き放たれた身だ。ヒサの血族で時を巡らせる事が出来るのは、もはや長たる風然ただ一人。
 術を受け継いだ者以外がその知識のみで伝えたとしても、それは不完全な発現にしかならないだろう。
「イズミルにもヒサの術者の血筋が生まれていたな」
 確か、五年ほど前だったか。
 既に術者の視覚を失ったとはいえ、正統な継承者の息子だったはず。恐らく、素質は受け継がれていることだろう。
「させません」
 けれど、玉座から五歩の距離で、万里は静かに言い放つ。
「私と瑠璃が……許しません」
 それは、瑠璃も誓ってくれた。
 時巡りの力……いや、時巡りの呪いは、自らの世代で終わりにするのだと。
「後悔は、ないのだな」
「……それで後悔するような国など、滅びれば良いのです」
 兵達のざわめきを背に、万里は静かにその場を辞して。
 ナガシロの帝は、その背を沈黙と共に見送るだけだ。


 揺れるのは、世界。
「なん……だと…………」
 いや、揺れているのではない。
 崩れ始めているのだ。
 高く伸びる枝が。
 絡み合って作られた広間が。
「崩れる……どうして、崩れるのだ……」
 ひときわ高く伸びた枝の上、赤い猟犬と共にある事を選んだ少女へと呼びかけたのは、いまだ形を残す緑色の兵。
 風然本人の操る、部隊の核となる緑の兵だ。
「神王よ! セノーテ・ヒサよ!」
 だがその呼びかけにも、ペトラの腕に抱かれた少女は答えない。
 代わりに答えたのは……。
「……だから、セノーテ・クオリアなんだよ」
 老爺の眼前に舞い降りた、赤い猟犬の騎士。
 ペトラ・永代。
「違う。あのお方は、我らがヒサ家の始祖……偉大なる神王陛下なのだ……」
 遙かな刻を異郷の城塞で過ごし、ただ見守ってきただけの、無力な王。
 その王が、ようやく手に入った実際の力を手放すと言うのか。
「……ごめんなさい。我が裔よ」
「これが、世界樹の主の意思だよ」
 かつての戦いで聞いた話を思い出す。
 世界樹は、主の意思を忠実に反映するのだと。
 世界を隔てる事を望めば、大後退を。
 世界を巡らせる事を望めば、神術機関に。
 そして……ただ滅びのみを願えば、その身さえも滅ぼすのだと。
 忠実に。主の思いを反映するだけの愚かな装置として。
「世界樹の主は……」
「この世界樹の主は、セノーテだ」
 ペトラは小さく呟いて、再び手にした双の刃を振りかざす。
「お前なんかじゃ……ないッ!」
 もともと戦い慣れてさえいない、数で圧していただけの老人だ。一対一で……しかもこれだけの動揺の中にあって、ペトラの刃を躱せるはずもない。
「ペトラ……」
 闇の中へと落ちていった緑の兵を、腕の中の少女はただじっと見つめているだけだ。
 その気持ちも、いつか話してもらいたい。
 そう思いながら、ペトラは増設されたパネルにそっと手を伸ばす。
「……あれ?」
 だが、開くはずの翼が開かない。
 どうやら先程の緑の兵達との戦いの中で壊れてしまったらしい。
「……ペトラ?」
「まずい。翼がないと……!」
 既に天井は崩れ、辺りも無数の崩落に囲まれて逃げ道など残っていない。
「ペトラ!」
 二人の頭上に落ちてくるのは、先程までセノーテが囚われていた太い枝だ。


続劇

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