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「……そっか。万里と、沙灯って言うんだ」
 湖のほとりに腰を下ろし、ソフィアが嬉しそうに問うのは二人の少女に向けて。
 万里と、沙灯である。
「はい」
 出会った時には少し驚いたが、二人の少女もこちらに敵意を向ける様子はないようだった。
 無論、ソフィア達も不要な争いを起こす気などなく……。
 結局こうして、当たり障りのない話をしているのだった。
「ソフィアはこの辺りのかたですか?」
「いや、もう少し向こうだな」
 メガリの方を指そうとしたソフィアより先に、その問いに答えたのはアレクである。
「…………兄様」
 台詞を取られてどこか不服そうなソフィアだったが、アレクが穏やかな笑みでそれを受け流したのに対して、小さなため息を一つ吐くだけだ。
「君達はこの辺りに?」
「私たちも、もう少し向こうです。この辺りまで来たのは、初めてで……」
 問い返された万里も、アレクと同じように漠然とした答えで誤魔化してみせるだけ。
 北八楼に暮す彼らが、滅びの原野にそびえる八達嶺の事を知っているかは分からない。だが、彼らの八達嶺に対する感情を知る前に、こちらから正体を明かしてしまうのは……今はまだ、得策ではない。
「そうですか。綺麗な所ですね、ここは……」
「はい。ここの外とは、全然違う」
 穏やかな湖と、小鳥すら鳴く緑の森。
 この場に立たされただけなら、この地が薄紫の呪いに覆われた滅びの原野に囲まれているなど、到底信じられないだろう。
「昔は世界中が、こんな感じだったのかな」
 大後退。
 その未曾有の大災害が、この呪われた滅びの原野を作り出したのだという。
「世界はもっと広くて、遠くまで行けて……」
 ならばその大後退が起きる前は、薄紫の汚らわしい土地などなく……。
「だとしたら……」
 万里達の帝国も、もっと容易く領土を拡大出来たのだろうか。前線基地を築き、土地に刻まれた呪いを中和して……古の災いの末裔たる、恐ろしい巨人達と戦うこともなく。
「……だったら、よかったのにね」
 ソフィア達の王国も、今のように苦労はしなかったに違いない。メガリを築き、汚染された大地を浄化して……滅びの原野でしか生きられない、忌まわしき魔物達と戦うこともなく。





第2回 中編




 西の空を赤く染めるのは、穏やかな夕焼けだ。
 それはキングアーツではスミルナ、神揚では楼と呼ばれるこの清浄の地でも……いや、薄紫の空に覆われていない清浄の地だからこそ見られる、この地では貴重な光景である。
「……ソフィア。そろそろ」
「あ、うん。……ごめんなさい。あたしたち、もう」
 アレクに小さく声を掛けられ、ソフィアはゆっくりと立ちあがる。
 コートの裾がきちんと脚を隠していることを確かめて……。
「万里」
「うん。私達もそろそろ帰らないと」
 万里も沙灯にそう言われ、静かにその場を立ちあがった。
 尻尾を隠すスカートと、耳を隠した大きめの帽子の具合を確かめて……。
「また……会えるかな?」
「ソフィア。無理を言うんじゃない」
「い、いえ……。また、お話したいです」
 軽く制そうとしたアレクを遮り、万里はソフィアに頷いてみせる。

 薄紫の世界をゆっくりと進むのは、黒金の騎士と灰色の騎士。
「……二人とも、良い子だったわね」
 ソフィア達がスミルナ・エクリシアと呼ぶ清浄の地に住まう民。
 初めて目にした時は、言葉が通じるのかさえ心配だったが……彼女達も大後退以前から伝わる言葉をそのまま受け継いでいた。時には理解出来ない単語が混じる事もあったが、平易な良い方をするように気を付けて喋れば、概ね支障のないレベルだった。
「ソフィア。それとだな……」
 開いたままの通信回線から聞こえてくるのは、兄王子の穏やかな声だ。
「分かってるわよ」
 万里達がスミルナ・エクリシアに住まう部族なのは間違いないだろう。ただ、どこに住んでいるのか、どんな生活を送っているのか……そして、敵対する意思があるかどうかは、ソフィアはおろかアレクにさえ分からないまま。
 いきなり攻撃の意思を見せてこない辺り、少なくとも好戦的な部族ではないのだろうが……。
 幸い、次に会う予定は取り付ける事が出来た。
 しばらくは彼女達と話しながら、彼女達の情報を少しずつ集めていく事になる。
「また万里や沙灯に会えば良いって事でしょ?」
 そしてその折衝役は、彼女達と友好的な接触の出来たソフィアやアレクが行うべき事だった。
「頼むぞ、ソフィア」
「任せて。こんな任務が増えるのは、大歓迎」
 同世代の女の子と話をしたのは久しぶりだ。
 しかもソフィアを軍属でも、カセドリコス家の姫君としても見ない相手との会話など……恐らく初めてと言って良い。
 魔物との戦いに明け暮れる日々の中で……そんな出会いと任務は、戦いとは別の意味で心弾むものだった。
「でも……」
 だが、そんな気持ちの中には、小さな不安の種もある。
「あの子達の近くには、魔物がたくさんいるんだよね」
 スミルナに、魔物は出現しないという。
 けれどそれは、僅かな調査の結果から判断されたものでしかない。
 あの森に万里達が暮す事を知らなかったように、スミルナに踏み込める魔物がいないと……まだ、断言出来たわけではないのだ。
「……魔物。早く、退治しないとね」
 周囲の土地を浄化して、魔物を全て倒せれば、万里達が魔物の脅威に晒される事はなくなる。
 そしてあの森を正式なキングアーツの領とすれば、二人は湖のほとりだけではない。もっともっと遠くまででも行く事が出来るようになる。
「そうだな」
 兄の言葉に小さく頷き、ソフィアは黒金の騎士の一歩を、強く強く踏み出させるのだった。


 琥珀色の霧を裂き、ゆっくりと舞い降りてくるのは瑠璃色の翼。
 かぎ爪に掴まれた九尾の白狐を乱暴に地面に放り出し、自身も荒々しく大地に降り立ってみせる。
「お帰りなさい、姫様。彼の地はいかがでしたか」
 それを迎えたのも、いつも通り。
 黒豹の脚を持つ青年だ。
「はい……。久しぶりに、ゆっくり出来ました」
 九尾の白狐の背中から抜け出した万里は、いまだ足元が覚束ない様子だった。
「沙灯。どうしたのですか、姫様は」
「すみません。テルク、すごく機嫌悪くて……」
 行きも大変だったが、帰りはもっと大変だった。
 待機中にずっと万里のテウメッサが側にいた事も良くなかったのだろう。テウメッサを湖の上で放り出さなかったのは不幸中の幸いだったが……そんな不機嫌なテルクシエペイアに吊り下げられていたテウメッサに乗っていた万里の事情は、想像に難くない。
「……そうですか。沙灯も疲れたようですね」
 沙灯の制御を離れた瑠璃翼の神獣は、知らん顔。移動用の架台の上に行儀良く立ち、既に厩舎へ運ばれる手はずを受けている。
「ヒメロパの検査は終わっていますから、明日からはヒメロパを使って構いませんよ」
「助かります。それじゃ、お先に失礼します」
「ええ。報告は後で構いませんから、姫様の事、頼みましたよ」
 万里の肩を抱くようにして奥の間へと戻っていく沙灯の、翼の収められた背中を静かに見つめながら。
「……やはりテルクは、沙灯には懐きませんか」
 豹脚の青年は静かに呟き……。
 その手の中で転がしたのは、一組の瑠璃色の指輪だった。

「ソフィア。もう出るのか!?」
 アームコート用の大広間に響くのは、銀髪の青年の大声だ。
 眼下に見える小さな姿に、金髪の娘は元気一杯に答えてみせる。
「もちろん! 魔物達の群れが出たのは南西ね。細かい位置は送ってくれてる?」
「ああ。もう終わってる」
「ならいいわ! 距離があるから、移動中に確認するね」
 元気の良い声は、先程の返事の数倍に。
 既にソフィアの体と黒金の騎士との接続は終わっている。彼女の声も、アームコートの外部音声に切り替わっているのだ。
 外部音声の投射機は繊細な装置だから、環境の悪い滅びの原野ではカバーに覆われて使えない。だがメガリの広間でなら、今回のように気にせず使う事が出来る。
「何もそんなに急がなくても……」
 魔物との距離は、まだ十分にあるのだ。広間で確認を終えてから出立しても、何ら問題はないだろう。
「少しでも早く、魔物を全滅させたいのよ! ハギア・ソピアー、先行するわ!」
 勇んで出撃していった黒金の背中に、環は少し呆れ気味に手を振ってみせる。
「……なんか最近張り切ってるな、ソフィアの奴。そんなに友達が出来たのが嬉しいのかね」
 少々浮かれた所で、油断するような娘ではない。殊に今のように……スミルナ・エクリシアでの調査役を任されてからは、今まで以上の戦果を挙げるようになっていた。
 無論、それはキングアーツ軍にとっては歓迎出来る事なのだが……。
「ああ。いい事じゃないか」
「ま、アレクがそう言うならいいけどさ」
 苦笑するアレクに小さくそう答え、環は小さく肩をすくめてみせるだけだ。


 大きく開かれた窓から見えるのは、琥珀色の空。
「……巨人どもの動き、最近活発になっていますね」
 その空から机上の地図に視線を落とし、狐耳の姫君はどこか憂鬱そうに呟いた。
 地図に記されたのは、ここしばらくの巨人との戦闘の結果である。
 撤退ならまだいい。
 大損害、あるいは全滅に近い状況を示すマーカーが、万里の気分をさらに滅入らせる。
「補充物資も襲撃を受け始めています。陽動部隊を出して、輸送隊が襲われないようにはするのですが、黒金の巨人が現われてからは……」
 襲撃を受け、滅びの原野に晒された物資は汚染されてしまうから、もはや八達嶺に持ち込む事は出来ない。今はまだ備蓄や領内で採れる作物などで凌げているが、いずれ食料にも本格的な制限を掛けなければならないだろう。
「特に、米や麦が不足してきています。市井と軍部で、なるべく不平等がないように調整していますが」
「苦労を掛けます、ロッセ」
 米や麦だけではない。万里や沙灯の食事も、最近は明らかに量が減っている事が増えてきていた。
言いたいのは、八達嶺をそんな状況に追い込んでいる自分自身に対してだ。
「……攻勢を掛けるべきでしょうか」
 ぽつりと呟くその言葉に、同じく机を囲んでいた鷲翼の少女と豹脚の青年が揃って表情を曇らせる。
「湖の向こうにどれくらいの巨人が棲んでいるかが分かりません」
「周辺調査と、情報収集をもう少し……」
 その調査と情報収集も、巨人の盛んな攻勢によって決して順調と言えないのが現状だ。
「……そうですね、焦りすぎました。今の言葉は忘れてください」
 ここで焦って動いても、決して良い結果をもたらすことはないだろう。今は大きく動く時ではなく、じっと我慢をする時だ。
「機を見ましょう。震柳からの物資の搬入方法と経路を見直し、襲撃を受けにくい方法を模索させております」
「姫様。焦らずに」
「……分かっています。分かって……います」

続劇

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