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 穏やかに陽光を弾く湖のほとり。
「わぁ………! これ、美味しいわね」
 ソフィアが食べているのは、白くて丸い、軟らかな食べ物。
 肉や野菜を刻んだ餡を、練り上げた小麦の粉で包んで蒸した……いわゆる、肉入りの饅頭である。
「珍しいですか?」
「うん。こんなに美味しいもの、食べたの初めて!」
 沙灯が四人でのお昼にと作ってきた弁当である。
 ソフィアが元気よくそれを頬張る様子が嬉しいのか、沙灯は新しい饅頭をそっと差し出してみせる。
「ありがと! 最近ちょっと忙しかったから、美味しいもの食べたら元気出るわ」
「お忙しかったんですか?」
「……ちょっとね。でも、こうやって沙灯や万里と話してると、そういうのも忘れられるから」
 おかわりの饅頭を嬉しそうに頬張りながら、ソフィアは小さく呟いてみせる。
「べ、別に、沙灯が作ってきてくれるご飯が美味しいから、会いたいってわけじゃないのよ?」
「分かってますよ。ソフィアに会えて嬉しいのは、私も同じですから」
 だからこそ、配給制となる寸前の小麦や食材を駆使して、こうして弁当だって作ってきているのだ。
「それに、万里も……」
 そんな万里は、少し離れた所でアレクと何か話をしている。沙灯の饅頭を食べながら、何の話をしているのかは……特に耳が良いわけでもない沙灯には分からなかったけれど。
「万里、どうかしたの?」
 初めての出会いから、万里とも沙灯とも、何度も顔を合わせていたが……。ソフィアも、最近万里から少しずつ元気が失われていくように感じていた。
「はい。最近、万里もちょっと忙しくて……」
「そっか。お互い、大変だね」
 万里達の部族の細かな話はまだ聞けずにいる。
 しかしそんな中でも、万里が彼女達の部族の中でも指導者的な立場にいるらしい事は分かっていた。
 その心労があるのだろう。
 だからこそ、メガリ・エクリシアの司令官であるアレクとも、何かしら通じる所があるのかもしれない。ソフィアもキングアーツの姫君ではあるが、まだ兄のような組織の長となった事はないから、そこでの共感を得るには経験が足りないのだ。
「そうですね……」
 そんなアレクが相手をしてくれているとは言え、側近としては主の事が心配なのだろう。やはり元気のない沙灯の小さな頭を、ソフィアはそっと撫でてやるのだった。





第2回 後編




 空に広がるのは、蒸気の白と、灰色の煤煙。
 小さな椅子に腰掛けて、背もたれにゆったりを背中を預けながら。見慣れた空を見上げるソフィアが傾けるのは、白磁のカップだ。
「おや、姫様もお体の整備ですか」
 そんなソフィアに頭上から掛けられたのは、野太い男の声だった。
「ええ。将軍も?」
 答える今のソフィアには、足がない。
 椅子の背にゆったりと背中を預けているのも、別に優雅を気取っているわけではない。そうしなければ、両足を外された体のバランスが取れないからだ。
「ようやく暇になりましたので。……おい、頼むぞ」
 将軍と呼ばれた男は傍らの台車にどっかりと腰を下ろす。
 脇に付いた作業員達が将軍から外したのは、手でも足でもなく……将軍の頭であった。
 生首となった将軍は、ソフィアの脇に置かれたテーブルの上に乗せられ、台車に乗った体はまるまる工廠へと運ばれていく。
 全身を義体化された兵の整備など、キングアーツの工廠では珍しくもない光景だ。ソフィアもテーブルの上に置かれた生首に、眉一つ動かす気配もない。
「最近、ちょっと魔物達が大人しいみたいね。……あつっ」
 将軍の脇に置いてあったティーポットに手を伸ばし、二杯目の茶を注ぐ。それに再び口を付け、意外な熱さに小さく舌を出し、体を揺らして……。
 だがいつもなら何の問題もないその動きも、支える足のない今は、バランスを取れる場所がない。カップを持った手を放るわけにも行かず、かといって慌てる少女が腕一本で体勢を整えられるはずもなく。
「おっと、姫様。誰か!」
 テーブルの上の将軍も、今は手も足も出せない生首状態だ。
 そんな将軍の掛けた声に手を伸ばしたのは……。
 いまだ生身の左腕だった。
「……ありがと、兄様」
「あまり兵達に手間を掛けさせるんじゃない。ソフィア」
 手を伸ばしたのは、ソフィアと将軍の声に気付いて集まりかけた兵達ではない。
 彼の兄……アレク。
「ごめんなさーい」
 兄に支えられて小さく頭を下げるソフィアに、辺りから駆け寄ろうとした兵達も三々五々に散っていく。
「兄様も整備?」
 そんな妹姫の問いに小さく首を振るアレクに続けて問うたのは、生首の将軍だ。
「例の弓兵ですか」
 キングアーツのアームコート戦では見られない、空を飛ぶ魔物。それに対抗すべくこの工廠で組み立てられつつある、改良型のアームコートだ。
 本国の開発工廠ではない、前線基地での作業である。既製部品の繋ぎ合わせだが、必要な部品同士の調整が難航していると聞いていた。
「本当なら、そんなあり合わせではない、ライフルかブラスターでも用意したい所ですな」
「ライフル? ブラスター? そんな物、ホントにあるの?」
 士官学校の教本でしか見た事のない、古代の武器だ。矢の代わりとして光を放つ武器で、放たれた光ははるか遠くの敵でも容易く射貫き、あるいは爆散させたのだという。
 確かに空飛ぶ敵には有効そうな武器ではあるが……。
 ソフィアが王族として軍の式典や模擬戦を展覧した時ですら、それらの現物は見た事がなかった。
「大昔のアームコートには付いていたと言いますぞ。案外、ハギア辺りにも付いているのではありませんか?」
「そんな物なくても、あたしのハギアは十分強いわよ」
 ぷぅっと頬を膨らませて拗ねるソフィアの様子に、生首だけの将軍はがははと大声で笑ってみせる。
「無い物ねだりしても仕方ないだろう。今ある物で何とかするしかあるまい」
「……ですな。まあ、ブラスターだのに頼らぬ姫の勇のおかげで、自分もこうして全身のメンテに掛かれる次第で……」
 だが、そんな楽しい会話の時間もそこまでだった。
「殿下! 西の山場に出た偵察部隊から、魔物の群れと遭遇。交戦中とのよし!」
 工廠に飛び込んできたのは、キングアーツの軍服を纏った通信兵だ。指揮所詰めの彼の言葉に、三人の表情が一気に引き締まる。
「規模は」
 ソフィアの傍らから立ち上がり。緩んでいた軍服の襟をわずかに引いて正せば、そこにあるのはメガリ・エクリシアを預かる若き将の顔である。
「小型歩兵6、中型歩兵2。環殿は既に指揮所に入っておられます」
「なら、出るわ!」
 そして元気よく椅子から飛び出したのは、金の髪を揺らす小柄な影。整備が終わったばかりの両脚を早速繋げてもらった彼女は、既に工廠の隣にある格納庫へと駆け出している。
「ソフィア。あまり無理するなよ」
 通信兵の横をすり抜けた金髪の姫君は、兄の言葉に大きくその手を振り返し……扉の向こうへ、消えていく。


 二つの月を柔らかく遮るのは、琥珀色の霧。
「…………調査は失敗ですか」
 もう何度目の報告だろう。
 同じ数……いや、それ以上のため息を、狐耳の姫君は静かについてみせる。
 目の前の青年や、居並ぶ将達を責めたわけではない。
「はい。黒い巨人が近付いてきたため、撤退したそうで」
 悪いのは、黒い巨人だ。
「……被害は」
「我が輩の隊のゴブリンが一体やられた。ヤツ相手にしたならマシな損害とはいえ……くそっ」
「……その者には、十分な恩賞を」
 猪の牙を持つ将軍の言う通り、黒い巨人を相手取ったなら軽微と言って良い程度の損害でしかない。しかしそれでも、犠牲者は出る。出てしまう。
「あの黒い巨人を何とかせねば、どうにもなりませんぞ」
「民の間にも不安が広がっておる。……姫様」
 口々に好き勝手なことを言う将軍達を、狐耳の姫君は痛々しげな顔で見つめているだけだ。
 そしてそんな自らの主の様子を、鷲翼の少女も心配そうに見つめる事しか出来ずにいる。
「やはり……」
 かつて巨人の要塞に向かっていた巨人の群れに、万里は単独で奇襲を掛けた事がある。
 その時に彼女の行く手を阻んだのが、黒い巨人だった。
 黒い甲冑に、深い金の彩り。
 真紅のマントを翻し、鎧と同じ意匠の大盾と、片手で操るには大きめの剣を悠然と振り回す、その姿。
 強敵だった。あの時は沙灯が助けに来てくれたから良かったが……正直、そのまま戦っていればどうなったかなど、万里自身にも分からずにいる。
 だが。
 あの時あいつを、沙灯と力を合わせて倒していれば……。
「私が出るしか、ないようですね」
 そのツケが、これなのだ。
 ならばそれは……その原因を作った、万里自身が雪ぐしかない。
「姫様……!」
「おお、姫様が」
 そんな万里のひと言に喜びの声を上げる将達の中、ただ一人それに異を唱えたのは、ずっと黙って報告を聞いていた黒豹の脚を持つ青年であった。
「今はまだ、時機ではありません。お控えください」
「ですが、これ以上あれ一匹に良いようにされるのは、我慢なりません! ようやく灰色の巨人を倒したと思ったら、今度はあの黒い巨人が……」
 黒い巨人が現われる前、巨人達の中で一番強かったのは、巨人の群れに時折姿を見せる灰色の巨人だった。
 それは、万里と沙灯……そして他の将達の働きで、何とか退ける事が出来たのだが……。
 そいつがいなくなった途端に、さらなる難敵が現われたのだ。
「ロッセ。お主には代案があるというのか」
「お主の放った巨人の砦への斥候も、軒並み失敗していたではないか」
「それに、ただでさえあの巨人達のせいで開拓が遅れておるのだぞ! これ以上は本国も……」
 口々に声を上げるそんな将達がひととき静まったのは、彼らの上座にある椅子の音が響いたからだ。
「ロッセ。もはや我らも限界。……巨人達を、攻めます」
 神揚の姫として。
 この八達嶺の主としての責任もある。
 けれど……あの湖のほとりに住まう、よく笑う金髪の少女達は、万里達のように巨人に抗う術も持ってはいないのだ。
 彼女達のためにも。
 そして……。
 ソフィアの傍らで穏やかに微笑む、青年のためにも。
「なりません」
 だが、その万里の言葉をロッセはあっさりと両断する。
「姫様が出るとおっしゃっているのだぞ!」
「なりません!」
 机を叩き声を荒げたのは、雄牛の角を持つ将だった。けれどロッセはその威と圧に一歩も怯むこともなく、逆に語気を強めてみせる。
「では諸将がたは、今の八達嶺の戦力であの巨人どもに勝てるとおっしゃるか! 黒金の巨人だけではない、他の巨人達も多く控えているのですぞ!」
「その策を練るのが軍師の役目であろうが!」
「それに必要な情報も足らんというのです!」
 情報が足りていれば、献策とていくらでも出来る。
 しかし、敵の総戦力はおろか、主力の規模さえ定かではないのだ。必勝の策を立てろと言われても、組み立てるべき部品が足りなさすぎる今、そんな事は不可能だった。
「若造が!」
「ならば……ッ!」
 黒豹の脚を持つ青年の鋭い言葉に、辺りは声を失った。
 鋭く突き出された指先。
 揃ったそこに長く伸びていたのは、刃の如き鋭い爪である。
 隠し武器の一種として爪にそういった仕掛けを施すことは、神揚の武人であればさして珍しくもない事だ。しかし軍師たる青年がそんな仕込みをしていようとは……。
 この場にいる誰もが、知らなかった。
「小官にこういった備えがある事も、諸将はご存じではなかったでしょう。……これよりも鋭い刃が、あの巨人の砦には隠されているやもしれんのです」
 静かに爪先の刃を戻すロッセの言葉に、将軍達はそれきり口をつぐんだまま。
 万里でさえ黙り……そのまま、椅子へと腰を落とす。
 本当は、分かっていたのだ。
 今の八達嶺の戦力では、巨人達には勝てない。本国の増援を待ち、今は防護を固めるのが最良の策だという事が。
「……もうすぐ本国からの支援部隊も到着いたします。動くのであれば、せめてその時に。各々方、今しばらくのご辛抱を」

 不機嫌な声が、煤煙の舞う空に流れていく。
「あーもうっ!」
「どうしたんだ? ソフィアは」
 明らかに機嫌を損ねている妹姫の様子に、兄王子は不思議そうに首を傾げてみせる。
 ここしばらくの戦いは、キングアーツ側が大きな被害を受けることもなく、こちら優勢で進んでいる。それを喜びこそすれ、腹を立てる理由はないはずなのに。
「なんか最近、ソフィアを見る度に魔物が逃げるんだと」
 吹き出しそうになっている環に言われて、戦果の割に魔物の撃破数が減っていたことを思い出す。
から逃げてしまう現状は、確かに面白い事ではないだろう。
「だから、剣の稽古に付き合ってやったんだけど……俺が勝ったら、ヘソ曲げちゃってさー!」
 そう言いながら、もう環はけらけらと笑っている。
「環、うるさいっ!」
 環は軍師で前線に出ることはほとんどないが、アレクの護衛も兼ねている。ソフィアよりも剣の腕が立つのは当たり前なのだが……それでも、負ける事が悔しくないはずがない。
「環。少し出てくる」
「ああそうか。今日は約束の日か」
「後は任せる」
 短く答えた親友に、まだ少年の面影を残す青年は、小さく手を振ってみせる。
「ま、お姫さまの気分転換にもなるだろうしな。ごゆっくり」


 その日の軍議も、以前と似たようなものだった。
 口々にわめき立てる将達。それを抑えようと必死になる万里。
 そして、それを諫めるロッセのひと言で軍議が終わるのも、いつもの事。
 今は補給が来るまでの消極策で損害を最小限に抑えているが、将達の間には逃げる事に対する不満が高まりつつある。
 果たして、どうしたものか。
 そんな事を考えながら。万里に続き、不承不承と言った表情で部屋を後にする将達を見送っていたロッセのもとに残っていたのは……一人の少女である。
「おや。どうかしましたか? 沙灯」
 ロッセが小さく首を傾げると、沙灯はぺこりと頭を下げてみせた。
「いえ……今日も、万里を止めてくれてありがとうございました」
 結局、軍議は見ていることしか出来ない少女である。もちろん軍人でも軍師でもない彼女が口を挟んだところで、血気に逸る将達に一喝されて終わってしまうのだが……。
 そんな彼女でも今の戦力で巨人達に挑むのが無謀なことくらい分かっていたし、将達に押される形で決断を下さざるを得ない立場の万里を止めてくれるロッセの事が、嬉しくもあるのだ。
「必要なことをしたまでです。悔しいですが、今の八達嶺にあの巨人達を倒せる力はありませんから……」
 無論、悔しいのはロッセも同じだ。
「ええ……」
 万里を止めて欲しいと願った沙灯としても、気持ちは変わらない。
 勝てる戦いなら、挑む意味は十分にある。巨人を倒して平和になれば、開拓事業も進むはず。北八楼に住むソフィア達も、巨人達に脅かされることなく、今より平和に過ごせるだろう。
 そして何より、万里が巨人の被害に心を痛めることもなくなるのだ。
「そうだ、ロッセさん。言うの忘れてましたけど……おめでとうございます」
 そんな思いの共感者に、沙灯は祝福の言葉を投げかけた。
「何がですか?」
 言われたロッセは思い当たる節がないのだろう。笑顔の沙灯を前にして、不思議そうな表情を浮かべている。
「指輪、持ってるの見ましたよ?」
 指輪。
 それも、ひと組である。
「ああ……見られていましたか」
 苦笑しながら、鷲翼の少女の瞳はその翼と同じ、鷲の特性を備えていたことを思い出す。沙灯の属するヒサ家の子供は幼い頃から翼や瞳などに鷲の性質を与えられ、その自然な使い方を叩き込まれると聞くが……それはどうやら、本当らしい。
「誰に贈るんです? 八達嶺の武人のかたですか?」
 大きさが違っていたのは、男物と女物だからだろう。
 そしてこの神揚で指輪を贈る習慣は……一つしかない。
「違いますよ。もう、贈る相手はこの世には……」
 穏やかに微笑むロッセに、嬉しそうだった沙灯の表情が一瞬で青ざめる。
「あ……ごめんなさいっ」
 その答えは、流石に予想外だった。
 八達嶺でロッセに関する浮いた話は沙灯も聞いたことが無い。ロッセとその女性との悲しい離別は、ここに来る以前の出来事だったのだろうか。
「構いませんよ。彼女を偲んで作らせたものですが……沙灯も女々しい男だと思うでしょう?」
「いえ。そんなこと……ないです。その人も……きっと喜んでると思いますよ」
 偲んで指輪を作るような関係なら、恐らくは大恋愛だったのだろう。いつか自分もそんな恋愛がしてみたいといった様子で、幸せそうに微笑んでいる沙灯だが……。
「あ、しまった。ロッセさん。これからちょっと、万里と北八楼に行ってきますね」
 どうやら話し込んでいて、時間を忘れてしまったらしい。
 沙灯に言われ、ロッセも今日が万里が北八楼に向かう日だったことを思い出す。
「ええ。姫様のこと、宜しく頼みましたよ」
 ロッセの言葉に慌てて小さく一礼し、部屋を出て行く沙灯の背中を……。黒豹の脚を持つ青年は、いくつもの感情の入り交じった複雑な表情で静かに見つめているのだった。

「……そうですか。任されたお役目が、上手くいかないと」
 黒髪の少女の呟きに頷いてみせるのは、黒い髪の青年だ。
「はい。沙灯は、私が直接の原因ではないから仕方ないと言ってくれるのですが……」
 細かい所はまだ聞くことが出来ずにいるが、青年も少女と同じく、組織の長を任されているらしい。
 故に青年は、ぽつぽつと打ち明けた万里の悩みを……誰よりも共感し、受け止めてくれていた。
「責任感の強い方なのですね、貴女は」
「そんな事はありません……。当たり前の事をしているだけです」
 そう。八達嶺の長として、神揚帝国の皇女として。
 そんな当たり前のことをしているだけなのに……。
「世の中には、そんな当たり前の事も出来ないくせに、人にだけは責任を求める輩も多いのですよ」
 目の前の青年は、それを褒めてくれた。
「そういった者達と比べれば、貴女は立派だ。万里」
 そう言って、肩を抱いてくれた。
「……アレクさん」
 とくん、と胸打つ小さな鼓動。
 顔が熱い。頬が、耳が紅くなっているのが、自覚出来た。
 いつものように帽子を被っているから、目線の高いアレクからは見えていないだろうけれど……。
 だから。
「…………」
 瞳を閉じて。
 たくましい左腕に抱き寄せられたその身を……大きな胸に、そっと擦り寄せていく。
「…………少し、こうさせていただいても……いいですか?」
 消え入りそうな少女の願いを。
 優しい左腕は、優しく受け入れてくれるのだった。


 音を立てないよう潜むのは、緑の茂みの奥深く。
「ね、沙灯」
「なんですか?」
 ひそひそ声で交わされるのは、ソフィアと沙灯、二人の少女のやり取りだ。
「アレク兄様と万里、良い感じだって思わない?」
 彼方に見えるのは、重なり合った二つの影。
 ソフィアの兄と、沙灯の主だ。
 察しの良いアレクのこと。あまり近付けば気配を感付かれてしまうだろうから、この距離で見届けるのが精一杯。
「ですよね。万里も、最近ぼーっとしてる事が多くて」
 最近の戦いでの心労もあるだろう。
 しかしここ最近、それとは明らかに違う様子で心ここに在らず……となっている事も、沙灯はちゃんと気が付いていた。
「やっぱり……なのかな」
「万里はそういうのに免疫ないからってのもあると思うんですけど。周りの男の人って、恐い人ばっかりですし」
 副官のロッセも、神獣乗りの将達も、明らかにアレクとは違うタイプだ。沙灯くらいしか甘えられる相手のいない万里がアレクのような優しい男性に想いを抱いてしまうのは、ある意味仕方ない事だとも言えた。
「あ! アレクさん、万里の肩、抱きましたよっ」
「いいなー。沙灯、目が良くて」
 目はいまだ生身のままだが、望遠機能の付いたものに付け替えてもらおうか。そんな事を考えながら、ソフィアはわずかに距離が縮まったようにも見える二人の影を眺めている。
「万里は優しい子だからさ。あたしとしては、二人がくっついてくれると嬉しいんだけど」
 アレクの左手には、いまだ金と銀、二重の指輪が嵌められたまま。その想い人と共に喪われた心の穴を、万里が満たしてくれるなら……ソフィアとしては、言う事はない。
「わたしもアレクさんのような方なら、万里をお任せしてもいいと思うんですが……」
 万里の側仕えとしてずっと過ごしてきた沙灯から見ても、アレクは誠実な相手に見えた。幼い頃から姉妹のように過ごしてきた万里を取られるのは寂しいが、それで万里が幸せで満たされるなら……とも、思ってしまう。
「……上手くいくと、いいのになぁ」
 とはいえ、それは難しいだろう。
 アレクはキングアーツの第二王子にして、メガリ・エクリシアの指導者だ。万里にもスミルナ・エクリシアの部族の長としての立場があるだろう。
 ソフィアも、そこまで夢見る乙女ではない。
「ですねぇ……」
 友人の言葉に、沙灯も小さくため息を一つ。
 万里は神揚の王位継承者にして、八達嶺の導き手。もちろん北八楼の部族を治めるアレクにも、相応の事情があるだろう。
 沙灯も、やはり夢を見るには、王族の現実を近い所で見過ぎていた。
「あたしは、応援するんだけどな……」
「わたしもです」
 そう呟いて。
 夢見たい乙女達は、揃ってため息を吐くのだった。

続劇

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