9.登る者、落ちる者 音もなく世界樹の幹に降り立った赤い獅子が目にしたのは、遙か向こうの幹に取り付く大蜘蛛の姿だった。 (……何やってんだ、あいつ) プレセアの駆る大型アームコートだ。支援役として後衛にいることがほとんどの彼女にしては珍しく、数機の護衛を付けただけで独自に動いているらしい。 (まあいいか。あいつの耳は厄介だしな) 乗っているプレセアと同様、目よりも耳に優れた機体だったはず。下手に近寄ればこちらの動きを察知される可能性もある。 奇襲を掛けて一撃で葬るという策もないわけではなかったが、プレセアに対する優先順位はアーレスの中ではそれほど高くない。 (それに今のところ、色々予定通りに進んでるみたいだしな……) 少し上に視線を向ければ、青い空を背負って戦っているのは緑の鳥型と、イズミル所属の飛行型神獣達だ。その中には、アーレスが壊さずに放っておいた飛行型シュヴァリエの姿もあった。 ならば、今はここで無駄なリスクを負う事に何のメリットもない。 (今は……上を目指す!) まだ世界樹の中腹ほど。 彼が目指す場所は、はるか先にあるのだ。 崩れ落ちた緑色の人型の前に立つのは、大型の盾を備えた歩兵型のアームコートだった。 「これで全部か……」 「ええ。……敵の数が、また増えている気がするのですが」 コトナだけでなく、アーデルベルトの息も荒い。まとう機体が使い慣れない一般機という事もあるが、いかんせん戦っている相手の数が多いのだ。 「根元を断たねばどうにもならんという事だな」 ククロからの情報では、緑色の人型は世界樹そのものを構造材として生み出されているのだという。その数が増えたという事は、誰とも知れぬ地で戦っているククロが苦戦している証でもあった。 「ソフィア姫様たちは大丈夫でしょうか?」 「こればかりは信じるしかないな」 人型の生産拠点がどこにあるのかは分からないが、苦戦が続くようなら引き返してくる隊もあるはずだ。 上層との電波通信は妨害されてまともに伝わってこないものの、ナーガを経由したククロの連絡は有効だし、それさえないという事は、少なくとも大きな異変が起きたわけではないのだろう。 「ヴァルもいるし、大丈夫だ」 「愛ねぇ……環」 「うっせえ」 環の言葉を混ぜっ返す瑠璃の声を聞きながら、アーデルベルトは大きく深呼吸。 今は心配しても仕方ない。アーデルベルトも出来る事をするだけだ。 「アーデルベルト。後は任せて良いか?」 鳴神の言葉に幹の外を見れば、既に緑の鳥型はほとんど残っていなかった。これ以上の増援が来なければ、本営の戦力だけで何とかなるだろう。 「了解です。皆さんの帰る場所は、我々で守ります」 「後の事は任せましたよ、アーデルベルト」 「それじゃ、先行するよ! 師匠、鳴神!」 ゆっくりと進路を上方に向ける黄金竜を追い抜くように舞いながら、リーティ達も上層へと飛んでいく。 「……ロマさんと何か悪巧みですか?」 通信機から聞こえたロッセの声は、戦場を任せるといった意味合いとは少し違うニュアンスのようだった。 「少しな」 そんなコトナの問いに短く返しておいて、アーデルベルトは着慣れない機体を翻す。 「……さて。我々も一度戻るか、コトナ」 アレク達が戻ってきた時に軽い休憩は取ったが、機体の整備にかかりきりで食事もしていないのだ。タロに言えば何か作ってはくれるだろうが、肝心の食材はまだ残っているだろうか。 「そうですね。ムツキさんもイクス准将もどこかに行ってしまいましたし……ッ!」 その、一瞬だった。 「ちっ!」 アーデルベルトの歩兵型に組み付いたのは、足元から突然現れた緑色の人型だ。 「中佐ッ!」 アーデルベルトも斧で敵の頭をかち割るが、既に遅い。人型は最後の力を振り絞るようにアーデルベルトの機体を押し込み、太い枝の端から自身の身体ごと空中にその身を躍らせる。 「中佐ぁっ!」 「構うな! 後は任せる!」 続くのは幾度かの衝撃とくぐもった悲鳴。 そして……平坦なノイズ。 「どうした、コトナ!」 「シュミットバウアー中佐が敵と交戦、下層に落下しました! 通信途絶!」 ここは戦場だ。そしてコトナも昨日今日戦場に立ったばかりの新兵ではない。 目の前で上官が死ぬことも、そんな時にどう動けば良いのかも……知っているからこそ、彼女は教導隊の一員として後進の育成に力を注いできたのだ。 「呼びかけはこっちでする! まずは敵部隊を倒せ!」 そうだ。 目の前には、緑色の人型が次々と姿を現しつつある。 今コトナがすべき事は……。 「了解。総員防御態勢! 連中を掃討した後、シュミットバウアー中佐の救出に向かいます!」 反射的に混乱する気持ちを心の奥に蹴り込んで、状況整理と行動の優先順位を付けていく。 「敵は隠れてなどいません! 足元から来ますよ!」 まずは、敵を倒すことが最優先だ。 悲しむのは、全てが終わってからでいい。 |