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8.塔頂者たち

「昌、今度は速い奴!」
「ほい了解っ! 順番は!」
 走り出す九尾の白狐の後ろに隠れていた兎が姿を消したのは、次の瞬間だった。
「任せる!」
 主の言葉と同時、相手の視界外から不意打ちの一撃。それで体勢を崩した相手を、白狐が噛み構えた刃でとどめを刺す。
 万里が刃を引き抜いた時には、既に白狐の刃に最も近い相手が次の不意打ちを食らった後だ。
 打ち倒す相手も順番も何の指示もない、たった一度だけのやり取り。打てば響くような流れをもって、地上の敵は端から薙ぎ払われている。
「…………」
 それを少し離れた上空から眺めながら、半人半鳥のシュヴァリエは黙ったまま。
「隊をばらけさせても、少しも不利じゃないわね……」
 そんな沙灯に掛けられたのは、彼女の背後で炎を放つ鷲頭の獅子だった。
 彼女達の隊は、たった四人。
 本営より上層に続く道は、幾つもの太い道に枝分かれしていたのだ。
 万里達が本営に着く前にもアーデルベルトによって先の調査は行なわれていたが、もちろんその全てを調査出来るはずもなく……世界樹の頂を目指す隊は、いくつかの小部隊に別れて進む事を余儀なくされていた。
 だが、神獣の身軽さを生かして枝ならぬ枝さえ移動する彼女達の前には、それほど多くの敵が現れる気配はない。今のところは、万里と昌の二人で十分に戦えているようだった。
「うらやましい? 沙灯ちゃん」
「あはは……まあ、少し」
 上空から迫る緑色の鳥型を、生み出した風の術で焼き払いつつ。
 柚那の言葉に、沙灯は思わず苦笑い。
「万里はやっぱり、私の知ってた万里とは違うんだなって……」
 沙灯がこの世界にいた頃、万里の傍らにいるのは自分だけだった。短い言葉での連携も、前線での切り払い役も……何かあった時に彼女を逃がす、翼の役目も。
「でも、逆を言えばこれからもっと仲良くなれる楽しみもあるって事でしょ?」
「うん……」
「気にしない方が良いわよ?」
 鷲翼の少女が言葉を濁すのは、その先があるかどうかが分からないと、姉から聞かされたからだろう。
「……あたしだって、この後死んじゃうかもしれないんだし。きっと頭の良い誰かが何とかしてくれるって」
 だが、それは戦場に身を置く以上、誰にも平等に降りかかる問題でもある。
 そして戦場での死は避けられないが、終わりがあると既に分かっているぶん、誰かが対処法を見つけてくれる可能性は……決してゼロではない。
「だから、あたしとも……ね?」
「あ、あはは……。万里!」
 身をすり寄せてくる柚那に苦笑いしつつ。
 鋭い叫びと共に放たれた風の刃が、上空から一直線に飛んできた何かを薙ぎ払う。
 落ちていくそれに突き立つのは、地上から放たれた細めの短剣だった。
「沙灯、良い仕事!」
「気にしないで!」
 樹上に墜ちたそいつから短剣を引き抜く昌にそう答え……沙灯が意識を向けたのは、上空に現れた新たな影だ。


 分かたれた道を進む一行の間に立ちこめていたのは、奇妙な緊張感だった。
 足元の枝のしなり具合を気にしているわけでも、敵の襲撃を警戒している様子とも違う。その原因さえ口に出す事をはばかられる雰囲気は、まさに筆舌に尽しがたいものだ。
「どうかしたのかな? みんな」
「いえ、別に……」
「何でもねえよ。なあリフィリア」
「う、うむ…………」
 セタの問いに口々に言い返し、改めて誰もが口をつぐむ。
「……何でこんな変な空気なんですか。ソイニンヴァーラさぁん」
 共通の回線ではない、特定の相手に絞った秘匿回線でぼやくのは、アームコート中心の部隊に唯一加わった千茅であった。
「だって、タロの事とか口が裂けても言えねえだろ。お前言うか?」
「嫌ですよぉ……」
 タロがソフィアにした告白を、この場にいる一同の中でセタだけが知らない。この戦いが無事に済めば遅かれ早かれ知る事にはなるのだろうし、エレや千茅も当事者というわけでもないのだが、誰もそれを伝える役にはなりたくないのだ。
 普段なら火に油を注いでも笑っている……いや、むしろ率先して油を注ぎに行くエレでさえ引く相手に、千茅が耐えられるはずもない。
「ねえ、ちょっと! あそこに何かある!」
 そんな微妙な空気の中、先頭を歩いていたソフィアが指差したのは、絡み合う枝の先にある別の色だった。
「何だ?」
「誰かの部屋のようだね」
 どうやら世界樹の隆起に巻き込まれた居住区の一角らしい。枝葉が伸びる内に引き裂かれ、部屋の内部が露わになってしまったのだろう。
 だが、それは……。
「ピンク色……?」
 大小様々なぬいぐるみに、レースの付いたベッドカバー。
「!!!!!!」
 大きなクッションや小物の類まで、概ね白やピンク系統の愛らしい色で統一されている。
「どうしたの、リファ」
「………………いや、別に」
 その部屋を見てリフィリアは明らかに顔を青ざめさせていたが、流石の無線通信も彼女の表情まで辺りに伝えるわけではない。
(だ、大丈夫だ。まだ私の部屋だと気付かれたわけじゃない……)
 それを心の中で全力で感謝しながら、リフィリアは通信機の送信を切って乱れた呼吸を必死に呼吸を整える。
「にしても、随分可愛らしいな。ジュリアの部屋か?」
「違いますよ。前にお茶した事ありますけど、ジュリアさんの部屋はもっと黒かったです」
 そうだ。今のこの状態で、個人を特定出来る情報はない。引き裂かれた部屋の惨状を見るに、日記の収められた机や部屋番号の振られたドアの類は残り半分側にあるはずだし、そちら側にはこの手のぬいぐるみやグッズは置いていない。
「コトナの部屋じゃないの?」
「コトナの部屋は支給の備品しかねえよ。可愛くしろって言ったら、本気で面倒がられた」
「ソフィア様の部屋でもないんですよね?」
 黙っていれば、気付かれる事はないはずだ。
「こういうのもいいなーって思うけどねー。柚那や万里の部屋はイズミルにはないはずだし……」
 そう。黙っていれば、まさかリフィリアの部屋だなどとは……。
「…………っ! 上!」
 そう思った瞬間、衝撃と共に宙を舞うのは、リフィリア秘蔵のぬいぐるみやクッションの数々だ。
「ああ……っ!」
 巻き上げたのは、上空から落ちてきた黒い影。
「ちっ。お客さんかよ……!」
 リフィリアの声に距離を取った一同はそれぞれ武器を構え。場に立ちこめるのは、先程までとは全く違う、戦場の緊張感だ。


 噛み構えられた大太刀が切り裂いたのは、緑色の人型であった。
「これで全部か」
 大太刀を背中のハーネスに組み付けた鞘に戻し、奉は小さく息を吐く。辺りを見れば、他の将達も周囲の敵を倒し、自らの刃を収めている。
「これで、一番上まで半分くらいか……」
「世界樹に登る前の観測結果に照らし合わせるならな」
 中層の本営まではムツキの地図のおかげでかなりの時間短縮が出来たが……敵のまだ多く残る空中から入り組んだ枝葉や幹の奥を観測する事も難しく、上層へのルートは未だ開拓されていない。
 あるのは、世界樹に登る前に望遠で観測した大雑把なデータがせいぜいだ。
「もう通信も使えんな」
 アーデルベルト達の事前調査でも分かっていたが、上層では通信用電波の妨害が行なわれている。ある程度の距離まではノイズ越しに何とか本営の声も聞こえていたものの、今はそれさえ聞こえない。
「環とも話せないから、寂しくなるね。ヴァル」
「必要ない。私は常に環の側にある」
「後はククロ頼みか……。様子はどうだ?」
「領域をかなり取られているらしい。……黙ったままだ」
 ヴァルキュリアの操縦席に置かれたククロも、ナーガでの作業や神王の戦いに集中しているのだろう。最初の頃と比べて、口数は驚くほどに少なくなっていた。
「分かった。急ごう」
 アレクの言葉に小さく頷き、ヴァルキュリアも機体を前へと進ませる。
「…………」
 そんな中、場に留まっていたのは、アームコートや奉の神獣に比べてもひと回り小柄な白いコボルトだった。
「珀亜。どうかしたの?」
「この先には、神王がいるのだよな……?」
 大きな筺を背負ったジュリアの問いに問いで返し、狐の仮面を引き上げた珀亜はいまだ歩を進める様子がない。
「そのはずだが……何か気になる事があるのか?」
 世界樹は、ククロでも把握し切れていない天然の迷宮だ。
 目指す神王は、幾つかに分けたルートの先にいるのか、もしくはそのどこにもいないのか……ただ敵が来るほう、上に続いていそうなほうを選んで進んでいるだけなのが現状だった。
 さらに言えば、その神王を見つけた所でどう倒せば良いのかも、まだ解決案が見つかっていない。
「……まさか、沙灯達を助ける方法とか!?」
「あるのか?」
 神王をすぐに倒せない最大の理由は、それだった。
 神王の影響下にある彼女達は、神王が倒れ、根源たる死者の都の力を失えば、存在を保てなくなると言われている。だからこそロッセは単身ネクロポリスに赴き、それを解決する手段を模索していたのだ。
「……いえ。あるのは、神王を退けられるかもしれないという策だけで……」
 故に珀亜は迷い、それを口にする事が出来ずにいる。
 もちろん理由はそれだけではないのだが……。
「聞かせて貰って構わないか?」
「アレク殿!」
 促すアレクに声を上げたのは、九尾の黒狐を駆っていた奉だった。
「二人の事も大事だが……切り札になるやもしれん」
 掛かっているのは世界そのもの。
 古代の文明さえ大幅に後退させた大後退だ。それが再び起きれば、キングアーツと神揚、大陸の南北を占めるそれらの国々にも何が起こるか分からない。
 アレクも命を天秤に掛けるような事がしたいわけではないが……必要となれば、その判断も下さなければならないのだ。
「……もっとも、それはあれを倒した後になるだろうが」
 そんな彼らの前に姿を見せたのは……。


「バルミュラか……」
 それは、翼の巨人と呼ばれた存在。
「……あれがククロの言っていた、神王って奴か?」
 今まで戦ってきた意思なき巨人とは、まとう気配が根本から違う。ククロでさえ、内なる世界と人形とアームコートの制御を同時に行なっていたのだ。相手が同じ事をして来ても、何ら不思議ではない。
「とりあえず話は後だ。行くぞ!」
 終端を迎える世界樹の枝の上。
 三局の戦いが、始まった。


続劇

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