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2.その手を止めて、話を聞いて

 緑の原に身を置く、飛行鯨の傍ら。
 舞い降りた瑠璃色の神獣から姿を見せたのは、黒豹の脚を持つ青年だった。
「ロッセ!」
「久しぶりですね。まつ……」
 その名を最後までは言い切れない。
 駆け寄った青年の振り上げた拳が、つ、の段階で力任せに殴り飛ばしたからだ。
「え、ちょっと、奉!?」
 黒い烏から降りてきたリーティも、今まで敵対勢力にいたロッセが平然と受け入れられるとは思ってはいなかった。けれど、顔を見た瞬間に拳が飛んでくるとは……それも、神揚側の重鎮がそれをしてくるとは予想外だ。
「……事情は会議場で聞いてやる。来い」
 だが、ロッセはそれも予想の範疇だったのだろう。苛立ちを露わにした瞳でこちらを見下ろす奉に向けて、静かに頷いてみせるだけ。
「……リーも来るか?」
 奉と一緒にやってきたキングアーツ武官の娘も、それはいささか想定外だったらしい。奉に続いて歩き出すロッセをしばらく茫然と眺めていたが……やがて、思い出したようにリーティに声を掛けてくる。
「そういう難しい話はリフィリアや師匠に任せるッス。……師匠の処罰の話じゃないッスよね?」
 処罰であればリーティも全力で擁護に回るつもりだったが、この状況でロッセに殴る以上の事をしても何の利もないだろう。リーティの属する八達嶺軍の首脳部は、そこまで愚かではないはずだ。
「貴重な情報源にそんな事はしないだろう。……あの樹に巻き込まれた本営と、連絡が繋がってな。今後の動きを決める会議をするそうだ。それと……」
「……それと?」
「どうやらククロが妙な事に巻き込まれているらしい。その話も、だな」
 技術士官の少年は、本営にいるはずではないのか。
 リフィリアの言葉に、リーティは思わず首を傾げてみせる。


 目の前に広がるのは、見慣れた薄紫色の世界だった。
 けれどそこは、滅びの原野ではない。
 全てが死に絶えたそこではなく……生きとし生けるものが初めから何一つ存在しない、仮想空間だ。
「なるほど……。なら、ロッセはこっちに協力してくれるって事でいいんだね」
『瑠璃がそちらに加勢する限りは』
 そんな世界で自らのアームコートを疾走させながら、少年は小さく相槌を打ってみせた。
『それで、お前は一体どこにいるんだ。ククロ』
「アークの中だよ、アレク。情報空間……内側にも世界が広がってて、今はこっちに入って来た神王と戦ってる」
 意識を後ろに向ければ、『何か』が間近に迫っている事が伝わってくる。アームコートとも神獣とも取れる直線的な翼を広げた、何かだ。
『戦ってるって……話の出来ない相手か?』
「今のところ、話は通じないかなぁ。交渉出来るようなら、たぶんもうちょっとスマートに色々やって来てると思うよ?」
 自身の機体を振り返らせて、意識を集中。
 その瞬間、長い尾を持つククロの機体の右腕が無数のパーツへと分解し、次の瞬間には別の形の腕として組み上がる。
 それは、アレクの灰色のアームコートの腕によく似たものだった。
「借り物じゃなくて、新しい体を作ってあげるって言っても聞いてくれないしさ……。行けぇっ!」
 振りかぶり、放たれたそれは内側に仕込まれたギミックで倍の長さほどまで伸長し……。その先にある『何か』を打ち据えたのは、腕の中程から切り離され、腕そのものが弾丸の如く放たれたからだ。
「うん。やっぱりロケットパンチは有効だね! ……回収の手間を考えなかったら」
 企画倒れになったその機構のメリットとデメリットを改めて確かめて、怯んだ『何か』から迷いなく逃走再開。
 もちろんその間も、三つの地点を繋いだ会議は休む事なく議論を続けている。
 ただ、ククロの操縦席内にある通信機は沈黙したままだ。習うようになった念話の神術のように、頭の中で響くそれとも違う。
『援軍は必要か?』
 ククロの意識の半分があるのは、イズミルの森の中、自らの分身として作った人形の中だ。アームコートに乗っている時の、機体の外と操縦席を同時に知覚するのと同じ感覚で、ククロの見る世界は二つに別れている。
「あると嬉しいけど、入口は地下深くに沈んだみたいだし、あと何人入れるかも分かんないから気にしないで」
 迫る神王からの斬撃に軽く背中を削られるが、砕けたパーツを瞬時に再構築。装甲材の代わりに生み出されたのは、アームコートではなく神獣の生体部品……大きな鷲の翼である。
「……それより、神王に何割かデータを持って行かれちゃったから、そっちでも何か異変があると思う」
 ククロが大鷲の翼で舞い上がったこの世界の空は、現実世界の空とは違う、有限の高さしか持っていない。近付いた薄紫の空の三割ほどは黒く覆われ、領域のデータや支配力が神王に奪われた事を示している。
『異変……大後退か?』
「流石にそこまでじゃないと思う。その辺りの権限は俺が持ってるから、うまく逃げてみせるよ」
 黒く染まった領域が司る情報は、ククロがそれをリスト化する前に奪われたものだ。大後退に関する情報は最優先で確保していたが、奪われた箇所を使って神王が何を起こすかは、正直ククロにも把握出来ていない。
『なら、ククロの体は?』
「たぶん世界樹の一番上にあるんじゃないかな? コネクタの位置もだけど世界樹絡みの情報はほとんど神王が握ってるから、良く分かんないや」
 シュヴァリエの鋼鉄の翼で舞い上がった神王を長い尾を駆使した機動で躱しながら、ククロは苦笑いをするしかない。
「本営は何とか守ったけど、それが限界だった」
『……十分だ。ならすまんが、何とか粘ってくれ』
「任せてよ、鳴神!」
 もう一度振り返り、腕を大きくかざせば……。
 上空に立ちこめる雲の中から姿を見せるのは、余りにも巨大な黄金の竜。
「お、完全な神獣も行けるのか! 雷帝!」
 咆哮と共に薄紫の世界に降り注ぐのは、無数の雷の雨だ。
 この世界で力となるのは戦いの術そのものではなく、思い描くイメージである。世界の三割を奪われたとしても、まだ七割の力はククロの物だ。
「やっぱり神術は武装と操作感覚が全然違うな。……次は何しようかなぁ」
 イメージがそのまま力となるなら、勝てないまでも負ける気はない。ククロは黄金竜の幻影を切り払う神王の意思から逃げながら、次のイメージを膨らませていく。
『本営は大丈夫ですの? アーデルベルト君。こちらも補給が終わったら出ますけれど、人手が足りないようなら柚那ちゃんがエレちゃんを連れて転移も出来るって……』
 柚那の転移神術は、基本的に行き先に置いたマーカーを頼りに移動する術なのだという。目標もない世界樹の上層までは難しいが、移動し慣れた本営までなら何とかなる……らしい。
『イクス准将は、まずそちらの陣容を優先して下さい。こちらは俺と日明で何とか持ちこたえます』
『では、本営で合流した後、さらに上に行ってククロを助け、神王とやらを何とかする……』
 大方針だけなら、こんな所だろう。細かい所を詰めていくには、今はあまりにも情報が足りなさすぎる。
「理想を言えば、神王様は説得したい所だけどね。そうでないと、沙灯と瑠璃の二人がこの世界にいられなくなっちゃうから」
 神王の攻撃を大蜘蛛の糸で足止めし、周囲にばらまいたロケットパンチに転移する事で次々と避けながら、ククロは頭の中の膨大な情報を少しずつ整理していく。
 アークから一度に大量に注ぎ込まれたデータだ。概要くらいは把握しているが、流石にその詳細まではすぐに理解する事は出来ない。
「それとアーデルベルトさんは、ちょっと話が……」
 その中にあった知識の一つを形にするため、解散する会の中でククロは本営の将校の名を呼んだ。
『何だ?』
 逃げ切れないつもりはないが、万が一という事もある。
 非常手段は、用意しておくに越した事はないのだ。


「不要だじゃありません」
 老爺の言葉を即答で否定したのは、彼の半分ほどの体躯しかない小柄な娘だった。
「すぐ済みますから。ムツキさん」
 包帯を巻いた傷口に手を当て、意識を集中させる。手のひらに灯った淡い光はそれほど強力な術ではないが、それでも応急処置の補助程度にはなるはずだった。
「……その分で防衛戦の指揮を……」
「今はジョーレッセ中佐と鏡衆の皆さんが頑張って下さっています」
 言い返そうとする声を、ぴしゃりと制す。
 それに、今なお最前線で戦う兵達と比べた絶対的な体力の差は、彼女自身も認める所。後方で休めという指示を押し切って前線に立つほど、経験が足りていないわけでもない。
「ふむ……」
 ムツキはそんな少女に小さく呟くと、目元を覆う厚い布を押し上げ……見たのは、窓の向こう側だ。
 窓の外は青く、彼方には薄紫の世界が広がっている。その合間に舞うのは、小柄な金色の竜と翼の巨人。そして、緑色の翼を持つ神獣ともアームコートともつかぬもの。
 娘の応急処置が終わる頃から見かけるようになった、翼の巨人に随伴する異形の一種である。
「コトナ」
 新手を加えた敵陣の様子に心の中で歯噛みしながら、老爺は少女の名を呼んだ。
「何ですか?」
「この腕で、儂もアームコートを動かせるのか?」
 問い、曲げるのは鋼に覆われた左腕だ。
 ムツキの使うアームコートは地中専用で、対空の装備はない。神術の心得も多少ならあるが、翼の巨人に特別効果があるというほどではなかった。
 だとすれば……。
「腕一本なら、基本的な操作が精一杯ですね」
 アームコートの操作精度はコネクタの数に比例する。もちろん経験があれば補える事もあるが、付け焼き刃で何とかなるほど都合の良いものではない。
「腕の根元にコネクタがあるはずですが……まずは、生身の部分を心配して下さい。……心配するご家族も、いらっしゃるでしょう?」
「まあな。もう孫とも何年も会うておらん」
「えっ」
「……何だ、その反応は」
 あまりにも素の反応に、ムツキも分厚い布の下で眉根を寄せてみせる。
「いえ。さすがにお孫さんは予想していなかったもので……」
「この歳だからな。孫くらいおる」
 もう幾つになったか。
 帝国第二の都はここからそれほど遠くもないから、休暇でも取れば会いにも行けるのだろうが……。それも、この場を切り抜けてからの話だろう。
「……良いものですか? お子さんは」
「なになに? 何の話?」
 二人の話に割り込んできたのは、会議に出ていたはずの捕虜の娘だった。
「子供は良いぞという話をしておった。……アーデルベルトも、本国には子供がいるのだったな」
 会議は無事に終わったのだろう。娘の後から部屋に入ってきたキングアーツの武官は、ムツキの問いに穏やかな表情で頷いてみせる。
「ええ。……あいつらは、この戦争に巻き込ませたくありませんね」
「全くだ。せめてこの老いぼれが死ぬまでは、平和であって欲しいものよ」
 辺境での小競り合い程度はあるが、今のキングアーツも神揚も、概ね平和の中にある。だが、この大樹とその支配者の暴走を許せば、束の間の平穏も終わりを告げる事だろう。
「子供か……いいわねぇ。コトナも子供、欲しいの?」
「まずは相手探しからですけどね。それで、会議はどうなりました?」
「ああ。地上はホエキンとスレイプニルの二隊に分かれて隊を動かすそうだ」
 本営にも無事な輸送用アームコートがないわけではないが、戦闘に耐えられる物ではないし、何より遅い。危険度が変わらないなら、ホエキンを使った方がいくらか早く済むだろう。
 故にアームコートや神獣を中心とした地上戦力は陽動を兼ねて別行動を取り、その間に飛行戦力で囲んだホエキンを本営まで持っていく。
 それが、アレク達の立てた作戦だった。
「……なおさらこちらの支援が必要そうですね」
 本営にも対空戦力はそれほど多くない。いま外で戦っている鏡衆や飛行型の神獣と、弓を主武装としたアームコートがいくらかあるだけだ。
 恐らくは厳しい戦いになるだろう。
「それなのだが……儂は別行動を取らせてもらって、構わんか?」
「どうしました?」
「おぬしらの話を聞いて、少し思う所があってな」
 制空権の確保において、ムツキが出来る事は驚くほどに少ない。
「……どうせ儂とエイジモールでは空の敵には手が出んし、構わんか?」
 ならば、もっと他に出来る事を選ぶ方が良い。
 それが彼の家族を守る事に繋がるならば、なおさらだ。


続劇

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