3.力と責任 青い空の下。 辺り一面に張られているのは、広がり、うねり、絡み合う、巨大な大樹の根であった。 上空を舞う異形の群れの中を抜け、その根の一角へと降りてきたのは、翼の巨人と、半人半鳥の異形である。 「無事でしたか、二人とも」 眼下にあるのは、赤い獅子を模した兜を備えたアームコートと、黒い猫の意匠を備えた小型の神獣だ。 「テメェ……どういうつもりだ! シャトワール!」 だが声を掛けた瞬間、専用の通信装置を壊すほどの勢いで怒りの言葉が返ってきた。言葉と同時に翼の巨人の装甲を掴んだのは、赤い獅子のアームコートである。 獅子の怒りを、周囲の二体は止めようともしない。 当たり前だ。彼ら自身の判断と行動があと一瞬遅ければ、何もない黒大理の世界に永遠に閉じ込められていたかもしれないのだから。 そしてその脱出の糸口を作ったのは目の前の味方ではなく、大樹への進行を始めた敵達だった。 「どういうも何も。……神王さまの目的を果たすためには、イズミルの連中は邪魔だったでしょう?」 そんな獅子の怒りを一身に受けてさえ、シャトワールは微動だにしない。怯える事も悲しむ事もなく、ただ淡々とその奔流を受け、流すだけ。 「ファーレンハイト殿」 「…………ちっ」 脱出の手助けをしてくれた黒猫の声に、アーレスは舌打ちをひとつして手を離す。 「神王殿の思惑はともかくとして、今の状況を教えて頂きたいでござる。……バスマル殿。ロマ殿は?」 最後に転移の門が開いた時、バスマルの半人半鳥と一緒に飛び込んだ神獣があったはず。ネクロポリス側で保管されていたそれを駆れる者は、恐らくあの場では一人しかいない。 「分からん。こっちに来てから、黒い烏の神獣と戦いながらどこかに行っちまった。半蔵は心当たりがあるか?」 「それはリー殿でござろうな」 ナガシロ衆の情報収集部隊付きの飛行神獣だ。殊にリーティは、ロッセの事を気に掛けていたはず。 「……向こうに付いたって事か?」 瑠璃も向こうにいる以上、ロッセはアーレスの言う通り、イズミル側に付いたと考える方が妥当だろう。 「で、どうしますか? 必要なら、皆さんも上層部にお連れしますが」 「猫影を運んで戴けるなら」 半蔵の神獣に空を飛ぶ力はない。大樹の上層部に向かうなら、歩くか置いていくか、それこそシャトワールのシュヴァリエに抱えてもらうかのいずれかになる。 「お二人次第ですが……アーレスさんはどうします?」 「もう奴は信じられねえ。……そういう時はどうすンだ? 殺るか?」 もともとアーレスは、戻る場所がないからとつるんでいただけだ。神王の考えに共感したわけでも、他に目的があったからというわけでもない。 先刻のような事があれば、一緒にいる必要はもはやどこにもないのだった。 「わたしではアーレスさんを止められませんよ。バスマルさんは?」 もともと戦いは得意ではないシャトワールだ。アーレスと事を構えた所で勝てる見込みは薄いし、仮に勝ったとしても得るものは何もない。 「オレは連れていってくれ。……上にはまだバルミュラはあるか?」 「あまり多くはありませんが……どうしたんです?」 「飛行専用型は使いにくくてな」 半人半鳥のシュヴァリエは、脱出用にロッセから無理矢理使うように言われた機体だ。ロッセが神揚側に寝返ったとなれば色々と怨恨のある彼の事、この騎体は優先的に狙われるだろうし……ここに捨てていった方が、あとあと面倒にならなくて済むだろう。 「なるほど……。ではアーレスさん。これを破壊しておいてもらえますか?」 シャトワールの提案に、アーレスは思わず眉をひそめてみせる。 「もうお前らの命令を聞く立場にねえぞ」 たったいま袂を分かったばかりの相手だ。アーレスとしては動かないシュヴァリエを壊す事など大した手間ではないが、命令だと思うと従う気にもなれない。 「神王さまにお願いして、シュヴァリエの攻撃対象から外しておきますから」 「……あれもシュヴァリエでござるか?」 シャトワールの言葉に世界樹に目を懲らせば、そこにはバルミュラとは違う飛行型の騎体や、木の幹に人型の騎体がうろついているのも見えた。 ネクロポリスでは見なかった型だ。 「アークの力で複製した量産品だそうです。仕掛けはこの樹と同じですよ」 そう言いながら、シャトワールは足元の太い根を軽く蹴ってみせる。どうやら世界樹には、アーレスが思っている以上の力が備わっているらしい。 「……分かったよ。そいつで手切れだ」 腹立たしげなアーレスの言葉に小さく頷き、シャトワールは半蔵の神獣とバスマルを抱えてふわりと浮かび上がる。 その姿が小さくなり、無数に別れた世界樹の枝の中に消えていったのを確かめて……。 「……ちっ」 アーレスは、既に動きを止めたシュヴァリエに向けて、自らの刀を振り上げた。 「らぁぁぁぁあっ!」 咆哮と共に青い空を切り裂いたのは、大口径の銃身から放たれた一撃だ。 それは半人半鳥のシュヴァリエをかすめ、緑色の鳥型の翼を粉砕する。安定を失ったそいつは、錐揉みしながら地上へと一直線。 「危ねえぞ沙灯! 射線に入ってくんじゃねえっ!」 「す、すみませんっ! エレさん!」 機体の両脇から伸びたライフルに新しい弾倉を付け替えながらのエレに、沙灯は慌てて騎体をエレの長銃の射線上から逃がしていく。 「あーあ。アームコートって不便よねぇ。飛べないし、鉄砲もまっすぐにしか飛ばないんだもの」 巨大な飛行鯨の屋根を陣取って迎撃戦に特化していたエレに掛けられたのは、そんな声だった。 柚那の駆る鷲頭の獅子はホエキンを守るように遊弋しながら、周囲に侍らせた神術の焔で緑の鳥型を的確に撃ち落としている。 「これが、ククロの言ってた良く分からん影響ってやつか」 「多分そうだと思うよ。こんな奴ら、さっき師匠と飛んでた時はいなかったし」 これも世界樹を生み出したアークの力の一つなのだろう。それは、神王とアークの力を奪い合うククロがさらに劣勢に追い込まれれば、状況はさらに悪くなる……という事を暗に示している。 「それより沙灯ちゃん。本営に着いたらお姉さんと良い事しましょうねー」 「い、いいこと……ですか?」 「そそ。……あ、早い方が良いなら、このまま沙灯ちゃんと一緒に転移しても……」 本営には、ネクロポリスへの出立前に仕込んでおいた符がまだ残っている。頑張れば神獣とシュヴァリエのセットでも転移出来るのは、以前の転移で実証済みだ。 「え、ええっと……」 心底楽しそうな柚那の言葉に、沙灯は困ったような声を上げるばかりだ。 動きを早めた上空のホエキンを見上げていたのは、蜘蛛を模した大型アームコートの操縦席だ。 正確に言えば、仮面のレンズが焦点を合わせていたのは、飛行鯨に随伴して飛ぶ半人半鳥の人型である。 「上が気になるんですか? イクスさん」 「……そういうワケではないけどね」 随伴する重装のオークに小さく返し、プレセアは改めて正面に意識を戻す。 ここから先は、世界樹の領域だ。所々に開いた穴から見た世界樹の内側は空洞や梁状の構造も多く、登る事自体は難しくなさそうだが……。問題なのは、世界樹の根に近付くにつれて、人型を模した緑色の魔物らしきモノが増えてくる事だった。 それまでのミーノースとの戦いでは見た事のない敵だ。これがククロの言っていた、アークの制御を奪われた影響という物の一つなのだろう。 「ソフィア様、こっち先行します! 万里、花火で先陣切るよっ!」 「お願い! 珀亜、続いて!」 「承知!」 もっとも、世界樹の周辺のような起伏に富んだ地形は神獣の独壇場。 先陣を切って飛び込んだ小柄な兎が炎と炸裂を撒き散らし、混乱した場に九尾の白狐と刀を構えた仮面のヒトガタが切り込んでいく。 「セタ、ヴァル。こっちも続くわよ!」 「分かっているよ、姫様」 そして彼女達が打ち漏らした敵は、黒金の片手半と大鎌、そして長槍が容赦なく薙ぎ払った。 「了解。ククロ、邪魔するなよ」 「うん。俺もさすがに空気は読むよ!」 「空気の読み方など知らんくせに」 「ヴァルがそれ言う!?」 上空からの応援が舞い降りてくる様子からも、陽動はそれなりに機能している。この戦いは彼女達に任せておけば大丈夫だろう。 けれどプレセアの表情は、通信機から聞こえてくるヴァルキュリアとククロのやり取りにも晴れる様子がない。 「……千茅ちゃん」 故にプレセアは、彼女の機体の護衛に付いている少女の名を口にした。 弓を提げて歩いていた彼女は答える事はなかったが、通信機から届く息遣いに、プレセアは続きを促す意思を感じ取る。 「強い神術使いというものは、その力を当たり前のように振るうものなの?」 敵陣を一撃で焼き払う炎を。 空間を飛び越える術を。 時を書き替える力を。 キングアーツにはない圧倒的な超常の技を、自らの力とその本質を自覚する事なく、無責任に振るう事を是とするのか……。 「リフィリア、そちらは任せる!」 「はっ!」 ネクロポリスの作戦ではソフィア隊の指揮を任されていたリフィリアも、今は指揮権をソフィアに返し、一人のアームコート乗りとして部隊を支えている。 神揚の組織運用や部隊のあり方が、キングアーツのそれと大きく異なる事は、プレセアも理解していた。しかしもっと根本にある思考は……。 「千茅ちゃん」 ……その問いに、千茅は答えない。 |