音もなく浮かび上がったのは、指先でつまめるほどの象牙の駒だった。二つ前の升目に進み、そこにあった黒瑪瑙の駒をことりと打ち倒す。
そこで、手番は相手へ。
「風然よ」
象牙の駒を斜めにあった黒瑪瑙の駒で返り討ちにしながら、呟いたのは細身の初老である。
余計な肉の一切を削ぎ落としたかのような、細い男だ。駒を操る目つきは静かなものだが……その奥に宿る焔に気付けた者は、いかなる者も寄せ付けぬ強さと厳しさを秘めた人物だと理解するだろう。
「何でございましょう。陛下」
それは、陛下……大陸南方の覇者たる神揚帝……の遊戯の相手を務める、風然と呼ばれた老人もよく知る所だ。
「次は、どの手が来ると思う」
駒を置く音と共に紡がれた言葉の意味は、その場に控えていた護衛の兵も、侍女達も、理解は出来ぬ。
二人が手慰みに遊んでいるのは、北の大国から伝わったばかりの遊びだ。この神揚に伝わる盤戯と、似ているようで全く違う。
定番の策や禁じ手なども彼の国にはあるのだろうが、それをこの国で知る者は誰もいない。
はず、なのに。
「さて。姫君に付けた者は、使い切ってしまったようですが……」
念動の術で象牙の駒を浮かび上がらせた風然の言葉は、帝王よりもさらに理解を拒む。
この国で姫君と言えば、恐らくは大陸中央で北の大国との交渉の席に着いている第一皇女の事だろう。しかし彼女の従者に風然率いるヒサ家の者は、一人として加わってはいない。
はずだ。
「見立てが足りなんだな、風然」
けれどナガシロの帝は、老人の不可解な言葉に何の疑問を挟む気配もなく、淡々と黒瑪瑙の駒を進めるのみ。
「面目次第もございませぬ。……ですが、我が一門の者に先日、ようやく双子が生まれました」
「北の動きには間に合うか」
何の準備なのか。
唐突に出てきた一門の双子とやらは、何の役割を持っているのか。
周囲の誰もが理解出来ぬ……理解する事も恐ろしいと予感させる会話を淡々と紡ぎ……。
「……チェックメイトだ」
ナガシロ帝はキングアーツから伝わったばかりの遊びを、ごく慣れた様子で終わらせてみせるのだった。

第6話 『金の月と銀の太陽』
|