-Back-

20.アレクとアーレス

 黒い廊下の逃亡劇は、その距離を少しずつ詰め始めていた。
「テッメェェェェェェッ!」
 ソフィア達は地図すらなく、ただ勘で逃げ回っているだけなのだ。対するアーレスは、二人の居場所こそ把握出来ていないものの、周囲の地形を確実に把握している。
 彼我の距離が縮まっていくのは、当たり前の事だった。
「ソフィアさま、恐いです! あのひと恐いですっ!」
「あたしだって恐いわよ!」
 魔物退治をしていた頃の魔物や巨人に感じる正体の知れない恐ろしさとは違う。背後の相手が叩き付けてくるのは、明確な殺意……それも、粘つくような特濃の感情を惜しげもなく全開にしているのだ。
「人質が逃げてんじゃねえよ! やっぱり足潰しときゃ良かった!」
「足潰すとか言ってますよあのひと!」
「勘弁してよ!」
 ソフィアの手足も義体ではあるが、別に壊されて何も感じないわけではない。痛覚をカットしても視覚的には痛いし、精神的なダメージもゼロではないのだ。
 メンテナンスの時に手足を外すのとは、ワケが違う。
「アヤさん!」
 そんな必死で逃げ惑うソフィア達の前に見えたのは、大きく手を振る小柄な姿だった。
「タロ! 無事だったんだ!」
「わ、ちょっと、アヤさんっ!?」
 ついに見つけた救いの声に、ソフィアは思わず小さな身体に抱きついてみせる。
「って、タロさんはいいですけど、早く逃げないと……!!」
 とはいえ、タロが仲間に加わった所で、事態が好転したわけではない。心理的に心強くなっただけで、民間人のタロでは何の戦力アップにもなっていないのだ。
「良く分かんないけど、大丈夫だよ。おーい! アヤさん、こっちにいたよー!」
 だが、ようやくソフィアの抱擁から抜け出したタロの声に、曲がりくねった通路の向こうから姿を見せたのは。
「ソフィア! 無事か!」
 十分な戦力と……。
「テメェら…………!」
 恐るべき、追跡者であった。


 黒大理の通路を、迷うこともなく右、左。
 先頭を走るジュリアに、迷う様子は見当たらない。
「ジュリア、本当にこっちで合ってるのか?」
「分かんないわよ! 女の勘!」
「か、勘……!?」
 即答するジュリアにリフィリアは思わず言葉を失いかけるが……。
「まあ、いいんじゃない? どーせアテなんかないんだし」
 後ろの柚那の言葉に、それもそうかと思い直す。
 訓練したはずのリフィリアの思念通信も、柚那の探知も、ここまで道が入り組んでいては思ったほどの効果を発揮しなかった。思念通信は黒い壁とは相性が悪いようで何かと遮られがちだったし、探知も何となくそれらしい方向くらいは分かるが、そこに至るまでのルートが思い浮かぶわけではないのだ。
「そうだな……。臭覚センサーというのも、途中で使えなくなったし」
 プレセアから預かった、追跡用の装備である。
 ホエキンを後にしてしばらくはソフィアの匂いも追えていたのだが、途中で川にでも入ったかのように、跡がぱったりと途切れてしまったのだ。
「転移でもしたのかしらね?」
「分からん。こうも同じ道がずっと続いているとな……」
 同じ道に迷い込んでいる様子はないが、それでも自信がなくなってくる。念のために曲がり角ごとに印を残してはいるから、本当に迷ってしまう事はないはずだが……。
「あっ!」
 そんな事を考えながらジュリアに着いて走っていると、やがて曲がり角の先に現れたのは見覚えのある三人組だった。
「半蔵! シャトワール! それに……」
 特徴の乏しい平板な顔に、禿頭無毛の人物。
 そして、顔の半分を義体化した……。
「……誰だっけ?」
「キララウスだ! キララウス・ブルーストーン!」
「知らないわよそんな舌噛みそうな名前」
 とはいえ、柚那にとっては知らない顔だ。半年前のクーデター騒動の時にメガリから姿を消した相手だから、当たり前といえば当たり前なのだが。
「ちっ。こんな所まで人が来てるのかよ……。道の時間稼ぎとやらもアテにならんな」
 柚那の態度か、それとも他の二人の視線に苛立ったか。
 だが、キララウスの言葉に一歩を踏み出したのは、半蔵である。
「……アディシャヤ殿、ブルーストーン殿。ここは拙者に任せて、お先に」
 最前線の状況も、一刻を争う事態なのだ。ここで三人が足止めを食らっている暇はない。
「頼みます」
「行かせるか!」
 リフィリア達の側も、余裕があるわけではない。けれどソフィア達を探しに出た部隊は他にもあるし、この三人を足止めする意味は十分にある。
 抜き打ちで放たれた斬撃に、場を駆け出した男達の服の裾が千切れ飛ぶ。
「させんでござる!」
 そこで場を満たしたのは、半蔵の放った爆煙であった。
「ちっ! 柚那、風!」
「そんな都合良い術知ってるわけないでしょ!」
 柚那が使えるのは、治癒と転移、あとは炎の術が少々だ。しかしこの場で炎など起こしてしまえば、爆風で煙を弾き飛ばすより先に場にいる全員が黒焦げになってしまうだろう。
「そっちがその気なら!」
 そんな叫びと共にさらに場を満たしたのは、一層強烈な煙幕だった。
 構内の設備にダメージを与えるためにとプレセアから渡されていた、煙幕弾だ。
「バカ、ジュリア! なんでこんな所で……っ!」
 奪われた視界の中に、リフィリアの叫びが木霊する。


 向けられた視線は、明らかに味方とは思えない鋭さを持っていて。
 紡がれた言葉は、どこか挑発するようで。
「敵だとしたら……どうしますか?」
 そんな昌の問いかけに、沙灯は静かにそう問い返す。
 けれど。
「そうだな……。とりあえず、こっちの話を聞いてもらいたいかな」
 昌が次に見せたのは、どこか穏やかな微笑みだった。
「それって……」
「私たちの味方にならない?」
 既に先ほど見せていた敵意も、警戒の意思もない。目の前に探していた娘がいることで落ち着いたのか、昌のその言葉はごく柔らかいものだ。
「確かに今の世界は、沙灯を知らない人ばっかりかもしれないけど……。それでも、きっとみんな仲良くしてくれるだろうから。ね?」
 かく言う昌も、沙灯とまともに話すのはこれが初めてだ。
 しかし彼女が前の世界で万里のためにどれだけ奔走してきたのかは知っているし、命を賭けたことも知っている。
 だとすれば……。
「…………それは、まだ……」
 だが、穏やかなその言葉にも、沙灯はどこか遠慮がちに首を振ってみせるだけ。
「でも、今は力を貸してくれるんでしょ?」
「え……?」
 その言葉に、沙灯は今度こそ呆気にとられたようにするしかない。
「分かるよ。万里、いつでも逃げられるようになってるし」
 万里には、拘束らしき物は一切付けられていなかった。こちらが攻めてきている事も分かっているはずだし、逃げる場所のないミーノースならではの油断という事でもないだろう。
 この戦場下で捕虜を連れ歩くには、いくら何でも無警戒すぎる状況だ。
「………」
 昌の問いに、沙灯は口をつぐんだまま。
 気まずい沈黙の中、彼方で小さな爆発音のようなものが聞こえ……。
「……逃げられました」
 やがて戻ってきたのは、バスマルを追って通路の向こうに消えていったセタだった。
「なら、とりあえず向こうに戻るまでだけでも力を貸してくれないかな? その後の事は、またその時に考えようよ」
 先のことはひとまず考える必要はない。
「それに今大事なのは……」
「姫様の事だよね」
 迷いなく答えるセタに、沙灯もやがて小さく頷いてみせる。


 少年の眼前にいたのは、この場にはいないだろうと思った青年将校であった。
「そうか。そういえば貴様もいたんだったな。アーレス・ファーレンハイト」
「……アレク!」
 その姿を、その声を確かめるなり、アーレスは力任せに腰の刃を引き抜いてみせる。辺りに溢れていた粘つく殺気はより熱量を増し、今は目の前のただ一点に注がれていた。
「奉。ソフィア達を頼む」
「アレク殿は……?」
 既に刃を抜き放っていた奉の横。
 吹き付ける殺気に眉一つ動かす気配もなく、アレクも腰の刃をゆっくりと引き抜いていく。
「こいつは私が引き留めよう。お前はソフィア達と、万里を探しに行ってくれ」
 まずは妹姫が見つかった事にひとまずの安心を感じ……そして、敵の中で最も警戒すべき相手が目の前にいる事で、さらに安堵を得たのだろう。
「いいのか?」
「負ける気はないよ」
 アレクの紡ぐ言葉には、出立の時までに感じていた焦りのようなものが抜けているように聞こえていた。
「……分かった。千茅、万里は?」
「私たちも探してたんですけど、道がおかしな具合になってて……」
 ネクロポリスの中を少しでも知る千茅達も分からないのでは、この先に掛かる手間も同じだろう。作戦時間は既に半分を過ぎていたから、結局は時間との勝負ということだ。
「なら、アタシも残るよ」
 そんなアレクの傍らに立ったのは、両腰に剣を下げた女だった。
「エレ!? 大丈夫なの?」
「リフィリア隊長から、姫さんの事も頼まれてるからなー。……この期に及んで、一対一の騎士道とかヌルい事は言わねえよな? 王子さん」
 別行動の彼女たちは、今頃は万里達を見つけることが出来ただろうか。思念も電波も届かない迷宮の中では、彼女たちの成功と無事を祈ることしか出来ずにいるが……。
「当然だ。卑怯と言われようと、私は生きて帰らねばならん」
 時間もないし、これ以上目の前の危険な男を野放しにも出来ない。ならば、例えどう言われようと、確実に叩き潰すだけだ。
「……上等だ」
 対するアーレスもニヤリと微笑み、刃を構え直してみせる。
「あと、姫さん。これ持ってきな。あった方が便利だろ」
「ありがとう、エレ!」
 エレの片方に下がっていた剣を渡されて、ソフィアも奉に着いて走り出す。
 そんな彼女たちを、アーレスは引き留める気配もない。
「……行かせて良いのか?」
「テメェらぶっ殺して、その後で追やぁ良いことだろ!」
 その言葉と同じ、アーレスは黒い床を鋭く蹴り付ける。
 強化された全身が唸りを上げ、狭い通路に鋼の暴風が吹き荒れる。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai