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5.アーク

 窓から見える空は、キングアーツの煤煙に覆われた空でも、神揚の琥珀色の空でもない。
 上部に限れば果てまで黒い薄闇の空は、浄化の結界に覆われた清浄の地ならではのものだ。
「そう……。今日も目新しい発見はありませんでしたの」
 そう呟いたプレセアが見上げるのは、石碑に似た物体である。
 周囲を天幕に囲まれたそれは、アームコートなどからすれば、さして大きな物ではない。
 けれどそれこそが、この地を清浄の地と成し、緑のスミルナのこの場所に前線基地を築かせるに至った要因でもあった。
 アーク。
 清浄の地の浄化装置でもあり、キングアーツの浄化機械や神揚の琥珀の霧の原型となった技術の塊でもある。地上の露出部は人間の倍ほどの大きさしかないが、そのぶん地下にはこの数倍にも及ぶ機構が広がっているのだと聞かされていた。
「アークは地下部分とか、色々分かってきてるみたいなんだけどね。翼の巨人のほうは、さっぱり」
 滅びの原野に姿を現すようになった巨人とも魔物とも付かぬ相手は、その形こそおぼろげに見え始めていたが、正体は相変わらず分からないままだ。
「難しい所ですわね……」
 ソフィアやコトナが両国の依頼で調査に出ているのは知っていたが……状況は思った以上に進展がないらしい。
「うん。だからね、明日はコトナとも話して、少人数で動いてみようかって思ってるの」
 ソフィアの言葉に、やはり傍らでアークを見上げていた鳴神も浮かない顔をしてみせる。
「囮か?」
 囮自体をどうこう言う気はない。
 一軍を預かるソフィアがすべき事なのだろうかという疑問があるだけだ。
「……大丈夫ですの?」
「私も反対したのですが……今のところ、謎の相手から攻撃を受けた事例はありませんし、ガーディアンやハギアの装甲なら、何とかなるかと」
 コトナのアームコートは防御に特化された機体だ。決して新しい機体ではないが、基礎構造が古いぶん強度もある。仮に攻撃を受けたとしても、一度や二度なら恐らく何とかなるだろう。
「明日は半蔵達も来てくれる日だし、セタやムツキさん達もフォローに入ってくれるから大丈夫よ」
 実際の構成は、いつもと変わりないのだ。
 セタ達の空からの警戒と、ムツキの地中からの監視。もちろん何かあれば、機動力の高い半蔵達のフォローも期待出来る。
 恐らく三国合同でも出せる限りの編成だろう。
「済まんな。私もフォローに入れればいいのだが……」
 小さく呟くリフィリアに、ソフィアは小さく首を振る。
「気にしないで。八達嶺に行ってって頼んだの、あたしだし」
 実際は大した用事ではないし、万里も事情を話せば分かってくれるだろう。とはいえ、今回の囮作戦もすぐに効果が現れるなどとは思っていない。
 明日何か起きるならまだしも、そうでないなら既に決まった予定を変える必要もないだろう。
「さて。それじゃ、早く酒家に行きましょ。あたし、お腹空いちゃった!」


 黒大理の床を弾くのは、涼やかな言葉と穏やかな声。
「…………調査は今日も続いていましたか」
 この世ならざる死者の都で言葉を交わすのは、無毛禿頭の人物と、金の瞳と鷲の翼を持つ娘である。
「うん。遠くから気付かれないように見てたけど、シュヴァリエの動きはだいぶ把握されてるみたいだよ」
 娘の表情に浮かぶのは、いくらかの不安の色だ。機体の視野と彼女の鷲の瞳を掛け合わせ、相手の感知できるよりはるかに外からの監視ではあるが……。彼らは今までの多くの苦難を乗り越え、打ち砕いてきた者達だ。
「ロッセさんに考えがあるのは分かってるけど……」
 彼女たちはともかく、シュヴァリエによる偵察は、既に何度も見つかっている。それも策の一環だと、ロッセは偵察を控える気配はないものの……。
「調査って、何の調査をしてるんだ? 連中の戦力なら、このあいだ話してやっただろ」
 そんな二人の会話に加わったのは、黒大理の床を荒々しく踏む少年の声。
「この半年で状況は随分変わっているのですよ。アームコートの特性を備えた神獣や、神獣の特性を持つアームコートも出てきています」
 何度か出した偵察も、敵の様子を確かめるだけで、実際に拳を交えたわけではない。
 だが、空を飛ぶアームコートや、武具以上の鋼をまとう神獣の様子を見れば、それがどういった経緯で作られたかは自ずと知れるというものだ。
 そしてアームコートの修理役を担当していたシャトワールには、それがどれほど革命的な存在であるかも、よく理解出来た。
「……なら、ソル・レオンも強化して正解だったって事か」
 広間の隅に立っているのは、獅子の兜をまとう彼のアームコートの姿。その外見は今までのものとほとんど変わりないが、内側はネクロポリスの自動機械による昼夜を問わぬ作業を受けて、大幅に強化されたのだという。
「でも、そろそろ見物も飽きてきたわね」
 三人の会話に加わる声は、空からだ。
 沙灯のそれと同じ翼を大きく広げる、銀の瞳の娘である。
 いつの間にやら現れた、黒豹の脚を持つ青年の脇に音もなく降り立ち、こちらを意志の強そうな瞳で楽しそうに見下ろしている。
「……瑠璃か」
 双子の沙灯やロッセについてはあの夢の中で何度も目にしていたから、初対面であってもそれなりに既視感があった。
 けれどロッセの背後、しがみ付くように舞い降りて微笑む瑠璃に関しては……その夢の中にさえ、面識がない。
「向こうにもあたし達の事、ぼちぼちバレてるんじゃない?」
 清浄の地に属する者達の調査によって、シュヴァリエの目撃地はそのほとんどが確認されていた。
 出現場所の意図や目的まで掴まれているかは分からないが、何らかの勢力が動いている事……そしてその裏側に、半年前に忽然と消えた両国の者達が関わっている事くらいは、予想されていてもおかしくない。
「でしょうね。……アーレス」
「何だ」
「ソル・レオンの改装も終わりましたし、実動試験などしたくはありませんか?」


 琥珀の霧の掛かる夜空にゆったりと浮かぶのは、本来ならば大洋を泳ぐはずの巨大鯨。
 イズミルの空を悠然と進むタロのホエキンよりは、いくらか小さい。しかしそれでも、通常サイズのアームコートや神獣ならば何機も腹の内に納められるほどの大きさがあった。
「これがホエールジャックかぁ。初めて見たよ」
 神揚で新たに開発された量産型の輸送神獣を、ククロは嬉しそうに見上げている。
「忙しいのに呼び立てて済まなかったな、ククロ」
「こっちこそ、こんな時間しか空いてなくてごめんね」
 昼間は各所の実験に参加し、夜は夜で自分の研究や調査を行なっているのだ。ククロとしては実験の様子見に行かないわけにもいかなかったから、呼ばれれば実験の少ない夜の時間を使うしかない。
「いや。気流の乱れで便も遅れていたからな。丁度良かった」
 上空の鯨も、つい先ほど着いたばかり。彼を招いた用件についても、奉達もまだ実物は目にしていないのだ。
「昼はアークの調査があったから、抜けられなかったんだよね。……奉たちは、聖なる岩って言うんだっけ?」
「ああ。他の所の物とはだいぶ違うと聞いたが?」
「規模が大きいのもだけど、基本の成り立ちから違うみたいだね」
 他の清浄の地にあるアークとの構造の違いから、他のアークのオリジナルに相当するものという仮説さえ出されていた。
 現在はその仮説が正しいのかを判断すべく、各地の資料を集めている最中だ。
「ただ、そのおかげで新型の浄化装置の開発も出来そうなんだけどね」
 そんな話をしていると、やがて万里達も姿を見せる。
「クオリアさん。お久しぶりです」
「久しぶり、万里、昌。……イズミルの設営式以来かな?」
「そうだねぇ……」
 イズミルに調査隊が発足したのは、あの戦いが終わってすぐの事。だが、万里はロッセの抜けた穴を埋めるのに忙しく、メガリ・エクリシアはおろか、イズミルにもほとんど訪れた事がない。
 逆にイズミルにほとんど籠もりっぱなしのククロとは、顔を合わせる機会は自然と少なくなってくる。
「あら。ククロだけ? コトナちゃんは?」
 そして彼女たちから少し遅れてやってきた柚那が開口一番口にしたのは、彼女としては当たり前の問いだった。
「コトナはイズミルだよ。俺は、急ぎで見て欲しい物があるっていう連絡もらって来ただけだから。それより……」
 既に『見て欲しいもの』とやらが、気になって仕方ないのだろう。そう言いかけたククロ達に近付いてくるのは、大きな物が歩みを進める足音だ。
「奉さーん。持ってきましたぁ!」
 辺りに響くのは、少女の声。
 キングアーツ製のスピーカーを外付けした神獣を駆る、千茅の声だ。
「ちょうど来たようだ。戻って早々悪いな、千茅」
「いえいえー。じゃ、開けますねー!」
 千茅は抱えていた巨大な箱をそっと置き、神獣と比べても大きなその蓋を、ゆっくりと開けていく。
「これは…………」
 その内に緩衝材代わりの木くずと一緒に詰められていたのは、千茅の神獣の背ほどもある長い棒状の物体だ。
「滴連……神揚西方の鉱山で見つかったものだ。どうやらキングアーツ側に近い技術が使われている物らしいと判断されて、回されてきた」
 金属製のそれは奉の言う通り、神揚で作られた物とは違うラインを持っていた。曲線ではなく直線を基本に据えたそれは、確かにキングアーツの工業製品と言った方がしっくりくるだろう。
「イズミルに運ぶ前に、一度見てもらおうと思ったんだが……」
 何しろこれだけ大きな物体だ。限られた便でやり取りする以上、無駄な物をイズミルまで運ぶ余裕は出来るだけ避けたい所だった。
「アームコート用のオプション……大砲かな? コネクタは見た事のない形状だけど、動力ケーブルがここまで太いと結構大きなパワーを使うような武器っぽいなぁ。劣化はしてないからこのまま使えそうではあるけど、うーん……。だったら試射まで……いやいや、まずは……」
 だが、既にククロは奉の話など聞いてもいない。
 長尺のそれにかじりつくようにして、見える限りの所を覗き込んだり、見回したり、一人でぶつぶつと呟きながら確認を始めている。
「……あの、柚那さん。クオリアさん、何て言ってるんですか?」
 キングアーツの言葉は神揚の言葉とさして違いは無いはずだが、それでもククロの言葉は千茅にはさっぱり理解出来ないものだった。
 それどころか、神術師達が口にする言霊かと間違うほどだ。
「分かんない。万里様は分かる?」
 だが、神獣の視線を振られた神術師も、小さく肩をすくめるだけ。
 柚那が耳にしたその言葉は言霊でさえなく、軍議で評定で武官や文官達が口にする専門用語に近く思えた。
「さあ……? 昌は?」
「分かるわけないよぉ」
 柚那が視線を向けた万里も、さらにそこから回された昌も、不思議そうに首を傾げるだけ。
 どうやら言霊でも、軍事や政治用語でさえないらしい。
「あ、そうだ。しばらく留守にしてたけど、何か変わった事ってある?」
 そこで暇潰しがてらに柚那が口にしたのは、そんな問いだ。
 柚那も千茅も目の前の巨大鯨に乗って帝都から戻ってきたばかり。八達嶺の動きは、いまだ何も聞いていない。
「そうですね。外に巨人が出たと言う噂が……」
「……巨人? アームコートじゃなくて?」
 既にあの戦いが終わって半年。八達嶺ではアームコートという呼称も定着しつつある。
 今頃巨人などと呼んでいるのは、せいぜい報告書を読んだ帝都の役人達くらいだ。
「キングアーツ側でも、こっちでもないんだって。羽根もあるみたいだから、キングアーツ側じゃ魔物と思われてたみたい」
 空を飛べるアームコートは、キングアーツでも実証試験機がようやく配備されたばかり。確かに魔物と間違えられてもおかしくないのかもしれない。
「それって……巨人の幽霊ってことですか?」
「そういう感じでもないらしいけど……私もまだ実物は見た事ないのよねぇ」
 いきなり消えたとか、音もなく現れたとかいう報告も確かにある。
 それらの機能だけなら神術を使えばどうにでもなるが、金属部品を武器や装甲以外に使った神獣もまた、イズミルで開発中のごく僅かな試作騎にしか存在しない。
 もちろんそちらの確認もとうに終わっているが、該当するような騎体は一騎も見つからなかった。
「そもそもキングアーツの人ならともかく、アームコートって鉄の塊なんだから、幽霊になるの?」
「分かんないけど……」
 謎、謎、謎だらけだ。
 先日参加した調査では、まずは肝心の幽霊と遭遇しなければどうにもならない、という結論が出ていたはずだ。
「それって……前に私が見た沙灯さんと、関係あるんでしょうか?」
「タロさんも見たっていうあれ? ……どうかなぁ」
「…………」
 千茅達の話に、万里もわずかに表情を曇らせる。
 あの晩、鷲翼の少女に出会ったのは、千茅だけではない。
 だがその彼女は、周りの皆の話では、この世界からいなくなったはずの娘だ。確かに彼女こそ、現状もっとも幽霊らしい幽霊という事になるのだろうが……。
「ま、その辺も捕まえてみれば分かるよ。明日も調査があるはずだから、気になるなら行ってみれば?」
「そうねぇ。コトナちゃん達にも会いたいし、イズミルに寄るついでに行ってみようかしら」
 柚那としてはすべき事もある。
 小さく呟き、柚那は調査を続けているククロの向こう。
 搬出作業を続けている巨大鯨に視線を向けるのだった。


続劇

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