14.史上最低の開戦 琥珀色の空の下。 市場を抜けた一角で荒い息を吐いたのは、黒い服をまとう青年である。 「とりあえず、落ち着きなよ。奉さん」 「ああ……すまん、タロ」 渡された水を飲み干して、ようやくひと息を付く。 「ロッセの奴……一体どこに行ったってんだ……」 万里がいまだ動けない以上、奉に出来るのは、数少ない彼女の協力者とキングアーツの客人を探す事くらいだった。 しかし城内を方々探し回っても、見慣れたその姿はどこにも見当たらない。こうして捜索の足を城の外へと伸ばしてみたものの、一人の足で探しきれる場所などたかが知れている。 「半蔵達からも何の連絡もないし……」 そうこうするうちに、城の方からは神獣の群れが出撃を始め……。どうやら奉の想像以上の速さで、物事は動き出しているらしいと気付く。 「神獣が出撃するなら、何か起こってるんだろうけどねえ」 今も神獣厩舎への立ち入りは禁止されていたが、それでも出来る事はあるだろう。厩舎の警備も手薄になっているかもしれない。 ひとまず城に戻ろうかと思った、その時だ。 「……聞こえるでござるか……。誰か、拙者の声が聞こえるでござるか……?」 頭に響いたのは、聞こえるはずのない声だった。 「………半蔵?」 「おお、奉殿! 助かったでござる!」 「えっ? 半蔵さん? どこに」 声はすれども、姿は見えず。通常の念話であれば、有効範囲はせいぜい目の届く範囲のはずだ。 力一杯に念を放てばその範囲は広がるが、辺りにいる念話の使い手全てに筒抜けになってしまう。辺りに誰もいない場合や、助けを求めるのであればともかく……街中でそれをしては忍ぶもなにもありはしない。 「お前、どこにいるんだよ。っていうか、こんな念話なんて……」 「一族の秘儀の一つでござるよ。拙者の声は奉殿にしか聞こえぬでござる。ご安心めされよ」 唯一の欠点は、意識を同調させる必要がある事だったが……奉が半蔵の事を考えていたのが幸いした。 「ってことは、俺は一人で喋ってるように見られてるのか」 傍らのタロのどこか冷たい視線の意味に、ようやく気付く。 どうやら彼からすれば、独り言のように思念を放っているように見えているのだろう。 「聞こえていると分かれば、後は相槌だけで結構でござるよ」 「……まあいい。で、状況はどうなってる? 交渉は上手くいったのか?」 ゆさゆさと揺さぶられるのは、小柄な彼女にも広いとは言えない操縦席。 「よ、起きろ、コトナ」 通信機に響くのは、聞き慣れたエレの声だ。 「ああ。戦闘開始ですか」 「違う違う。もっとおもしれえ事になってるから」 その声に小さなあくびを返しながら、義体をアームコートに接続し、正面の光景に意識を戻す。 閉じた瞳の奥。義体を介して意識に直接映し出されたのは……目の前のアーデルベルトの機体の前に立つ、白い神獣の姿である。 「小官は、神揚王家所属 ニキ衆ワシズ組バスマル。戦時の特使である!」 その神獣の背に姿を見せているのは、つい三日前にメガリ・エクリシアに姿を見せたあの特使の男だった。だがその顔は、眠気でまだ完全に目が覚めていないコトナにさえ、不機嫌だと分かるもの。 「こら! 貴様ら、何を黙っておる! 何とか言ったらどうだ!」 どうやら返答が欲しいらしいが、黙っているのは当たり前だ。 アームコートは喋れない。 アームコート同士や本部との会話は通信機で事足りるし、繊細な部品で構成されたスピーカーは、滅びの原野の空気に触れればあっという間に壊れてしまう。 この場にいる……ただ一体を除いては。 「……エレ。悪いが、任せていいか? 適当に引き延ばせ」 「おう。得意分野だ」 その言葉と共にエレの機体の一部が開き……。 「何の用だ! バスマルとやら」 開口一番放たれたのは、いつもより少しノイズの混じったエレの声だ。 「いきなり呼び捨てとは何だ! まずは貴官の所属を名乗るのが礼儀であろう!」 「ええっと……キングアーツ王国 ナントカ方面軍メガリ・エクリシア師団……たぶんソフィア姫様隊所属、エレオノーラ・ソイニンヴァーラ地位は忘れた! だ!」 「……シュミットバウアー中佐。本当にエレに任せて良かったのでしょうか」 「後悔はしているが、適任がいないからな……」 そもそも滅びの原野で外部に声が出せるのは、今のところエレの機体だけなのだ。だからこそ、アーデルベルトもエレに白羽の矢を立てたのだが……。 「貴公! 馬鹿にしておるのか!」 「してたらもっと上手くやるって。……で、何だよ」 これ以上言い合っても無駄だと理解したのだろう。バスマルは小さくため息を吐くと、改めて背筋をぴんと伸ばしてみせる。 「貴公らは、ここで何をしている!」 「何って、ナニだよ」 「ナニ……?」 キングアーツと神揚で色々な習慣が違うことは理解しているが、その細かい所まで知るバスマルではない。首を傾げて聞き返す。 「神揚にはねえのか? 男と女がこう、気が向いた所でチョメチョメと……」 「こんな所でするか馬鹿者め!」 「あぁ? 戦時の特使様が他国の代表に馬鹿者なんて言っていいのか?」 「貴様こそ代表としての自覚がないのか! いわんやチョメチョメなどと……破廉恥な!」 「まったく反論できませんね」 「……赤山羊にもスピーカー、付けてもらえば良かったな」 そうは思うが、もう遅い。 とにかく三日間で出来る事はしたのだ。通信装置の調整と特殊センサー、ククロの作った非常用の生命維持装置が乗せられているだけでも御の字なのだと……アーデルベルトはぼんやりと自分を納得させるしかない。 「本日はキングアーツ側の返答の日のはず! その日に貴公らは何をしようとしているのだ!」 「アタシらが何をしてようが勝手だろ! お前はムラムラきたらしねえのかよ!」 「ぐ……愚弄するにもほどがあるぞ貴様! 我々とて、貴様らが北八楼……スミルナを攻める事くらい掴んでおる!」 「知ってるんならわざわざ聞くな!」 「それが本当だというなら、我々にも考えがあるぞ!」 「どういう考えだ! スミルナでアタシを押し倒すってんなら、受けて立つぜ!」 「違う!」 「青姦だってどんとこいだ! 一度神揚の奴とはヤってみたかったんだ! 一緒に気持ちよくなろうぜ!」 「痴女か貴様は!」 「……何だか、これ以上喋らせるのはキングアーツの恥のような気がしてきました」 「……消去法とはいえ、明らかに人選ミスだったな」 アームコートとの接続を切り、くらくらする自身の頭を軽く叩くアーデルベルトだが……その程度で収まるようなものでもない。 適当に時間稼ぎをしろとは確かに言ったが、こういう稼ぎ方をするとはさすがに想定の範囲外だ。 「ええい、もうこれ以上は相手などしておれん! 力ずくで止めさせてもらう!」 「そういうのも嫌いじゃないぜ。やれるもんならやってみやがれ!」 ついでに、時間稼ぎも限界のようだった。 まとまらせる気などなかった交渉が予定通りに決裂し、神獣の背中にあるらしき操縦席へ腹立たしげに戻っていくバスマルをどこか不憫に思いながら、アーデルベルトは思考を切り替える。 「総員戦闘用意。敵の動きをよく見て、弱点を突かれないよう気を付けろよ! …………コトナ」 エレの物言いには慣れているのだろう。全く動じた様子のないコトナは、涼やかな声で新たなチャンネルへと言葉を放つ。 「ええっと、金の月は銀の太陽と共に輝く。……繰り返します。金の月は銀の太陽と共に輝く」 その声は、神揚に鹵獲された通信機には設定されていない周波数の波に乗り、遙か彼方まで穏やかに広がっていく。 「八達嶺から、けっこう規模の大きい部隊が出てる。たぶん、ニキ衆の連中だ」 通信機から響く声は、キングアーツ人のものではない。 つい先ほどまで、メガリ・エクリシア地下の営倉に閉じ込められていたリーティも、今は翼を取り戻し、はるか空の彼方にその身を置いていた。 「陽動部隊の所に向かう連中だろうな。こちらにも日明から連絡が来た」 金の月が銀の太陽と共に輝くのは、陽動部隊と敵の部隊が戦闘を開始した事を意味する。リーティからの報告にあった敵の大部隊も、その応援に向かう部隊なのだろう。 少なくとも現状は、こちらの想定の内に進んでいる。 「半蔵はどうだ?」 「こちらも奉殿やタロ殿と連絡が取れ申した。もう少ししたら、誘導の手はずを調えて下さるそうでござる」 何があったかは分からないが、どうやら奉は市街地にいるらしい。ホイポイ酒家にいるなら現在の半蔵達ともそう遠くない。誘導にはそれほど時間はかからないだろう。 連絡が付かなければ半蔵が自力で誘導すれば良いとは思っていたが、こうまで都合良く進むのは、むしろ気味が悪いくらいだった。 「だったら、ちょうどいいくらいかな……?」 その準備が整う頃に、敵の大部隊の出陣も終わるだろう。 「思ったほど、警戒することもなかったかな……」 周囲を警戒するジュリアの視界にも、それらしき敵の影はない。 「空にはいないのかい?」 「…………え?」 セタの言葉に、ジュリアが思わず上方を向いた……その時だった。 耳をつんざく雷光が、辺りに土砂降りの如く降り注いだのは。 「な、何っ!?」 通信機が激しいノイズに満ちあふれ、その合間に少女達の悲鳴が折り重なる。 そんな、雷のスコールが収まって……。 「そのような所にいたか! 小童どもめ!」 ようやくノイズの止んだ通信機を朗と振るわせるのは、全帯域へと無差別に放たれた力強い男の声。 それと同時、琥珀色の霧の中から悠然とその身を覗かせたのは。 「黄金の……」 「…………ドラゴン」 茫然と呟くソフィア達の言葉に、半蔵は少女の顔で唇を噛む。 「……鳴神殿」 来るだろう事は、薄々は感付いていた。 けれど、来て欲しくはなかった。 それは恐らく最凶の一手。 いままで上手く行きすぎていたほどの流れを、たった一手で覆しかねない……半蔵達にとって最も望まない状況であった。 |