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9.届かぬ、想い

 ソフィアが席を外した執務室で話題に上るのは、彼女がいない所でしか口に出来ない話である。
「アーレス君か……」
「……ああ」
 その話題がアーデルベルトから切り出された事に、警護官として同席していたヴァルキュリアは環にちらりと目をやるが、環は何食わぬ顔をしたままだ。
 プレセアの様子も気になったが、それをすれば環に気付かれてしまうだろう。ただ黙って、前を見ておくだけにする。
「アレク王子も気にしてはいたが、変な動きはしないと信じたくはあるな」
 実際、それは賭けに近い。アレクは鈴を付けたと言っていたが、鳴るだけなのか、こちらに牙を剥いた時に内側から刺す仕掛けまであるのかは……今はここにいないアレクにしか分からないのだ。
「環はどう思う? 同じ蘭衆の出だろう」
「蘭衆って言ってもガキの頃にいただけだからな。俺が生まれた時にはとっくにキングアーツの傘下だったし、国がどうこうとか、興味ないんだよな。……セタはどうだ?」
「僕は……そうだね」
 セタの出身は、地方の小さな部族である。部族が大事だとは思う気持ちはあるが、その為に力で何かをしようと思った事はない。
 だが……。
「例え何があるにせよ、先の未来を変えるきっかけになるなら、それはそれで必要な事だと思うよ」
 小さな蝶の羽ばたきも、やがては大きな嵐となる。
 セタの部族に伝わる口伝の一つだ。
 それと同じ役目を果たし、後の世界をよくするための一助と見いだしたなら、アレクがアーレスを放っておく事にも何かの意味があるのだろう。
「そうですわね。……どう動くにしても、あの未来を変えられるなら」
 既に、彼女達が夢に見た未来から世界は大きく変わっていた。
 いまだ多くの困難はあるにせよ、アレクが永遠に失われたかつての世界よりも、ゴールはより近くに見えているのだ。
「そういえば環もアレクの見た未来を知っているんだろう。……何が起こったか、教えてもらえないか?」
 だが、アレクの見た未来は、アーデルベルト達の見たそれとは大きく違う物のようだった。どうやら和平の先にあるものまで見ていたようだが……その話を聞く前に、彼は八達嶺に囚われの身となってしまったのだ。
「……まあ、知っといた方が良いか。ソフィアもいないしな」
 廊下に足音が聞こえない事を確かめて、環は言葉を紡ぎ出す。
「この前の戦いで、ソフィアは万里に殺された。原因は、ハギア・ソピアーの大したことない整備ミスだった」
 そこまではプレセア達も知っていた。だからこそアレクは不自然なまでにハギア・ソピアーのオーバーホールを急がせ、ソフィアを出撃させなかったのだ。
「万里はハギア・ソピアーを真っ二つにした後にそれに気付いてな。とっくに恋仲だったアレクと万里の間ではその事で色々あったんだが……それでも、アレクは万里を支えて、二人は一緒になった」
「だとすると、和平は成ったのか……」
 アーデルベルト達の夢の中では、ソフィアも同じように万里を許した。そして和平の道を辿ろうと手を繋ぎ……そこで、環やロッセの裏切りに遭ったのだ。
 だが、アレク達の夢ではその裏切りもなかったのだろう。
「ああ。神揚のきれいな土地に目を付けたキングアーツの急進派が南に侵略を始めて、すぐにご破算になったけどな」
 さらりと呟いたそのひと言に、その場にいた全員が息を飲む。
「アレク王子がいたのにか?」
「アレクは何とか止めようとしたけどな。けど、その時の小競り合いに万里と沙灯が巻き込まれて、神揚側もキレてな。……後は分かるだろ? 泥沼だよ」
 猛り狂う民達の声が、ソフィア達を失った時と同様、やがて激突へと結びついたのだろう。経過の長短はあれ、その結末はアーデルベルトの知る結末と同じ物だった。
「それで、巻き戻ったのがお前達三人だけだったのか……」
「本当は万里派の武官とか、もう何人か戻れるはずだったんだが……途中で色々あってな」
(なら、あの武人は……やはり神揚の武官だったのか)
 ヴァルキュリアの見た、もう一つの夢の先。
 それが環達が巻き戻る直前のものだというのなら……。
(いや、なぜそれを私が知っているのだ?)
 思い出そうとしても、思い出す事は出来ないままだ。
 彼女の記憶は、ヴァルキュリアとして目覚めてからの数年のものしかない。それ以前の物は、今はプレセアの情報網に頼るしかないのだ。
「環達とロッセは、仲は良かったのか?」
「お互い副官同士だったし、別に悪くはなかったな。ちゃんと巻き戻れたのかはよく分かんねえけど……」
「確かめなかったのか?」
 かつては協力関係にあったなら、確かめる術はいくらでもあっただろう。軍を預かる環とロッセが互いの存在を確かめていたなら、事態はもっと早く収束に向かったはずだが……。
「俺やアレクが巻き戻ったのも、お前らが来る少し前だったんだよ。その頃には魔物とはとっくに戦闘状態だったし、気付いた後に偵察も何度か出したんだが、そのたびに追い返されたからな」
 結局コンタクトを取るきっかけに出来そうだったのは、あのアレクと万里の出会いの日しかなかったのだ。
「……まあ、同盟が組めれば今度は上手くやるさ」
 そうだ。
 過去をやり直しできるなら、今度こそ良い未来にすればいい。
「ついでだから、ソフィアが戻ってくる前にお前らの巻き戻しの事も聞かせろよ。確か、アレクが死んで俺がおかしくなったんだろ?」


 しゅるりと巻かれるのは、シンプルな赤いリボン。
「こうやって……出来た!」
「なるほど、入れ物にも飾りを……」
 手際よくラッピングされた小さな包みには、焼きたてのクッキーが詰められている。料理の得意なコトナや、神揚ながらも料理経験のあるリーティ達の手伝いもあって、彼女達の手作りクッキーはそれなりの出来映えとなっていた。
「ねえ、沙灯。これ……シャトワールに持っていってあげられないかな?」
 そしてジュリアが口にしたのは、神揚でも抗戦派に付いたとされるキングアーツ人の名であった。
「シャトワールが敵方に付いてるのって、何か考えがあると思うんだ。だからさ……」
「……分かり申した。お引き受けいたそう」
 渡せるかどうかは分からない。何よりこの先の戦いで、双方無事に収まるかどうかさえ分からないのだ。
 けれど少女の気持ちを聞いてしまえば、半蔵にはそれを預かるという選択肢しかないのもまた事実。
「ありがとう!」
「俺はどうしようかな……」
 同じように包んでもらったクッキーを、所在なさげにしているのはリーティである。日持ちはするらしいから、万里に土産にするのも悪くないだろうが……ナガシロ衆の一員というならまだしも、ロマ衆の彼と万里の間には言うほどの接点がない。
「ムツキ殿に持っていくんじゃないのか?」
「……爺ちゃんに持っていってもなぁ」
 とりあえず持ち帰って、師匠と慕う男か、前の上官への土産にでもしよう、と心に決める。彼女からはいつもお菓子をもらっていたから、たまにはお返しもいいだろう。
「あ、何か良い匂いがすると思ったら!」
 そんな厨房に顔を覗かせたのは、このメガリ・エクリシアの今の最高責任者だった。
「ああ、ちょうどお呼びしようと思っていたのです。今から皆で食べようと思っていたのですが、ソフィア姫様もご一緒にいかがですか?」
「お茶も淹れるわよ、ソフィア」
「仕事も休憩だし、いただくわ!」
 ジュリア達の言葉に、ソフィアは嬉しそうに笑ってみせる。

続劇

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