8.Let's Cooking Time! 昼食の後片付けと、夕食の支度の合間。 「ごめんなさい!」 束の間の休息が与えられた厨房に響くのは、ジュリアの力一杯の謝罪の言葉だった。 「構わんでござる。無理を言っているのは拙者達でござるからな」 ただでさえ、明日の作戦……それも、万里達を救う作戦を控えているのだ。その準備に追われて街への案内が出来なくなったと言われても、半蔵達がそれを責めるのは筋違いというものだろう。 「それより、二人とも大丈夫なのか? 疲れてるんじゃないのか?」 しかも、リフィリアはともかく、ジュリアとコトナはつい先ほどまで訓練に明け暮れていたと聞いた。無茶な訓練に加えて、こうして半蔵やリーティのために時間を割いて、明日の体調に響きでもしたら……むしろその方が問題だろう。 「まあ、この程度の居残りはいつもの事ですから」 「ちょ、ちょっとコトナ!?」 コトナから居残りを食らっていた事など、士官学校での駆け出しの頃の話だ。そんな昔の話をされても……。 「そうか……」 「そうなのでござるな……」 「……何でそんな目で私を見るのよ」 「……なるほどな」 「リフィリアまで……。もう! さっさとお菓子、作るわよ!」 他国の者達だけでなく、同僚にまでそんな目を向けられて……。 いつもは静かな厨房に、ジュリアの声が再び響き渡る。 広い執務室に響くのは、ペンを走らせる音と、紙をめくる音だけだ。数人の大人達が作業しているというのに、そこは驚くほどに静かで、張り詰めた空気が漂っている。 「……ふぅ。疲れたぁ……」 そんな緊張の糸を切ったのは、はふ、と抜かれたソフィアの声だ。 「これでさしむきは、ひと息という所か。……よくもまあ、アレク王子はこれを一人で片付けておられたものだ」 それに釣られるようにして、アーデルベルトも大きく伸びを一つ。 慣れない分野の業務。それも本来の仕事の合間の作業とはいえ、五人がかりでアレク一人分というのは……いささか情けない気持ちにもなってくる。 「慣れだろ。アレクはメガリに来てからずっとやってるからな」 「そういえば気になっていましたけれど……それは、素ですの?」 プレセアの問いに、環はしばらく不思議そうな顔をしていたが……ようやく自分の口調の事だと気付いたのだろう。 「ああ。アレクやソフィアは呼び捨てなのにあんたらだけさん付けなのも変だろ。ああやって喋るの、疲れるんだよ」 言われて見れば、確かにそうではある。 階級的に言えば環はアーデルベルトと同格だし、司令官補佐という立場からすれば、主計大隊の長であるプレセアにも匹敵するだろう。特に敬語を使う必要はない。 「殿下との付き合いは長いのかい? 環君」 「セタとソフィアよりは長いな。俺は蘭衆のぱっとしない貴族の出だけど、アレクとは士官学校からずっと一緒だったから。……腐れ縁って奴だ」 その時から今のような遠慮のない喋り方をしていたのだろうか……とも少し思うが、ソフィアもそういった格式張った事は気にしない娘だし、今のキングアーツ王家自体がそういった風潮なのかもしれなかった。 「プレセア達とセタもそうなんだよね?」 「そうだね。だけど、殿下と環君は……」 プレセア達三人は、同い年のための同期生だ。しかしアレクと環は、確か四つほどの歳の差があったはず。 士官学校に入るのは、貴族の子女で早くて十二、一般であれば十五・六の頃だから、王族のアレクと貴族の環が同級というのは少し計算がおかしくなる。 「俺、士官学校に入ったの八つの時だぜ? 確かソフィアもだいぶ早かったよな?」 「うん。あたしは十歳の時だったかなぁ……」 プレセア達が士官学校に入ったのは、庶民出の例に漏れずに十五前後。その歳でも学校での勉強はそれなりに大変だったはずなのに、それと同じ内容を二人はもっと幼い時にこなしていたのだろうか。 「……王族や貴族も大変なのですわね」 プレセアも物心着く頃には店の帳簿を眺めていたから、それに近い感覚ではあるのだろう。……とはいえ、士官学校の授業内容を思い出せば、それは並大抵の事ではない。 「軍閥系はな。政治系の方はもっと良いご身分っぽいけどな」 軽く流して、環は黙々と作業を再開させる。 辺りに溢れ出す熱気ごと分厚い扉を閉じたなら、作業はしばらく暇になる。 「このクッキーとやらの作り方も伝えられれば、タロ殿もきっとお喜びになるでござるよ!」 「でも、このオーブンって道具ないだろ?」 中の様子は見えないが、今頃は中に並べられた大量の炭の熱で大変な事になっているのだろう。鉄皿の上に盛られたクッキーをまとめて焼くには、確かに便利な道具である。 「神揚にはオーブンはないのか?」 「基本、焼くのはみんな鍋だなぁ」 「……でござるな」 鍋で焼くか、蒸し器で蒸すか。 しかも蒸し器も鍋に載せて使う物が主流だから、神揚料理が鍋一つで全て完結する……と言われるのも、あながち冗談というわけでもない。 「鍋………こういうの?」 そう言ってジュリアが取り出したのは、調理台の下に置いてあった大鍋である。だが、それはリーティ達の思い描く鍋とは違ったのだろう、リーティは首を横に振るだけだ。 「違う違う。神揚の料理鍋はもっと浅くて、底が丸いんだよ」 「底が丸い……」 「安定が悪くありませんか?」 コンロの上に置くなら何とかなるだろう。けれど調理台の上に移す場合は、どうやって置くのか。それとも、専用の台などがあるのだろうか。 それはジュリアやリフィリアはおろか、料理慣れしたコトナにも想像出来ない事だった。 「気にした事ないなぁ。要は慣れなんじゃないの? ……何だよ。じろじろ見て」 厨房内のコンロの形も、多くの調理器具も、神揚ではほとんど見ないものだ。恐らくはお菓子だけでなく、他の料理をする時も、神揚とは全く違う道具の使い方や作法があるのだろう。 そんな事を考えていると、ふと向けられていた視線に気が付いた。 「…………ねえ、リーティ」 「何?」 ジュリアの言葉は、どこか恥ずかしがるようで、そして興味津々で。 少し上目気味に呟かれたそれに、リーティは思わずどきりとしてしまうが……。 「その耳って、触って良い?」 「…………っ!」 その言葉に思わず身を震わせたのは、当事者の少年ではなく、傍らにいた赤い髪の少女だった。 「別にいいけど。でも、そんな珍しいもんでも……」 そう言いかけて、言葉を止める。 神揚では珍しくも何ともない動物の耳だが、キングアーツにその技術はない。リーティからすれば不思議で仕方のない金属の手足が彼女達にとっては普通であるように、リーティの耳も彼女には興味の対象に映るのだろう。 「そんな事ないよ。耳が生えてるのは知ってたけど、スミルナの森でも見せてもらえなかったしさ」 彼女達は夢の中で彼等の耳の事を知っていたが、あの交流の場では互いの正体は一応秘密だったのだ。もちろん正体を知った後も、昨日の街歩きではまだ非公開という都合上、耳の存在は秘密にせざるをえなかった。 だが、城内の厨房ならそんな遠慮もない。リーティの頭には、何の動物かも分からぬが、人にはない動物の耳がひくひくと揺れている。 「ならいいよ。別に減るもんじゃないし……」 狭い厨房の中。触りやすいようリーティが僅かに腰を落とせば、ジュリアはおずおずとその手を伸ばしてくる。 「うわ、柔らかい……!」 触った感じは、本当に動物の耳と変わりない。それが人間の髪の間から生えているのは、何とも不思議な感覚だった。 「へぇ、こんなふかふかしてるんだ。きもちいー」 (うわ……意外とある……!) 夢中でリーティの耳を撫でているジュリアの前。自然とリーティの目線の高さは下へと落ちる事になる。 その視線の先にあるのは……言わずもがなだ。 「これ癒やされるわ……」 (うぅ、これ気付かれたら殺されるよな……) ジュリアは全く気付いていないが、リーティとしては必死である。目を瞑れば怪しまれるし、いまさら視線をそらすのも不自然だ。 とにかく平穏にしていようと思うものの、視線はどうしてもそちらへと向いてしまう。 それは神揚もキングアーツも関係ない、人類オスの悲しい性というものだった。 「……………」 そして、その光景を見て平穏無事ではいられない者が、この場にはもう一人。 「触りたいんですか?」 「な、なななななな! 何をっ!」 (分かりやすいですねぇ) (分かりやすいでござるな) びくりと身を震わせたリフィリアの様子に、コトナと半蔵はぼんやりとそう思った。もちろん本人としては内緒にしているようなので、それは口には出さないでおいたが。 「そ、それより、クッキーが焦げるぞ! 大丈夫なのか!」 「おっと、忘れてた! そろそろいいんじゃないの?」 取り繕うかのようなリフィリアの言葉に、リーティの耳を触るのに夢中になっていたジュリアもようやくくるりと踵を返し、オーブンの元へと掛けだしていく。 「そうですね。ああ、ジュリア。クッキーを触る前に、一応手を洗っておいてくださいよ」 「オレ、昨日ちゃんと髪洗ったよ!?」 「そういう問題ではありません」 殺菌と消毒は、キングアーツで料理をする時の常識だ。 「……そういうコトナは、昨日はお風呂に入ったの?」 「それも別問題です」 入ってないんだな。 ジュリアとリフィリアは、知らん顔でぼかすコトナにそう思ったが、やはり口には出来ないのだった。 |