7.二日目、最後の朝 「陽動部隊の機体には出来るだけ空気ボンベを! ライラプス用の予備パーツも全部使って良いから!」 一夜が明けて、アームコートのハンガーを包むのは、昨日以上の喧噪だった。 「例のセンサーは指揮官機から優先で! まだ余りがあったでしょ!」 昨晩の軍議で、決戦は翌日と決まったのだ。昨日までの「もうすぐ決戦」という雰囲気とは、行き交う声に込められた強さも、ぴりぴりとした緊張も、まるで違う物となっている。 「無線機のチャンネル調整も忘れないで。一機でも抜けがあると、通信出来ないよ!」 そんな指揮を飛ばすククロに掛けられたのは、車椅子からの穏やかな声だった。 「調子はいかがですの? ククロ君」 「ああ。プレセアのおかげで、物資に余裕があるからねぇ。まあ、何とかなってる感じかな」 ボンベや武器、装甲板など予備備品の類も、先日の敗戦から建て直してなおの余裕があったのだ。足りないのはスタッフたち人的資源だけ……という状況が続いている。 「……昨日あれから、もしかして……」 ふわ……と大きなあくびを隠そうともしないククロに、プレセアは不安げな声を口にした。 昨晩、ククロはプレセア達の護衛を務めるついでに、スミルナの様子を見に行っていたのだ。ムツキと一緒に赴いたそこでは思ったほどの成果はなかったようだが、メガリ・エクリシアに辿り着いたのは確か夜明け間際だったはず。 「大丈夫。二時間は寝たから!」 「…………身体に気を付けてくださいよ?」 今ククロが倒れては、ソフィア隊や、陽動部隊に組み込まれたアレク隊の整備環境は大変な事になってしまう。無理を押して倒れられては困るのだ。 「大丈夫だって。俺は後詰めだし、今日が終われば少々倒れたって平気だから」 笑顔で語る無謀極まりない言葉に、さしものプレセアもため息を吐くしかないのだった。 「帰ってきたね」 そんなやり取りをしていると、やがてハンガーへと数機のアームコートが戻ってくる。 紅い機体から姿を見せたのは、機体と同じ赤く長い髪を後ろにまとめた娘であった。 「お帰り、リフィリア。ジュリアは?」 迎えてくれたククロに向けるリフィリアの表情は、どこか微妙なもの。 「まだコトナ教官にしごかれている。……本当にあれは、ジュリアが望んだ事なのか?」 「ああ。機体バランスがぐちゃぐちゃになるから、あんまり勧めたくなかったんだけどねぇ……」 ククロはアームコートいじりは好きだが、別に人の嫌がる改造までしたいわけではない。改造が楽しい事と、機体の使い勝手が悪くなる事は別問題だ。 だが、今回のジュリアの機体の強化は彼女自身が望んだ事だった。必要な意味も分かっていたから、彼としても止める事は出来なかったのだ。 「ふむ……。まあ、考えは分かるが」 実際にそれをものに出来るかどうかはの期限は、あと一日もない。コトナが付いているとは言え、果たして何とかなるものか……。 「昼から半蔵達と出掛けると言っていたが、間に合うか怪しいものだな」 「まあでも、ジュリアだし、戻さないだろうねぇ……」 「……だな」 恐らく彼女なら、ククロの言う通りだろう。 そんな話をしていると、他の機体も次々と戻ってくる。 「ああ。アーレス達も教官の訓練、受けてたんだ」 「そちらもだいぶ揉めていたようだがな」 もともと誰かに従う事の嫌いな彼だ。コトナとの衝突は容易に想像がつく。 「とはいえ、何があるか分かんないからねぇ……」 向こうの整備も始まったのを何となく見遣り、ククロも自分たちの担当機体の整備を開始する。 「なら、ポリアノンの事は頼む」 「任せて!」 そしてリフィリアから去り、ククロ達の担当ハンガーにジュリアが戻ってくるまで、まだ数時間の時が必要となるのだった。 地の底にある営倉には、朝の光は注がない。 けれど時が等しく流れる以上、朝は必ずやってくる。 「爺ちゃん。朝だよー。起きなよー」 運び込まれたベッドの上。布団を被って丸まっている大きな塊をゆさゆさと揺らすのはリーティだ。 だが、いつもなら少年より早く起きているはずの老爺は、珍しく短い呻きを返すだけ。 「どうせする事もないのだ。たまには寝かせてくれ」 老爺が営倉に戻ってきたのは、それこそ夜も明けようかという頃だった。確かにまだ数時間しか経ってはいないが……。 「昨日は何しに行ってたんだ?」 確か同行したのは、リーティと同じくらいの兵と、車椅子の女将軍、後は武官らしき娘の三人だったはず。夜の見学と称して、夜の街に繰り出すような組み合わせでもない。 「いつもと同じ、穴掘りだ」 「……穴掘り」 それは八達嶺でいつも老爺のしている仕事だった。 「それと、北八楼にも寄ってきた」 「……ホントにいつも通りだね。人捜しとか?」 北八楼に誰かが住んでいる可能性はいまだ否定し切れていないし、八達嶺の誰かが連絡を取ろうと顔を出している可能性もないわけではない。 それにしては随分と遅すぎる気もしたが……三日という限られた時間の中で何かをするなら、遅すぎる事などないのかもしれなかった。 「いや。聖なる岩を見つけたかったらしい。連中はアークと呼んでおったが」 「ああ。聖なる岩かぁ」 それは、楼を周囲の薄紫の大気から守る、いわば楼の要とも呼ぶべき存在である。神揚においてもその大半を解明されていないその遺構こそが、薄紫の大気を浄化し、滅びの原野と楼を隔てる境界を作り出しているのだと言われていた。 神揚帝国の誇る琥珀色の霧も、その聖なる岩からもたらされた技術を元に生み出されたものである。 「でもあれ、師匠の指示でも探したけど、空からじゃ見つからなかったよね?」 もちろんそれほど貴重な物だから、リーティ達がロッセの指揮下にある時も、幾度となく捜索の手は伸ばされてきた。だが、広い北八楼のどこにあるのかも分からぬそれは、リーティが空から眺めてもいまだ発見には至っていない。 「とはいえ、あれだけの規模の楼だ。どこかにあるのは間違いないだろうがな……」 その調査で、夜更けには終わるはずだった夜の行軍が夜明けまでかかってしまったのだ。 ムツキは大きなあくびをひとつして、再び布団の中へと潜り込むのだった。 「お帰りなさい。コトナ教官の教導はいかがでした?」 戻ってきたエレにタオルを差し出しながら問うたのは、プレセアである。 「ジュリア以外は基礎の反復練習だったからなぁ。付け焼き刃だが、まあ、しないよりはマシって所だな」 相手の視覚に潜り込む事と関節などの弱い所を狙うのは、対アームコート戦における基礎中の基礎だ。 先日の戦いで神獣相手に後れを取った兵の大半は対神獣戦のベテランで……逆を言えば、魔物との戦いに慣れきってしまった者とも言えた。 故に、対アームコート戦の基礎を見直す事で、アームコート乗りと同じような戦い方をするようになった神獣達への対応をよりマシなものにする。……それが、僅かな時間で実現できそうな、アームコート乗り側の対神獣戦への対策だった。 「アタシとしちゃ、コトナにはもっと別の所で教導して欲しいもんだが……」 プレセアの肌に伝わってくるのは、車椅子の後ろからゆったりと回された、太い腕。筋肉のほとんど付いていないプレセアの細腕とは全く違う、鍛えられた戦士の腕だ。 「あらあら。仲良しさんですわね」 同じ女性の腕でありながら、こうまで変わるものなのだな……と、プレセアは興味深そうにエレの腕に指先を触れさせる。 それに悪い気分はしなかったのだろう。エレはプレセアが痛くない程度に、ゆっくりと重みを掛けてきて……。 「あんたは大丈夫なのか? 後詰めだからって、奇襲がないとは限らねえぞ。ククロだって後で受けるんだろ? 教習」 「スレイプニルはそもそも人の形をしていませんもの」 「……違いねえ」 仮面から返ってくる言葉に、ニヤリと微笑んでみせる。 「……そういや、コトナが気にしてたんだが……」 軍服の上からまさぐる身体は、エレのそれとは全く違う、柔らかなものだった。同じ女でも自分ともコトナとも違うその感覚を、楽しげに味わいながら……。 「アーレス君の事ですの?」 「それもだがな……。商人ってのは、戦争を続けるのと止めるの、どっちが得なんだ?」 その問いかけにも、仮面の下の口元は変わりはしない。 プレセアはエレから見ても美人だし身体つきも良い具合だが、表情が分からない事だけがつまらなかった。 「そうですわね……。戦争を続けさせて儲けるのは、私からすれば二流かしら」 「二流ねぇ」 「戦争は消費するだけですもの。全てを焼き尽くしてしまえば、その後にはもう何も生えて来ませんわ」 戦争特需という言葉の通り、戦争による需要は特需……それこそ、一瞬の花火のようなものでしかない。大きな花火が咲いた後には、何も残りはしないのだ。 「じゃ、あんたの言う一流は?」 「焼け跡に畑を作って種を撒き、実を育て、また次の種を撒く。その全てで儲けられれば、永遠にお金が入ってきますわよね?」 いずれにしても戦争の特需はステップの一つでしかない。そこでいかに儲けるかではなく、その先にどれだけ大きな儲け口を見つけられるかが問題になる。 さらに言えば、焼け跡よりも焼ける前の畑から始めた方が手間ははるかにかからない。 「余計タチが悪かねえか?」 「タチの良い商人なんて見た事がありませんわよ?」 呆れたように呟くエレに、プレセアはくすくすと微笑んでみせるだけだ。 |