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10.ジューソー・ジューソー

「これが……重曹?」
 スミルナ・エクリシアにジュリアが持ち込んだのは、片手に乗るほどの小さな紙の袋だった。先日の約束通り、プレセアが厨房から譲って貰った物である。
「うん。ほんの少しで効果が出るから、使う時には気を付けてねって」
「かたじけない! しっかり伝えておくでござる!」
 先日教わった作り方にも、少々と記されてあった。膨らむ成分というのは、それほど強力な物なのだろう。
「本当なら、実際に作れれば良いのですが」
「……作れるのか? コトナ」
「家事くらい嗜みでしょう?」
「嗜み……」
 さらりと返すコトナに、リフィリアもジュリアも言葉もない。
「大丈夫だよ。ちゃんとした作り方を見つけるのも楽しみの一つって言ってたから」
 キングアーツ料理の再現に挑んでいるのは、半蔵や昌とはまた別の人物らしかった。
 ここに来ている者達以外にも沙灯の夢の記憶を受け継ぎ、キングアーツを理解しようとしている者がいるという事なのだろう。
「でも……一緒にお菓子作りかぁ」
 菓子作りは正確な計量が命だ。出来合の品を持ち寄ったりお茶を飲む程度ならここでも出来るが、さすがに一から作るとなると設備が足りなさすぎる。
 けれど、ここにいる者達でそんな事が出来るなら、それはきっととても楽しい集まりになるだろう。
「ホントにそんな日が来ればいいねぇ」
 小さく呟く昌に、コトナやジュリアも小さく頷いてみせるだけだ。


 音を立てないよう潜むのは、緑の茂みの奥深く。
「ね、千茅」
「なんですか?」
 ひそひそ声で交わされるのは、ソフィアと千茅、そしてエレのやり取りだ。
「アレク兄様と万里、良い感じだって思わない?」
 彼方に見えるのは、重なり合った二つの影。
 ソフィアの兄と、千茅の主だ。
 察しの良いアレクのこと。あまり近付けば気配を感付かれてしまうだろうから、この距離で見届けるのが精一杯。
「ですよね……。羨ましいなぁ、万里様」
 小さくため息を吐き、思わず口に出た言葉を、慌てて自身で塞いでみせる。
「やっぱり……なのかな」
「や、やっぱりって……!?」
「何が?」
 どうやら、ソフィアには自身の言葉を聞かれていなかったらしい……と僅かに安心しつつ、千茅はソフィアの言葉に誤魔化し混じりの相槌を打とうとして。
「へぇ……。千茅は王子さんみたいなのが好みか」
「ち、ちが……そうじゃなくって!」
 しっかりと聞いていたエレに、小声で否定を叩き付ける。
「あ! アレクさん、万里様の肩に……!」
「王子さん、意外とやるじゃねえか」
「なになに………? ……うわぁ。万里ったら、あんな顔真っ赤にしちゃって……」
 そんな三人のもとにやってきたのは、昌だった。
 視線の先で肩を抱き寄せられる小柄な少女の様子に、嬉しいような困ったような、どこか微妙な表情を浮かべている。
「別にいいじゃない。あたしとしては、二人がくっついてくれるのってすごく嬉しいんだけど」
 アレクの左手には、いまだ金と銀、二重の指輪が嵌められたままだ。
 その想い人と共に喪われた心の穴を、万里が満たしてくれるなら……ソフィアとしては、言う事はない。
「ソフィアの前で言うのも何だけど、アレク様って何か怪しい感じがするのよね……。万里の事は本気じゃないっていうか」
「ちょっとミズキさん!?」
「ああ、わかるわかる。何か、結婚詐欺師みてえな匂いがすんだよな。うさんくさいっつーか」
「……妹の前で言う事じゃないわよ、二人とも」
 ただ、二人の言い分も分からないではないのだ。
 ソフィアにも、アレクの穏やかな表情と優しげな態度は、その奥にある『何か』に踏み込ませないための防壁のように感じられる所は少なくない。
 もちろんその『何か』が何かは、ソフィアには分からないのだが……。
「千茅はどう思うよ?」
「わたしは…………。信じたい、です」
 信じたい、だ。
 信じる、ではない。
「そうよね……。あたしも信じたいわ」
 その言葉の内にある意味を解したのだろう。ソフィアもアレク達に気付かれないよう、小さくため息を吐いてみせるだけ。
「私だって信じたいよ……」
 万里の事をきちんと想ってくれるなら、昌としても言う事はないのだ。もちろん面白くない思いも少しはあるが、それこそ昌のワガママというべきだろう。
「……上手くいくと、いいのになぁ」
 だが、それは難しいだろう。
 アレクはキングアーツの第二王子にして、メガリ・エクリシアの指導者だ。そして万里にも、万里の立場があるはずだ。
 ソフィアも、そこまで夢見る乙女ではない。
「ですよねぇ……」
 友人の言葉に、千茅も小さくため息を一つ。
 万里は神揚の王位継承者にして、八達嶺の導き手。アレクと結ばれるためには、様々な難関が待ち構えているはずだ。
「だよねぇ……」
 そして、その最初にして恐らく最大の難関は……。
 もうすぐ、やってくる。
 それはアレクが万里に想いを告げた、すぐ後にやってくるはずだった。

 緑の森に響き渡るのは、手を打ち鳴らすことで生まれる、軽快なリズム。
 けれど、そのリズムに明らかに乗り遅れている者がいた。
「え、ええっと……昌、こう?」
 ジュリアである。
「違う違う。こうだってば」
「えええ……っ!?」
 彼女としては、昌達と同じように踊っているつもりなのだ。しかし、実際に形にしてみると、彼女達とは明らかに違う不思議な動きとして再現されてしまう。
「イノセントさん、こうです。こうっ」
 千茅のダンスはややぎこちなくはあるが、それでも昌のそれに近いもの。
「うぅぅ……難しい……」
「何やってるんだ?」
「あのね、踊りを教えてもらってるんだけど……何だか、難しくて……」
 それは、神揚ではごく一般的な祭り囃子に付けられる振り付けだった、
 恐らくはキングアーツとは文字と同じく、音楽の体系も違うのだろう。前提や基礎から違うとすれば、神揚の民なら自然と身に染みついているそれも、彼女達にとっては至難の業となる。
 それに、原因はもう一つ。
「節回しも無いのに踊るなんて難しいだろう」
 呟き、奉が懐から取り出したのは、一枝の横笛だった。
 軽く唇を当てて息を吹き込めば、流れ出すのは神揚の民なら聞き慣れた音。
「不思議な音……」
 けれどその音も、キングアーツで生まれ育ったジュリアにとっては、初めて聞く音色だ。
「笛は万里も上手いぞ。……千茅」
「はいっ。イノセントさん、ご一緒に!」
 奉の笛から流れ出す旋律に合わせ、千茅がジュリアに手を伸ばす。
「あ……うん」
 その手を取ってリズムに身を委ねれば、確かに身体は自然と動いた。千茅達ほど滑らかではなかったが、それでも先程よりははるかにましだ。
「じゃ……あ、アルツビークさんー!」
「わ、私か!?」
 一人あぶれた形になった昌は、ジュリア達の様子を遠目で眺めていたリフィリアに大きく手を振ってみせた。
「いいじゃない。踊ろう!」
 そう言った時にはリフィリアの手を取った後だ。自然とリフィリアも、そのまま引きずり込まれる形になる。
「楽しそうな事やってるわね。ええっと……」
 笛の音に釣られてやってきたソフィアは、相手がいないかと辺りを見回し……。
「私は奉と笛を吹きますから、アレクさんと」
「えーっ。兄様と踊っても面白くなんかないよ。兄様、万里と踊ってあげて! ほらほら!」
「わ、私か?」
 とりあえず、笛を取り出そうとした万里に兄を押し付けておいて、新たな標的に目を向ける。
「あたしは……」
 いた。
「珀亜、沙灯!」
「い、いや、私は……」
「……覚悟を決めるでござるよ、クズキリ殿」
 本来は二人ひと組で踊る囃子だが、もう無茶苦茶だ。そもそもソフィアに至っては元の振り付けを知らないのだから、それで当たり前なのだが。
「………どう? 楽しい? アルツビークさん」
 そんな混沌とした光景の中で、昌はリフィリアに微笑みかける。
「ああ………。まあな」
 繋がれたリフィリアの手は、柔らかくて温かい。
 昌は鋼鉄のリフィリアの手をどう思っているのだろうか……と一瞬思うが、向けられた顔はいつもの笑顔だ。
「これがずっと……続けばいいのにな」
 だから、言葉は思わず漏れた。
「大丈夫だよ。私たちに戦う理由なんて、ないもの」
 そう。
 戦う理由なんかない。
 不幸な出会い方ではあったけれど、まだその事を公には口に出せないけれど……。それでもこうして互いを知り、手を繋いで踊ることは出来る。
「……こうなる事を、本物の沙灯も望んでいたのかな」
 小さくそう呟き、リフィリアも笛の音にその身を静かに委ねてみせる……。

続劇

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