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9.それが私の仕事だから

 格納庫へと戻ってきたアームコート達を迎えたのは、車椅子に乗った仮面の美女である。
「お帰りなさいませ、皆さん」
 そんな彼女に一番に歩み寄ったのは、帰還した兵達の中でもひときわ小柄な影だった。彼女にしては大きめの分厚い書物を、恐らくそれを待ちわびていただろう女性に差し出してみせる。
「これが今日の分です、イクス准将。あまり進みませんでしたが……」
「ありがとう。ゆっくりで構いませんわよ」
 ざっと確かめるが、言うほど進んでいないわけでもない。
 しかし、プレセアとしても向こうには協力してもらっている立場なのだ。無理を言うつもりもないし、させるつもりもない。
 そんなコトナの肩に、プレセアはそっと手を伸ばし……。
「髪の毛が。この白い毛は……?」
 透き通るような白い髪を持つのは、キングアーツではヴァルキュリアくらいだろう。けれど彼女の髪も、ここまでは長くないはずだった。
「協力してくれた方のだと思います。……ずっと抱きかかえられていましたので」
「あらあら。仲良しさんですわね」
 髪一本でも、彼女からすれば貴重な情報源……資料の一つだ。車椅子から伸びたアームに預け、そのまま仕舞い込んでいると、彼女に駆け寄ってくる姿が一つ。
 ジュリアだ。
「プレセア。ちょっと用意してもらいたい物があるんだけど……いいかな?」
 ここで調達の相談という事は、神揚の民が欲しがっている何かなのだろう。
 本当ならばプレセアが直接赴いて情報を集めなければならない所だったが……さすがに車椅子で訪れては怪しまれてしまう。
 だが、最初に幾つかの贈り物を調達した事もあってか、その手の調達は誰もがとりあえずプレセアに相談するようになっていた。
「何ですの? リフィリアちゃんみたいに、帽子?」
「帽子って?」
「さあ? 贈り物でぜひとも欲しいって言われたから、この間いくつか渡したのだけれど」
 確かに神揚の面々は、ほとんどの者達が帽子を被ってはいたが……恐らくそれは頭の耳を隠すためであって、被らなければならない決まりがあるわけではないはずだ。
 それはリフィリアも、あの夢の中で知っているはずだったが……。
「……時々リフィリア、良く分かんない事するわね」
 親しくなった人にはそういう物を送る習慣でもある家系なのだろうか。ソフィアが来てからいくらか親しくはなったが、その想いは未だ窺い知る事が出来ずにいる。
「まあいいや。そうじゃなくって……重曹が欲しいんだけど」
 だが今日の相談は、プレセアの想像も少々超えた物だった。
「……重曹?」
「ほら、あのお菓子膨らませるやつ」
「それは分かりますけれど……どうして重曹が?」
 食品や工芸品なら分かる。帽子も贈り物としては許容範囲だろう。
 しかし、なぜいきなり間を飛ばして原材料なのか。
「向こうの料理を作ってる人が、キングアーツの料理を再現してるみたいでさ。お菓子を作るのに、重曹がないから上手く出来ないんだって」
「キングアーツ料理……ですの?」
 面白い事をする人物がいたものだ、と思う。
 神揚に滞在しているシャトワールや、料理の出来るコトナ達から仕入れた情報を元に再現しているのだろうが、恐らく神揚なりのアレンジがあるはずだ。
 上手くキングアーツに持ち込めれば、それでひと商売出来る可能性もある。
「それで、何トンほど?」
「いや……とりあえず、ひと袋とかでいいんだけど……」
「……ひと袋」
 業務用の十キロや六十キロという単位でもないだろう。
 だとすれば、ひとまず街で買ってくるか……。
「……厨房に相談した方が早いかなぁ……?」
「それが一番早いですわね。後で用意しておきますわ」
「ありがと!」
 どうやら仕入れはプレセアの懐を痛めずに済むらしい。食事のついでに厨房に寄るなら手間もかからないし、情報調達の手段と言えば主計としても経費扱いで通るはずだ。
「おーい、プレセア。アレクが話があるって」
「分かりましたわ。ではコトナちゃん、次もお願いしますわね」
 呼びに来たククロに軽く応じておいて、プレセアはその場を後にするのだった。

 執務室で待っていたのは、メガリの若き長である。
 スミルナ・エクリシアから戻ってきたばかりで、防湿コートを脱いだだけの慌ただしい姿だが……本来はそこまで何度もスミルナに行っていられるほど暇な立場ではないのだ。
 恐らくプレセア達との話が終わった後にも、いくつもの案件が彼を待ち構えているのだろう。
「環から、プレセアが来てくれてから、備蓄にかなり余裕が出来ていると聞いた。助かる」
「私は私の仕事をしているだけですわ。お気になさらず」
 それは彼女の主計将校としての本来の仕事である。
 しかも夢の記憶からこの後に必要な物資の目処は立っていたから、それをもとにいくらかの調整を加えたに過ぎない。
「例の件の物資も、手配は終わっていますわ」
「そうか」
「例の件って……ハギア・ソピアーのオーバーホール?」
 ただ補給がスムーズに動いている事を褒めるだけなら、畑違いのククロは呼ばれないだろう。そしてライラプスの修復も終わった今、ククロがアレクに呼ばれる理由は、以前話のあったそれ以外に思い浮かばない。
「ああ。ククロは忙しいか?」
「ライラプスの修復も終わったし、まあまあかな。いつから始めるの?」
 むしろそれは、彼にとっても望む所。
 キングアーツのアームコート群の中でも古参のハギア・ソピアーの整備となれば、楽しみでないはずがない。
「予定通りでいい。ソフィアにもそれで納得させた」
「おむずがりになったのでは?」
「大分な」
 その光景は、プレセアにとってもククロにとっても容易に想像出来るものだった。
「今のところ、ハギアも調子良いしねえ。……どうしてもしなきゃダメなの?」
 チェックは出撃が終わる度に行っているし、そこで問題が出た事は一度もない。対魔物戦が初めてというハギアの扱いは分かるが、オーバーホールまでするにはいささか大掛かりに過ぎる気がしないでもなかった。
「万が一という事もある。起きてからでは遅い」
「……まあ、そうだね」
 とはいえ、アレクがどうしてもと言うなら、反対すべき理由はない。
「失礼します。……と、お話中でしたか」
 そんな話をしていると、執務室に入ってきたのはアーデルベルトであった。やはり彼もスミルナから戻ってすぐ作業に入っていたのか、アレクと同じ格好である。
「構わん。どうした?」
 ククロとプレセアを片手で制し、アーデルベルトの言葉を続けさせる。
「本日の報告と、後……」
「アーレスの事か? 様子はどうだ」
「内心は相当不満が溜まっているようです。今の所は落ち着いていますが……」
 表向きは従っているが、その内では従っていないのが様子の端々に見て取れた。あれでは膨らみきった風船の如く、いつか何らかの形で爆発してしまうだろう。
 あの夢の中では、アーレスもここまで反抗的ではなかったはず。あの夢を見た事で、彼の中で何かが変わっているのか、それとも……他に何か原因があるのか。
「まあ、アーレスのそれは今に始まった事ではないよ。……次の護衛はアーレスだけにしてみるか」
 ぽつりと呟く兄王子に、アーデルベルトは露骨に顔をしかめてみせる。
「アレク王子はアーレスに甘すぎませんか?」
 それは、以前補佐役たる少年も言っていた事だ。
 前の処分も営倉に数日込めたきりだったし、本来ならここまで命令違反が続くなら、降格や放逐があってもおかしくないはずなのに……。
「アーデルベルトには他にしてもらいたい事が山ほどある。いつまでもあれの守りばかりさせてもいられん」
「それは光栄ですが……」
 話をはぐらかされた事を理解しつつも、今の立場でそれを追求するのも難しい。
「それに、あれには鈴を付けてある」
 果たして誰の事なのか。
 今まではその役割はアーデルベルトだと思っていたが……今は新たな鈴が付いているという事なのか。
 だが……。
「……殿下。一つ、よろしいですか?」
 そんな二人のやり取りを見かねたか、口を開いたのは車椅子の美女であった。
 視線で言葉を促された彼女が口にしたのは……。
「殿下はこの先の事を、どこまでご存じなのです?」
 ソフィアの件も、アーレスの扱いも、この先の出来事に何らかの関わりがあり……それをアレクが知っているなら、彼の不可解な態度も一応の説明が付くはずだ。
「プレセア!」
 そのひと言に、アーデルベルトも思わず声を大きくする。
 夢の件はアレク達にはまだ伏せておくべき事だったはず。聡い彼なら、そのひと言で多くの事を見通すだろう。
 そしてその判断材料の中には……アーデルベルトがたった今、声を荒げた事も入っているはずだ。
(迂闊……)
 だが、アレクはその事に対して問いただす気はないのだろう。
 ほんの少し黙っていた後……。
「……次の敵の大攻勢で、ハギア・ソピアーはテウメッサに破壊される。敗因は整備不良だ」
 ぽつりと呟いたのは、それだけだ。
(テウメッサ……九本尻尾の正式名を、知っておられるか。だとすれば、やはり……)
 けれどひと言は、アーデルベルト達にとっても十分過ぎる程の情報を持つ物だった。
「それでオーバーホールを……」
 だからこそ、アレクはハギア・ソピアーを出撃させない事に拘ったのだろう。
 アーデルベルトやプレセアの知らない情報を知っていたから……そして、知る機会を持っていたからこそ。
「……でしたら、小官からも一つ」
 ならば。
 プレセアの目線を僅かに受けつつも、アーデルベルトは静かに言葉を止める事はない。
「それを庇って出撃したアレク王子は、テウメッサに敗れます。傷は深く……助かりません」
「……その後に起きるのは、双方の全面戦争といった所だな。ソフィアと万里は和平を目指すだろうが……何も知らん所を見るに、沙灯の術が発動したのは二人が死んでしくじった後か」
 アレクの問いに、場にいる者達は答えない。
 それを肯定と取ったのだろう。アレクもしばらく黙っていたが……。
「……方針は変わらん」
 やがて口にしたのは、そのひと言だ。
「殿下!」
「すまん。もう少しだけ、私に時間をくれ」
 それでも非難の視線を止めないアーデルベルト達に、アレクは穏やかに微笑んでみせる。
「案ずるな。そこまで聞いた以上、自ら死ぬような真似は選ばんよ。……戦のない世にしたいのは、私も同じだ」

 振り下ろされるのは、片手剣と両手剣の中間ほどの刃。
 本物ではない。ほぼ同じ重量を備えた、硬く詰まった木の刃だ。
「はぁぁぁぁ……っ!」
 とはいえ、これだけの重量があれば当たり所が悪ければ骨の一本や二本は容易く折れてしまう。
「まだまだ脇が甘いです、ソフィア姫様」
 ソフィアの打ち込みを的確な棒捌きで受け流しながら、少しずつ下がるのはコトナである。
「……何やってるんだ?」
 木々が打ち合う音を気にしたか、ふらりと現れた環がその質問を向けたのは、階上のバルコニーで訓練の様子を眺めていたヴァルキュリアだった。
「ソフィアが暴れた所を、コトナがなだめている」
 最初ソフィアは、訓練相手に環を探していたのだ。
 忙しい彼に代わり、ヴァルキュリアが相手を申し出ようとしたのだが……それより先にコトナが名乗りを上げてきたのである。
 もちろんヴァルキュリアとしても、そこまで訓練相手に拘っていたわけではないから、コトナにその座をあっさりと明け渡していた。
「ふーん。ハギアのオーバーホールの事?」
「いや。最近、出撃しても敵が軒並み逃げるそうだ」
 つい先日も、敵の新種らしき魔物を見かけて仕掛けたはいいが、すぐに逃げられてしまったのだという。
「……ああ、そっちか」
 もともと魔物に対する感情は人一倍強い彼女である。そこで苛つくのも無理からぬ所であろう。
「環」
 納得がいったようにソフィア達の打ち合いを眺めている少年を脇に、ヴァルキュリアはぽつりとその名を呼んだ。
「近頃、アレク達が疲れているようだ。……慰労の酒宴を提案したいのだが……」
 だが、その言葉に環は言葉を返さない。
 ソフィアの稽古風景をそこまで熱心に見ていたようには思えなかったが……。
「……どうした?」
「いや、お前がそういう事言ってくるなんて思わなかったからさ。……何かいい事でもあったのか?」
「……何でもない」
 ふぅん、と微笑む少年に、ヴァルキュリアは僅かに視線をそらしてしまう。
「私は……お前の力になりたいだけだ」
 なぜ視線をそらしてしまったのかは分からない。けれどあの夢を見た後のように、心臓の鼓動が早まり、呼吸が僅かに乱れている事は理解出来た。
「俺の力、ねぇ……」
「環は何がしたい? どうすれば、喜ぶ」
「……あんま、そういうの考えた事ないんだよなぁ」
 そんなヴァルキュリアの必死の問いに、環が答えたのはごくごく軽いひと言だ。
「俺はアレクが元気でいてくれりゃ、それで十分なんだよ」
 ならば……。
 僅かに考え、ヴァルキュリアは新たな問いを紡ぐ。
「……もし、アレクに何かあったら……どうする?」
「さあなぁ。誰かが何かしたなら、絶対許さねえと思うけど……」
 呟き、眼下の剣戟に視線を向ける。
 的確な動きでソフィアの攻撃を捌いていたコトナだが、やはり絶対的な体力の差か、徐々にソフィアの刃を捌ききれなくなってきていた。
「……沙灯の時は、アレクは死んだんだってな」
「アレクから聞いたのか」
 先日アーデルベルトがその話をしたのだと、プレセアから聞いていた。アレクが聞いたなら、恐らく共犯者であろう環に話が伝わっても不思議ではない。
「ああ。その様子だと、お前は沙灯の巻き戻しも食らったワケか」
 だが、その返答に生まれるのは、違和感だ。
「……巻き戻し……『も』?」
 巻き戻し『を』ではない。
 巻き戻し『も』だ。
「お前も……なのか? 環」
「俺が沙灯にも巻き戻されてりゃ、もっと事態は楽だったと思うぜ。……ま、アレクが死んだ後の俺なんて、ロクな事になってねえ気はするけどな」
 どうやら眼下の決着も付いたらしい。
 尻餅をついたコトナに手を伸ばすソフィアはいくらか機嫌を直したようだった。そういった意味では、勝負に勝ったのはソフィアでも、戦術目的を達成したのはコトナという事になる。
 だが、勝負の結果は既に彼女にはどうでも良い事となっていた。
「それは……」
 アレクが死んだ後の環の事を、果たして伝えて良いものか。環の口ぶりからすれば、恐らくある程度の事は予想しているのだろうが……。
「……言えねえか?」
 言うべきなのか。
 言わざるべきか。
 彼女の中で、その判断は下す事が出来ず……。
「……命令で、あれば」
 口にしたのは、そんなひと言だった。
「なら命令はしない。お前が言いたくなったら、教えてくれりゃいい」
 その態度であらかたを察したのか、それとも別の理由があるのか。環はそう呟くだけで、ヴァルキュリアからそれ以上聞き出そうとはしなかった。
「そうだ。次のスミルナ調査はアーデルベルト隊の代わりにお前が同行しろ。……アーレスが何かするだろうが、見ておくだけで良い。放っておけ」
 そして下すのは、先程とは違う、いつもと同じ簡潔な命令だ。
「……了解した」
 命令ならば従える。
 環の下したものなら、如何に理不尽で、不可解なものであろうとも。
「呑み会の件はアレクに話付けといてやる。愛想の良いお酌の仕方は、ちゃんと身に付けとけよ?」
 どこか安心したような息を吐き、環に敬礼で答えるヴァルキュリアを一瞥し……。
 環は、バルコニーを後にするのだった。

続劇

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